御祭神

御祭神 稚産霊命(わかむすびのみこと)  御祭神は我が国のもっとも古い書物・国史書である古事記には「和久産巣日神」、日本書紀には「稚産霊命」とみえるお名前の神様です。伊勢の神宮外宮の御祭神「豊受姫命」の御親神であられます。
 お名前の「和久」・「稚」は、ともに若いとか幼いという意で、「産巣日」・「産霊」は形成する・完成するの意で、若い・幼いものを育てあげるという御神徳を表しておられ、人・万物・事業の生成・発展を見守って下さる神様です。 殊、恋愛成就・安産子育・健康守護・事業発展の御神徳をいただける神様です。



御由緒

 当社は旧佐倉藩の総鎮守で、古くから「まかたさま」とこの地方の人々に親しまれ、崇敬されてきたお社です。
 麻賀多神社という神社は、当社をはじめとしてこの佐倉市内に11社・隣接する酒々井町2社・成田市2社・富里市2社・八千代市1社を数えます。一見多く存在するようですが、これを全国的に見ますと他の地方には見られない、珍しい名前の神社で、印旛沼の東側から南にかけての地域にのみ存在する神社です。
 しかしながら今から約1050年程前に完成した政令集「延喜式」の巻第九・下総国の項に、この「麻賀多神社」の社名が記載されており、当時すでに中央にまで知られていた神社である事がわかります。
 その御鎮座は佐倉地方開闢の頃と云われており定かではありません。しかし社名については口伝によると以下のようになっております。
 鎮座している千葉県は古来、麻の産地であり「総国・ふさのくに」の総は麻を表しております。その中にある印旛地方は下総国成立以前は印旛国であり、朝廷より国造(くにのみやつこ)が派遣されておりました。その国造に多一族の伊都許利命が就任してたとの記録が先代舊事本紀に記載されております。その国造が代々祀ってきたのが当社であり、「麻の国で多氏が賀す神の社」と訓読みすることが出来ます。鎮座地の「佐倉 」という地名も「麻の倉」が転じてと言われており、佐倉地方が古代物流の中心的地位を占めていたことが判ります。
 時代が下がり、徳川時代になると神社の西方に土井利勝公が佐倉城を築き、その城主となってからは、当社はこの地方の氏神様であるばかりではなく、城の追手門近くに鎮座する神社なので、城地鎮護・佐倉藩総鎮守の神として代々の城主・家臣に篤く崇敬され、社殿の度々の造営・神号額・神鏡・絵馬等の奉納が続きました。現在の社殿は天保14年、のちに幕府の老中首座を務めた藩主堀田正睦公が新たに建て替えたものです。尚、平成15年に氏子一同の奉賛により大修営が行われ、厳かに正遷座祭が斎行されました。
 明治維新以降は佐倉城趾に陸軍連隊が配置され、県内各地から入隊した房総健児が武運長久を祈願しました。  
 先の大戦よりすでに久しく、現在は安産育児・家内安全・病気平癒などをお祈りする人々がいつの世に変わらず社前に見られ、樹齢800年以上の大銀杏をはじめ古木・大樹に囲まれた境内は氏子・崇敬者の憩いの場となっております。