七峯の丘から
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天長節を寿ぐ獅子の力 [令和2年2月23日]
 天皇陛下におかせられましては本日60歳の御誕辰をお迎えになりました。
 誠に目出度くお祝い申し上げ待つと共に玉体の安寧をご祈念致します。
 昨年の2月23日は皇太子殿下であらせられましたので令和元年は天長節(天皇誕生日)がありませんでした。
 その年に天長節が無いというのはなんとも不思議な感覚を持ちましたが、御即位に伴う諸行事が目白押しでしたので奉祝の意は変わりませんね。
 60歳と言えば還暦。近代の天皇では今上陛下が一番高齢で即位されたことになりますが、天皇誕生日に当たっての会見では「まだ還暦という気持ち」と述べられ、ご公務に一層励まれる由を表明されました。
 これは宮司が常日頃思っていることなのですが、天皇陛下は同い年の方に比べるととてもお若く見えます。
 特に御即位の関する報道では陛下のご学友が沢山登場しましたが、「本当に同い年なの?」と見まがう方の方が多かったものですから・笑
 さて、その佳き日に当社では佐倉囃子保存会の獅子祭りが行なわれました。
 佐倉囃子は祭礼時に山車や御神酒所で演奏するだけではなく、お祝いの席などでも賑やかに囃し立ててくれ、その際には寿獅子も舞われます。
 当社でも元日午前零時から境内に於いて奉納の初演奏と寿獅子が舞われます。
 獅子祭りはその寿獅子で使う獅子頭を一年に一度神前で祓い清め、頭の中に祀ってある御神符を取り替えます。
 なので獅子頭は神様の化身ということになりますね。
 昨年は御目出度くも風水害の多い年でした。獅子は厄災を祓い除けると言われております。
 令和最初の天長節を迎えた良き年が獅子の力も借りて穏やかな年になりますよう、新型コロナウイルスも早く収束しますよう願っております。

男ばかり写っておりますが麗しい女性も多く参列頂きました
 
猫の日と春一番と [令和2年2月22日]
 令和2年2月22日。これだけでも「2」が4つも有るのですが、西暦では2020年ですのでこれだけ「2」の重なる日はございませんよね。
 なんでも2月22日は「ニャンニャンニャン」で猫の日だそうですね。
 ただこれは猫の日実行委員会が決めた日本だけの制定だそうで、海外に目を向けるとヨーロッパでは2月17日。ロシアが3月1日。アメリカは10月29日となっております。
 日本人は言葉や数字の語呂合わせが好きな国民性ですのでこのような事例は沢山有るわけです。
 因みに戌の日は11月1日。理由は言わずもがなです・笑
 猫の日だというので境内に住み着いている狛猫達の様子でも見ようかと社務所から見回すと、強風に堪え忍んでいる姿の母ニャンとスルメ。天気予報に反せず春一番が吹きまくっておりました。
 春一番の定義とは立春から春分までの間に吹く南風で、風速が8メートル以上のものを指します。
 なので春二番や三番もありますし、その期間に吹かなければ春一番を観測しない年も有るのです。
 午前中に地鎮祭を奉仕した際には風は吹いていませんでしたので、佐倉では昼頃から吹き始めたようです。
 なぜ春一番のような強風に気付かなかったのかというと、今日と明日奉仕する神葬祭の祭詞を作文し奉書していたから。
 神葬祭の祭詞は故人の経歴などを折り込み作成しますのでかなりの集中力と頭を使うんです。
 ましてや今回お亡くなりになった方は、神社の地元宮小路町にお住まいで、佐倉市菊花連盟の会長として長年神社にも貢献頂いた方。
 氏子旅行もご一緒したり菊花大会の表彰式では「宮司は日本酒がいいんだよなあ!」と毎度沢山注いで頂いたりと数え93歳ですが亡くなられたのが未だに信じられません。
 先程、通夜祭の奉仕から戻り社務所で七峯を書いておりますが、未だに吹いている春一番の風の音が「宮司、もう少し一緒に呑みたかったな」と言っているようにも思えます。
 これから夕餉。故人を偲んで、一献献杯を致しましょう。


 
七栄二午祭 [令和2年2月21日]
 え〜っと、昨夜は先輩同輩後輩達とおそーくまで盃を交わしまして、今朝は若干胃のあたりが重かったのですが、朝風呂で気を引き締めて一日が始まりました。
 日の経つのは早いもので、8日にフィリピン方帰国して翌日に初午のご奉仕をしたと思ったら今日は二の午。すでに12日が経った事になります。
 当社管轄だと富里市七栄の紅葉山稲荷神社が毎年二の午で祭典を齋行しており、七栄消防団員が運転する送迎車に乗車し出向しました。
 七栄の稲荷神社は元々江戸城の紅葉山に鎮座しており、戊辰戦争後に城内の社殿が撤去されるに伴い佐倉藩士が御神体を始め諸々を佐倉に持ち帰り、佐倉藩の放牧場であった現在の七栄が開拓されるにあたり、その中心に据えられました。
 昨年10月には七栄開拓150年として境内に記念碑が建立され、例大祭の後に清祓いと除幕式を行ないました。
 今日の祭典では氏子総代を始め来賓として五十嵐富里市長や高橋県議。また七栄選出の市議会議員各位も参列。大勢のお参りを頂きました。
 さて、宮司の送り迎えは七栄消防団が行なう習わしとなっておりますが、二午祭では祭典後に消防機庫に移動して消防車とポンプ車をお祓いするのです。
 玉串奉奠も氏子総代と来賓の後に消防団が行ない、その後に七栄各町内会の社事係が続くなど、七栄にとって消防団は地元の防火活動のみで無く青年育成の組織としてとても大切にされています。
 これは余談ですが、未だ自動車の少なかった時代。先代宮司の迎えの際に赤い消防車で来たこともあったそうで、当社の周りでは火事が起こったのかと大騒ぎになったとか。
 今はもうそう言うこともありませんが、消防団員の方々は比較的宮司と年齢も近いので、行き帰りの車中はなかなか話も弾むのです。ただ今日は粋は知らない間に寝ておりましたが。

社殿より参道を臨みます
 
千葉神青70周年 [令和2年2月20日]
 このところあっちこっちへ行っていたもので、ゆっくり新聞を読む時間が無かったのですが、新型コロナウイルスの感染拡大に伴い23日に予定されている天皇誕生日の一般参賀が中止になったと17日に宮内庁より発表があったそうですね。
 御即位されて初めての天皇誕生日。国民等しくお祝い申し上げると共に玉体のご健康をお祈りするのですが、国民の安寧な暮らしを願われる陛下の思し召しに深く頭を垂れる次第です。
 このほかにも大規模な催し物の中止や延期が次々と発表されております。現状では致し方ないのですが、先ず始めに中止にして貰いたいのが4月に予定されている中国共産党の習近平国家主席の国賓来日。
 中共の国会に当たる全人代も新型ウイルス対応で延期になっているという事もありますが、新疆ウイグル自治区やチベットに暮らす人達への弾圧だけではなくその民族消滅をもくろむトップを国賓として迎えるなんて言語道断です。
 まして国賓となると天皇陛下と会談や宮中晩餐会も行なわれますので、血で汚れた手で陛下と握手するなんて考えられません。
 以前にも書きましたが、神社界は基本自民党支持ですが他に選択肢が無いための支持であり、中共のトップを国賓で招くなんて本来の保守支持すら失う結果になるでしょう。
 さ、こっからは気を取り直しまして御目出度いお話しに移行しますね。
 千葉県内神主の青年組織である千葉県神道青年会。本日その設立70周年記念式典と祝賀会が千葉市の京成ホテルミラマーレで開催されました。
 宮司は昨年3月で卒業となりましたが、OB並びに県神社庁印旛支部長として参列して参りました。
 同会は昭和24年に親会である神道青年全国協議会(神青協)の発足に合わせ産声を上げ、初代会長は香取神宮宮司を務めた平山重正氏です。
 現会長の鈴木豊幸さんで丁度30代。宮司も24代会長を仰せつかり、今回は歴代会長として22〜26代の会長経験者が鈴木会長より感謝状を受け取りました。
 どのような活動をしているかは下記HPをご覧頂くとして、今思い返すに宮司が入会したのが國學院を卒業した平成7年。そこから事務局長として50周年を迎え、55周年では実行委員長として沖縄の旧海軍壕で慰霊祭も行ないました。
 その後は諸役職を経験させて頂き、会長として神青協の年間最大行事である中央研修会をホテルニューオータニ幕張で。また神青協一都七県協議会の定例総会もまわってくるなど千葉神青の会員各位には本当にお世話になりました。
 そのかいもあって神青協の理事も2期4年。この間には神青協や千葉神青を含めた全国単位会の60周年などもあり、諸行事に参加して帰宅すると息子より「お父さん久しぶり」と言われる始末・苦笑
 その息子も今や千葉神青の会員となり、今日は受付係をしておりました。
 そんなこんなで、先頭に立って活動する方から後方支援というか、見守りとアドバイスをする立場になりましたが、今の宮司があるのも千葉神青のお陰だと思い、これからも応援をしてまいりたく思います。
 今日の大会には神青協よりも金田祐季会長始め多くの役員。そして一都七県よりも沢山の同志が参集してくれました。
 このご縁を大節に、千葉県神道青年会がますます活躍の場が広がることを願います。

千葉県神道青年会
http://chiba.jinja.gr.jp/index.html

神道青年全国協議会の発足
http://www.shinseikyo.net/

鈴木会長挨拶

宮司と権禰宜
 
一人社務所にて [令和2年2月19日]
 現在時刻午後7時32分。当社の社務時間は午後5時までですので、今社務所にいるのは宮司一人でございます。
 昨夜無事に帰倉して佐倉時代屋さんでわらじ脱ぎ。やはり見知った顔ぶれが並んでいるというのは安心するものですね。
 神宮で頂いた直会の撤下饌を皆さんにお裾分けをして、お伊勢さんの福を共に食しました。
 疲れが出たのか、今朝は発熱してしまいインフルエンザの心配もあったので午前中は自宅におり、熱も引いたので社務所へ向かおうとしたところ、生き狛犬の令麻がベッドに上がってきて大甘え大会の開始。
 ビタビタ甘えて興奮したのか嬉ション大会も起こってしまい、宮司の布団はクリーニングへ出されることになりました・笑
 そんなこんなで社務所へ顔を出せたのが午後2時くらい。
 留守が長かったせいもあり決裁事項が沢山。会計処理の一部は宮司が行なっていますのでそちらの処理を行なっているうちにこんな時間になってしまいました。
 一通り事務処理も終わったのでこれから遅めの夕食を取ることに致します。
 久しぶりの自宅での夕餉。家族みんな揃ってという安心感の中に、呑みすぎてしまわないように気を付けたく思います。

ビタビタ令麻
 
御奉仕こぼれ話・襪 [令和2年2月18日]
 昨夕、近鉄特急で伊勢を後にした宮司ですが、そのまま佐倉へ帰ってくると深夜になってしまい、また今日は午後から千葉の神社庁で役員会が有ることも考慮して名古屋で一泊。
 神青協時代の旧友と再会し盃を交わしたのであります。
 究極の清浄な場所と状態から真逆の所へ。ある意味陰と陽というか、俗人に戻らせて頂きました・笑
 そんなこんなで名古屋発10時台の東海道新幹線で品川まで。そこから総武線快速で千葉までやって来たのです。
 さて、役員会の話を書きましても余り面白くないと思われますので、昨日奉仕した神宮祈年祭について「ほお!]と思ったことがありましたのでそちらを書きますね。
 普段私達神職が袴を着ける際に履くのが足袋。一般に和装の時は足袋をはきますが、神宮の祭祀では襪(しとうず)と呼ばれる、爪先が割れていないものを履きます。
 なので関東から神宮へ出向した5名の控え室には事前に報告しておいた足のサイズの襪が用意されていました。
 襪は「下沓・したぐつ」が訛ったものとされ、古事記の中にも登場するなど足袋より古いそうです。
 現在でも社寺の儀式や舞楽の際に使用され、昨秋に行なわれた天皇陛下の即位礼正殿の儀など束帯や十二単を着装する時には足袋では無く襪が使用されます。
 宮司は大学時代の神社有職故実の時間に習った覚えはありますが、実際に手に取り履くのは初めて。
 足袋と違っていまいち踏ん張りがきかない点に戸惑いながらも昨日は一日ちゃんと履いておりました。
 支給されたのは足袋の大手メーカーの福助製で、綿素材でコハゼがついている普及品とのこと。
 明治以前は絹製でコハゼでは無く紐で結ぶ使用が多く、現在でも皇室に関わる重儀では本来のものが使われているとか。
 今回履いた襪は奉仕の記念にと頂いてきましたが、さて次はいつ履こうか。その前に履く機会があるのかと新幹線の車内で睡魔に誘われつつ考えたのでした。


 
内宮祈年祭奉仕 [令和2年2月17日]
 伊勢の神宮、内宮での祈年祭奉仕当日を迎え、緊張と感動の中に無事奉仕を完了しました。
 昨日の続きとなりますが、神宮での五大祭とは2月の祈年祭、6月と12月の月次祭、10月の神嘗祭、11月の新嘗祭を指し、外宮と内宮の祭典に都道府県より奉仕神職の枠が当てがわれます。
 もちろん祭典奉仕は神宮神職が行いますが、その陪席として各都道府県よりの神職1名が参列と拝礼をします。
 今回の内宮祈年祭は東京都、埼玉県、神奈川県、群馬県と千葉県で、参集場所の内宮斎館で通された部屋で皆さんとご挨拶。見知った方もおり少しく安心をしました。
 内宮の祈年祭は大御饌の儀(一般にいう祭典)が本日午前11時、天皇陛下からの御幣物を奉る奉幣の儀が午後2時となりますが、神宮では「外宮先祭」といって式年遷宮以外は外宮の祭典が先に行われますので、外宮の大御饌の儀は同日午前4時。奉幣の儀は午前7時からとなります。因みに大御饌の儀は1時間半で奉幣の儀は約2時間掛かります。
 昨夜は湯浴みの潔斎後に夕食。夕食は斎食と言って四つ足のものは食べず心身ともに清めを行い、その後に神宮神職より祭典概要と祭式所作の説明があります。
 普段私達の行っている祭式は明治以降に国によって全国統一されたものである、江戸時代以前はかなり地方色と言うかそれぞれの神社独自の作法がありました。
 神宮でも明治初期に祭典の大幅な改編が行われましたが、祭式においてはその独自性が保たれており、拝礼も二拝二拍手一拝ではなく、八度拝と言って立ったり座ったりを繰り返します。
 宮司は学生時代の神宮実習で教わりましたが、実際に祭典で八度拝を行うのはこれが初めて。同席の皆さん方と控え室でお互いに見ながら稽古をしました。
 さて、今朝も湯浴みをして潔斎を行ない朝食。当然ですが斎食でして、祭典時間が長いので極力水分は控えるように心掛けました。
 11時からの祭典ですがその10分前には斎館より参進が始まります。私達は序列だと一番下になるので斎館前庭に列立するのが一番最初に出なければならず、装束の着装も10時には始めなければなりません。
 前庭へは下手側から私達奉仕神職5名、権禰宜約20名の順で並び、対面して禰宜5名が立ちます。それらが揃ってから神宮小宮司と神宮大宮司が斎館より出てこられ、一番最後に神宮祭主の黒田清子様がお出ましになります。
 皆さん知っての通り黒田祭主は天皇陛下の妹君にあらせられ、平成25年の神宮式年遷宮では当時の池田厚子神宮祭主に代わり臨時祭主を務められ同29年より神宮祭主に就任されました。
 定刻に参進が始まり斎館より内宮正宮に向かいますが、平日にもかかわらず沢山の参拝者がおり、当然のことながら沢山のフラッシュを浴びることになりました。
 神宮ではお供え物である神饌をとても大事にしており、上記にもありますが祈年祭の祭典を大御饌の儀と呼ぶのもその例と思われます。神饌の殆どが神宮の御園で栽培され、海のものについては産地が指定されており、歴代の奉仕の漁師によって神宮に納められます。
 実際に神前に供えられる品数は100皿近くなり、その中心には生の鮑が置かれるのですが、正宮の石段を上がる前に階下にある御贄調舎で鮑に刃が入れられ塩を一振りして神前に献じられます。
 神宮の神饌は丸のままでは無く殆どが切り盛りをされ皿に載せられています。この時出た切れ端などは調理され食堂に並べられていて職員が食べられるようになっています。
 宮司も昨夜の斎食の際に少し頂戴しましたが、そこにはなんと鮑のまん丸とした肝も煮付けられてあり、職員お方に尋ねると神前へは鮑の身のみで肝はお供えしないそうです。これで日本酒があればなぁとは私達共通の意見でした・笑
 話を大御饌の儀に戻しますと、神宮に行かれた方はご存じだと思いますが正宮は御白石とごろたの石が敷き詰められています。神宮は拝殿などが無い時代の庭上祭典が基本で、ごろた石の上に畳表を敷いてその上に正座をするのです。慣れていない事もあってこれがまあ痛いのなんの。
 でもそんなことは言ってられませんし、その場にいられるだけで大変光栄なことですので背筋を伸ばして笏もぴしっと真っ直ぐに持ち、目の前で繰り広げられる神宮祭祀をしっかりと心にとどめました。
 祭典の最後には昨夜稽古をした八度拝が行なわれ、ぎこちないながらも無事に拝礼をすることが出来たので先ずは一安心。その後、正宮より内宮第一別宮の荒祭宮に移動して同じく大御饌の儀が行なわれ斎館に戻ってきました。
 これで昼食となりますが、午後1時には再び装束の着装をしなければならず、とりあえずご飯をかっ込んで手洗いも済ませ控え室で暫し休憩。
 時間になり着装と手水を取り、再び斎館前庭に列立。奉幣の儀は勅使参向ですので先程の列の先頭に天皇陛下からの御幣物を入れた唐櫃と勅使が立ち、神宮祭主以下が続きます。
 神宮では一般参拝者は外玉垣御門から先へは入れません。大御饌の儀で宮司が座った場所はその先の御敷地で御垣内の特別参拝が行なわれる場所でしたが、奉幣の儀ではその先の先である内院。御正殿の真下まで進ませて頂き御扉の開閉や正殿内へ御幣物が納められる様子も拝観させて頂きました。このご配慮には奉仕神職一同正直驚きを隠せず、全ての祭典が終了した後の直会で神宮神職の方々に感謝の気持ちを述べさせて頂きました。
 奉幣の儀も正宮の後に荒祭宮でも行なわれ、斎館前庭にもどり列立をして内宮での祈年祭は全て終了となります。
 控え室に戻り装束を解いだ時の開放感と神宮に奉仕できたという感無量なものが折り混ざりやっと興奮の気が起こったのです。
 先程も書きましたが、直会では神宮当局より労いの言葉と温かい表内を頂き、改めて御礼を申し上げました。
 そのような気持ちを抱きながら、「もう内院へ入ることも無いんだろうなぁ」と少し後ろ髪を引かれながら宇治橋を渡り近鉄特急に乗って伊勢を後にしました。

この列の最後におります

直会
 
伊勢路へ [令和2年2月16日]
命の洗濯という名のカバン持ちから帰倉して、息つく間もなく宮司は今日から伊勢入りです。
前回は昨年12月禰宜と千成幼稚園の安川理事長達と一緒の参宮でしたが、今回は神宮五大祭の一つである祈年祭の奉仕の為。
五大祭については明日書くこととして、通常伊勢の神宮では祭典奉仕に神宮職員以外の神職がつく事はないのですか、五大祭と式年遷宮関連の祭典に関しては都道府県より1名ずつの特別奉仕が認められており、今回宮司が千葉県代表として内宮の祈年祭に出向となりました。
神宮では年間1500回を超す祭典が行われていますが、祭典奉仕者には厳格な精進潔斎が求められ、特に五大祭については祭典を前に前日から斎館にて参籠をしなければなりません。
また飲酒はもとより食事も斎食という特別なものを食べ、湯浴みも行い、身体の内外も清浄にするのです。
なので新幹線に乗るとプシュっとするクセがある宮司であっても今日はノンアルコール。先程、近鉄名古屋から賢島行き特急に乗り換えましたが、禁断症状は出ておりませんのでアルコール依存症ではない事も証明出来ました・笑
今日は大安の日曜日。Facebookでは全国の神主仲間が雨の中地鎮祭などの祭典に勤しんでおります。
当社でも2人の権禰宜が御祈祷と地鎮祭を分担して奉仕しており、そのような中に伊勢に向かえる事を感謝しております。
しっかりと奉仕してくると共に、いずれ神宮での特別奉仕に出向するであろう権禰宜にも今回の奉仕内容を伝えたく思います。

からだすこやか茶で整える?
 
禰宜画伯お勉強の時間 [令和2年2月15日]
湯河原で思いっきり温泉に入り命の洗濯をしたところで、本日もカバン持ちの一日が始まりました・笑
さて、湯河原へ行く時は佐倉から総武線の快速で戸塚までいき、そこから東海道線の普通電車に乗り換えて湯河原駅というルートにしています。
あまり急がずゆったりした時間を過ごしたいというのと、戸塚駅では両線とも同じホームなので階段を上がらなくてよいと言うのも大きな理由。
そしてなんと言っても乗り換えはありながらも同一方向なのでグリーン料金が一回分で済み、土日だと通常運賃に800円を足せば良いのです。
まあ、グリーン車が贅沢と言われればそれまでですけど、それ以上にリラックス出来るのです。
そんなこんなでお昼前に湯河原を出発して、向かった先は渋谷にある山種美術館。同館で開催されている「上村松園展」を観覧しました。
上村松園は明治8年に京都下京で生まれた日本画家。特に美人画を多く残し、本人の言葉で「一点の卑俗なところもなく、清澄な感じのする香高い珠玉のような絵」、「真・善・美の極致に達した本格的な美人画」を念願として女性を描き続けました。(一部Wikipedia引用)
ここ数年、日本画にも興味を持っている禰宜画伯。伊藤若冲などの江戸時代の画家から上村松園や鏑木清方などの明治から昭和に掛けての画家にもその範囲が広がってきたのが判ります。
さて、山種美術館は渋谷区広尾にあるのですが、そのすぐ近所に宮司の母校である國學院大學があります。というか、美術館の玄関からはメインタワーが見えるほどの距離。
なので久しぶりにふらっと寄ってみますと、後期授業も終わったらしく学生の姿はまばら。
裏門から入りましたので、正門付近まで進んで正門隣に鎮座する神殿を拝礼致しました。
今の時期は神職養成講習会が開催されており、境内には朝夕の参拝時に受講生が手荷物を置く台などもあり、とで懐かしく思いました。
宮司が卒業したのは平成7年3月ですから25年前になります。渋谷キャンパス再開発によりその時にあった建物は神殿と百周年記念館、そしてサークル棟くらいであとはみな近代的な建物に変わりました。
それぞれ立派になりましたが、一番の目玉は大学に併設されている博物館で、考古学から神道史などの資料が判り易く展示されており、そして入館無料です!
國學院の学生以外も入館出来ますので、渋谷にお越しの際は是非足元を運んでみてはいかがでしょうか!
しかし不思議なもので、母校に向かった日に同級生から同期会の案内がありました。今年は6月に福岡で開催するとか。
早々にした返信は「喜んで参加致します!」です。幹事を請け負ってくれている広島の澁谷君、今回もお世話になります。

國學院大學神殿

博物館とマスコットのこくぴょん
 
湯河原カバン持ち [令和2年2月14日]
最初に書きますが、今月はほとんどお宮にいない宮司であります。昨日は幕張で今日は神奈川県は湯河原に来ております。
皆さんご存知ですか?湯河原は神奈川県の西の県境で隣の熱海は静岡県なのです。
そんなのあたりまえじゃん!って思われる方と、え⁉という方が分かれるのも、両方とも良い泉質であり、特に熱海は首都圏から気軽に行ける行楽地というのもあるんでしょうね。
昨年の風水害から年末年始。節分を挟んで御守のリニューアルデザインと来年の干支絵馬の作画がひと段落したそうで、禰宜画伯から「命の洗濯に連れてけ」とご指示がございまして、急遽ではありますが湯河原までやって来ました。
今のシーズン、湯河原や熱海の梅林が賑やか。熱海は満開らしいですが湯河原は七分咲き。
でも梅の花と芳香にとても癒しを頂き、何気に座ったベンチですぅっと眠りについてしましました。
とは言っても禰宜曰くものの2分程度らしかったのですが、その2分がわたしの命の洗濯になったのかも・笑
今夜は相模湾の魚介類を鉄板で頂く予定です。そして沢山温泉にも入り禰宜共々リフレッシュをします。
で、宮司は日曜日より伊勢の神宮へ祈年祭奉仕のため再び佐倉をあとにいたします。

2分寝たらしいです。