七峯の丘から
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配筋が始まりました [令和6年10月22日]

「手間の掛かる作業です」
 昨夜に京都亀岡から無事に帰倉しまして、恒例の草鞋脱ぎをして帰社。通りからではありますが、御神前にお参りをして家へ入りました。
 折角の京都なので、もう少し滞在したかったのですが、今日に千葉県神社庁元副庁長で東金田間神社宮司の高橋義人先生の葬場祭に参列のため戻ってまいりました。
 高橋先生は神社庁において祭式の講師を長く務められ、宮司も薫陶を受けました。
 国酒が大好きで、地元の梅一輪をこよなく愛され、神社庁の会合などでお注ぎに上がると酒談義をしてくれたのが思い出されます。
 喪主は禰宜の高橋研道さん。研道さんも祭式講師となられて活躍されています。親子って良いですね。
 このところ何かと慌ただしくしていたので、新社務所の工事進行を目にしておりませんでした。
 安全壁から覗いてみるとステコンを打った上に、鉄筋を組む配筋が始まっておりました。
 傾斜地に建てるので、基礎がかなり深く設計されてまして、必然的にそこに組む鉄筋の量も多くなります。
 また全て手作業なので、かなり細かいところまで鉄筋が組んであり、職人さんの腕の良さが垣間見られました。
 足場も組まれているのですが、配筋をする場所によってはその足場も組み直しが必要。本当に手間の掛かる作業なんですね。
 配筋作業は暫く掛かるようでして、それが済むと板を張り付けて枠を作り、コンクリートを流し込みます。
 ここでまたあのミキサー車とポンプ車が登場するので、楽しみに待ちたいと思います。
 
出雲大神宮御例祭に [令和6年10月21日]

「出雲大神宮御社殿」

「うちの徽章も大きくしようかな」

「岩田宮司ご夫妻」

「出雲玉作湯神社の遠藤宮司さんと」
 宮司、東海道新幹線の東京行きに乗車しております。乗ったのは京都駅。御神酒も入っておりまして、いつも以上に駄文の七峯にお付き合いを願いたく存じます。
 昨日に兼務社の秋の御例祭を納めまして、向かった先は京都市亀岡。京都パープルサンガの本拠地が駅前にドドんとある、京都のベッドタウン。
 しかしながら、明智光秀公が城を築いた地としてその重要性が判るというものですよね。
 昨夜は地元の農家さんがやっているバーにお邪魔しまして、亀岡産野菜を使ったバーニャカウダーを京都産のウイスキーで楽しみ、いつもよりも一時間前に就寝。
 今朝の目覚めは恐ろしいくらいに夢も見なくにパッチリ。宿泊をしましたルートイン亀岡から、サッカー場の方が東かなと思いまして麻賀多様を遥拝致しました。
 本日は丹波国一宮の出雲大神宮さんの御例祭。ご縁を頂きまして、今年初めて御例祭大祭式に参列をさせて頂きました。
 宮司さんは岩田昌憲さんで、これもご縁を頂いている金沢石浦神社の御例祭で数年前にご同席を頂きました。
 京都に出雲と、なにか不思議な感じが致しますが、その歴史は古く、今年で社殿の御造営から今年で1315年。御神体山の神籬祭祀からだど20000年と、麻賀多神社に通ずる程の御由緒なのです。
 大祭式には御所縁の深いお宮の宮司さん方がご参列。その中には麻賀多神社の宮本宮司家と本当に好意に頂いている、出雲は玉作湯神社の遠藤宮司さんのお顔もありまして、再会をありがたく、目頭が熱くなりました。
 お直会も300名以上の大きなもので、岩田宮司さんとごないふの仲睦まじいご挨拶もありがたく拝聴しました。
 出雲大神宮さんの御由緒は下記からご覧頂きまして、京都にもう少しいたいところではありますが、明日は大先輩の葬場祭。既に帰路の新幹線に乗車しております。

なので、少し寝ます

出雲大神宮
http://www.izumo-d.org/index.html
 
秋祭りの納めは花流し始め [令和6年10月20日]

「良い顔してる!!」

「吉岡春日神社」

「吉見住吉神社」
 明日は寒くなるよと、散々ぱら昨日の天気予報でやっておりましたが、確かに気温は下がったけれどもそれほど寒いかなぁと訝る宮司でございます。
 街ゆく人の服装も、半袖もあれば長袖もあり、お臍を出しているおねいちゃんもおりまして、結論的にはその人が着たいものを着れば良い的な感じでしょうか・笑
 今日20日、兼務3社の御例祭を奉仕致しまして、所管している神社の今年の秋祭りを全て取り納めました。毎年の事ながら、9月初旬からですから長かったですね。
 それぞれの神社にお祀りされている神神の御神威を頂き、支えてくれる氏子さん方、そして何よりも禰宜画伯を筆頭とする職員達にも感謝です。
 今日奉仕をしたのは、四街道市吉岡の春日神社、佐倉市吉見の住吉神社、四街道市成山の高お神社(お・雨冠に龍)でして、四街道と佐倉を行ったり来たりと。
 日曜日という事もあって多くのお参りがあり、現在行われている衆議院議員総選挙に立候補している方の参列もありました。
 秋の御例祭が仕舞いに近づくと始まり増えてくるのが「花流し」です。花流しとはお祭りの後のお疲れ様会。地域によって呼び方が違いますね。
 佐倉はお祭りでのご祝儀の事を「花」と呼びます。これだけでもなんだか時代というか、雅さを感じますよね。
 お祭りを納めてから、諸々に掛かった支払いを済ませて、その残りの花でお疲れ様を、皆で慰労をする。なので「花流し」なのです。
 昨夜は麻賀多神社大神輿奉昇員である鏑木青年会の花流しが、神社隣の房州屋本店で行われ、宮司が参加をしました。
 総勢50人程の参加があったでしょうか。大賑わいに賑わいつつ、頭の中は既に来年の渡御を見据えた事に皆がなっている。流石は鏑木青年会です。
 今年の渡御をもって、赤襷こと大世話役5年目の内田聡君と二口伸哉君が青年会を卒業となる事が発表されると、どよめきと共に「さらば久しい!!」の掛け声が、房州屋の2階にこだましました。
 二十数年の青年会活動の総締め括り、本当に素晴らしい渡御を指揮してくれたお二人に、宮司からも改めて感謝の言の葉を贈りました。
 同時刻には城の麻賀多神社例大祭で大神輿を奉仕した六崎青年会の花流しがJR佐倉駅近くの福来軒で開催され、そちらには渡御に奉仕した智勇権禰宜が参加。
 鏑木と六崎、それぞれの花流しに宮司から石川県珠洲市の須須神社、そして金沢の石浦神社から御奉納頂いた能登と加賀の御神酒を振る舞い。
 仕込みの時に能登半島地震、絞ってからは奥能登豪雨と、2つの災害を乗り切った御神酒とお話をして、お互い様の心を忘れない様にと。
 宮司、二次会のお話も頂きましたが、今日の納めがあったのでお志を。六崎に参加した智勇権禰宜、気持ち良く出来上がりまして、禰宜画伯が迎えに行きました。
 これから週末度に花流しが続きます。確りと朝ご飯を頂き、もともと食べていためかぶや珠洲の岩海苔、海藻類も添えまして、身体のメンテナンスもしつつ参加をさせて頂きます。

明神祭りさらば久しい!!
 
七栄と鹿渡に [令和6年10月19日]

「七栄山車清祓い」

「鹿渡の大幟」
 夜半の雨、結構降りましたね。ところによっては冠水した場所も有ったようです。皆さんの所は大丈夫でしたか?
 今日の朝拝はいつもより少し早めに行ないました。何故かと言いますと、昨日に御例祭を奉仕した富里市七栄の紅葉山稲荷神社で祭事となる「七栄親子まつり」の山車清祓いがございまして、そのお迎えが午前7時。
 宮司が奉務している神社では一番早いお迎えなのです。
 七栄に到着後、先ずは御神前にてお参りを行ない、祭典の準備に入ります。
 氏子総代さん方は宮番と言って、昨日は御殿にお籠もりしての泊まり。御神酒もちゃんと頂いたようです。
 そうしている内に神社裏手の山車倉から境内に山車が移動され、氏子の皆さんが整列。約200人の前での祭典です。
 七栄親子まつりは平成5年(1993)に始り、今年で30周年を迎えました。
 手作りから手探りと、皆で力を合わせて今の形に成長させた功績は大きいですね。
 ただ、少子化の影響で子供神輿の渡御が行なわれなくなったのは残念ではありますが、往時は7基もの子供神輿が担がれたのですから、それは賑やかなものでした。
 七栄から一旦帰社して、少し遅めの朝食をとって次は四街道市鹿渡の香取神社へ向かいます。
 こちらは言わずと知れた香取神宮の御分社。創建は定かではありませんが、江戸時代に製作された立派な御神輿があり、大幟も鳥居の脇に1対が立てられます。
 御神輿は現在担がれていませんが、古写真には今のJR四街道駅付近まで渡御したものが残っており、曳き廻し屋台も写っているので、かなり盛大なお祭りが行なわれていました。
 鹿渡には2社の香取神社が有り、宮司が兼務しているところが鹿渡本村。駅に近い香取神社が鹿渡新村になり、福島一成宮司さんが奉仕されています。
 今日の2社を納めて、残りは明日の3社となりました。もう少しと言った感ではありますが、今夜からはお疲れ様会の「花流し」が始まります。
 因みに今夜は宮司は鏑木青年会の花流しに出席で、智勇権禰宜は六崎青年会の花流し。大いに盛り上がること間違いなしですから、吞まれないように気を付けましょう・笑
 
紅葉は色づいたかな [令和6年10月18日]

「赤が目映いです」

「崩れた鳥居にもお花が」
 元日に発災した能登半島地震を機に当社と繋がりを頂いた、石川県珠洲市鎮座の須須神社さん。
 地震の後は活発なSNSでの発信がありましたが、先月の奥能登豪雨からは暫くそれが途絶えておりました。
 それが昨日から再び力強い発信が見られるようになり、宮司家の皆さんも少しですが、もしかしたら本当に少しですが、お心に力が湧いてきたのかなと。
 猿女権禰宜さんとはメッセンジャーなどで度々やり取りはしておりまして、本当に明るいご返信を頂きます。
 先週齋行した当社の御例祭においても、珠洲の地酒を手配頂き御神酒と致しました。
 神社の周りは公費解体の槌音が響き、人の営みは消えているそうです。
 それでも慰めなのか、地震で倒壊した鳥居の足元には一輪の可愛い花が咲き、心の和めになっているそうです。
 さて、今日は富里市七栄鎮座の紅葉山稲荷神社の例大祭。本来は10月17日なのですが、この10年くらいは10月第3金曜日に例大祭。翌2日間を七栄親子まつりとして山車の曳き廻しや催し物を行なっています。
 社名にある「紅葉山」ですが、皇居内にある紅葉山、皇后陛下がご養蚕をされる御養蚕所が有る場所ですが、江戸時代迄はそこに鎮座していたお稲荷様なので、紅葉山稲荷神社と称します。
 では何故その神社が富里の七栄にあるかと言う話でして、七栄は江戸時代に佐倉牧と呼ばれた馬の放牧場だった地で、明治初期に7番目に開墾されたので「七栄・ななえ」と命名されました。
 因みに隣の八街は8番目。同じ富里市の十倉は10番目の開墾となり、仕舞い番の13は成田市と多古町に跨がる「十余三・とよみ」となります。
 戊辰戦争の際、江戸城が無血開城となって城内の神社も取り壊されることになりました。
 それに心を痛めた佐倉藩士が江戸城域に入って、麻賀多様の御子神である稲荷神を祀る社、そこに祀られていた御神体と幣束立て、燭台に釣り灯籠を佐倉に持ち帰ってきてしまったのです。
 その武士も明治の御代になり、刀を鍬に持ち替えて開墾したのが、かつての藩の馬を生産していた今の七栄の地。
 開墾地の中心にお稲荷様を据えて、苦しいときも嬉しいときも、常に麻賀多様の御子神であるお稲荷様と一緒に暮らしてきました。
 麻賀多神社の例祭日は本来10月14〜16日。宮司が若い頃古い七栄の方はこう言っていました。
「七栄は佐倉の弟分。だから佐倉の翌日が祭りなんだ」と。
 今はその様な話も聞くことはありませんが、今日の祭典後の直会でお話ししますと、皆さん「おお!!」と感心されました。
 境内には紅葉の木が数本植栽されています。宮司が初奉仕した25年前は、この時期でも色付き始めていましたが、今はまだまだ青紅葉。
 明日からの親子まつりでは、楽しさ嬉しさに顔を高揚させた氏子さん達が賑やかに頑張ります。
 そして親子祭りのお祓いは午前8時から。お迎えは午前7時ですので、今夜は早めの就寝と致しましょう。
 
御例祭納めのご挨拶回り [令和6年10月17日]

「堀田様の狛犬さん」
 俳優でタレントの西田敏行さんが本日ご自宅で亡くなられたと、昼過ぎのニュース速報が知らせました。
 これから出掛けるという時間帯で、テレビを消そうとしたその瞬間のテロップに、唖然と言うか一瞬何が流れているのか判りませんでした。
 今で言うと先々週になります。今月8日のニュース記事に、西田さんが蛭間重勝役で出演した「劇場版ドクターX」の完成報告会見が載っており、西田さんの蛭間役に対する熱い思いが綴られていたからです。
 米倉涼子さんが主演を務める人気ドラマのシリーズ「ドクターX」ですが、宮司も好きでよく見ておりました。
 そのファイナル版として映画がこの12月に上映される。その前に旅立ってしまうなんて。
 池中玄大80キロや大河ドラマおんな太閤記、やはり釣りバカ日誌のハマちゃんでしょうか。沢山の役を演じ、多くの人を楽しませてくれました。
 またご出身が福島県郡山市で、東日本大震災の原発事故による福島県産農産物の風評被害払拭のためにも尽くされましたね。
 今はただ、安らかにお休み下さいと思うほか有りません。唯々残念です。
 さて、麻賀多神社では昨16日を以て令和6年御例祭の神事全てを納めることが出来ました。
 拝殿に掲げてあった「禮祭御守鎮」(読むときは右からね)の提灯も、今朝の朝拝後に下ろしまして、合せて宮司家の門に掲げてあった「御祭禮」の提灯も同じく下げました。
 神事はこれで納めなのですが、この後には今も続くお片付けと会計処理が待っております。
 毎年10月17日には御例祭納めと御礼に、佐倉藩主家である堀田様を始め、神社責任役員宅にご挨拶に上がります。
 堀田様へのご挨拶の後はご自宅裏手にある堀田家墓所へまわり、歴代のお殿様とお姫様方にも墓参をしてご挨拶と御礼に上がります。
 墓所の入り口には一対の狛犬さんがおりまして、いかめしい顔つきですが、可愛らしくもあるんですよ。
 堀田家墓所も東日本大震災により、沢山奉納されている大きな石灯籠がほぼ全て倒壊しました。
 今は元の姿に戻り、佐倉の人達の堀田様に対する尊崇の高さを見ることが出来ます。
 さて、明日は富里市七栄の紅葉山稲荷神社の御例祭大祭式。20日に奉仕する吉見住吉神社で秋祭りは納め。あと6社です!!宮司頑張ります。
 
会議の合間に印押しを [令和6年10月16日]


 長かった令和6年の御例祭も今日で仕舞となります。拝殿と宮司宅の門に掲げてある提灯は明日の朝に下げますが、今夜は雨予報なので暫く干してからになるかも。
 宮司、お祭りを挟んで10日振りくらいに千葉の神社庁へ来ております。今月は3回目だったか、それとも4回目だったか、印旛支部長に就任してからというもの、よく来ますね。今日は午前と午後にそれぞれ会議が入っています。
 午前中は千葉県神社庁研修委員会の常任委員会。議題としては神職に任用されてから4年間の間に受講する事が義務付けられている「初任神職研修会」について。
 宮司も平成7年に受講したものになりますが、開講4日間のカリキュラムとその時間配分、そして今はとっていない合宿制を取り入れるか等等。
 宮司は初日の午後に神社本庁史なる漫談を4時間もお話ししなくてはならず、それを削ってもらいたいところですが、規定に時間が定められているので、議題にすら上がらず。
 お昼丁度に会議終了となり、委員の皆さんと四方山話をしながら神社庁でご用意頂いたお弁当を。流行病下では話しながらのお弁当も禁止でしたから、時間が戻ってきたんだなぁと小さな事でも実感ができますね。
 次は午後3時からなので途中3時間ほどの空きが出来ます。それを見越して神社から持ってきたのが、御例祭大神輿渡御に奉仕した鏑木青年会員に渡す「麻賀多神社御神輿奉昇員之証」。
 何をするのかと言いますと、御例祭中に頒布した木札守と同じく「令和六年大祭」の印を証の右上角に押すのです。その数79体。
 現在の社務所内はお祭りの片付け真っ最中でして、心静かに印押しが出来る環境ではありません。目の前に広がる手丸提灯の山を見ると、それも片さなきゃ、これも片さなきゃと気ばかり焦りまして・笑
 今その印押しが終わり、七峯を書いております。次の会議開始まであと1時間くらいあるので、御例祭大祭式に奉納頂いた初穂料の領収証書きまでやれるかな。
 因みに次の議題は千葉県神社庁と神道政治連盟千葉県本部共催予定の能登地方復興支援について。12月初旬に現地に行くので、今年6回目の石川県入りとなります。
 
看板も掛替えて [令和6年10月15日]


 衆議院議員総選挙が公示されました。当地佐倉は千葉県第9区。4人が立候補予定です。
 そのうち3人が先日の御例祭大祭式にご参列を頂きました。大神様の御神威を頂き、12日の選挙戦を走り抜いてくれますように願います。
 今年は6日間の御例祭になりますが、お陰様で折り返しまして、今日の宮司は酒々井町の5社で例祭奉仕があります。
 その前に、社務所内の片付け作業を智勇権禰宜と社務の合間に行なっております。まあ、進みません・笑
 佐倉は秋のお祭りが納まると七五三詣が本格化してきます。今日だけでも午前中に4件ほどの電話問い合わせがありました。
 それで気付いたのが石垣前に立ててある御例祭の看板。これを七五三用に掛替えまして、季節が一気に晩秋といった感じに。
それでは酒々井に向けて出発します。
 
大神輿再度仮住まいへ [令和6年10月14日]

「積み込み作業中」
 今日も境内は朝から賑やか。昨日に御例祭祭事を納めましたが、今日はお片しと言うことで、石垣上の高張提灯が午前9時より撤収作業が行なわれました。
 昨日の七峯から「御例祭祭事」という言葉を何度となく使っておりますが、実を申しますと麻賀多神社本来の御例祭日は今日からの3日間。10月14〜16日なんです。
 なので、神社としては明後日までが御例祭でして、昨日までの行事を「祭事」と称しているのです。
 さて、昨夜見事に七峯の丘に鎮座する麻賀多神社に還御された大神輿。新社務所建設中により以前の神輿倉がないので、宮小路町第一の協力を得て、同町の神酒所倉に一晩お世話になったのです。
 今日は午前11時から大神輿を長谷川木材さんのトラックに載せて、四街道市鷹の台にある岩渕薬品物流センターまで回送する作業を行ないました。
 一週間前を逆のコースを辿るわけですが、トラックに載せられた大神輿、やはり人目を引きまして、多くの方が驚かれた表情をしていました。
 来年の今頃には新社務所の一部が供用開始となる予定なので、来年は送る回送は行なわない予定です。
 作業をしていると「なんだかお祭り4日目みたいだね」と皆で大笑い。つい数時間前まで声を嗄らしながらの渡御が嘘みたいに元気です。
 宮司も心身共に疲れてはおりますが、元気な氏子さん方に力を頂いたので、16日迄の例祭期間、そして今週末まで続く兼務社の例祭、何よりもお片付け作業を頑張り抜きます。
 
令和6年例大祭祭事納めの日 [令和6年10月14日]

「御旅所発輿祭」

「おやすみなさい」
 今年の御例祭、祭事の納めの日と成りました。昨日も書きましたが、今年のお祭りは本当にお天気に恵まれ、今日は暑いくらいになりました。
 午後4時からの御旅所発輿祭。御旅所は夢咲くら館の駐車場から真南に向いているので、宮司や禰宜画伯、そして神社役員の顔には西日がキッチリ当るのです。
 これがまあ、暑い、熱い、暑いのなんの。額に汗をしながらの祭典となります。
 御旅所を発輿した大神輿は一路京成佐倉駅方面に向かい、そこから再び新町通まで上がってきます。
 そこから仲町、肴町、間之町を通り、弥勒町から野狐台町へぬけ、旧堀田邸で長めの御休憩。夕食となります。
 ここが折り返し地点となり、先程とは逆の道順で仲町へ。そこから新町通りを神社に向けて西へ西へとお進みになるのです。
 二番町から上町へ着くと最後の御休憩。大神輿を奉持する鏑木青年会も円陣を組み、気合いを入れ直して出発。
 横町から宮小路町まで来ると、神社前は宮入を見ようと沢山の見物人が大神輿を待っていました。
 御例祭のクライマックスは何といても大神輿の宮入です。一度で階段を上がるのでは無く、何度も往復を繰り返しながら、その模様は他の追随を許さない程の圧巻です。
 約30分掛けての宮入。大神輿が階段を上りきったときには万雷の拍手が起こりました。
 ここからは宮司の出番。先程までの賑やかさが一切消えた境内に響くのは、還御祭の祝詞のみ。
 宮司、大年番代表、鏑木青年会代表の玉串奉奠と宮司一拝を済ませて、拝殿より階下に下ります。
 整然と並んだ神社役員と青年会員。その前で宮司より御例祭祭事納めの挨拶をして、八平手の手締めをして祭事全ての納めとなりました。
 無事に納められたことに、麻賀多の大神様、神社役員、お祭りに係わった全ての方々に感謝の念を申し上げ納めと致します。
皆さん、今年の御例祭祭事、本当にありがとうございました。