七峯の丘から
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綺麗なシールの剥がし方 [令和6年3月18日]

「跡が見えますね」

「お疲れ様の255系」
 大風も強風も通り過ごして、今日の佐倉は暴風です。窓の外からはゴーゴーという音しか聞こえません。
 只今正午を回るところですが最大瞬間風速は22メートル!?
 そりゃあ昭和5年建築の社務所も揺れるってもんです。
 この影響を受けて先日買ったばかりの大きな花瓶が、風に煽られて横転。割れてしまいました。
 今のところその他の被害は見えておりませんが、明日以降に境内を点検しませんとね。
 さて、昨日の七峯で今回行なわれたJRグループのダイヤ改正に付いて少し触れましたね。
 佐倉を走る総武本線の特急しおさい号も佐倉駅始発が出来たりと、いくつかの変化が見られました。
 その内の一つが使用する車両で、房総ビューエクスプレスと言われた255系特急電車から、E259系特急電車に変更となっております。
 このE259系特急電車とは、成田エクスプレス(ネックス)で使用されていた車両で、経費の削減なんでしょうね、房総特急用の新型車両は作られずに、ネックスと併用する形になりました。
 車体の色は白を基調として、赤と黒が配色されています。
 車体の横には飛行機を模したロゴが貼られていましたが、順次剥がされて行きまして、若しかしたらと。
 そのもしかが的中して特急しおさい号に登場したわけです。
 白をベースとした所にシールでロゴを貼っていたのですから、シールを剥がす際には粘着面が残る可能性があります。
 先日佐倉駅に停車していた車両は、そのシール跡がモロに残っておりまして、かなり格好が悪い印象。車両が可哀想に見えました。
 シールを剥がす際は、そのまま力ずくで行なうのでは無く、ドライヤーなどで温めながら剥がすと跡が残りにくいです。
 海苔剥がし剤を使うのも手ですが、ドライヤーが手っ取り早いですね。
 これは自宅でも活用ができまして、セロハンテープを剥がす際にも活用が出来ますよ!!
 しかしまあ、あのシール跡の付いた車両、真っ白に戻すには結構な手間が掛かるはず。
 ガリガリやったら塗装そのものにも傷が付いて仕舞うから、充分にお気をつけをとJRの職員さんが見ないであろう七峯より老婆心ながら。
 
久し振りに新町歩き [令和6年3月17日]

「手前が肴町の山車」

「捧げ銃」

「沢山のご来倉」
 昨日の16日、JRグループがダイヤ改正を行ない、これに伴って北陸新幹線が金沢から福井県の敦賀まで延伸。
 元日に北陸を襲った能登半島地震の復興に、同日から始まった北陸応援割と相まって大いに資すると報じられております。是非そうなって貰いたいですね。
 ただ、現実を見ると被害の大きい能登半島にはまだ観光客が宿泊するような場所は無く、関西方面から石川県の和倉温泉まで直通していた特急サンダーバード号も廃止。
 1本で行けていた場所が乗り換え2回となると、それだけでも足は遠のくというもの。
 千葉県内でもJR京葉線で朝夕の通勤快速と快速がほぼ廃止になり、ダイヤ発表と共に千葉県を上げての大反対が巻き起こる事態。
 佐倉を通るJR総武本線の特急しおさい号も運転本数の削減と、終点が銚子から繰り上がる本数が増えるなど、地元との繋がりが薄れるものとなりました。
 鉄道会社も利益を上げなければならないのは当然としても、余りそこにシフトすると公共性が失われます。
 佐倉は比較的鉄道に恵まれていますが、これから進む人口減少でそれもどうなるか判りません。
 国鉄が分割民営化される際に、その膨大な債務はJR各社に引き継がれず、未だにたばこ税などで返済しているはず。
 JR各社の経営陣はそこの所を忘れること無く、経営に当って欲しいと思います。
 さて、昨日行なわれた佐倉時代まつり。少し時間が出来たので、禰宜画伯と小一時間ほど出掛けてまいりました。
 「まつり」の文字がつくので、神社が主催と思われた方も多いみたいでして、お陰様というか、かなり多くのお参りが有りました。
 新町通りをメイン会場に、新図書館の夢さくら館や京成佐倉駅に通じる一方通行の下り坂でも色々な催し物がありました。
 宮司は午後から千葉県神社庁例祭に参列するため、余り時間が取れませんでしたが、氏子さんをはじめ西田市長や岩渕商工会議所会頭など、いろんな方とお目にかかることが出来、暫し歓談をました。
 時代まつり協賛事業として、氏子町の肴町では復元作業が続けられている竹生島龍神山車がお披露目されました。
 昨年10月の御例祭では未だ車輪が完成しておらず、山車本体のみの展示でしたが、今回は曳き廻しも行なわれ、目頭を熱くする人の姿も。
 残りの工程として、白木部分の漆塗りが残っていますが、今年の御例祭の楽しみが増えました。
 夢咲くら館の出店ブースにはむすびマルシェでお世話になっている焼き鳥の鈴乃屋さんや飴細工のこみちゃん、そして清酒旭鶴の田中社長もいて、小さいコップでしたが樽酒を・笑
 神社への帰り際、美術館付近で佐倉藩鉄砲隊と遭遇。隊長さんよりお声掛け頂き、捧げ銃の栄誉礼を受けました。
 これには嬉しくも、沢山の方の被写体になりまして、ちょっと恥ずかしくも・笑
 明るい時間に新町通りを禰宜画伯と歩くことも少ないので、青空の下に貴重な時間を過ごせました。
 時代まつりに係わった皆さん、お疲れ様でした。ソーランは見られなかったけど、艶やかで賑やかだったろうな。
 
今朝のスッポリ狛猫 [令和6年3月16日]


 澄み晴れ渡る青空。に、舞う花粉・・・。宮司のお鼻は朝からクシュクシュしております・苦笑
 今日は佐倉時代まつりが新町通りで開催されているので、佐倉囃子や組太鼓の音色がそよ風に乗って神社まで流れてきます。
 今年の時代まつりは新町通りを通行止めにして行なっておりまして、警備の規模も大きくなっております。
 土曜日なので御祈祷もそれなりにご予約が有り、その際には事前に交通規制の説明はしているものの、実際には予約時間に間に合わないケースも出るので、社務の体制も時間に余裕を持って臨んでおります。
 昨年の時代まつりは佐倉城址公園とその手前の旧大手門広場だったので、今年は神社から西側は随分と静かです。
 当社自体は時代まつりに直接関係はしておりませんが、氏子町の中には出店をしたり、復元中の山車をお披露目するなど、昨日の準備の段階からなんだかそわそわしている空気が流れていましたね。
 只今午前11時ちょっと。境内も時代まつりに来たであろう方の姿が多くなってきました。
 このようなときには境内に住んでいる狛猫さん達は安住できずに人前へは殆ど姿を見せません。
 今日は猫ちゃんいないんですねとお声を掛けてくれる方もおりまして、人が少なくなる時間を見計らってとご案内。
 今朝、朝拝のために社務所から御殿へ。そして戻ってきますと狛猫3匹が遊んでおり、その内の1匹が古神札納め所の下部にスッポリと収まりました。
 猫って狭いところや、スッポリとするところが好きなんですよね。それと人混みでは無いところ。
 安心するのでしょうか。人間も余り広いところにポツンといると不安になってくる。それと同じなのかな。
 今日は一日賑やかな境内だと思われますので、狛猫の姿を見られるのは夕方以降かな。
 それまでは人目の付かないところで、日向ぼっこなどをしてゆっくりしていると思います。
 それでは、禰宜画伯と一緒に少し時代まつりに出掛けてきますね。
 
保護司の更新手続き [令和6年3月15日]

「さてと・・・」

「千葉グリーンバス車内にて」
 メジャーリーグ・ドジャースの大谷翔平選手。先日に結婚を発表しましたが、今朝未明に奥さんとの画像を公開。
 そして開幕戦が行なわれる韓国の玄関口である仁川空港に揃って登場と、一言で表わすと「うまい!」。実に上手い流れだと思います。
 顔だ見えたことで、奥さんの事を色々詮索するような記事も出てくるのでしょうが、無粋以外の何ものでもなくて、日本の週刊誌もどうにかして貰いたいところです・笑
 何はともあれ、大谷選手には活躍して欲しいし、奥さんとわんちゃんとも幸せに暮らして欲しい。ですね。
 今日は智勇権禰宜が公休でして、宮司が祈祷番を致しました。
 月中の15日。寅の日で天赦日と一粒万倍日が重なるという、さぞかし御目出度い日なんだそうです。
 それもあって、結構なお参りが有りましたね。時間帯によっては観光地みたいでした。
 一昔前までは、天赦日や一粒万倍日なんて殆どの人が知らなかったのですが、SNSが身近なものになってからは、暦の見方も多岐にわたるようになりました。
 詳しい方はとことん詳しいので、こちらが聞く方になったりと、色んな事を教えて貰うのも良いものです。
 その良き日の今日、佐倉小学校の卒業式が行なわれまして、真新しい中学校の制服を着た6年生と晴れ着姿のお母さんのお参りが数組ありました。
 智勇権禰宜の時を思い出しつつ、午後からは書類仕事に就いた宮司です。
 その書類の一つに、保護司の更新手続きに係わるものがありました。
 保護司は1期2年で、76歳まで本人の意向で更新が可能です。
 年間に所定の研修を受けるのですが、これが平日の日中に行なわれますので、現役世代の宮司はほぼ履修することが出来ません。
 保護司は各地区の保護司会に所属するのですが、殆どの保護司会が定員割れの状態。
 現任保護司の多くは定年退職した公務員の方、または教員経験者が多く、そのため平均年齢も高め。
 公務員経験者以外では僧侶の方も結構多くいらっしゃいます。やはり比較的時間に余裕のある層なのかもしれません。
 更新の書類には「時間の余裕」について「有・無」の既述欄がありまして、宮司は毎回「無」に丸をしております。
 対象者との面接はお互いの時間を調整すれば済むので問題はないのです。
が、研修会はそうは行かない。
 4月の総会に配布される年間行事予定表には既にほぼ日程が記載されておりまして、前述のように平日。
 これが先負や仏滅だったら研修会に出られる。とは限りませんで、その様な日は神社庁などの本職分野で会議が入る。
 そんなこんなを全部請け負っていたら、自分や禰宜画伯のお休みどころか、真っ先に入れる職員の公休日まで取れなくなってしまいます。
 対象者との面接は出来る。研修会に出る余裕は無い。でも保護司は定員割れ状態。
 それらを勘案すると、「保護司の職をお続けいただけますか」の問いには「はい」となるのです。
 因みに宮司、保護司の役目には誇りを持っております。誰かの役に立っているのもあるし、保護観察終了時に「長い間ありがとうございました」と半泣き笑いで帰って行く後ろ姿が好きだから。
 本当は面接をする対象者がいないのが一番良いに決まってますけどね。そう言う世の中になって欲しい。
 
神宮大麻をお祀りしましょう [令和6年3月14日]

「お茶がうまい」

「これは展示用のコピー」
 今日はホワイトデー。この頃はバレンタインデーで頂くチョコレートも少なくなりまして、ありがたくもお返しは禰宜画伯のみでよくなりました・笑
 テレビをつけるまではホワイトデーのホワイトすら忘れていた宮司。それ以上にハッとしたのは、今朝の千葉日報一面の「忙人寸語」にあった今日は「数学の日」というもの。
 3月14日。円周率の3.14〜から取ったそうで、日本人って語呂合わせが好きだから「何々の日」ってやたらと有りますね。
 その数学の日の今日、宮司は千葉の神社庁で午前中は月一の役員会。午後からは神宮大麻増頒布活動推進委員会に出席しました。
 前者はそれとして、神宮大麻とは伊勢の神宮の御神札の事。七峯フリークの方には耳タコのお話ですが、伊勢神宮とは通称で、正式には「神宮」とお呼びします。
 その御神札が神宮大麻。大麻とは麻薬ではなくて神宮や神社の神札でして、国語辞典を引いてもその様に出てきますので探してみてください。
 神棚の中央には神宮大麻、向かって右側に地元の神社の大麻で、左側にその他の神社をお祀りします。これが基本形。なんですが、神宮大麻をお祀りしていないお家が結構多いのです。
 それをどうにかしましょうと言うのが、神宮大麻増頒布活動推進委員会でして、我が神社庁印旛支部は只今推進支部に指定されております。
 指定期間2年の前半が過ぎまして、今日の委員会ではこの一年間の活動報告と2年目の活動方針を印旛支部事務長の宮崎慶治埴生神社宮司より発表。宮司も印旛支部長として補足説明をしました。
 どこの所にも顔を出すのが人口減と高齢化問題。その他にも複合的な潜在的課題があり、一丁縄には行かないのですが、とどのつまりは神宮とはなんぞや。お伊勢様とはなんぞやというそもそも論になる訳です。
 では、そのそもそも論のお伊勢様ですが、性格としては日本の総氏神様。日本の親神様にあたられます。
 なので伊勢の地の事を「神都・しんと」とも称する訳で、皆さんも是非一度お参り下さいね。
 仕舞いにこぼれ話をひとつ。神棚の宮型を購入する際、ホームセンターで手に入れる方も多いかと思います。
 その際に展示用の物を購入した方、ご注意下さい。中に入っていり「天照皇大神宮」という紙。これはコピー大麻をコピーしたもので、ホンモノではありません。
 そんな間違えるのいるのかよ!?と言われそうですが、いらっしゃるんですよ実は。
 笑い事では無く、お家の神棚を今一度ご確認下さい。それと、宮型が無くとも御神札のみをお祀りするのも問題はありません。
 あなたのお家に日本の親神様のお伊勢様と、地元の氏神様をお迎えして、心穏やかな日をお過ごしください。
 御神札やお祀りのやり方などご不明な点は、お気軽に社務所にお問い合わせ下さい。
 
四国の動物園へ [令和6年3月13日]


 横浜のカハラホテル、流石に良いお布団でよく眠らせて頂きました。
 でもって今朝はもっと良く眠れまして、どんなに良いお布団でも、普段使っている自分の布団には叶わないのかな。
 いや、只単に布団そのものが既に自分ナイズされているだけなんでしょうね。それで良いのです・笑
 今日は9時から解体と井戸埋の外祭が入っておりまして、ちょっと慌ただしいスタートとなりました。
 でも、お洗濯もちゃんと干せたし、生き狛犬達とも遊んでのスタートだったので、良い感じにエンジンが噴かせた状態でしたよ。
 今日は神社の西側にある佐倉中学校の卒業式が行なわれまして、生徒の登校後に保護者の方々が歩いて行く姿を見送りました。
 今年の卒業生は193名。智勇権禰宜が通っていた頃と同じくらいいるのかな。今としてはかなり多い様に思うんだけどどうでしょう。
 既に進路が決まった生徒さんが多い中、明日は公立高校2時募集試験の合格発表があるそうで、卒業式中でも色んな意味で緊張している生徒さんもいたんじゃないかな。
 佐倉ではこの9日から「桜に染まるまち佐倉」が開催されています。
 新町の交差点から神社の前を通って佐倉中と佐倉東高、そして城址公園まで「桜」の文字が染め上げられたピンクと水色の幟が立てられています。
 今年の桜は昨年と同じくらい、多分来週には開花するようです。
 明日に発表を控えている生徒さんにも、桜が咲いて欲しいです。
 当社の巫女や助勤は高校生か大学生が務めてくれており、その中の子にも今月にそれぞれの学校を卒業する子達がおります。
 高校生はそのままお手伝いを続けてくれる子も多く、遠隔地の学校に進学してもお正月などの長期休暇の際は戻ってきてくれますね。
 大学卒業の場合は基本社会人になりますので、巫女や助勤は卒業となります。
 今月に卒業を迎えた女の子。1年弱でしたが、とても素直に一生懸命奉仕をしてくれました。
 動物の飼育を学んでいた彼女は、この4月から四国の動物園に就職が決まり、あと10日程で引っ越しになるそうです。
 最後の奉仕日の午前中に会うことが出来、とても丁寧にお礼を述べてくれました。
 また温かい言の葉を添えたお菓子も奉納してくれ、本当に良い子だったなと禰宜画伯と話したところです。
 就職先名を聞いたところ、宮司も知っている場所で、その近くの神社にも仲間がおりますので、落ち着いたら遊びに行ってみなと。
 動物園のお仕事は神社と同じくお休みがありません。色々な動物と接触する、一筋縄ではいかないこともあるでしょう。
 彼女なら出来る!!と言いたいけれど、簡単には言えません。言いたいけどね。
 新天地でどんな生活が待っているのか、期待に膨らんだ胸が張り裂けんばかりの活躍を願います。
 
女川の銀鮭を [令和6年3月12日]

「楽しみです」

「ライブ配信で」
 宮司と禰宜画伯、昨日の午後からお休みを頂きまして、横浜まで足を伸ばしました。
 13年前の東日本大震災の発災時間は午後2時46分。昨日乗車していた総武快速線の電車は直通運転の横須賀線に入っており、新川崎駅を出たあたりでしたね。
 ネットでは福島県での慰霊式典が流れており、画面を通してではありますが、亡くなられた御霊の安らかん事と、今も続く復興事業が無事に完結する様にと首を垂れました。
 今回の宿泊先は横浜のカハラホテルという、みなとみらい地区では一番新しいと思われる高級ホテルです。
 HPを見ますとやはりいいお値段がするのですが、今回の宿泊はタダ。宮司、時折ですが懸賞に当たることがありまして、それも自分から応募する形式ではなく、施設等を利用しての自動エントリーで当たるのです。
 今回のカハラホテルも、宿泊券が当たりましたとメールで連絡があり、もしかしたら詐欺じゃないのかと疑いつつ運営会社に確認すると、本当に当たっていたと・笑
 素泊まりでしたが、ゆっくりとした時間を過ごさせて頂き、ただいま佐倉へ戻る車中です。
 今日はお昼前にチェックアウトをして、久しぶりに中華街にでも行こうかと話していたのですが、大荒れの空模様になるとの事で、横浜駅付近でお買い物をして帰る事にしました。
 禰宜画伯のお買い物も済みまして、改札へ向かう途中に宮城県女川の文字が目に入りました。
 スープストック東京のワゴン店が東日本大震災復興として、女川産の銀鮭で作ったスモークサーモンを販売しておりました。
 牡鹿半島に位置する女川。やはり大津波により街は壊滅。女川港より船で渡る金華山黄金山神社周辺も甚大な被害が出ました。
 宮司、毎年この時期に行っていた麻賀多神社氏子旅行で震災前に女川と金華山に出向いており、その時に女川港近くの鯨屋さんにより冷凍鯨を購入しました。
 あの時に対応してくれたおばあちゃん、多分お店と共に津波にのまれたと思います。
 また来たなと、連絡くれたら良い鯨をすぐに送るからと、長年の働きで痛めたであろう足を引き摺りながら店の前まで出てきて見送ってくれた。
 その数年後に発災した東日本大震災の後に女川を訪れると、街はなーにも残っていませんでした。
 なーんにもっていう、自分の気持ちが抑えられないくらいに気がおかしくなりそうでした。
 それから女川へは足を向けていませんが、今日に横浜で女川産の銀鮭に出会えた事を思うと、そろそろ出掛けてみようかな。
 実際に女川に行ったとして、あのおばあちゃんを思い出して悲しくなる事は判っているけど、やはり行ってみたい。
 快速電車は津田沼を発車しました。佐倉までもう少し、ただいまが言えるありがたさを大事に。
 
13年後の給水車 [令和6年3月11日]

「輪島で活躍中」

「佐倉市役所HPより」
 宮司家で取っている新聞3紙の一面は全て東日本大震災から13年という内容。
 当たり前と言えばそれまでですが、あの震災から13年とは、もうなのか、まだなのか、受け取り方は人によって違いますね。
 今日現在15,900人が亡くなり、今でも2,520人が行方不明となっています。
 警察などの関係機関が捜索活動を続け、最後の一人に至までと頑張っています。
 当地佐倉は震度5強。神社はこの地にあって地盤が良いため、大きな被害は出ませんでした。
 しかしながら、氏子町や兼務地域では液状化や家屋の全壊。屋根瓦の棟が倒壊するなどの被害がでて、暫くはブルーシートに覆われた町並みになったのです。
 福島の原発事故による計画停電。上水が断水したりもありましたね。
 宮司宅では一週間の断水を経験しました。その際の飲料水は普段から備蓄していたものを使い、トイレの水はお風呂や境内の手水舎に溜まっていたものを。
 それでも一週間持たせるのは大変で、佐倉市役所での給水を受けたこともありました。
 今年の元日に発災した能登半島地震。今日で70日をむかえるのですが、一番被害が大きいとされる珠洲市では、昨日に市街中心部110軒で水道が復旧したそうです。
 先般お伺いした輪島市では一部では復旧したものの、概ね3月末から4月にずれ込むと輪島市役所HPにありました。
 その輪島市に佐倉市上下水道部の給水車が職員と共に派遣され、この13日迄災害支援活動に従事しています。
 この給水車、多分更新されていなければの話なのですが、13年前に佐倉市役所でお世話になったときのものと同じ車両だと思います。
 画像はライオンズクラブの仲間が輪島市で炊き出しを行なった際に偶然見かけたとして、宮司のスマートフォンに送ってくれました。
 もう一枚の画像は佐倉市HPからで、市役所を出発する際に、西田三十五市長を始めとする幹部と撮影されたもの。
 この他、事務方も順次、現地の自治体の要請により派遣されています。ありがとうございます。
 困ったときはお互い様。当たり前の事なんですが、いざとなると中々出来る事でもない。
 13年前に思いを致すと共に、その時の経験をいざという時に活かせるよう、いつも心の中に思い続けたい。今日改めて噛み締めます。
 震災で亡くなられた御霊が安らかであるように。行方不明者が最後のお一人まで見つかるように。そして各地の災害復興が進むことを願います。

・佐倉市役所HP
「令和6年能登半島地震への佐倉市の対応について」
https://www.city.sakura.lg.jp/soshiki/kohoka/oshirase/18516.html
 
神職身分二級上に [令和6年3月10日]


 漫画家の鳥山明さんの訃報に続いて、声優のTARAKOさんまでも。お二人ともまだ60台、残念でなりません。
 今年52歳になる宮司は、鳥山明さんの描いた「Dr.スランプ」や「ドラゴンボール」、そしてTARAKOさんが声を務めている「ちびまる子ちゃん」の世代そのものです。
 漫画ばっかり見ていると馬鹿になるなんて言われたものですが、当然そんなことはありませんで・笑
お二人のご冥福を心からお祈り致します。
 宮司の風邪も随分と良くなってきたのですが、声が出ません。
 仕事柄、これほど困ることはありませんで、今日の午前中に御奉仕した年祭では前もって施主家にお詫びを致しました。
 搾れば声も出るのですが、これをやり過ぎるともっと声が出なくなってしまい、悩ましいです。
 さて、宮司ですが、お陰様で本日付けをもって、神職身分が二級上に昇級致しました。
 昇級であって昇給ではございませんで、神職は免許たる階位と身分の級があります。
 二級上とは二級の上で、一級の下。なんとも判りやすいような判りにくいようなところ。
 何が変わるのかと言いますが、一番判りやすいのが袴の色。この場合は模様と言った方が良いかもしれません。
 二級は紫の袴ですが、二級上は紫色の袴に紋(紫平絹無紋)が入ります。
 次に変わるのが神職寄贈金という名の負担金。これは神職身分によって変動します。
 当然、上の身分になるほど金額もあがりまして、昇給どころではないのです・苦笑
 2年前の大神輿新造三百年式年祭では二級上の袴を着けました。
 これは、式年祭などの臨時大祭においては、神社本庁統理の承認を得て一階級上の装束を着けることが出来る規定が有り、その適用を受けました。
 その際に作った袴を今日から着ける事になりまして、なんとも小恥ずかしいようなむず痒いような気がしておりますy。
 いずれにしてもこれまで通り、神明奉仕に邁進したく思います。
 
大浦ごぼう [令和6年3月9日]

「お寺よりご説明を」

「坊入り膳」

「大きいですね!!」
 鬼の霍乱か、珍しく風邪を引いた宮司ですが、禰宜画伯が作ってくれたスープカレーとジキニンのお陰で熱も下がりました。
 まだ喉の調子は良くありませんで、電話に出るも相手方には宮司と気付かれない。
 名乗りましてやっと判って頂く始末で、ご迷惑をお掛けしています。
 明日は帰幽の年祭が入っているので、本調子に迄行かなくとも、それなりに声が出て欲しいところです。
 さて、この7日の話になりますが、宮司が神社庁で教化委員会なりの議事進行とコーディネーターをしている頃、禰宜画伯は千葉県女子神職会の研修で、成田山新勝寺さんにお邪魔しておりました。
 女子神職会とは文字通り、千葉県内の女性神主さんの集まりでして、野田市に鎮座している櫻木神社の??梨則子禰宜さんが会長で、南房総市の夏越山神社の齋東眞弓権禰宜さんと禰宜画伯が副会長を務めております。
 一昨年より新体制となってからは、研修や事業活動がより活発化して、昨年は「お祓いうちわ」の頒布などの新規頒布品の奉製も行ないました。
 今回の研修は事務所を務めて頂いている成田埴生神社の宮崎美姫子禰宜さんが手筈を取ってくれ、旦那さんで宮司の宮崎慶治さんが全面バックアップをしてくれたそうです。
 研修に先立ち、大本堂で御護摩を焚き会務の安全と研修会の成功を祈願。
 その後に光輪閣に場所を移してお寺より由緒と歴史などのお話しを拝聴。
 光輪閣とは神社で言う所の参集殿にあたり、一般のお寺では「坊」と呼ばれています。なので坊に入るから「坊入り」と呼ぶそうですよ。
 お話を拝聴した後はお食事。新勝寺では御護摩を焚いた方で希望者には「坊入り膳」という精進料理が出されます。
 このメインが「大浦ごぼう」。成田市指定天然記念物でして、作られているのは匝瑳市の大浦地区。
 このごぼう、長さが約1m、幹回り(?)30?p、重さは4〜5?sにもなる巨大なもので、作付けは畳み半畳に1本くらい。
 一度収穫すると、5年はそこでの作付けが出来ないそうです。(禰宜画伯が聞いた話)
 その大浦ごぼうを2日間掛けて煮込んでから寝かせて、味を染み込ませるんだとか。
 新勝寺と大浦ごぼうのご縁は、その昔に藤原秀郷公が新勝寺の御本尊である不動明王にお供えして、平将門公との戦に戦勝祈願をした事によるそうです。
 新勝寺は平将門公討伐のために朱雀天皇の勅命により出来たお寺とされております。
 なので、将門公を縁のある地域の人々は新勝寺へお参りに行くことを控えておりました。
 特に将門公が活躍された茨城南部から千葉県の東葛飾地域。御祭神として祀られている東京の神田明神さんの氏子地域は、成田詣をしませんでした。
「でした」という過去形にしてありますのは、今は昔ほどそういった習わしが薄れているためで、時代の流れというか、水戸黄門さんばりの「もう良いでしょう」と言ったところかな。
 因みに宮司の所管でも、佐倉市大佐倉には将門神社がありまして、将門公の館跡と言われる場所もございます。
 話を坊入り膳に戻しますが、この御膳にはご飯が付いておりません。
 その理由として、帰りに参道のお食事場所でどうぞという、新勝寺さんの参道にたいするお心があるそうです。
 一心同体というのかな、とても素敵なお話しが一番の研修履歴かもしれませんね。