七峯の丘から
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今だからこそテント修理 [令和4年1月21日]

よく頑張ってくれております
 寒いです。雪国の方にしたら何のことはないかもしれませんが、佐倉は千葉県内でも寒い方なのです。
 今日も北西の風が吹いていました。冬場にこの風が吹くと日本海側は大雪の傾向が高いです。
 今日、宮司が出向した外祭は市内の工業団地にあるエヌテーアクアツインズ株式会社佐倉工場で新年祈祷の奉仕でした。
 エヌテーアクアツインズさんは全日空と提携してスタッフのユニフォームや機内で仕様する布類など全般のクリーニングを請け負っている会社で、新潟県長岡市にあるワタナベグループの傘下になります。
 当社との繋がりは佐倉工場開設時からで、毎年の新年祈祷をはじめ諸々の祈願祭を奉仕しております。
 社長の渡邊泰崇さんは日本青年会議所新潟ブロックの会長も務められた方で、宮司も青年会議所上がりと言う事もあり、親しくさせていただいております。
 エヌテーアクアツインズさんは羽田空港内に本社があり、渡邊社長は長岡と羽田、そして佐倉や成田空港を飛び回っていて、明日長岡に戻ってからは雪掻きに精を出すそうです。
 その社長が「この風だと長岡はまた積もってるな」と話された事が印象深かかったです。
 帰社しまして月末も近くなってきたので支払い業務などを行ないつつテント業者さんに電話を入れました。
 当社の臨時授与所で使用しているテントは別注で揃えたもの。
 購入してから既に12,3年が経過し、その使用頻度から経年劣化が見られるようになりました。
 支柱は上部が首折れするような構造になっており、特に6本柱のテントでは真ん中の2本が傷みが出るのです。
 電話を入れたところ当時の取引記録はあるものの、図面は残っておらずこちらから画像や寸法を送ることになりました。
 しかしさすがメーカーだけ有って、パイプの経口やサイズが判ると直ぐに図面を起こしてくれ、見積もりに入りました。
 週明けには行積が届く予定になっておりますが、次回テントを使うまでまだ時間は有りますが、今年は一年延期した大神輿の式年祭の年。
 その為の準備や打ち合わせがこれから沢山入ってくるので今のうちに出来る事はやっておこうという算段なのです。
 オミクロン株が広がっておりますが、感染者がギュンっと増えるのに伴って、その分早くにギュンっと減ってくれれば今年こそは秋の御例祭の祭事齋行が出来るのではないかと。いや必ず齋行してみせるという意気込みもテント修理の依頼に現れているんです。
 
二十日びしゃ [令和4年1月20日]

大蛇町麻賀多神社

飯重大宮神社
 あんまり頑張りすぎるのも考えもので、境内のお片付けに精を出しすぎたせいか、本日は全身筋肉痛でございます。
 なのですが、年齢が上がる筋肉痛は翌日には出ないそうなので、若いとは言えないまでも健康体と言うことでしょうか。
 ただ、毎日動いておりますので、蓄積したものが筋肉痛となっている可能性も大きく、今夜はゆっくりとお風呂に入りたく思います・笑
 世に言う今日は「二十日正月」で、新年にいらっしゃった歳神様が一端か神様の世界にお戻りになる日とされています。
 なので、保存食でもあるお正月料理が今日までに食すともされるのです。
 当地佐倉は今日20日に奉射祭(おびしゃ)を行なう習慣があります。
 奉射祭とは弓矢を以て厄災を祓うと共に、五穀豊穣を願う新年の行事。
 近年は20日より前の土日で行なうとこも増えましたが、当社より神職が出向して齋行する地区は本来の20日に齋行しております。
 今日は大蛇町麻賀多神社と飯重大宮神社に宮司が出向して祭典を行いました。
 大蛇町では白銀小学校の3年生と4年生の計80名も参列。祭典の参列と弓矢の儀に参加しました。
 例年は3年生が参列するのですが、昨年のおびしゃに現4年生が参列することが出来ず、今年となりました。
 弓矢の儀では一人一人が竹と篠竹の弓矢を使うのですが、1回毎に弓の除菌を行なうなど、役員さん方の配慮が見えました。
 飯重でも参列者の数を搾り、直会h中止にするなどの対策を取って齋行。
 厄災除けの祭典で感染しては元も子もないと、色々な気遣いが垣間見られた今年のおびしゃでした。
 このような時勢に有りながらも、祭典齋行にご尽力いただいている役員各位に深甚なる感謝を致します。
 
今日も撤収作業をば [令和4年1月19日]


 今日の出社状況は宮司と巫女一人という、こぢんまりとした感じで、六曜も仏滅だからのんびり作業しましょうと。
 大体こんな事を思っているとそうならないものでして、と言うか読みが甘かった訳で、巫女さんはほぼ社頭対応で、宮司は外作業をしつつ御神札の名入れと御朱印の書き入れなど、靴を脱いだり履いたり。
 その合間に当日受付の御祈祷が入り、てんやわんやの中に大型テント2張りの解体と部材の搬出完了。残るは御神輿倉前の1張り、当社で言うところの「第2テント」のみとなりました。
 例年であれば第2テントは節分祭において縁起物引き替えと厄災除けの印を手の甲に捺す場所として使用するので、2月中旬まで立てておくのですが、今年の節分祭も神事のみの齋行が決定したので、今月中に折を見て解体する予定です。
 今日もよく働きました。境内もだいぶすっきりしたので、巫女さん曰く「明日出社する人、境内の様子を見てビックリしますよ!宮司さん、お疲れ様でした」と。
 この一言でアラフォー宮司は明日も頑張ることが出来るのです!
 
神社庁印旛支部次期役員選出 [令和4年1月18日]

新年会の代わりに鰻のお弁当
 境内の臨時授与所も徐々に撤収と解体作業に入ってきました。
 毎年12月に入ると時間を見つけては臨時授与所として4張りのテントを立て門幕を張り、間口の合計が15間、約27メートルにもおよぶものを作ります。
 この臨時授与所もフル回転するのは正月三が日までで、それ以降は巫女と助勤者の出勤状況で徐々に閉鎖していき、七草くらいで通常の社務所のみとなります。
 撤収作業をしているときに思うのは、今度の年末もまた作るんだよなぁと、今年が始まったばかりですが・笑
 流行病の現今でストップしている新社務所の建設が待ち遠しい限りです。
 お昼過ぎまで作業を行ないいったんすトップしてスーツに改服。京成電車に乗って成田に向かいます。
 今日は令和3年度千葉県神社庁印旛支部の臨時総会が成田市のひかたや支店で開催されるのです。
 現在、宮司は支部長として1期3年の最終年度を迎えております。
 今日の会議では次期支部役員の選出と神社庁各委員会への出向者を決定します。
 実際には昨年12月に行なった役員会で候補者を選定しており、今日は人事議案上程と承認となります。
 またこれに先駆けて千葉県神社総代会印旛支部の臨時役員会も開催予定で、こちらも次期会長と監事を選定します。
 本来であれば両会議のあとに新年会となるのですが、このご時世により宴席は中止になってしまい、ひかたやさんの美味しい豪華なお弁当が配られます。
それではこれより臨時総会に行ってきます!

※臨時総会後に加筆予定

ここから加筆
 臨時総会、議案は次期役員選出の一本のみで、上程議案通り可決承認を頂きました。
因みに次期支部三役は
支部長  宮本勇人(麻賀多神社宮司)
副支部長 船穂正幸(宗像神社宮司)
事務長  宮崎慶治(埴生神社宮司)
で、全員留任でございます。
 その他の理事4名と監事2名、神社庁各委員会出向者も原案通り可決承認となりました。
 留任とは言っても、この2年間はフルスペックの活動が出来ませんでした。その中にあっても今出来る事の最大限を副支部長と事務長、そして支部員各位の力添えでする事が出来ました。
 新年度の始まる4月からは多くの活動が出来る様に流行病が落ち着いて欲しいです。
 会議後は直会として一献が付きものの印旛支部ですが、今日はひかたやの美味しい鰻弁当を持ち帰りに。
 また支部の神主と総代とで盃が交わせるよう願っています。
 
春の祭典が始まりました [令和4年1月17日]

鹿渡のお胴

神様背負ってお家へ
 阪神淡路大震災の発災から今日で27年。6434名が亡くなり、今も3名が行方不明という大惨事です。
 宮司はこの時、大学4年生で既に卒業論文を提出して自動車教習所に通っている頃でした。
 教習所の待合室でみたテレビには高速道路が倒壊している映像が流れており、当時は外国での地震が多かったことから、「また大変だなぁ」といった感じで見ておりました。
 そうしてら、高速道路から転落寸前で全身が落ちている大型バスが、高校の修学旅行で乗った犬のマークの帝産バスではないですか!?
 これは日本で起こっているんだとテレビから流れてくる情報を耳にするに、神戸付近と言うことが判りました。
 当時は関西や瀬戸内は地震が少ないと言われていたのでビックリしたのと、ビルが倒壊していく様が生中継で流れていたのにショックを受けました。
 この地震により耐震構造が見直されて16年後の東日本大震災を迎えた訳ですが、旧の基準ではもっと大きな被害が起こっていただろうと想像に難くありません。
 ただ、阪神淡路の際に指摘されたマスコミが飛ばすヘリコプターの音によって瓦礫の下の被災者の声がかき消され、救助活動が遅れた事が有りましたが、この教訓は次の大震災にマスコミは活かしませんでした。残念でなりません。
 このところ地震も多くなっております。過去の体験を元に今一度防災を考えましょう。
 さて、当社管轄の兼務社においてはこの15日より春祈祷や奉射祭(おびしゃ)が順番に始まりました。
 昨日は智勇権禰宜が四街道市鹿渡のおびしゃに出向。今日は宮司が佐倉市上代の熊野神社で春祈祷を奉仕しました。
 共に年が明けてからの新年の祭典ですが、春祈祷は五穀豊穣を願うのに対しておびしゃはそれプラス厄災除けの意味合いが強くなります。
 「射る」という文字からも想像できますが、祭典中に篠竹で作った弓矢で的を射たり、本物の弓矢を使用する地域もあります。
 また「宿・やど」と呼ばれる年番制で氏子の家を一年毎に回り、祭典後は宿の当主が「お胴」と呼ばれる御神体を背中に背負って帰宅します。
 春祈祷もおびしゃも盛大な直会がつきものですが、このご時世なのでそれも無く、参列者も神社役員と区長、そして宿の渡しと受けの方のみと2年続けて寂しい感じです。
 ただ、縮小とは言え途切れさせずに続ける努力と知恵は大切です。
 このような祭典が来月中旬まで続きますが、次世代へ繋げるためにも心して奉仕したく思います。
 
福豆詰め開始 [令和4年1月16日]

今日も令麻が見守り隊
 昨夜、トンガで起きた海底火山の噴火により、日本の太平洋沿岸に津波警報と注意報が発令されました。
 なんでも1000年に一度の途轍もない噴火だそうで、その衝撃は約1万キロ離れたアメリカのアラスカまで伝わったとか。
 警報発令は深夜のことで、関係省庁や自治体では防災無線で避難の呼びかけと避難所の設置に大変な労苦をされたと思います。
 実際、日本にも最大1,2メートルくらいの津波が到達することとなり、東日本大震災の教訓は活かされたのではないでしょうか。
 今日も初詣のお詣りが続いております。長い列にはならないものの、授与所では御神札や御守を受ける方が幾重にも。
 巫女さん達、今日も生き生きテキパキと応対している姿を見て、やっぱり若いって良いなぁと今年五十路になる宮司は思うのです・笑
 13日の七峯に記したのですが、来月の「しあわせ月もうで」御朱印に今年は限定数で短冊守入りの福豆を付けるのですが、その豆詰めが始まりました。
 現在の社務所は臨時授与所から引き上げてきた頒布台などの片付け作業が続いているので、宮司宅で禰宜画伯が一人黙黙と作業をしております。
 まあ、一人というか4匹の生き狛犬達と共にと言った方が正解なのですが、生き狛犬達は豆詰めはせずに禰宜画伯を見守るだけですので・・・
 福豆はカレースプーン1杯分を袋に詰めます。時折こぼれまして、それを生き狛犬筆頭の珠京が狙っており、作業が順調だと「こぼせ!」とせっつくそうです・笑
 
新年のご挨拶に参上 [令和4年1月15日]


 今年最初の15日は土曜日と言うことも有り、多くのお詣りがありました。
 今年の初詣も昨年ほどではないですが、分散傾向が続いており、週末の社務に入ってくれる巫女さんは大忙しで、あっという間に一日が過ぎると口々に。
 それはなにも巫女のみではなく、神職も同じ事を感じておりまして、分散傾向の方がトータルの初詣参拝者数が多いのではと。
 不安な世の中だからこそ、神仏にお詣りする気持ちが働いていると思います。
 その不安な気持ちにより昨年から電車内での事件や、それを模倣する事件が続き、今日に到っては大学入試共通テストの受験会場近くで受験生など3人が刺される事件が発生しました。
 刺したのは高校2年生で「勉強がうまくいかなくて」と動機を話しているようですが、刺された方はたまったものではありません。
 被害に遭った受験生は追試験が受けられるとのことですが、傷はもとより精神的被害はいかばかりか。
 治療とメンタルケアにより、追試験に臨めるよう祈っております。
 さて、今日の宮司は太田熊野神社の一月祭を奉仕して、その前後に外祭奉仕と外回りの多い人なりました。
 昼前に帰社してからは新年のご挨拶に佐倉藩主家当代の堀田正典様を始め、責任役員の高石・内田・大槻各位宅に伺いました。
 堀田様には歳旦祭の前に早々ご来社頂き、清酒「佐倉城」のご奉納を頂戴しましたが、宮司がご挨拶に上がる際には佐倉藩が山形に設置していた柏倉陣屋に因んだお酒を下さります。
 今日もお手から差し出され、勿体なくも早速に御神前にお供えしました。
 佐倉藩は戊辰戦争の折り、旧恩のある幕府方と錦の御旗の新政府方との間で難しい舵取りを強いられました。
 将軍徳川慶喜公の助命嘆願のため京都に上られた堀田正倫公が新政府方に幽閉される事態となり、最終的には新政府方に付いたのですが、ここで大問題が起こったのが柏倉陣屋。
 東北地方は幕府方に付いた諸藩が多く、陣屋の周りの藩も幕府方という事態になったのです。
 これによってより奮起せざるを得なくなった柏倉の佐倉藩士は出兵して諸藩相手に戦いました。
 しかしながら戦地に倒れた者も有り、その一人が千葉県護国神社の祭神筆頭である安達直次郎盛篤なのです。
 当社境内にある「義烈の碑」にも尊名と戦死した場所である出羽国達摩寺村の記載があります。
 佐倉と柏倉は定期的に交流を重ねて来ましたが、現在はそれが敵いません。
 流行病が落ち着きましたら、是非陣屋のあった山形は柏倉の地を訪れたく思っております。
 
営農始めのお祓い [令和4年1月14日]

風でスルメと昆布が飛びました
 良い天気なのですが強風です。北海道付近に4つもの低気圧が有る関係で等圧線が縦縞になっており、これが冷たい強風の原因。
 日本海側は雷を伴うような大雪で、交通障害もでているようです。
 雪に慣れている土地柄とは言え、こうも降り続くと気を揉むことでしょう。
 「冬来たれば春遠からじ」の言葉を心に今暫く我慢の時ですね。
 話は変わりますが、海部俊樹元首相が今月9日に逝去していたと報道が流れました。
 御年91歳だそうで、湾岸戦争時の首相として我が国の難しい舵取りをされました。
 自衛隊の派兵要請がありましたが、当時はこれが出来ません。
 なので130億ドルという途轍もない戦争負担金を拠出する事になり、日本は世界のATMと揶揄されたのです。
 しかし、戦争後にはペルシャ湾の機雷除去を海上自衛隊が行ない、これが自衛隊初の海外派遣になったわけですが、その技術力の高さを世界に知らしめることになりました。
 そして現在の自衛隊海外派遣に繋がった事を考えると、功績は大きなものがありますね。
 昭和生まれの最初の宰相とはニュースで知りました。海部さんの御霊が安らかでありますように。
 そんなニュースが流れているのを聞きつつ、宮司が外祭で向かった先は佐倉市天辺。
 株式会社富士アグリドリームさんによる営農始めのお祓いに出向です。
 この会社は農業法人として令和元年にユーカリが丘に設立され、母体は県内の八百屋さんだそうです。
 全国的な傾向にありますが、佐倉市でも高齢化や跡継ぎの不在などで耕作放棄地が増え、問題化しております。
 今回はつい数ヶ月前まで耕作されていた畑を借り受け、実際に営農を始めるにあたり、耕作の安全と土地への感謝をしたいとお話しを頂きました。
 これから青ネギを中心に栽培が始まるそうで、状況を見つつ近隣の放棄地にも広げていく予定だそうです。
 順調な経営は元より、質の高い野菜が沢山収穫できますように!
 
今日も頑張る禰宜画伯 [令和4年1月13日]

生き狛犬の令麻が見守っております
 本日、仏滅につき当社職員、今年初めての公休で、社務所は宮司のワンオペ状態。
 お詣りも少ないのかと思いきや、まあまあ次から次へと参拝のご来社が続き、午後4時くらいまでほぼ動きっぱなしでした。
 途中で禰宜画伯が助っ人に入りましたが、不思議なもので当人が社務所に出ると、余計に混むというジンクスがございまして・笑
 なんだかんだで2時間ほどお手伝いを頂き宮司宅に戻りました。
 で、禰宜画伯は家で何をしているのかというと、来月の「しあわせ月もうで」御朱印に数限定で福豆を付けようという事になり、それに添える短冊守を作成しております。
 大体、1000体を目安にしておりますが、これが何と!全て手作りと言うから大変でして、そんなに無理しなくてもと言っているのですが、いったんスイッチが入ると宮司の言う事を聞かない禰宜画伯。
 肩の張りから歯茎が浮く等の痛みを押してまで奉製作業に邁進しております。
 こうなるともう誰にも止められませんで、早晩身体のメンテナンスという温泉に連れて行かなくてはなりません。
 短冊守の奉製が済むと福豆の袋詰めが始まります。
 何気に流行病の前より忙しく社務に取り組んでいる麻賀多神社社務所でございます。
 
辛味餅 [令和4年1月12日]

辛味餅とお大根の御御御付け
 北陸から北海道にかけて大雪の様相です。その雪を降らせている低気圧からの北風が関東にまで達して、今日は風速4〜5メートルの冷たい空っ風がずっと吹いていました。
 そんなこんなで今日は今年初の地鎮祭を奉仕したのですが、祭典開始までネックウォーマーをつけて準備をしたくらい寒かったです。
 2日続けてお餅の話で恐縮ですが、宮司はお餅が大好きです。
 自宅には餅つき機もございまして、お供えで餅米が上がるので、そのお下がりで禰宜画伯がお餅をついてくれたりもします。
 ここのところの寒さもあり、お大根がより美味しい時期となりました。
 なので朝餉には大根下ろしとお餅で辛味餅を食す機会も多く、宮司ご満悦でございます。
 お餅の良いところは腹持ちが良く、そして消化も良いので、現在の初詣期間のように一日中動き回っているときには最適です。
 そこに大根おろしですので、消化器系の内臓も元気になるってもんで。
 今年は禰宜画伯とと宮司の実家からの伸し餅がまだ有るので当分は辛味餅を楽しめそうです。
 因みに禰宜画伯は餡子やお汁粉で、智勇権禰宜はきなこ餅が好きなんですよ!