七峯の丘から
前の10件 | 次の10件

ひな祭りは差別なの? [令和3年2月26日]

来月の月もうで御朱印
薄曇の佐倉。春霞が漂うまでには今暫く日にちが掛かるかもしれませんが、境内の木々は新芽の蕾も膨らみ始めています。
風もないので今日は花粉の飛散も少ないかな。宮司もですが、この数日社務所内では巫女さん達から「目が痒い」との言葉をたくさん聞きます。
今はマスクをするのが普通の生活ですから、まだマシな方なのか。
宮司はマスクが苦手でしたから以前は花粉の時期でも装着しておらず、鼻水を拭くのにティッシュペーパーが欠かせませんでした。
さて、2月も残りわずかとなりましたね。来月は桃の節句。しあわせ月もうで御朱印もお雛様の登場となります。
今朝のTBS系列の情報番組「グッとラック」でジェンダー差別について森喜朗前五輪組織委員会会長の発言を再度取り上げてジェンダーフリーについて特集しておりました。
そこで紹介された本が「これからの男の子たちへ」。夫婦間のDV問題を多く手がける弁護士さんが書いたものですが、その内容は男の子が好きな女の子にイタズラをした際や、転んだ際に親から掛けられる言葉等によって、将来男尊女卑につながる恐れがあると言うもののオンパレード。
流石にコメンテーター達もポカーンという感じで、製作側の意図とは違う流れに。
宮司は常々、性による差別には反対ですが、区別は大切でと公言しています。
ジェンダーという性差に対しては少数派の存在がいる事も理解していますし、それぞれの存在は尊重されるもので有ると思います。
ただ、何事も行き過ぎは良くない。男らしさや女らしさと言う言葉すら使うのが躊躇われる様な世の中は如何なものでしょうか?
そもそも男女には性差に伴う身体つきなどの違いは生まれた時からあるわけで、それをどう活かすかはその人次第。
女性に対して男らしいと言うのはどうかと思いますが、それも時と場合によっては享受される事も。ただ言葉尻を切り取って批判する方が問題があるのではないでしょうか。
文化や芸術は性差があって成り立っているものもたくさん有ります。
日本の年中行事にはその様なものが多く有りますが、一部レフトサイドの方々はそれも面白くないと言う。
それであれば祝日法の「こどもの日」の所を一度読んでいただきたい。子供の成長と母親に感謝する日とありますが、父親には言及が無い。
これって差別じゃないのかなぁ。
お互いを尊重する。押し付けはしない。宮司ばそれがジェンダーフリー問題の一番の解決方法だと思います。
 
今年の裸祭り [令和3年2月25日]

宮司祝詞奏上

例年の裸祭り
 東京の青梅、栃木の足利に続いて群馬の桐生でも山火事が発生しました。
 現地では懸命な消火活動が続いていますが、火の衰えが見えません。
 人的被害が広がらないことを願うと共に、火の取り扱いには十分に注意したいですね。
 今日は兼務の四街道市和良比鎮座の皇産霊神社の御例祭。通称「和良比の裸祭り」や「どろんこ祭り」と呼ばれています。
 神社で御例祭を齋行し、その後に「裸ん坊」と呼ばれる締め込み姿の男性達が神社近くの神田で騎馬戦などを繰り広げる賑やかなお祭り。
 多分、四街道市では一番有名で人出があるお祭りだと思います。
 なんですが、やはり今年は御例祭の神事のみ、それも例年50名ほどの参列ですが、氏子総代と和良比区長の計5名が代表して玉串奉奠を行ない、神田での行事は中止となりました。
 この神田の泥を顔に付けて貰うと一年間風邪を引かないと言われており、神田から神社へ戻る裸ん坊が参拝者の顔に泥を付けてあげるのも今年は無し。
 この寒い時期になんでわざわざ田圃に入るかというと、神前で神様のお力を頂いた裸ん坊が、その力を田圃に入れて五穀豊穣を祈願する為なんです。
 なので騎馬戦などは田圃の代掻きにも捉えることが出来、力のぶつかり合いでより大きな力を生むのです。
 これは人間の成長にも当てはまり、赤ちゃんが裸ん坊に抱かれて田圃に入り、顔に泥を付けて貰う行事もあります。
 今年は1件の申し込みがあったとの事で、神田行事は中止ですが1名の赤ちゃんだけのために裸ん坊が神田に入るという、サービス大盤振る舞いな事になりました・笑
 この一年、どこの神社でも同じ挨拶で締めるのですが「来年はいつものお祭りが出来ますように」なんです。
 今年唯一、裸ん坊に抱かれて神田に入った赤ちゃん。必ずや健やかに成長することでしょう!
 
次亜塩素酸水ご奉納 [令和3年2月24日]

先ずは神様に
 今日と明日、千葉県は公立高校の入試です。当社から西へ200メートル程で県立佐倉東高校があるので、普段見慣れない制服の中学生がそぞろ歩いておりました。
 当社でお参りしてから試験会場へ入る生徒も結構おり、その姿を見る度に自身の受験時を思い出します。
 とは言っても30数年前の事で、試験内容も現在とは違って1次試験のみの一発勝負。
 その時代からかなり試験制度が変わりましたが、今まで頑張ってきた成果を十分に発揮して欲しいですね。
 さて、緊急事態再宣言下に有りますが、愛知・岐阜・京都・大阪・兵庫が今週末辺りに解除される見通しとなりました。
 しかしながら東京・千葉・神奈川・埼玉は新規罹患者の目標数値には達したものの、繰り上げての解除はなされない模様。
 下げ止まりの傾向が見られ、千葉と神奈川はそれが顕著。埼玉も変異型ウイルスのクラスターが発生しております。
 自粛疲れとも主な定点での人出も下げ止まりから増加地点も出てきており、年度末での行事が増える中で、今ギュッと押さえ込む必要なんですね。
 そんな中、株式会社エマ様より次亜塩素酸水と超高機能マスクをご奉納頂きました。
 そのご縁は社員さんが佐倉在住の方で、毎年新年祈祷に来社されていますが、今年のお正月に拝殿前に掲げてある御守「疫病除けマスク」の奉製過程で次亜塩素酸水による除菌と消毒を行なっている由の文面をご覧になった事。
 祈祷後に受付にご自身と会社のことを話され、同時にご奉納の提案を頂きました。
 当社の行事都合も考慮され、節分が過ぎてからと今週のご奉納となりました。
 次亜塩素酸水は厚生労働省が認定した食品手塩化物規格で元来口に入れても問題がありません。
 似た名称に次亜塩素酸ナトリウムと言うのが有りますが、こちらは一般に言う漂白剤の類いで口に入れたら大変なことになります。
 今回は次亜塩素酸水と一緒に超高性能マスクもご奉納下さいました。
 マスクのパッケージに「99%カット」という表示をよく見かけますが、何に対して99%カットなのかを確認することって余りしませんよね。
 それが花粉なのか細菌なのか、ウイルスなのかによって全く違います。
 因みに花粉は30ミクロンでウイルスは0,3〜0,1ミクロンですので、その直径差は300倍となるわけです。
 今回ご奉納頂いた次亜塩素酸水と超高機能マスクは安全安心な神明奉仕のために活用させて頂きたく思います。
 地元神社への信頼のお気持ちを確りと受け止め、改めて深い感謝の気持ちを申し上げます。
 
佐倉きのこ園へ [令和3年2月23日]

奥に禰宜がおります
 天皇陛下におかせられましては本日61歳の御誕辰日を迎えられました。
 玉体、益々の御安寧と皇室の弥栄を心よりお祈り申し上げます。
 令和の御代となって2回目の天皇御誕生日。しかしながら流行病感染予防の為、今年も一般参賀が中止となり、皇居内での祝賀行事も縮小されました。
 常に国民に御心を寄せられている陛下。お出ましになれないことについては、陛下が一番お心を痛めてらっしゃるのではないかと拝察します。
 先日の七峯でも書きましたが、リモートを活用しての御視察をなされていますが、一日でも早くお出ましが叶うよう願っております。
 さて、今日は御神前にお供えするものの調達に太田の佐倉きのこ園に禰宜と行ってきました。
 まあここまで書けば調達したのはきのこと判りまして・笑、新鮮な椎茸を狩ってきました。
 代表の齋藤さん、宮司と名前が同じ勇人さんで、佐倉青年会議所の先輩でもあります。
 栽培しているのは椎茸がメインで、夏場には木耳も有るんですよ。
 今日は少し多めに収穫したので、帰社して巫女さん達にお裾分け。皆どんな風にして食べるのかな?
 宮司はやっぱり素のまま焼いて醤油を垂らすのが良いですね。
 それと、きのこ園の椎茸は無農薬で新鮮なので軸の部分、石突きと言いますがこれも美味しいのです。
 バーベキューなども楽しめる佐倉きのこ園。今は団体客もない状態ですが、だからこそきのこ狩りは今がお勧めかもしれません。
 場所は神社から南へ車で10分ほど。東関道佐倉インターからだと5分くらいの場所です。どうぞお出掛け下さい。

佐倉きのこ園
https://www.kinokoen.jp/
 
竹島の日と猫の日 [令和3年2月22日]

狛猫の母ニャン
 日本ペットフード協会によると今日は猫の日だそうです。昭和62年(1987)に制定されたそうで、読んで字の如く「ニャン・ニャン・ニャン」がその理由。
 SNSを見ると猫の日関連のアップが沢山有りました。
 ウィキペディアによると海外だと多くの国が2月17日で、アメリカ10月29日でロシア3月1日となっております。
 因みに犬の日は11月1日で「ワン・ワン・ワン」。1月11日でも良いかとも思いますが、どうなんでしょうね?笑
 記念日というかまつわる日というか、今日は竹島の日でもあります。
 何故今日が竹島の日なのかというと、明治38年(1905)1月28日の同島を島根県に編入する閣議決定を受けて2月22日に当時の島根県知事の松永武吉が告示を行なったというもので、平成17年(2005)に告示100年を記念して島根県議会が条例を制定しました。
 島根県隠岐郡隠岐の島町に所属する竹島は現在韓国が不法占拠しているのは周知の通り。
 これは昭和26年(1951)にサンフランシスコ講和条約を締結した際に竹島が日本帰属であるにもかかわらず当時の韓国大統領である李承晩が俗に言う「李承晩ライン」を竹島の東側に設定し、それ以来韓国の不法占拠が続いているのです。
 ここで皆さん思い出して下さい。同じくロシアに不法占拠されている北方領土は国がその日を制定して、国主催の返還要望の式典を行なっているのに、竹島の日の式典は島根県が主催で政府からも大臣政務官クラスしか参列していないのです。
 この左派どういうことでしょうか?国家国民を守ると言う事は領土を守ると言う事と同意義でなければなりません。
 朝日新聞辺りは過去の論説で「いっそ竹島を韓国にあげたらいい」と、便所紙にもならないことを平然と書きましたが、この国の国会議員は竹島に対してどのように思ってきたのかがよく判ると思います。
 勿論国会議員の全員ではありませんが、与野党問わず無関心か朝鮮半島からのいろいろなご接待によって有耶無耶にしてきたのですよね。
 韓国の歴代政権、特に今の文在寅政権は左派で親北政権で、今までの政権より一段とたちが悪いのは周知の事実。
 隣国だからと言って甘い顔をする必要は全くないわけで、国交断絶も視野に入れつつ竹島を奪還することを望みます。
 
献血バスを見かけたら [令和3年2月21日]

献血車ひまわり号

このような告知が出ます
 昨日、牡丹の蕾の膨らみを書きましたが、今日見たらいく鉢かは芽の先がもじり始めていました。
 一晩しか経っていないのにこの成長。植物は言葉は発せないけど、それ以上のメッセージを送ってくれますね。
 日毎に増えるだろう水やりの回数が、胸膨らむ回数でもあります。
 暖かい日射しを浴びて生長する牡丹。今日は本当に穏やかな一日でした。
 日曜日と言う事も有り、境内にはお参りの方の姿が途切れることなくありました。
 今日は宮司が会長職を頂いている佐倉ライオンズクラブ(LC)主催の献血奉仕活動がベイシア佐倉店の駐車場であり、午前中と午後の2回、顔を出してきました。
 通常だとプラカードを持っての呼び込みやティッシュペーパー配り等も行なうのですが、このご時世で現在は設営と撤収のお手伝いを行なっています。
 そして一番大切なのがメンバー自らが献血に参加すること。
 前回の献血活動の際は、採血に必要な期間が10日ほど足りず、佐倉LCのメンバーは献血が出来ませんでした。
 今回は満を持しての献血。10名以上が400ミリリットルの献血を行ないました。
 流行病の現今にあって、企業や大学など出行なう大口の献血が軒並み中止となっています。
 千葉県は輸血などの使用する血液が県内での採血分だけでは足りずに、他県より回して貰っているのが実情なんです。
 その中にあって、今日は83名の申し込みが有り、実際の採血も70名という大きな実績を得ることが出来ました。
 献血にご協力頂いた皆さんに感謝すると共に、場所を提供して下さったベイシア佐倉店様にも重ねて感謝申し上げます。
 献血は大掛かりな事前告知をする機会が余りありません。
 ライオンズクラブではメンバーの事業所などに告知ポスターを掲示したりしていますが、一番手っ取り早いのは、赤十字血液センターのHPを閲覧していただく事です。
 今日も宮司のSNSを見て参加してくれた方も有りましたが、時間帯によっては待ち時間が長くなってしまいキャンセルした方も見受けられました。
 先に書いたように血液は慢性的に不足しています。献血バスを見かけた際はお時間と相談して可能であればご協力をお願い致します。
 因みに佐倉・佐倉中央・佐倉むらさきの各LC合同の献血奉仕活動が来月21日にユーカリが丘のイオンタウン内で開催する予定です。
 お時間のある方は是非ご協力をお願い致します。

千葉県赤十字血液センター
https://www.bs.jrc.or.jp/ktks/chiba/
 
牡丹の蕾膨らむ [令和3年2月20日]

ぷくっとなりました
 西からの強風に木々が揺れている佐倉です。ここ数日おきに強風が吹いている事を思うと春が近づいているのが判ります。
 北陸でも今日、春一番が吹いたそうですから、雪深い今年は雪解けも待ち遠しかったことでしょうね。
 宮司は時間が有ると境内をぶらついております。只単に散歩や気晴らしをしているわけではなく、まあそう言う時もありますが木々の枝の張りや社殿に修理箇所はないか。また境内整備を等のアイデアを考えながら。
 今日目に入ったのが本殿脇の透かし塀沿いに冬籠もりさせている牡丹の鉢です。
 宮司の趣味で約50鉢の牡丹を育てていますが、牡丹は霜に弱いので冬場は軒の下などに移動させます。
 移動は11月頃に行ないますが、その時には来年の小さい新芽がギュッと縮こまったように出来ています。
 それがこの3ヶ月ほどで5倍くらいの大きさに成長。色もワインレッドのような濃い色になっています。
 ここで気を付けなければならない点が2つ有りまして、1つは水切れを起こさないこと。
 冬籠もりのあいだは水やりを余りしなくても良いのですが、芽が動き始めたと言う事は当然水を使っている訳で、昼間の暖かい時間帯に一鉢に柄杓一杯分をあげます。
 もう一つは遅霜にやられないことです。上記にもあるように牡丹は霜に弱く、当ってしまうと凍傷で芽が死んでしまいます。
 暖かくなってきたと思って露天に出すと、3月辺りの急激に気温が下がった時の遅霜でやられてしまうのです。
 なので露天に出してからは天気予報のチェックはいつも以上に欠かせなくなり、霜の情報があれば再び屋根の下に移動するか、芽を痛めないようにシートを掛けるなどの対策をするのです。
 早い鉢だとあと一週間ほどで芽の先がもじり始め、蕾が開く準備に入ります。
 同じ鉢でも花の大きさが毎年違ったりしますので今年はどんな風に咲くのか、寒風にさらされながらも、暫し牡丹の前に佇む宮司でございます。
 
当社巫女事情 [令和3年2月19日]

鳥居用の大型紙垂
 当社の巫女は基本学生でして、アルバイトをいくつか掛け持ちしている子が殆どです。
 よく体力が持つなぁとアラフィフの宮司は感心しきりですが、掛け持ちのバイトは飲食関係が殆ど。
 緊急事態再宣言下、時短営業や人員削減でバイトには入れない事が多いようです。
 例年2月はお正月からの参拝も一段落しているので日に入る巫女の数も2名くらいにしているのですが、上記の様な状況を聞くになるべくシフトに入れてあげたいのが本心。
 なので今月の巫女はほぼ毎日4名態勢で社務に当たっております。
 とは言うものの、日がな一日を社頭で御守授与番をしているわけにも行かず、幣束や紙垂の奉製や在庫数の調査などを行なっております。
 こう言ってはなんですが、うちの巫女達は本当によく動いてくれ、手先も器用な子が多いです。
 なので紙垂を折るのも手慣れたもので、既に今年の年末に頒布する年神様分まで奉製が完了してしまいました。
 流行病の罹患者数が下げ止まりの傾向を見せている中、4月からの新学期は通常の授業になるのか否かによって、出社人数も勘案しなければなりません。
 宮司は祭典奉仕の責任者であると同時に経営者でもあります。考えることが沢山有るのです・笑
 
 
護國神社移転計画 [令和3年2月18日]


 今日は月一の千葉県神社庁役員会。緊急事態の再宣言中ですが、神社庁職員がソーシャルディスタンスと換気をしっかりとやってくれて、毎度問題なく行なわれています。
 対面式とリモート会議、やはり熱量が違いますよね。意思疎通を考えると完全防止策を採った対面式の会議が良いと宮司は思っております。
 今日の議題の中に千葉縣護國神社の移転についてと言うものがありました。
 現在、千葉市中央区弁天に鎮座している護國神社は明治11年に千葉県庁公園内に創始。その後千葉神社に奉遷され、昭和18年に亥鼻山、現在の千葉城がある所に奉遷しました。
 その真新しい社殿も昭和19年7月7日、俗に言う七夕空襲で炎上。仮殿をもって応急に復興しましたが、昭和42年に現在の場所へ新社殿造営に伴い遷座しました。
 ただ、鉄筋コンクリート製の社殿も老朽化が激しく、遺族の減少もあいまって維持が困難なため、境内地を売却しその資金を下に若葉区桜木町への移転と社殿新築が決まりました。
 普段は電車を使って千葉市の神社庁へ向かうのですが、新しい鎮座地が経路の途中にあるので、工事の進捗状況を見たいと思い、今日は自家用車で出発しました。
 現在は基礎工事の真っ最中で、当然ですが只の工事現場にしか見えません。
 ここに親社殿と社務所。そして遺族会館が出来るのかと思うと、凄いプロジェクトが進行しているんだと胸が高鳴ります。
 千葉縣護國神社の御祭神は戊辰の役以降の英霊をお祀りしていますが、その筆頭に名が上がるのは佐倉藩士の安達直次郎盛篤命です。
 当社境内にある義烈之碑にもその名が刻まれている方。
 佐倉藩総鎮守の宮司としても何かしらのお手伝いが出来ればと思った次第です。
 現在、護國神社ではこの移転計画に対して、御殿内の調度品を整えるために奉賛金を募集しております。
 HPにはその案内はございませんが、お志を頂けますれば護國神社にお問い合わせ下さると幸いです。

千葉縣護國神社
http://www.chiba-gokoku.jp/
 
マスクでの祈年祭 [令和3年2月17日]

城麻賀多神社(過去画)

神宮の参進
 情けないというか、千葉県選出の自民党衆議院議員が離党と次期衆院選に不出馬を表明しました。
 その理由ですが、流行病の現今にあって夜8時以降の倶楽部活動などの自粛が求められているのに、先般の自民党3名公明党1名の事が有ったにも続けていたのが週刊誌にすっぱ抜かれたもの。
 以前より何かと噂が絶えない方でしたが、当社の兼務地域の選挙区でも有り、何かと顔を合わす機会も多かったので残念でなりません。
 これに関しては諸刃の剣ですので前回同様に野党も予算委員会で一通り質問した後はそれまでにすると思いますが、国会議員だけでなくあらゆる議員が色目で見られてしまいます。今暫く我慢が出来なかったものかと・・・
 気分を変えまして、今日は祈年祭、「としごいのまつり」です。
 祈年の「年」とは「稔」とも言いお米を始とする五穀を表し、その豊作を祈るお祭りが祈年祭です。
 明治初期までは本暦2月4日※に行なわれていましたが、明治5年の改暦を持って2月17日に改められました。
 宮中では天皇陛下が、伊勢の神宮では勅使派遣の下に黒田清子神宮祭主以下神職が祭典を奉仕し、全国の神社でも齋行します。
 当社では宮司の一人奉仕にて、城麻賀多神社では宮司が出向して六崎・城・表町の氏子総代と区長が参列して齋行しました。
 思い返すに去年、宮司は神宮内宮の祈年祭に助勤神職として奉仕させて頂く機会を得ました。
 前日16日に内宮に入り神宮祭式の稽古と潔斎をして就寝。
 翌17日に内宮の祈年祭に斎服を着装して大御饌の儀と奉幣の儀の末席に伺候しました。
 流行病が広がる前とは言え、体調管理など慎重に慎重を重ねて祭典奉仕に望んだのが昨日のように思い出されます。
 今年の祈年祭はどのように行なわれたのか詳細は定かではありませんが、どのような形であっても祭典は齋行されます。
 当社に祈年祭祝詞には終盤に「今年の秋の大御祭りも恙なく執り行えるよう云々」とあります。祈年祭の対を成すのが秋の御例祭と新嘗祭です。
 五穀豊穣はもとより国家国民の安寧、そして流行病の早期収束を御神前に祝詞奏上。頭を垂れた今日の祈年祭です。