七峯の丘から
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大嘗祭を寿ぎ昭和帝をしのぶ [令和1年11月15日]
昨夜から今日未明にかけて斎行された大嘗祭大嘗宮の儀。めでたく御祭儀が取り納めとなり、誠に持って慶賀の至り。改めて新帝陛下と令和の御代の弥栄を寿ぎ奉ります。
大嘗祭が今の形となったのは天武天皇の御代と言われておりますが、それ以前にも例年の新嘗祭と同様に行われており、その新嘗祭に至っては我が国の神話。神代の時代から途絶える事なく斎行されています。
いつの世にも国安かれ民安かれとの思し召しは変わる事なく今に続く。
あぁ、日本人に生まれて良かった。ただひたすらに有り難さを感じる他はありません。
昨日、麻賀多神社に於いて大嘗宮の儀当日祭を奉仕して後、所用にて名古屋まで赴きました。
法律上の守秘義務があるので詳しくは書けないのですが、しっかりとお役目を済まして、只今帰路の東海道新幹線の車中です。
昨日、品川駅で乗り換えの合間に一冊の漫画本を購入しました。タイトルは「昭和天皇物語」。
その第1巻で、一昨年11月が初版。昨年12月で第9版ですから中々のヒット作です。
以前よりこの作品は知っていたのですが、何故だか手に取ることはありませんでした。
しかし、大嘗宮の儀が斎行された昨日、目にした瞬間「今日買わずしていつ買うんだ!」と、脳天を雷に打たれた気分に。
作品の内容は紹介はしませんが、涙腺が緩い宮司。七峯を書く寸前まで読んでいたので、今も目がシバシバしております・笑
上皇陛下、そして御即位なされた今上陛下、いずれも即位礼正殿の儀の宣明において父帝の御治世を思い起こされる御言葉を発せられました。
連綿と続く日本の皇室は我が国の根本。重ねて日本に生まれて良かったと感じる次第です。


 
大嘗宮の儀当日祭 [令和1年11月14日]
 いよいよ大嘗宮の儀当日を迎えました。天皇陛下御即位に伴う最重儀の大嘗祭。その中でも中心的な儀式である悠紀の儀が午後6時半より、主基の儀が明けて15日午前0時半より皇居東御苑に建てられた大嘗宮において天皇親祭のもとに執り行われます。
 それに先立ち皇居の宮中三殿においては本日10時より大嘗祭当日賢所大御饌供饌の儀と同当日皇霊殿神殿に報告の儀が。
 伊勢の神宮に於いては同神宮に奉幣の儀が勅使参向のもと行なわれました。
 当社に於いても本日正午より大嘗宮の儀当日祭奉幣の儀を齋行。
 麻賀多大神に本日の大嘗祭齋行を御報告し、大嘗祭が滞りなく齋行されるよう祈念。
 大嘗宮の悠紀殿と主基殿にたいし大幣束を奉り遙拝いたしました。
 大嘗祭では東日本の悠紀田(栃木県高根沢町)と西日本の主基田(京都府丹南市)で収穫された新米を中心として粟・麦・豆・稗の五穀。そして海川山野の産物が神饌として天皇陛下が皇祖神の天照大神を始とする八百万の神に献ぜられ、その後同じものを陛下も召し上がります。
 陛下が座られる玉座の向こうには神々の御神座。その奥は伊勢の神宮を向いているとされています。
 大嘗祭は神道形式で行なわれるのは勿論ですが、ただ単に宗教としてとらえるのではなく、祖先を敬いその息吹を受け継ぎ次世代につなぐのが神道。その最たるものが今夜行なわれる大嘗宮の儀です。
 通り一辺倒の政教分離というのではなく、その国の成り立ちと国風(くにぶり)を鑑みるのが大切ではないでしょうか。
 改めて大嘗祭の無事な齋行と、国と国民の案内と五穀豊穣を願われる天皇陛下の弥栄を心より願い奉ります。

大幣束を祓います

奉幣の儀

麻賀多神社より大嘗宮を遥かに拝み奉ります

神饌の粟餅
 
職場体験学習 [令和1年11月13日]
 今日から佐倉中学校の職場体験学習で2名の生徒さんをお預かりしています。
 佐倉市内の中学校では2学年時に市内の受け入れの許可があった事業所を自身で選択し、事前打ち合わせなどを行ない、2日間の日程で体験学習に入ります。
 実施時期は学校によって違いますが、佐倉中では大体11月に行なうことが多く、丁度七五三詣の季節と重なるので、御祈祷の受付など緊張しながらも丁寧な対応をしてくれ、参拝者にも好評を得ています。
 智勇権禰宜も佐倉中の出身ですので約10年前に体験をしました。
 体験した職場はさすがに神社ではなく、印旛郡市埋蔵文化財センターにお世話になり、土器の模様を調査したりと、帰宅後に楽しそうに話していたのを思い出します。
 2日間という日程では全部のことを体験できるわけではありませんが、少しでも将来に役立ってくれれば幸いです。
 因みに今日は麻の境内清掃から始まり社務所での接客。御祈祷の案内などを行ないました。
 明日は宮司講話と生徒さんからの質問コーナー。そして一番楽しみにしている巫女装束の着付け体験と作法を行なう予定です。
 また大嘗祭「大嘗宮の儀」の当日にも当たりますので、大嘗祭の意義と日本が歩んできた歴史についても話したく思います。



14日追記・智勇権禰宜の作法の時間
 
大嘗祭前二日臨時大祓 [令和1年11月12日]
 天皇陛下の御即位に伴う行事の中で最重儀である大嘗祭「大嘗宮の儀」を明後日に控え、正午過ぎより宮司斎主により大嘗祭前二日臨時大祓を齋行しました。
 毎年11月23日に皇居神嘉殿において天皇親祭にて新嘗祭が行なわれますが、天皇即位の年はこれが大嘗祭となり、祭場として大嘗宮が建設されます。
 因みに大嘗祭は昭和天皇までは京都で、平成の御代から皇居東御苑に大嘗宮が建設されております。
 大嘗祭とは言っても14,15日に行なわれる大嘗宮の儀だけではなく既に伊勢の神宮には「大嘗祭当日神宮に奉幣の儀」のため天皇の使いである勅使が今月8日に派遣されております。
 大嘗宮の儀については後日記すとして、本日午後2時より天皇陛下の御禊。午後3時より親王以下大礼委員の大祓が皇居で行なわれ、全国の神社でもこれに合わせて臨時大祓を行ないます。
 なぜ二日前なのかというと、前日の明日は天皇の御衣を振るわせて御魂を鎮め奮い起こす「鎮魂の儀」と大嘗宮を祓い清める「鎮祭」が行なわれるから。
 鎮魂の儀は毎年の新嘗祭前日にも行なわれますが、大嘗宮の鎮祭は当たり前ですが大嘗祭の時のみです。
 最重儀の大嘗祭「大嘗宮の儀」を前に陛下自ら身を清められ、奉仕の諸員も祓いを受け、そして全国の神社でも大祓にて国土を祓い清める。
 当社においても拝殿を当社と旧佐倉藩領、そして兼務神社氏子地域である佐倉市・酒々井町・四街道市・富里市とみなし、その四方八方くまなく祓い清めました。
 臨時大祓より大嘗祭全ての無事な齋行を祈願し玉串を麻賀多様の神前に捧げ奉り納めと致しました。
 因みに祓いに使用する大麻(おおぬさ)は天皇陛下が大嘗宮の儀で召される麻の御衣「麁服(あらたえ)」の麻を栽培した方の手によるもの。麻のご縁を有りがたく存じます。
尚、大嘗宮の儀当日14日は正午より「大嘗宮の儀当日祭」を齋行いたします。

聖寿萬歳 皇弥弥栄 天壌無窮 玉体安寧

大祓詞奏上

拝殿を旧佐倉藩領と見なし清い祓い

手に持つのが大麻
 
さくたろう [令和1年11月11日]
 皆さんにとって一年という時間は長いですか?それとも短いですか?
 時間の感覚は人それぞれ。基準となる出来事や思い出によってもその長短は変わりますよね。
 昨日は神葬祭を御奉仕した方の帰幽一年と納骨の儀を奉仕しました。
 大切な方が突然いなくなる。それは残されたご家族にとって耐えがたいものでしょう。奉仕している際に聞こえる嗚咽が、今も傷が癒えていないのを感じさせました。
 ちょっとしんみりした書き出しですが、ここからは明るくまいります。
 一年前の今日、一匹の子猫が麻賀多神社を巣立ちました。
 巣立ったというのが正確と言って良いのかは別として、昨年10月末に境内で保護した子猫。
 親猫がいるんだろうと思い数日そのままにしておりましたが、どうも親とはぐれたようす。
 学校帰りの高校生達に可愛がられていましたが、そこに親猫らしきのが登場。暫く様子を窺っていたのですが、人に抱かれているのを見てそれからは姿を見せることはありませんでした。
 結局、その子猫は独りぼっちになってしまい、餌もとれるわけでもないので日に日に衰弱。しまいには目やにも酷くなり目が開かなくなってしまいました。
 ちっちゃくても1つの命。禰宜と相談して動物病院に連れて行ったのですが、先生からは最善を尽くすが半ば諦めた方がいいとの話でした。
 点滴を打って帰ってきて、そこから約2週間、禰宜は自分の赤ん坊を診るように注射器でミルクをあげ、「かならず見えるようになるからね」と目やに取りの目薬を差し、次の検診時には病院の方々もビックリするくらいに回復していったのです。
 この時点で宮司宅には3匹の生き狛犬がおり、そこに猫は飼えないと判っていました。
 SNSで里親募集をアップしたり知り合いに声がけしておりましたが、もし引き取り手がなければ飼うのもあるのかなと。
 でもいずれはいいお家に送り出すんだと正式には名前は付けず、夏目漱石の小説「坊ちゃん」の冒頭から文字って「仮称なつめ」と呼ぶように。
 そんな矢先の去年の今日の午後。境内で一人の女性から声を掛けられました。
「猫を見に来ました」
 当社の境内には狛猫がおりますのでその事かと思いきや、インスタグラムを見てきたと。
 当時はまだインスタグラムのメール機能を使っていなかったので、そこに連絡が入っているとは露も知りませんでした。
 そこからの詳細は割愛しますが、その日に仮称なつめは里親さんに引き取られ神奈川県へ。
 フェイスブックの機能で「思い出」というのがあります。去年以前の本日にアップした記事を見ることが出来るのですが、仮称なつめが引き取られていく様子が出てきました。
 仮称なつめ、今はさくたろう。佐倉出身だから佐倉の音を取って名付けて下さり、あちらのお家で大切にして貰っており、その様子が定期的にインスタグラムにアップされています。
 そのさくたろうからプレゼントが届きました! お酒好きの佐倉のおとーさんのために「これで一杯やってねと」
 でも寝食を忘れ世話をしてのはおかーさんの禰宜でして・笑
 さくたろう、これからも神奈川のお家で皆さんと仲良く元気で暮らしてね。

いってらっしゃいの時

今日のさくたろう

猫の恩返しかな
 
成田の花火 [令和1年11月10日]
 本日午後3時より天皇陛下御即位を祝しての祝賀御列の儀が行なわれ、両陛下を乗せたトヨタセンチュリーのオープンカーを中心とした車列が皇居から赤坂御所までパレードしました。
 本来であれば10月22日の即位礼正殿の儀の後、同日行なわれる予定でしたが、台風19号による被災地への配慮から本日に延期。
 即位に伴う一連の国事行為では一番最後に行なわれるのが祝賀御列の儀。
 国事行為ですので「内閣助言と承認」事項にあたりますが、延期に当たっては賢きあたりの思し召しが有ったのではないかと思うのは邪推でしょうか。
 日本晴れの中を進まれる両陛下。玉体の安寧と皇室の弥栄をご祈念申し上げます。
 さて、昨夜は社務の後、郡市総代会の役員さんにお声がけ頂き成田の花火に行ってきました。
 打ち上げ会場は成田市台方の田圃で、一般観覧席は成田ニュータウンスポーツ広場。
 私達が見たのは丁度その反対側で、メイン会場よりも間近。というか、花火の玉がこっちに飛んできたらどうしよう!と言うくらいの近距離で観覧させて頂きました。
 勿論、進入禁止地区ではありませんので悪しからず。
 成田の花火は平成18年より始まりましたが、通常は10月第二土曜日に開催。
 その日は当社の御祭礼中日にあたり、毎年ご招待を頂いていたのですが当然行けないわけです。
 こちらも台風19号の襲来により約1ヶ月延期をしての開催。
 佐倉市民としては毎年8月頭に行なわれる佐倉市民花火大会(旧・印旛沼国際花火大会)が身近ですが、水上で上げられる花火と違い成田は田圃なので陸上。より臨場感を味わえる感じがしました。
 またメイン会場では音楽に合わせ打ち上げられる花火に観客が手拍子をしたり、スマートフォンと連動するなど「体験」する「観客参加型花火大会」を行なっており、平成22年にはグッドデザイン賞を受賞したそうです。
 花火大会は立地条件などで開催内容が随分変わります。
 昔ながらにド〜ンと上がる花火を長閑に見るのも良いですし、上記のように音楽に合わせてリズムよく見るのも良いですね。
 花火の点火も今はコンピューター制御が主流の時代。色んな事が出来ると共に新旧織り交ぜた内容も良いかなと思いつつ佐倉へ帰って参りました。
 成田の花火、来年から10月の第3週か11月開催にならないかなぁ・笑

見事でした!

今日も沢山のお参りがありました
 
町たんけんのお手紙 [令和1年11月9日]
 新潟に比べると佐倉って本当に暖かいですね。数日前に朝拝で御殿へ向かった際は「寒いなぁ」と感じましたが、今朝は社務所を出たら「暖かい!」と逆に目が覚めました・笑
 戌の日の土曜日ですが六曜は仏滅なので境内は比較的ゆっくりとした時間が流れておりました。
 よくある質問で仏滅の日はお参りや御祈祷に相応しくないのかというのがあります。
 六曜とは中国から入ってきたもので、元々暦の順番を表し、その文字に意味はなかったのです。
 しかし、我が日本は言霊の国。漢字も音読みと訓読みが有るように、六曜の漢字を訓読みして意味を持たせるようになったのです。
 なので、上記の質問の答えで言うと「仏滅にお参りや御祈祷を受けても全く問題はありません!」なのです。
 といった感じで境内を眺めて自身のデスクに戻ると見慣れない筒がおいてありました。
 開いてみると、そこには綺麗に彩られた手飼いが沢山貼ってありました。
 送り主は佐倉小2年生の皆さん。先日「町たんけん」で来社したときのお礼の手紙でした。
 佐倉小は2年次に各班に分れて学区内を歩いてどういう所があるのか、またその歴史や謂われなどを質問したりと黄色い帽子を被った子達がやって来ます。
 そう言えば智勇権禰宜もやりましたね。その時はさすがに神社へ来る班ではなく城址公園へ行く班だった様な覚えがありますが、神社の石垣下を通過する際に「おとーさーん!」と声が聞こえ、手を振ったのが昨日のようです。
 小学校低学年の子達の質問は大人で考えれば当たり前のことなのですが、基本中の基本を聞いてきます。
 実はそれがありがたいのです。ネット社会の現代、色々な情報が入り交じって伝えられる中、誤った情報もかなりの数に上ります。
 でも、実際に足を運んでその場所の方に話を聞く。それもまだネットに汚染されていない段階で聞くことが重要と考えます。
 佐倉小学校の学区は全て当社の氏子地域。2年生でしたら数年前に七五三詣で来社した子も多いです。
 未来の佐倉を背負って立つ子達。これからもどんどん受け入れたいと思います。

お手紙ありがとう!
 
長岡中島戊辰戦争顕彰碑 [令和1年11月8日]
長岡はどんよりとした雲間から時折日射しと小雨がぱらつく不思議な朝を迎えました。
昨夕、上越新幹線にて長岡入りし駅近くのニューオータニ長岡にチェックイン。今日の祭典を控えてゆっくり過ごしました。
今回の長岡入りは当社の崇敬者でエヌテーアクアツインズ社長の渡辺泰崇さんの依頼を頂いてのもの。
エヌテーアクアツインズは航空会社や空港関係から出される制服や毛布などのクリーニングを行なっており、佐倉にも事業所を開設。当社にて毎正月に安全祈願を奉仕させて頂いております。
長岡が創業地で渡辺社長のご自宅も有ることから、幾度となく長岡に出向し祭典奉仕をさせて頂きました。
今回は渡辺家で守護りしている戊辰戦争受難者顕彰碑の敷地整備にあたり、渡辺社長始めご家族、会社や工事関係者参列のもと工事安全と戊辰の役に倒れられた方々の御霊慰めの祭典を斎行しました。
中島の地は慶応4年5月に新政府軍が長岡城攻撃のため信濃川を渡り長岡藩士との戦が始まった激戦の地。
中島地区は草木一本焼き尽くされ、その後には新政府軍と長岡藩士の夥しい亡骸が転がっていたそうです。
その後、新政府軍は長岡城を占領。中島地区と同じように長岡のご城下は一面の焼け野原になりました。
賊軍の汚名を着せられても長岡の人達は両軍分け隔てなく丁重に弔い、中島地区にあっては「明治戊辰戦争東西軍の墓」として渡辺家わ近隣の家々で祀ってきました。
そこから復興し新潟県下第二の都市として発展してきましたが、先の大戦の長岡大空襲で再び焦土と化し、その際に亡くなった方々の御霊を慰めるために始まったのが日本三大花火大会の長岡まつり花火大会です。
どのような形や状況であっても亡くなった方々の御霊を大切にする。歴代藩主の牧野家、戊辰戦争時の河井継之助や米百俵の小林虎三郎を代表とする長岡藩士の志を今に繋げているように思えます。
祭典後の直会は長岡名物のへぎ蕎麦。それを頂きながら歴史に翻弄された長岡藩と我が佐倉藩の事を交え暫し懇談しました。
より良い国を作るために日本人同士で戦わなければいけなかった時代。新政府側であろうが幕府側であろうがその犠牲を無にしてはなりません。
令和始めの年、今日のような祭典を奉仕出来たことに感謝して佐倉に戻ります。






 
上越新幹線の車内より [令和1年11月7日]
宮司と禰宜は今日から社務出張で、只今上越新幹線「とき号」の車内から七峯を書き込んでおります。
当社では社務出張はお祓いの依頼で宿泊を伴うもの。公務出張は会議や視察等で宿泊を伴うものとしており、今回は社務出張です。
2、3年に一度、佐倉市内の工業団地に工場を経営されている方の依頼により、ご自宅の有る新潟県長岡市に出向してのお祓いを承っております。
祭典は明日なので、詳細は帰りの新幹線車中で書くとして、ここ暫くは東海道と北陸新幹線ばかりで、上越新幹線は乗車の機会が有りませんでした。
とは言うものの、路線でいうと東京を発車して大宮までは東北新幹線。そこからが上越新幹線の路線で、北陸新幹線は高崎が起点なんです。
なので、上越・北陸・北海道新幹線は大宮から東北新幹線の線路に乗り入れる形をとっているわけですね。
まあ、乗客として乗っている分にはまーったく気にすることもないのでご安心を。
上越新幹線の思い出にこんなのが有ります。宮司が神青協の事業委員長として新潟白山神社での委員会出席の為、上越新幹線に乗車した時の話だから9年くらい前かな。
東京を発車した「とき号」の新潟行き。途中の停車駅は無いという超快速便が有ったんです。
多分、今はその設定の「とき号」は無いと思いますが、東京駅のホームアナウンスや発車前の車内でも散々ぱら「東京を出ますと終点の新潟まで止まりませんのでご注意下さい!」と流れていました。
そして定時に新潟まで止まらない「とき号」は東京を発車したのですが、発車直後の車内アナウンスで同様な事が流れた矢先、車内から「え!?」という声が聞こえたのです。
続きざまに「どうしよう…」とあり、車掌さんが通った際に「止まれませんか?」と。
当然途中で止まれるわけもなく、車内から漏れる驚きの声と小さな笑い声にその方は終点新潟まで行ったのでありました。
今思うに宮司が上越新幹線に乗車するのはそれ以来かもしれません。
今乗っている「とき号」は間違い無く長岡に停車します。間違い無いのですが、心配性なので今一度切符を確認してみます・笑

ちゃんと長岡に止まります

禰宜は風邪ぴきです
 
切り花ご自由に [令和1年11月6日]
 えーっと、昨夜は頒布始祭後の直会から何だかんだで盛り上がり、今後の神社庁支部運営や行事のことを皆で熱く語り、た〜んとオササを頂きましたとさ。
 で、今朝はすっきりと起床。朝拝も清々しく奉仕が出来ました。
 今日も良い天気ですね。ただ朝夕の寒暖差が大きいので体調管理には充分気をつけましょう。
 毎年11月6日は神社向かいで開催されている「佐倉市菊花大会」の審査日。
 午前9時より午後1時くらいまで出品者と一般の方は会場に入ることが出来ない中で、審査員により厳正な審査と各賞が決定しました。
 因みに麻賀多神社宮司賞は品目「競技花」種目「一本立て」花名「富士の新雪」の関根好男さんでした。
 今日の審査が終了すると境内にも大会会場より懸崖などが運び込まれ、一層華やかになります。
 そしてお楽しみなのが一緒に運んで頂く菊の切り花。
 審査が終わると来年の菊の芽を取るために花を切り脇芽などを採取する物があります。
 その切り花をお参りの方に持ち帰って貰いたいと沢山持ってきてくれるのです。
 神社のSNSでも切り花情報を流しますが、毎年日にちが決まっているので、よく覚えてらっしゃるものでちゃーんと取りに来る方もいらっしゃいます。
 切り花もまだ有りますので、ご自由にお持ち下さい。切り花が刺してあるビール瓶はおいていって下さいね。