七峯の丘から
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保護司の再任 [令和6年7月19日]

「宮司の髪が長い時」
 来週からでしたでしょうか、パリで夏季五輪が始まりますね。テレビなどでもパリ五輪を取り上げる機会が増えて来ました。
 3年前の東京五輪は流行病蔓延で一年遅れでしたから、なんだかあっという間にオリンピックが来ちゃった気がします。
 日本体操女子の五輪代表で何かしらの事件があったようです。これ以上は取り上げませんが、他の選手に動揺が広がらない事を願います。
 昨日の話になりますが、東海と関東甲信で梅雨が明けました。昨年より一日早い梅雨明けですが、梅雨入りが遅かった分、短い梅雨でした。
 佐倉は梅雨明け直前に纏まった雨でした。関東の水瓶である群馬県や栃木県のダムは満水でしょうか。
 この先も猛暑が続くようですし、傘マークも見えないので、いつもよりも水を大切にしたいですね。
 宮司が仰せつかっている役職の一つに保護司があります。非常勤の国家公務員扱いで、法務大臣所管になります。
 保護司とは犯罪を犯した人達の更生を主な役目として、仮出所や保護観察処分の対象者に定期的に面接を行ない、生活面や就職、学生の場合は学校生活や友達関係について相談やアドバイスをします。
 一期2年の任期で、75歳の定年まで再任を妨げない事になっております。
 ただし、任期中に刑罰を受けると再任が出来ない事もあり、また刑罰によってはそく退任のケースも。
 己の身を律するにも、大切な役目なのかもしれません・笑
 宮司は40歳で青年会議所を卒業してから、県内の先輩神職さんの勧めで保護司となりました。
 なにせ法務大臣所管で、刑罰に該当する対象者が相手の役目なので、自身の身辺調査も有ったようです。
 そこから今回で5回目かな再任辞令を頂きまして、辞令の法務大臣名は小泉龍司さんです。
 因みに初任の辞令交付大臣名は谷垣禎一さん。今は政界を引退していらっしゃいますが、時代の流れを感じます。
 保護司は都道府県の保護観察所と地域の保護司会に所属することになっており。宮司は千葉保護観察所並びに佐倉地区保護司会の所属です。
 佐倉地区保護司会は佐倉市・四街道市・酒々井町の保護司が所属し、法定定員は37名。
 しかし乍ら、現任は33名で充足率は89.2パーセントで定員割れの状態です。
 全国を見ても定員割れが常態化しており高齢化も進んでいて、保護司制度そのものも見直しの時期となっております。
 保護司の平均年齢は65.5歳。現在、宮司は51歳ですので、佐倉地区保護司会でも一番若いほう。これも約10年間ずっとです。
 保護司についてちょっとでも興味の有る方、是非下記のHPを覗いてみて下さい。
 人と人の繋がりが希薄な時代。他人の更生なんてとは思わず、社会を構成する一人としてご一緒に活動しませんか。

保護司と保護司組織(法務省)
https://www.moj.go.jp/hogo1/kouseihogoshinkou/hogo_hogo04-02.html
 
いざという時の心構えに [令和6年7月18日]

「確りと応急処置が」

「暑い中ありがとうございます」
 昨夕、京都より無事に帰倉しまして、その直前にヤマニ味噌さんの看板を期待したのですが、やはり日が暮れて見えませんでした。
 今回の上洛は八坂神社祇園祭の先祭山鉾巡行の拝観が主たる目的で、また大勢の観客をどのようにさばいているのか、人流の動きも見てきました。
 山鉾巡行は先祭と後祭の2回、それぞれ別の氏子町で行なわれ、先祭を拝観するのは初めてでした。
 因みに先祭の山鉾巡行は7月17日で、長刀鉾を先頭に殿の船鉾まで23の鉾と山が巡行します。
 後祭は同月24日に行なわれ、先頭は橋弁慶山で殿は大船鉾で、11の鉾と山が巡行します。
 今回の先祭山鉾巡行では、9番の鶏鉾が巡行意中に車輪が破損そるというトラブルが発生。
 また、16番の蟷螂山では飾り物でからくりのカマキリの左腕が取れるというハプニングが起こりました。
 蟷螂山は巡行には支障はありませんでしたが、鶏鉾は巡行を断念し10番以降の山鉾町に道を譲り、車輪を応急処置した上でバックで帰町しました。
 町内の方々には、残念という思いを通り越した物があったと拝察します。無念としか言いようがありませんよね。
 ただ、すぐさま安全確保に動き、事態を把握した上で後続の山鉾町に道を譲る。こういった動きが出来たのは、普段から町内の方々に連携がちゃんと出来ている証し。
 いざという時に感情に流されない冷静な判断、そして行動をすることの大切さを見た気がしました。
 今日の麻賀多神社の境内には、機械で石を切る音が響いております。
 当社の石工をお願いしている大崎石材店の大崎進一社長自ら、工事に当ってくれております。
 工事の場所は参道中段を上がったところで、敷石の何枚かを一旦剥がすのです。
 何のためにと言いますと、新社務所建設に合せて境内に防災井戸を掘る計画があります。
 その井戸から組み上げた水を、現在水道水を使用している手水舎に引き込むもので、参道下に配管を通すための工事です。
 新社務所は災害時に一部を避難所として開放する設計になっており、防災井戸もその一環です。
 普段は電気で水を汲み上げ、停電時には蓄電池、若しくは発電機を使う事も想定しているんですよ。この構想は新社務所の設計初期から持っていました。
 その理由としては、神社の鎮座している場所は概ね地盤が良い。それは当社も漏れないところでして、地盤調査をした結果は良好でした。
 防災井戸が防災井戸の役目を長く果たさないに越したことは有りませんが、いざという時に備えてなければ何も出来ない。
 元日に発災した能登半島地震支援では、未だに水の出ない地域もありますし、使っていない井戸を再利用した例も沢山有ります。
 まだまだ先の話になりますが、境内で飯盒を使ったご飯炊きもしてみたい。
 防災訓練という堅苦しい感じではなくて、いつかへの心構えを自然に醸成するような活動が、神社で出来ればと思います。
 
お中元でヤマニさんのお味噌 [令和6年7月17日]


 そろそろ梅雨明けの足音が聞こえてきました。子供達は夏休みも近くなり、下校で神社前を歩く子供達の声と足取りも、より軽やかになっているのが聞こえてきます。
 とは言うものの、日照りと局所の豪雨で畑の野菜が巨大化したり腐ったりと、やはり影響は出たいますね。
 夏野菜は水の加減一つで、ひと夜を越すと全く違う姿を見せまして、瑞々しいのか、はたまた味が薄く足が速いのかになりますので、農家の方はもとより家庭菜園、そして購入したものでも痛む前に早めに食べましょうね。
 7月も半ばを過ぎて、お中元もひと段落といったところでしょね。日本独特の文化の言われ、ひと頃よりも少なくなりましたが、今もお世話になった方への季節のご挨拶として行われております。
 お宮の世界におりますと、このような風習は根強いものがあり、人と人との関係が希薄になって来た今の世を思うと、その大切さをより感じるのです。
 お中元やお歳暮のやり取りは全国規模となりますが、やはり多いのは地元佐倉、また千葉県内でして、地元以上の地元の物を頂く事もままあります。
 その一つが「佐倉はお味噌の産地」がキャッチフレーズのヤマニ味噌。新しいサブタイトルとして「100年前から発酵中」と言うのもございます。
 佐倉市並木町に倉とお店を構えて、勿論麻賀多神社の氏子さん。秋の御例祭では大神輿がお店の前まで渡御を行います。
 現社長の藤川浩志さんには麻賀多神社の氏子総代と、その後には責任役員をお勤め頂きました。
 宮司家では朝御飯を炊くのは宮司が行いまして、美味しい御御御つけを作るのは禰宜画伯と役割分担。因みに「御御御つけ」と書いて「おみおつけ」と読みます。そこで使いますのがヤマニ味噌なんですよね。
 ヤマニさんのお味噌の特徴や創業理念は下記のHPをご覧頂きますとするに、うちはみんなヤマニさんのファンです。
 電車に乗りまして佐倉を出ますと、車窓から見える田圃の中にヤマニさんの赤い看板「佐倉はお味噌の産地です」が見えてきます。
 当然の事ながら、帰りも佐倉に到着する手前で見えるのですが、夕刻以降のことが多いのでハッキリとは見えずに。
 宮司と禰宜画伯、京都からの帰りで東海道線新幹線を品川で乗り換えて佐倉に向かっております。
 今日はいつもよりも早めの時間に帰倉となりますので、ヤマニさんの看板もギリギリ見えるかな。
 京都の街を一日よく歩きましたので、程よい以上に汗をかきました。明朝は美味しいヤマニさんのお味噌を使って、より美味しい御御御つけを禰宜画伯に作ってもらうと致しましょう。

※ ヤマニ味噌
https://www.yamanimiso.jp/information/3568/
 
寛政の幟 [令和6年7月16日]


 湿気が多いですが、先週までの茹だるような暑さがひと段落していますね。過ごしやすいとまでは行きませんが、梅雨明け間近かと言ったところかな。
 ただこれだけ温度差があると体調を崩しやすくなりますね。エアコンの温度設定も小まめに変えてみるのも良いでしょう。
 昨日は兼務の2社、酒々井町墨の六所神社と佐倉市上勝田の大宮神社で夏祭の奉仕を致しました。
 六所神社では今週末に夏祭で舞われる千葉県指定文化財「墨の獅子舞」が行われます。
 以前は祭典後に舞っていたのですが、社会状況の変化により週末に変更となったのです。
 ただ、伝統行事がなくなっていく中で、皆で知恵を出し合って伝統を繋いでいくその姿は、とても素晴らしいと宮司は思っております。
 続いての大宮神社。こちらは元々祭典のみですが、手作りの行燈が拝殿と境内の至る所に掲げられ、そこには洒落だ文言も墨書されています。
 例えば「臼から出たマグロ」や「お椀ひゃくまで、箸ゃくじゅうくまて」など。解説はいらないと思います・笑
 大宮神社では2月の春祈祷と昨日の夏祭の年2回の祭典に、神職が出向して神明奉仕を致します。
 その際に古い幟をいくつか拝殿と境内の灯籠に掲げるのですが、その一枚に記されている年号が「寛政十一年」なんです。
 西暦だと1799年で、幟の中央には「奉納大宮大権現宝前」と、また日常は「六月十五日」とあります。
 現在の太陽暦は明治5年の改暦で使われるようになりました。年によって違いますが、それまでの太陰暦より約1ヶ月早くなったんです。
 なので江戸時代は6月に行っていた夏祭を、明治の改暦以降は一月遅らせて今に到るわけですね。
 さて、幟に記された寛政という年号。歴史の教科書で言いますと幕府の老中である松平定信が行った「寛政の改革」が思い出されます。
 江戸時代に行われた三代改革、享保・寛政・天保の一つで、天明7年(1787)から 寛政5年(1793)まで行われました。
 改革の内容は割愛しまして、寛政年間の12年の間には島原での大噴火、島原大変肥後大迷惑や仙台沖を震源とする寛政地震が発災し、天災が続きました。
 明るい話題では浮世絵界に東洲斎写楽が登場し、伊能忠敬が初めて蝦夷地の測量をした。またお茶の伊右衛門で有名な京都福寿園が設立されたのもこの時代なんですね。
 一枚の古い幟でも、そこに書かれている文字一つを取って見えてくる広がりが面白いです。これからも大切にして行って欲しいですね。
 
乗ると載る [令和6年7月15日]

「のってます」
 九州北部と中国地方に線状降水帯が発生しているようです。この付近の方、またお出掛けを予定されている方、どうぞご安全にお願い致します。
 当地佐倉でも事前の予報に反して強めの雨が降ったりしており、大気が不安定な感じが致します。
 気圧の変化も有り、気象病をお持ちの方には辛い時間帯ですね。天候の回復を待つほかないのですが、耳を上に引っ張ったりすると症状が和らぐことも有りますので、試してみて下さい。
 今日は兼務である酒々井町墨の六所神社と、佐倉市上勝田の大宮神社で夏祭を奉仕して参ります。
 同日としては酒々井町馬橋の香取神社も夏祭があるのですが、獅子舞を行なう関係で20日に祭典が齋行となります。
 先程出向する社用車に祭器具などを積みに行ったのですが、狛猫さんが屋根の上に乗っておりました。
 ここ数日、新社務所建設のために境内西側で抜根作業が行なわれておりました。
 以前は狛猫達が日向ぼっこをする姿が見られたのですが、このところは御殿の方に移動しているみたいですね。
 社用車の屋根に乗っている狛猫さん、神社のSNSにも掲載したのですが、無意識に「乗る」と書いて、はて、「のる」には「乗る」と「載る」があるけれど、車の屋根に猫が「のる」のはどちらの感じなんだろうと・・・
 なんだか小学生みたいな疑問ですが、神主は祝詞の作文も行なう物書きでもありますので、一つ調べてみるコットにしました。
 先ずは「乗る」ですが、基本的に人や動物が何かの上に上がる、または乗り物の中に入る際に使います。
 次に「載る」ですが、モノが何かの上に上がっていたり乗り物に入る場合に使うんだそうです。
 鉄道や車に乗る、雑誌に載る、まあ基本的にこんな感じなのは知っておりますが、じゃあ「乗り物の中に入る」と「乗り物に入る」の違いってなに?
 要は「人や動物」と「モノ」って何だろうと、調べると細かいニュアンスがよく判らなくなって来ちゃって・苦笑
 そもそも「モノ」っていう概念はどう理解したら良いのか・・・
 今回の狛猫さんの場合は「乗る」で良いという感じですよね、たぶん。
 
お稲荷様のアイスコーヒー [令和6年7月14日]

「開墾稲荷神社」

「御社紋は三つ葉葵」

「喉も潤い」
 また銃で民主主義を冒涜する事件が起こってしまいました。日本時間の今朝7時11分頃、アメリカ大統領選挙に立候補予定のトランプ前大統領が演説中に銃で撃たれたのです。
 本人は右耳に銃弾が当るも、冷静な姿勢を見せ、握り拳を立てて無事をアピール。
 ただ、他にも怪我人と亡くなった方もいるようです。
 日本でも2年前には安倍元首相が凶弾に倒れ、岸田首相も改造拳銃で襲われました。
 トランプ氏が所属する米共和党は銃規制に反対の立場ですが、これを皮肉とみるのか、または銃撃があっても銃規制反対の立場を貫くのか、注視したいと思います。
 いずれにしても、銃や暴力で民主主義の根幹たる選挙妨害をするのは、卑劣以外の何ものでもありません。
 日本でも選挙制度自体に疑問符がつき、そこまではしないだろうという常識論も空虚となってきました。
 民主主義が揺るいで一番喜ぶのは、その反対側にいる勢力ですから、より注意をしないと。
 このところ慌ただしく活動させて頂いておりますが、今日って三連休の中日なんですね。どうりで御朱印やら御守を受ける方が多いわけだと。
 今日の宮司、午前9時半よりユーカリが丘の高層マンション、24階でリフォーム開始の安全祈願祭を奉仕して、その足で富里市七栄に移動しました。
 七栄は兼務社の紅葉山稲荷神社がありまして、その氏子総代会の定例総会に先立ち、毎年この時期にお祓いを行なっています。
 その場所は稲荷神社ではなく、不思議な感じもしますが、個人宅の廷内社なんです。
 国道296号線と同409号線の交差する南七栄の交差点。こちらに石川邸が有り、邸内に鎮座する開墾稲荷神社とその向かいのお宅の稲荷神社で祭典を行います。
 何故この2軒のお宅なのかと言いますと、明治3年に七栄を開墾するにあたり、この場所から鍬入れが始まった事によります。
 その際に開墾地の中心に鎮座したのが、現在の紅葉山稲荷神社でして、江戸城無血開城までは城内の紅葉山に鎮座しておりました。
 何故にそのお社が七栄にと言うことなんですが、無血開城の折に佐倉藩士が稲荷神社の御神体や燭台や釣り灯籠を佐倉に持って来てしまったんです。
 ご一新となって無職と化した武士は刀を鍬に持ち替えて新たな開墾生活に入り、武士の頭領である将軍がお参りした神社をフロンティアスピリッツにした訳です。
 重機も無い時代です。開墾にまでは考えられないくらいの労力と苦悩が有ったことでしょう。
 その往時を偲ぶ、今日のお祓いはそんな七栄の歴史を紡ぐ祭典でも有るのです。
 梅雨時期の祭典ですが、今まででも大雨になった事は有りませんで、降ってもポツポツくらい。
 今日も雨予報でしたが、蒸し暑くも曇天で済みました。
 石川さんの敷地内にはマクドナルドが有りまして、毎回帰り足にアイスコーヒーとアップルパイを2セットお土産に頂きます。
 当社ではこのアイスコーヒーを「お稲荷様のアイスコーヒー」と呼んでおりまして、帰社中の車内で直会よろしく喉を潤して頂きます。
 そうそう、紅葉山稲荷神社の御社紋は徳川将軍家と同じく「三つ葉葵」で、先述の燭台や釣り灯籠にも御紋が入っているんですよ。
 
押尾さん叙勲祝賀会 [令和6年7月13日]

「花束贈呈」
 今日は晴れ間の多かった佐倉です。昨日は結構な降りで、境内の地面もひび割れが無くなっていました。
 愛媛県松山市で発災した土砂崩れ。なんと松山城の天守間近から一気に山の下に土砂が落ちたのですね。
 3名の方が行方不明になっていると報道にあります。土砂災害の警報が発令されていたとは言え、未明の発災は警報などの情報を確認するには余りにも時間帯が悪い。
 この七峯でも度々ですが、早めの避難を呼びかけております。でもねぇ・・・
 昨夕の話になりますが、明治神宮から佐倉に蜻蛉返りをして、一旦帰社。
 改服を済ませて、この春に旭日双光章を受章された押尾豊幸さんの叙勲祝賀会に出席して参りました。
 叙勲当日にも七峯に記したのですが、押尾さんは宮司が兼務している本町神明大神社の責任役員で、また千葉県神社総代会印旛支部の会長も務められております。
 叙勲理由は地方自治で、5期20年務めた佐倉市議会議員の功績が主となっております。
 宮司も功績推薦書を書いて欲しいと当局より依頼があり、神社界や席を同じくする佐倉ライオンズクラブでの活動を記させて頂きました。ちょっとはお役に立ったでしょか・笑
 今回の祝賀会は神社庁印旛支部と同総代会の有志で行ない、設定は総代会幹事である八街神社の大野宮司さんが行なってくれました。
 開会に当って宮司は主催者挨拶を、また乾杯の発声は総代会前会長の小那木顧問にして頂きました・
 賑やかな中に時間も過ぎ、散会前にはこちらも総代会幹事の臼井八幡社宮司の齊藤さんから花束の贈呈があり、お開きとなりました。
 押尾さんは今年から佐倉市スポーツ協会、以前の名称は佐倉市体育協会ですが、その会長職も引き受けられ、益々ご活躍の場が広がってきました。
 どうぞこれからもご健勝で、各方面のお役目をお励み頂きたく思います。
 改めまして、この度の叙勲誠におめでとうございます!!
 
雨の明治神宮 [令和6年7月12日]


 梅雨が戻ってきましたね。空梅雨の前明けてしまうのではと、このままで今夏は水不足かもと心配をしておりましたが、関東は今のところ程よいお湿りになっております。
 今日から佐原八坂神社の祇園祭。八坂神社より御神輿と氏子10町より山車が曳き出されて、多くの人出が見込まれます。
 お祭りには生憎の空模様ですが、どうにか曇りまで回復して、立派な渡御と山車の曳き廻しを行って欲しいですね。
 昨夜は社務の後に新宿迄出まして、同級生達と旧交を温めました。宮司も色々な繋がりがありますが、同級生というのは一から全部を説明しなくても、あったその場で懐かしい話から始まり、そこからの発展が楽しい。
 まあ、歳をとったというか、いろんな経験を積んで今がある事に感謝しつつ、その地盤は幼き頃の友である事にも有り難さを思うのです。
 しかしまあ、今の新宿、それも歌舞伎町界隈は本当にカオス。珍獣のオンパレードにそれを見に来たであろうインバウンドが混ざって。
 大人の街の歌舞伎町はもはや過去の話で、集う者の低年齢化とセクシャリティの混迷を、街を通過するだけで味わう事ができます・笑
 そりゃ犯罪も増えるよなぁと思いつつ、鳥鍋を叩いて程よいところで散会となりました。
 で、これも大事なのですが、東京まで出張りましたのは、明治神宮で開催された「一都七県神社庁連合会主催 第69回中堅神職研修会」の閉講式に、千葉県神社庁の教化担当部長として参列する為なんです。
 神職はその資格を取得して、神社にご奉仕したらそれで良いわけでは無く、日々の神明奉仕に加えて自己研鑽を積む事が求められます。
 中堅神職研修会は文字通り、神職として神社に任用となり奉仕を重ねた方々が、次へのステップに進む為の研修会。
 一回4泊5日の日程で地方では甲と乙、その後に神社本庁総合研究所主催による伊勢の地で丙と丁の、合計4回を受講する事になります。
 かく言う宮司も30代の頃にこの研修会を受講しまして、その頃は神道青年全国協議会の理事と千葉県神社庁印旛支部事務長、そして佐倉青年会議所監事と色んな役職を頂きつつ、よくも受講が出来たもんだと。
 それもこれも、留守を預かる禰宜画伯を筆頭にする職員のお陰だと、今でも感謝しております。
 今日は9時過ぎに新宿を出まして明治神宮へ。お気に入りの折りたたみ傘を挿しつつ、昨夜のわい雑さを感じさせない新宿の街を歩きつつ駅へ。
 山手線線で原宿まで行って、神宮橋から明治神宮の境内に入りますが、見るとかほとんど外人さんばっかり。
 研修会場の明治神宮会館で他県の役員さん方と合流して、一通りのご挨拶の後に、受講生達と共に御本殿大前で正式参拝をして閉講式に参列しました。
 そして今は帰りの総武線快速電車の車内。佐倉囃子にとんぼ返りをしまして、今春に旭日双光章を受けた押尾豊幸さんの祝賀会に参列してきますね。
 
赤筋山百合になりました [令和6年7月11日]

「赤筋山百合です。たぶん」
 都知事選挙から4日が経ちますが、まあ2位と3位になった方、要するに落選した方の評価が日に日に悪くなっていく。
 当選した方の話よりも、落選者の方が目立つ異常な状況になっております。
 面倒くさいのでこの話題は、今日のところはここまでにしますが、ちょっとネットを覗く、いくつかのサイトを見るだけでも、踊らされた方がいかに多かったのかが判ります。
 もちろん、現職に対しての批判もあるのですが、既に3期目のお仕事に入っているので、いちいちコメントを出すこともないでしょう。
 暫くは笑うに笑えない、でも笑っちゃうような記事が上がることと思われます。酷い選挙だったと言うことです。
 ここまでお読みになった方も余り心地良い気分にはなっていないと思いますので、お口直しに綺麗な百合のお話を書きますね。
 境内東側に鎮座する摂社の三峯神社。麻賀多神社の御祭神「稚産霊命・わかむすびのみこと」様の祖父母、伊弉諾尊(いざなぎのみこと)と伊弉冉尊(いざなみのみこと)をお祀りしている小さな祠があります。
 この周りには色んな種類の植物が植わっておりまして、宮司が就任してから植栽したものや、それ以前から有ったもの。そしていつの間にか姿を現したものの3通りに分類されます。
 植栽したものでは真榊や八重山吹。植栽したけどいつの間にか無くなってしまった沈丁花など。
 以前よりだと、欅や山茶花、紅葉などの樹木が多いですね。
 そして「いつの間にか」系ですが、蕗や千両と万両、水引草などがありまして、今一番賑やかに大輪の華を沢山咲かせているのが百合です。
 七峯で百合を取り上げることは何回か有りまして、鉄砲百合と高砂百合が自然交配した新鉄砲がそれにあたります。
 今回取り上げるのは、多分ですが花名を「赤筋山百合」と言いまして、漢字だとオドロオドロしいのですが、平仮名にすると「あかすじやまゆり」と読みます。
 多分としたのは、宮司は百合の知識が余りありませんで、ネットで調べても良く似た種類が沢山出てくる。
 Googleレンズという画像を調べるアプリケーションを使っても、良く似たのが、そしてちょっとずつ違うのが出てきて班別が着かない。
 そんなこんなで、神社のSNS(FacebookとInstagram)に上げたところ、埼玉県の宮司さんが「あかすじやまゆりだと思うよ」って書き込んでくれました。
 そしてそのワードを検索してみると、出てく画像は三峯神社の裏手に生えている百合とほぼ一緒。
 なのでこれからは「白の中に赤とピンクが混ざった筋が入っている百合」から、「ああ、あの綺麗な百合は赤筋山百合って言うんですよ」と説明することに致します。
 百合って自然交配が結構多くて、また園芸種で改良されたものも多く、花弁がちょっと違うだけで花名も変わってくる。
 もし赤筋山百合でないことが判明しましたら、それはそれで七峯の話題にもなりますので、百合に詳しい御仁からのご指摘もお待ちしております。
 しかしまあ、毎年本当に綺麗に咲くんです。そして綺麗なあなたはどこから来たのでしょうか・・・
 
神輿倉解体 [令和6年7月10日]

「解体作業中です」
 日本海側で梅雨前線が悪戯というか、暴れているようで、島根県出雲市の日御碕地区では県道が崩落したと報道にありました。
 日御碕は岬の突端になりまして、そこには日御碕神社が鎮座しております。
 宮司は氏子総代旅行と家族旅行で2回お参りをさせて頂きました。
 その時通った県道が崩落した模様で、あの場所に行くにはこの県道しかないので、現在は孤立状態になっています。
 ただ、電気や水道は通じているということですが、食料や日常に服用している薬品の不足が気になります。
 海から運ぶのか、それともヘリコプターで空から運ぶのか。いずれにしても県道の復旧が待たれますね。
 今日も朝から暑かった佐倉。午後からは余計に蒸し暑くなってきましたが、スマートフォンの天気予報を見ると、晴れマークが続いていたのが、いつの間にか曇りと小さい傘マークが並ぶように変わっておりました。
 梅雨の復活なのかな。豪雨にならないことを願いますよね。
 いよいよですが、新社務所建設に伴う神輿倉解体の日がやって来ました。
 当社の神輿倉は土蔵作りで、両脇の袖倉は木造で後から付けられました。
 解体の前には新社務所建築予定地付近の低木の伐採が有り、本殿裏手に植栽してあった真榊数本と梅の木2本、そして椿も片付ける事に。
 生きているものに刃を入れるのは本当に忍びないです。真榊と梅は宮司に就任して5年くらい経った頃でしょうか、禰宜画伯と当時小学生だった智勇権禰宜と一緒に植えたもの。
 椿も神社にお手伝いに来てくれていた方が、ちょくちょく剪定をして綺麗な花を咲かせていました。
 伐採の後を見て本当に申し訳なく、真榊は玉串に取れるところを見繕って、最後まで大切に使わせて頂きます。
 神輿倉本体は屋根のトタン剥がしから始り、埃除けの水を掛けつつ重機で丁寧に解体していきました。
 そして残材はトラックに綺麗に積み込まれ、処分場へ進みます。
 宮司、午後から所用で小一時間ほど外出したのですが、JR佐倉駅近くで当社境内から搬出した残材のトラックが目の前を走って行った。
 お疲れ様というか、ありがとうというか、目頭が熱くなりました。うん、やっぱりありがとうだな。
 解体は神輿倉向かって右側の袖倉から始り本体へ。そして左袖倉へと進んで行ったのですが、実は左袖の天上板は芳名版が使われており、それは保存したいので手作業で解体してくれました。
 この芳名版については、後日に記したいと思いますが、色んな発見が有りびくりしました。
 今日一日で神輿倉の解体はほぼ完了で、明日からは残材の残りの撤去と、抜根作業に入るそうです。
 予定では今月末頃に地鎮祭が出来るかな。建設業者さんとの打ち合わせも実務的な話に移ってきました。

※ 新社務所本体建設に伴い、境内西側と本殿裏の一部が進入禁止エリアとなります。
皆さんには工事安全にご協力を、重ねてお願い致します。