七峯の丘から
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御例祭、西へ東へ [令和1年10月19日]
 昨日、御例祭を奉仕した富里市七栄の紅葉山稲荷神社。今日から2日間、例祭の附け祭りである「七栄親子まつり」が行なわれます。
 今朝8時より境内にて、山車(人形が乗ってないので正式には曳き廻し屋台)と子供神輿の運行安全祈願祭を齋行。
 ひとしきり雨が降っておりましたが、それも段々と小降りになり、賑やかに出発しました。
 ここで宮司はいったん帰社し、書類仕事をしながら次へ出向するまでの時間調整。
 今日は御例祭直後の大安の土曜日。初宮詣を始め諸祈願が続き、特に七五三詣が本格的に始まりました。
 午前中の祈祷が終了したのを見届けて、宮司は四街道市鹿渡の香取神社に出向し、御例祭の奉仕。
 鹿渡には江戸時代の御神輿があり、現在は飾り神輿として例祭中は拝殿に飾られますが、大正期までは渡御が行なわれ、現在のJR四街道駅近くに御旅所が設けられ、御神酒所も出るなど、かなり大掛かりに祭礼が行なわれていました。
 その写真が拝殿に飾られており、その写真を見る度、またこのように出来たらいいなと思うのです。
 その帰りに1件地鎮祭を奉仕し帰社。なんとも慌ただしくも充実した一日を過ごしました。
 現在、午後5時半。麻賀多様の境内にある神輿蔵では鏑木青年会の手により大神輿の仕舞いが行なわれています。
 今年は台風の来襲により渡御が中止となりましたが、来年はより厳かに、より賑々しく渡御を行ないたく、仕舞い後に神社隣の房州屋にて花流しに代わる一席を設けてあります。
 青年会の大世話役、世話役、そして棒頭達と一献傾けながら、来年へ向けて準備開始の号砲を打ちます。

七栄、これより曳き出し

鹿渡の神饌

鹿渡御神輿の古写真

大神輿仕舞い中
 
七栄御例祭と開拓150年 [令和1年10月18日]
 なんでもまた台風が発生したとかで、予想進路図を見ると今回は来ないように思えますが、用心に越したことはありませんね。
 台風19号により当社を始め兼務神社においても御例祭関係の諸行事が変更、若しくは中止となった所が多いです。
 その1つが13日に富里市七栄鎮座の紅葉山稲荷神社境内に於いて開催する予定だった「七栄開拓150年記念碑」の除幕式です。
 千葉県内には江戸時代に馬の放牧場として佐倉牧や小金牧が設けられ、明治になり順番に開墾がなされました。
 一番最初は鎌ケ谷市の初富で以下13番目の十余三(成田市や多古町)まで開墾順に数字が地名に折り込まれています。
 文字通り七栄は7番目に開墾されたのでして、明治2年の開墾より今年が150年という訳です。
 当日は台風が通過し晴天になりましたが、除幕式後の記念式典と祝賀会が屋外開催だったため台風通過を鑑み中止となりました。
 今日はその紅葉山稲荷神社の例大祭。本来は17日が例祭日ですが、土日に開催される七栄親子まつりの前日の金曜日に祭典を行っています。
 祭典に先立ち、先述の除幕式を行なうことになり、記念碑前にて修祓を行ない、神社と七栄区の役員、五十嵐博文富里市長、高橋ゆうこ県議が紅白の綱を引き「未来永劫」と揮毫された伊達冠石の立派な記念碑が姿を現しました。
 伊達冠石は宮城県丸森町の大蔵山でしか産出されない希少な石。世界的な彫刻家のイサム・ノグチが愛した石としても知られています。
 この石が選定されるには色々なご縁があり、司会よりその説明もされました。
 また記念碑作成と建立作業は地元の横尾石材店が担当したのですが、ご多分に漏れず小予算でして、基礎工事や御影石の枠などは横尾さんより寄贈を頂きました。
 刻まれた「未来永劫」の文字。原野に近かった牧が武士が刀を鍬に持ち替え七栄に生まれ変わり、その地が永久に栄えるようにとの願いが込められています。
 因みに50年前の開拓100年の際は先代宮司が奉仕をしました。境内に順に記念碑が並んでいるのは、稲荷神社が七栄のヘソだからです。
 さて、除幕式も無事済んで除幕式の参列者がそのまま御殿に移動し例祭の祭典を齋行。
 紅葉山稲荷神社は10月の例祭と2月の二の午祭に神職が出向し祭典を行いますが、その際に神饌で献ぜられる野菜類は全て富里産。
 この2回の台風で品薄感があるにもかかわらず、今日も立派な野菜が上がりました。
 街としての発展と基幹産業である農業の両輪がこれからも上手くいき、七栄独自の進化を遂げられるよう祈念します。

除幕した記念碑



神饌の野菜は富里産
 
納め翌日の行事 [令和1年10月17日]
 昨日の七峯の最後に記しましたが、本日の朝拝の後に宮司宅の御祭礼軒提灯を下げました。
 「お祭りは昨日までじゃないの?」と思われる方もいらっしゃると存じますが、本来の御例祭3日間の翌日は伊勢の神宮で神嘗祭が齋行され、そのための御燈明として明け方まで灯を点けているのです。
 神嘗祭とは昔の税「租」の納め始である9月(現在は10月)に新穀を神へ御供えしたのが始まりで、現在は神社の中心である神宮と宮中にて祭典が行われ、全国の神社では神嘗祭当日祭が行なわれます。
 当社では神嘗祭当日祭としては祭典を齋行していませんが、神宮遙拝と先述の御燈明たる軒提灯でその代わりとしております。
 さて、当社に於いては17日にもう一つ大事な行事があります。
 それは御例祭を無事に納めた報告を佐倉藩主家である堀田様と当社の責任役員へ報告に上がることです。
 先ず、御殿より神饌をお下げして持参する撤下饌を準備します。
 それを携えて最初に堀田様へ参向し持参した撤下饌をお渡しして、お御当主へ上記のことを報告申し上げ、します。
 その後、母屋奥にある歴代藩主並びに姫君方のお墓に報告参拝をします。
 参拝終了後は責任役員宅三件を周り同じく撤下饌をお渡ししご挨拶します。
 これを持って今年の御例祭神事に関する行事は全て終了となります。
 いずれの方々も今回の台風による神事と祭事への影響に対してひとかたならぬご心配を頂き、温かい労いの言葉を頂戴しました。
 明日以降も兼務社の御例祭が続きますが、先ずは一安心。気がダレることなく御奉仕を致します。

堀田家墓所の狛犬さん


 
御例祭納めの日に講話 [令和1年10月16日]
 本来の例祭日の最後、16日を迎えました。宮司宅の御祭礼軒提灯はそよ風に吹かれてゆーっくりと揺れています。
 台風19号による被害。特に河川の決壊による被害が多く報じられています。
 当地佐倉は印旛沼に接しているほか、鹿島川と高崎川に挟まれているので、JRや京成佐倉駅は過去に何度も水害に遭っていますが、今回はそれを免れました。
 ただ、千葉県内はもとより他県に於いても2つの台風で甚大な被害が出ております。
 被災された方々にお見舞い申し上げますと共に、当社でも何か出来ることがないかと模索中です。
 さて、今日は祭典で着装した装束の陰干しが済んだので畳紙(たとうし)に仕舞う作業を行ない、午後からは年2回講話を担当している介護施設の佐倉ホワイエに出向してきました。
 今回のお話しは「お米」について。神主の話ですので栄養価とかではなく、日本に入ってきた歴史や神事との兼ね合いについてです。
 日本人の主食はお米なのは言うまでもありませんが、天照大神の「斎庭(ゆにわ)の稲穂の神勅 」から始まっており、それが天皇陛下が自ら行なわれる稲作へと繋がっています。
 なので神事においても一番先に御供えするのはお米であり、お米で作ったお餅やお酒と続きます。
 また来月に齋行される大嘗祭でも悠紀国(今回は栃木県)と主基国(同京都府)で収穫されたお米が神饌となり献ぜられる事もお話ししました。
 食は命に繋がります。命の字を分解すると「令」と「口」になります。
 令は神職を表し、文字の上部「人」は帽子。私達が被る烏帽子を想像して頂くとよいでしょう。
 その神職に口がつくと祝詞奏上になり、祭典後の直会で神饌のお下がりを頂く姿になります。
 要するに神様に五穀豊穣の感謝や撤下饌を食すことによって神様のお力を頂くという祭典奉仕の姿なのです。
 その中心となるお米。その一粒一粒にも御霊が宿っている。
 御霊は命です。なので食事する際にはその命を「いただきます」なのです。
 介護施設利用の方々にお話しする際は身近な出来事などに例えたりして、なるべく平易にするようにしています。
 今回は少し難しい内容でしたが、皆さん「うんうん」と聴いて下さいました。
 宮司家の軒提灯は明日の朝に下げるのが慣わしになっています。
 その理由などは明日の七峯にお書きすることに致しましょう。

一曲歌っているみたいですね

ゆ〜らゆら
 
大神輿拝観中 [令和1年10月15日]
 昨日までの境内の賑やかさから平素の状態に戻りました。なんだか寂しいようなホッとしたような。
 でも耳の奥ではお囃子の音が微かに響いております。毎年恒例ですが祭りの後を感じる瞬間です。
 でもちょっと待って下さい。当社本来の例祭日は10月14〜16日。
 今日はその中日にあたるわけで、明日の夕拝をもって今年の例大祭の納めとなります。
 ご多分に漏れず当地佐倉と当社も例祭行事を行なうに、週末である10月第二金曜日からの3日間としております。
 ですから年によっては御例祭の態勢が約一週間近いことになります。
 通常ですと大神輿の渡御がある年はその3日目を持って、飾り綱や金具等を取り外し一年間の就寝になりますが、今年は台風の影響で渡御が前々日に中止決定となってしまったので、御例祭納めの明日16日まで御神輿蔵にて拝観が出来るようになっております。
 普段近くでは見ることの出来ない麻賀多様の大神輿。千葉県内最大級ともいわれる天保14年に作成された大神輿をどうぞ見に来て下さい。
 今日は本来の例祭日で祭典を齋行している酒々井町の上宿八坂神社、下宿麻賀多神社、横町朝日神社、下台麻賀多神社、そして墨六所神社の御例祭。
 智勇権禰宜が出向し、先程滞りなく納めたと言う事で帰社しました。
 なので久々に宮司宅で3人と4匹揃って夕餉を頂きます。おかずは何かな?

狛猫達も無事です
 
鎮守の杜のお祭り2日目 [令和1年10月14日]
 大神輿の渡御、また昨日納めた金幣奉持もそうなのですが、装束を身に纏い奉仕として歩くと緊張しているせいか、同じ距離を歩くより翌朝の身体の強張りが違います。
 生き狛犬の珠京とほぼ同じ距離を氏子町パトロールして、体力作りを気に掛けていたのですが、やはり今朝は若干からだが重いです。
 そうは言っても、今日は「鎮守の杜のお祭り」2日目。
 空模様が気になりましたが、テントを張り雨対策をして始まりました。
 昨日よりも人のでは少ないですが、色とりどりの町内袢纏が入れ替わり立ち替わり、佐倉囃子を演奏していきます。
 境内では市内城でイタリアンを営んでいる「ズッカ」さんも昨日に引き続いて出店してくれました。
初宮詣や七五三詣で来社した方には、お祭り中止と聞いていたのに、お囃子や踊りが見られて感動しましたと。嬉しいですね。
途中、雨少し強くなったので演奏場所を拝殿に移動。
 拝殿でのお囃子演奏は約20年振りで、札訛りは居ることの出来ない場所で演奏することになり、子供達はもとより大人でもビックリと感嘆と緊張が入り交じったような感じになりました。
 お昼過ぎに表町一連隊が到着。お囃子と手踊りを披露。
 そこに田町の一連隊も合流して、普段は見られない表町と田町の踊りセッションが行なわれ、段々とヒートアップ。
 いつの間にやら境内に居た若手が輪になり、曳き廻し掛け声である「エッサのコラサのエッサッサー」と拍子を取ってぐるぐる回り始めたではありませんか!?
 周りも「いいぞ!いいぞ!」と囃し立て、その様子を和やかに見ていた宮司ですが、どなたとは申しませんが後ろから押す方がいて、結局その輪に入ってしまいました・笑
 結局午後4時までお囃子が鳴り止むことはなく、〆の囃子として佐倉囃子保存会の一軍の方々に演奏して頂き納めとなりました。
 佐倉のお祭りは「八平手」が要。必ずこれをしないといけない大事なもの。
 今回は宮司が八平手の発声をして2日間の「鎮守の杜のお祭り」を納めました。
 急なこととは言え、皆主催者のように動いてくれました。
 どうしても町内単位や学校のクラス単位でしか繋がりが持てない時代。今回は縦横斜めの繋がりが出来たのではないでしょうか。
 実は来年のお祭りに向けて動き始めていることがあります。
 「鎮守の杜のお祭り」、この2日間で得たものを次に繋げてまいります。今回だけでは勿体ない!
 皆さん、ご来社、演奏、手踊り、囃し立て、賑やかせ、本当にありがとうございました!!

みんないっちょ前

表町手踊り

動画がアップ出来ればなぁ

表町の皆さん

ズッカさん、ごちそうさまでした!
 
金幣奉持と鎮守の杜のお祭り [令和1年10月13日]
 台風19号の上陸により東日本は各地で被害が出ている模様です。
 当社に於いては15号ほどの落枝もなく、職員総出で約1時間ほどで境内清掃が終了しました。
 千葉県では15号ほどの強風ではありませんでしたが、仮設の屋根やブルーシートが飛ばされたところもあります。
 全国でも今後、被害状況が判ってくると思われ、既に人命に関わる事態ですので、被害が拡大しないことを願うばかりです。
 さて、御例祭3日目は「鎮守の杜のお祭り」と称して、皆んな麻賀多様に集まって佐倉囃子にあわせ踊って歌って呑んじゃおう!という企画をすることになりました。
 これは祭事の中止が決まった9日の夜も夜。午後10時過ぎでしたが、祭事中止でも何かやりたいと考え、佐倉囃子保存会の平野雄一さんに電話を入れ、相談し協力を仰いだもの。
 神社役員や氏子町祭礼委員会、また実務を取り仕切ってくれている秋祭り実行委員会という組織ではなく、お祭り好き、お囃子好き、盛り上がるの好き、兎に角今年のお祭りで何かやりたい!という方々の自由参加で、とりあえずSNSで開催情報を流し、それを見た人達がラインなどのツールで拡散したもの。
 10時頃より境内でお囃子を始めて、その音を聞いた人がまた集まってくる。そういう感じにしました。
 不安の中でその時間を迎えましたが、色とりどりの町内袢纏を着た人達がぞろぞろと集まって、そこに佐倉イズムという若手飲食店経営の皆さんも急遽出店が決まりと、段々と思っている以上に形が出来上がってきました。
 佐倉囃子のいいところは、町内が違ってもお囃子が出来れば「仁羽」というメインの曲が老若男女問わず全員出来ること。
 町内が別で普段は一緒に演奏することがなくても、このようなときには直ぐにセッションが可能なのです。
 始まってみたら境内は人集り。仁羽を中心に演奏がなされ、午後4時までほぼ途切れることなくお囃子の音が境内から奏でられ続けました。
 その盛り上がりを見つつ、「金幣奉持」を宮司始め神職と大年番と責任役員、そして佐倉藩主家当代の堀田正典様にも御奉仕頂き神社を出立しました。
 今夜は栄町、仲町、肴町、弥勒町、野狐台町、間之町の順に進み、約100年振りとなる袋町へ下る神幸路を参進しました。
 各町内では即席のお囃子台を設け金幣御到着の際と出立の際に、賑やかに演奏してくれ、曳き廻しが行なわれる本番さながらの様相が繰り広げられました。
 初日にお迎え頂いた二番町でも再び接待を頂き、最後の休憩は上町。
 日本武尊山車人形に見送られ、神社前では初日と本日出立時と同じく宮小路町第一の皆さんがお囃子を奏でお迎え。そしてお見送りを頂き、金幣奉持は滞りなく麻賀多神社に御到着。
 そして御殿にて金幣振りを3回行ない御本殿にお戻りになりました。
 氏子の皆さん、一年に一度の大神輿渡御を本当に心待ちにしてくれています。俺たちの祭りは麻賀多様の祭りなんだと口々に話してくれました。
 来年は渡御、そして山車や御神酒所の曳き廻しが無事に行えるよう、諸準備を始めましょう!
 で、明日も「鎮守の杜のお祭り」を開催します。ちょっと天気が心配ですが、やりますよ!

袢纏はそれぞれでも息はぴったり

順番まだかな

仲町は手古舞さんも来てくれました!

金幣拝受

新町通りを参進します

袋町の坂を下ります

野狐台町にて
 
風雨の音を聞きながら [令和1年10月12日]
 御例祭2日目は既に朝から雨です。時折強風や豪雨に見舞われましたが、城麻賀多神社の大祭式も滞りなく齋行しました。
 本来であれば城麻賀多神社から六崎の御神輿に御霊代をお乗せして渡御となるのですが、こちらも明日の奉納相撲と合わせて中止決定がなされています。
 禰宜は智勇権禰宜と共に酒々井町上本佐倉の白山大神社の大祭式を奉仕。
 突風によりドアに指を挟まれてしまい、腫れ上がってしまいました。
 今夜は台風19号が本州に上陸するとみられます。
 千葉県は先月の15号で痛手を受けており、これ以上の被害拡大は勘弁して貰いたい。
 さて、明日は台風の影響次第ですが、境内で佐倉囃子の演奏をする予定です。
 佐倉囃子は各町内それぞれの人が混合となっても代表曲「仁羽」が演奏できるようになっています。
 一年間一生懸命にお稽古をしたお囃子。台風による突然の中止決定でショックを受けた人が沢山おります。
 その人達はもとよりお祭りを心待ちにしていた皆さんに鎮守の杜で麻賀多様と楽しいお祭りを致しましょう!
 日程は13,14日の2日間。時間は10時くらいから16時あたりまでと緩い感じでやっております。
 また市内のレストラン数店の出店も調整中です。
 皆さんもお時間がありましたら、是非鏑木の麻賀多神社におこし下さいね!!

静かな御例祭2日目の夜
 
御例祭と金幣奉持 [令和1年10月11日]
 令和最初の御例祭日を迎えました。午前6時に朝拝し、大神輿の飾り付けが鏑木青年会の手により行なわれました。
 昨日の七峯でもご報告したとおり、台風19号の来週を鑑み、宮司と秋祭り実行委員会、そして全町の祭礼委員長が臨時会議を開き大神輿渡御を始とした祭事が中止となりました。
 御例祭の3日間の祭事全部が中止となるのは当社の歴史上初めてのことと思われます。
 さて、午後1時半より麻賀多神社例大祭の大祭式を佐倉藩主家当代の堀田正典様を始め多くのご来賓の参列を頂き、滞りなく齋行しました。
 また、来賓には赤坂日枝神社、金沢石浦神社、福井藤島神社よりもご参列を頂き、ました。
 上記の通り大神輿の渡御は有りませんが、神輿蔵で16日迄拝観を行ないます。
 また金幣に麻賀多様を頂き、本来の渡御神幸路を奉持して進む「金幣奉持」を行ない、浜下祭の鏑木樋之口橋まで参進。
 神幸列は大年番、金幣奉持の智勇権禰宜、宮司、大年番、責任役員の順で進み、来賓の石浦神社長谷宮司、藤島神社新田宮司親子も御奉仕下さいました。
 途中、宮小路町第一、同第二、鏑木町各町、並木町、横町、裏新町第一、二番町と氏子総代や役員、また子供さんのお迎えを頂きました。
 明日は台風が最も接近する予報となっております。
 氏子町はもとより国内での被害が少なく収まることを願わずにはいられません。
 氏子さん方の麻賀多様にたいする崇敬の念をひしひしと感じることが出来た初日です。

大祭式

金幣奉持出立

樋之口橋上まで
 
珠京の新町パトロール [令和1年10月9日]
 親バカな話ですが、犬って飼い主の表情をよく見ているんですね。
 このところ御例祭期間に来襲するであろう、と言うかほぼ確定の台風19号への対応で日に日に疲労が溜まっているのが判ります。
 その様子を見たのでしょう。生き狛犬達が顔をのぞきに来たり、指を舐めに来たり。要するに心配してくれているんです。
 ただの構ってちゃんかも知れませんが、でもそれはそれで嬉しいものです。
 御例祭の氏子町の対応ですが、本日の段階で肴町が全日程中止と連絡がありました。
 今日の夜7時から佐倉の秋祭り実行委員会の臨時会議が行なわれ、そこで態勢が決まるものと思われます。
 さて、胃が重い顔をしている宮司ですが、生き狛犬の珠京がいつも以上に散歩に行こうと誘います。
 「少し歩いて気晴らししなよ!」と言っているようで、お祭り行事の中心になる新町通り付近を氏子町の状況把握も踏まえて珠キング氏子町パトロールをしてきました。
 秋晴れのもと、御例祭当日もこのような天気だったらいいのになぁと若干のため息が出ましたが、珠京は「ついてこい!」とばかりにどんどん歩いて行きます。
 佐倉のお祭りは別名「提灯祭り」。上記のように態勢は今夜決まるのですが、強風で飛ばされないように提灯を片し始めている町内もありました。
 特に中止を決めた肴町は町内の皆さん残念そうな面持ちで作業に当たっており、一年に一度のお祭りに掛ける心持ちの大きさを感じました。
 新町の東の突端は間之町。そこで折り返し、メイン通りを神社に戻ります。
 帰り際に三谷屋呉服店により大祭式の際に履く足袋を購入。
 ご主人の三谷新一さんは弥勒町の祭礼委員長でもあるので少し現状などを伺いました。
 皆さん、気持ちはお祭りをやりたくてしょうがないんです。せめて初日だけでもとの声がSNSにも溢れています。ただ、現実を鑑みるとどうなるのか。
 さて、今日の七峯はこの辺りにして、それでは臨時会議に行ってきます。

これは過去画ですが肴町の御神酒所と珠京