七峯の丘から
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久し振りの上棟祭奉仕 [令和6年12月14日]

「瑞雲も出ました」

「槌と三器」
 北風が強い佐倉です。七峯をお読みの皆さんは耳に蛸かもしれませんが、佐倉がこのような天候の時は日本海側で天気が荒れている証拠。
 特に北陸から東北に掛けては、嵐か大雪の可能性が大きく、震災を受けた地域のみならず雪害も心配されます。
 神社界ではお正月の準備に一層力が入る頃でもありますので、作業などもご安全にと願いたいです。
 今日の宮司は、本当に暫くぶりに上棟祭の御奉仕をしてまいりました。
 場所は酒々井町馬橋。麻賀多神社の御神酒「甲子正宗」醸造元である飯沼本家で、ご当主の飯沼喜市郎さんのご自宅で斎行です。
 現在飯沼本家では本業の酒造に加えて、そのお酒と季節のお料理をたのしめる「きのえねOMOYA」。またグランピングも経営されています。
 このOMOYAですが、名前の通り飯沼家の住まいである母屋に、会社の事務所が併設されていました。
 食事処であるOMOYAの開設に辺り、当然の如くに当主ご家族は引っ越さなければならず、敷地内に仮設のお住まいを建てられていました。
 約10年近く掛かったOMOYAの改修工事。登録有形文化財でもあるので、構造を調べるなどの調査が何度も入り、その度に竣工と開店が先送りになる。
 その間ずっと仮住まいでしたので、ご当主の喜一郎さんはじめ奥様にもお疲れのことと拝察を致します。
 なんだかんだでやっと自宅を作るところまで来たとは、飯沼家の皆さんから漏れた言葉で、節目節目の祭典を御奉仕していた身として、そうですよねぇと感嘆を打つのでした。
 上棟祭自体も久し振りですが、棟に五色が上がり天と地の矢がその両脇に掲げられる。本来の姿の上棟は見ているだけでワクワクします。
 祭典は1階部分で行い、式中に2階部に上がって四方餅を投げる。4名で行ないましたが、宮司も喜市郎さんに続いて「飯沼家萬歳!」の発声をして鏡餅を投げました。
 これは上棟の儀で行なうのですが、四方餅の前に「三器奉奠」というのが有り、墨差(すみさし)・曲尺(かねじゃく)・釿(ちょうな)の3つの道具を使って「水」の字を作り、工事の安全と火事予防を祈願する儀式も行ないました。
 色んなものが簡略化される時代にあって、本来の姿を現しその意義と重要性を祭典に見いだす。さすがは造り酒屋さんだなと感服しました。
 上棟祭は建築の折り返し地点。棟の五色に繋がるかの如く瑞雲もたなびき、素晴らしいお住まいの完成を心よりお祈り申し上げます。

あ、お正月用の御神酒の発注がまだだった!?
 
事始めですね [令和6年12月13日]

「門松の材料も揃いました」
 なんでも、故安倍総理の奥方である昭恵夫人がトランプ次期米国大統領と面会するという報道がでておりまして、レフトサイド系は早速「出しゃばり」とか言い出しましたね。
 そしたら、トランプさんから招待されたと続いての報道がありまして、レフトサイド系はフェードアウト。
 なんでああ言う系統は早とちりというか、感情のままにすぐに飛びつくんでしょうね。学びという物がまるで無い・笑
 しかしまあ、石破総理は会いたいと言っても相手にもされず、米国には就任前の大統領は外国要人と会ってはいけないという法律もあるそうですが、それはあくまで対立国の要人であって。
 それこそ、先日にフランスで行なわれたノートルダム寺院の修復式典では、トランプさんとマクロン仏大統領は会っており、チャールズ英国王とも会談してますもんね。
 この15日に、フロリダの私邸で会食をするそうで、安倍元総理の思い出話にも花が咲くことでしょう。
 今日の枕はこれくらいにして、本日12月13日は「事始め」。お正月の準備に取り掛かると共に、煤払いや年神様をお迎えするところもあります。
 京都では芸舞妓さんが踊りの師匠へご挨拶に上がる日でもあり、その模様をニュースなどで見られた方もいらっしゃいましょう。
 なぜ12月13日が「事始め」になったのかですが、江戸時代の中期に使われていた宣明暦いよりまして、婚礼以外は大吉とされる「鬼宿日」にあたるので、元旦までの日数を鑑みると丁度良いと。
 宣明暦から改暦は数回行なわれているので、現在は必ずしも鬼宿日とは限りませんが、日にちとしては定着していますね。
 因みに今日は六曜が大安で、合せて一粒万倍日。事始めも踏まえて年神様を受けに来る方が多いです。
 まだ日が有ると思っていると、あっという間にお正月になりますので、やれることは今から進めましょうね。
 
オリジナル幣束奉製 [令和6年12月12日]


 毎年12月恒例の「今年の漢字」。京都の清水寺で貫首さんが大きく墨書する光景がテレビで流れますが、今年の漢字は「金」となりました。
 大凡の予想通りと言ったところでしょうか。夏季オリンピックの有る年はここのところ毎回「金」でして、それは日本選手の活躍の証しでもありますよね。
 そして今回は多分「裏金」の金も要素に入っているのでしょう。本来は政治資金の記載漏れなんですがね・笑
 そう言えば、佐渡金山も世界遺産に登録されましたよね。そこも絡んでいると良いな。
 そんなネットニュースが流れるスマホを傍らに置いて、宮司はとあるお宅より依頼をされた幣束の奉製に勤しんでおりました。
 麻賀多神社で頒布している幣束は基本的に同じ大きさと形になります。
 ただ、お宅によっては「うちは昔からこの形なんで」という所もあって、12月に入るとその奉製依頼が数件入ります。
 早いお宅では12月の初旬にご依頼が有り、幣束を立てる台を持ってこられます。
 こちらとしては早い方が助かるのですが、神様がお招きし、御鎮まりになるのが幣束。その間は神様はお留守になっていないのか、心配な宮司です。
 そろそろ社務終了の時間が近づいてきましたが、あと一件分のご依頼を仕立てて本日の仕舞いと致しましょう。
それではもうひと頑張りしますね!!
 
6回目の護摩法要奉納 [令和6年12月11日]


 今年のノーベル平和賞を受賞した日本原水爆被害者団体協議会。略して被団協と言うらしいですが、その代表委員が昨日、ノルウェーのオスロで行なわれた授賞式でスピーチをしました。
 その中で「原爆で亡くなった死者に対する償いは、日本政府は全くしていないという事実をお知りいただきたいと思います」という発言を2度繰り返しました。
 先の戦争で亡くなった方って原爆死だけなのでしょか。ああ、そっち方面のねぇ・・・って思ったんです。
 そして今すぐそこに核兵器が使われるかもしれない危機、それをしでかそうとしている国へは声高にならなかった。なんだかなですよ、残念。
 さて、今日は阿含宗千葉道場の皆さんによる照耀行脚神仏両界護摩法要が行なわれました。
 当社で齋行するのは今回で6回目。流行病下で中止となる年も有りましたので、随分長いお付き合いになって来たなと、しみじみ感じました。
 この護摩法要は国内各地で行なわれており、主にその地域で出生された御英霊の御霊なごめを行なうと共に、開催神社の御神徳の高揚と地域発展と安寧を祈願するものです。
 国内各地と書きましたが、海外の激戦地でも行なわれており、日本陸軍の佐倉連隊が玉砕したとされるフィリピンのレイテ島、そのリモン峠でも護摩法要をしています。
 護摩法要では導師が式を主催して進められますが、今回は初めて女性の方が導師を務められ、何か新たなスタートが切られたように感じました。
 12月の開催も初めてで、寒さを心配しておりましたが、お日様の暖かな陽射しを受けながら滞りなくお護摩も終了。
 丁寧なお護摩に、麻賀多様や御英霊、そして戦没者の御霊もお喜びになった事と拝察します。
 佐倉出身で原爆死をした方がいたのかは宮司は存じません。もしいらっしゃったとしても、丁寧なお護摩で御霊も和まれていると思います。
 戦争は無いに越したことは有りませんし、核兵器も使っちゃいけない。
 なのに国連の常任理事国が核兵器を使う姿をちらつかせ、国連そのものが機能不全なんですもん。
 歴代のノーベル平和賞受章者の皆さんはどうお考えなのか、各種平和団体や左側がよく使う「市民」の皆さんに、宮司の時間が有るときにご高説を賜りたいところです。
 
落花生を買いに行くと [令和6年12月10日]

「本当によく出来ています」

「茹でらっかは千葉の特権?」
 今日も晴天の佐倉。昨日までの北風も微風に変わり、外仕事がしやすいです。
 しかし如何せん、乾燥注意報が継続して発令されており、風邪っぴきさんも増えつつあるようですので、手洗いとうがいは小まめにしましょうね。大事ですよ。
 新社務所の基礎工事も生コン打ちの3回目が行なわれており、ポンプ車がミキサー車から生コンを吸い上げる音が境内に響き渡っております。
 これについては明日か明後日にアップしますね。明日は境内で奉納行事があるので、多分明後日かな。
 宮司と禰宜画伯の伊勢参宮旅行。毎年12月に一年の神恩感謝を込めてお参りをさせて頂きますが、その際に外宮と内宮にお供えする手土産を持参します。
 大体、千葉名産の落花生にする事が多く、今日も禰宜画伯が神社から歩いて3分の大津屋さんに出掛けていきました。
 ものの数分で禰宜画伯よりLINEが入りまして、なんだろうと思い開いてみると、麻賀多様の大神輿を白丁を纏った落花生君達が、一生懸命に担いでいるではないですか!!
 その傍らには神主の正装を纏った宮司が提灯を奉持しており、社名旗もはためいてるんです。
 なかなかの力作で、制作者はなんと大津屋の社長さん。麻賀多神社の並木町氏子総代も務めて頂いており、大神輿渡御の様子も確りと目に焼き付けてくれたものと思います。
 今の時期は先月に収穫された落花生が、新豆として店頭に並ぶので、風味豊かに焙煎された一品を購入することが出来ます。
 また、千葉県で品種改良された「おおまさり」も、茹でた状態を真空パックにして直ぐに食べられるよう工夫した商品も有り、千葉土産にはピッタリですね。
 千葉県で落花生の栽培が始まったのは明治時代とされ、時代と共に作付け面積が増え、現在では国産の落花生では約80パーセントが千葉県産。
 ただこれも、国内消費量の90パーセントが輸入な事を考えると、エセ千葉県産が出回っている状態なんです。
 落花生に含まれる脂は健康に良く、ある程度食べても吹き出物は無関係らしいです。
 都市伝説的な感じかな。勿論食べ過ぎは何でも良くはありませんが、バターピーナッツは美味しいですがカロリーが高いので程程に・笑
 
秀真作品の搬出 [令和6年12月9日]

「幣殿に釣り下がって」
 皇后陛下におかせられましては、本日61歳の御誕辰日を迎えられました。誠に目出度く、麻賀多神社職員一同お祝いを申し上げます。
 これからも天皇陛下と共に御健康で御公務にお励みになりますよう祈念を致します。
 さて、日に日に寒さを感じるようになりましたね。そして隣国の大統領は戒厳令で躓き、遠くシリアではアサド政権が崩壊。お寒い限りです。
 そんな不安定さが増す世界情勢ですが、当社では着々と迎春準備が進んでおります。
 この時期の巫女さんの仕事では、御守のPP袋詰めが大半の時間を費やしておりまして、同じ姿勢が長くなるので時折声を掛けまして、ストレッチや休憩を取らせるようにしております。
 お正月本番に疲れが溜まっていては、素敵な笑顔でお参りの方々をお迎えできませんものね。
 今日は来年1月31日から佐倉市美術館で開催される「開館30年・生誕150年没後70年 香取秀真の眼」展へ出品するため、当社が所蔵する秀真の作品を美術館へ搬出する作業が行なわれました。
 香取秀真は現在の印西市船尾の生まれで、宮司の3代前、郡司秀綱の養子となり神職の後を継ぐ予定でした。
 それが秀真の芸術的センスを見いだした秀綱によって、神職の道より芸術の道へ進むよう促され、元の香取性に復して東京美術学校、現在の東京芸術大学に進学したのです。
 この時の学費は神社裏手にある神社敷地、今の佐倉幼稚園の場所を小学校用地を探していた佐倉町に売却したもので、その恩に秀真は秀綱を本当の父以上に尊敬していました。

丈高き ますらをぶりの 父のみの
父をし思ほゆ ふるさとは遠し

秀綱帰幽十年祭の折に秀真が詠んだ歌です。

 今回の企画展には当社より幣殿に釣られている一対の釣燈籠(佐倉市指定文化財)と鋳造鈴、また秀真が一番最初に鋳造したとされる宮島型燈籠を。
 宮司家よりも2点ほどの作品を貸し出すことになっており、美術館の本橋学芸員により丁寧に梱包され搬出されました。
 お正月に幣殿の釣燈籠がないのは少し違和感がありますが、そのぶん麻賀多神社と香取秀真との繋がりを多くの方に佐倉市美術館で知って頂ければと思います。

佐倉市美術館HP「香取秀真の眼」
https://www.city.sakura.lg.jp/section/museum/exhibition/2023/20251katori.html
 
古神札の整理中 [令和6年12月8日]


 北風が強い佐倉です。この様子だと日本海がはもっと寒いはず。土地柄なれているとは言え、地震で隙間だらけの自宅避難をしている方には、さぞお辛いことと思われます。
 今日は復興支援で着た作業着の第2陣を洗濯しまして、お天気の下に北風に吹かれ、午後2時頃にはすっかりと乾きました。
 いずれにしても、関東地方は乾燥が続いておりますので、火事と風邪には気を付けましょうね。
 この朔日より年神様の社頭頒布を始めましたが、それも日が進に連れて徐々に頒布数も増えてきました。
 それに比例して古神札の納めも増えてきて、能登から帰ってきた翌日。要するに昨日の土曜日には古神札納め所がまんぱんになっていて、朝からビックリしました。
 今日も年神様や神宮大麻を受ける方が続いて、以前よりも早くなっているなと感じますね。
 それと共に、古い宮型を納める方が目に見えて増えており、代替わりなどで神棚仕舞いをしているんだなと判ります。
 新社務所建設中に伴って、境内での古神札お焚き上げが出来ない状態になっている当社。
 ではお預かりしている古神札などはどのようにしているのかと申しますと、納め所のボックスから段ボール箱などに移してお祓いをし、一旦格納。
 その後は焼却専門の業者さんに委託をして焚き上げてもらっており、これに関しては年末年始は以前より同じ行程となっております。
 新社務所竣工後は境内に専用の炉を設ける案もあるのですが、市街地での焚き上げは今後リスクが高くなると思われ、通年委託も案として検討中です。
 さて、神棚や宮型が無くても御神札はお祀りすることが可能です。
 例えばテレビ台や本棚など、場所は余り下の方でなければ問題は有りません。
 日本の総氏神様である伊勢の神宮、その神宮大麻と氏神様の大麻をお祀りして、清々しい気持ちで新年を迎え、心が澄んだ一年を過ごしましょう。

※1 大麻とは神宮や神社の御神札のことで、麻薬ではありません。

※2 御神札は年末年始のどちらで替えても大丈夫です。
 
加能蟹の雌 [令和6年12月7日]

「良い面構え」
 昨夜に無事に帰倉。草鞋脱ぎを行ないまして帰宅。荷解きも簡単に、洗濯物を取り出すくらいにして入浴からの就寝となりました。
 気付いたら朝。泥のように眠るとはこの事なんだと感じますね。そして身体が重い・笑
 今回宮司が参加した能登半島地震の復興支援について。もう一日のお付き合いをお願いしつつ本日の七峯を書きますね。
 今回の食事。初日のお昼は輪島重蔵神社の能門禰宜さんにお願いをして、お昼は地元の仕出し弁当。夜は被災した飲食店の方々が共同経営しているお店で頂きました。
 食材の調達は物流の再開と共に、震災前と同じレベルに戻っており、コンビニなどは時短営業もありますが、生活必需品の購入にはほぼ支障がありません。
 2日目の朝食はコンビニで購入しまして、パッケージの裏を見て、なるべく石川県で作られたものを。宮司は2個のおむすびでした。
 重蔵神社での作業はお昼までで、その後金沢に移動しまして、昼食は途中で当地のチェーン店である8番ラーメン。これも地産地消でしょうか。
 その夜ですが、皆頑張ったと言うことでJR金沢駅近くの居酒屋さんで取ることになり、旬の加能蟹の雌「香箱蟹」などを頂きました。
 加能蟹とは石川県産のズワイガニのことで、平成18年(2006)に県内の漁協が一つに統合されたのを切っ掛けにブランドかを進めるべく一般公募で「加能蟹」と決定しました。
 石川県を構成している加賀と能登より1文字ずつとって加能蟹。蟹の足にはそれを証明するタグが付いています。
 漁期は毎年11月6日から翌年の3月20日迄で、資源管理のためにサイズも厳格に決まっているんです。
 また雌の香箱蟹の漁期はもっと短く12月29日迄と、取るだけではなく増やす活動もしているんです。
 今回は香箱蟹を頂きました。この蟹は甲羅の中に有る「内子・うちこ」とミソが本当に美味しく、雄蟹よりも好きな方も多く、宮司もその一人。
 また食べたいなとの思いを胸に帰倉したわけですが、それと同日に金沢石浦神社の長谷宮司からお歳暮で蟹さんが到着。本当に有り難いです。
 
能登から佐倉に帰るよ [令和6年12月6日]

「前列真ん中が能門禰宜さん」

「石浦さんでお参り」

「〆はやっぱり宗玄」
 東京発の特急しおさい7号に乗車しまして、次の停車駅である錦糸町駅に停車中の宮司です。
 3日間の行程で行った能登半島地震復興支援活動。作業着も程よく汚れまして、明日からかお洗濯がとても楽しみな宮司です。
 昨夜は金沢の片町という繁華街に、先輩方と繰り出しまして、懐かしい話をたくさん繰り広げて頂きました。
 まあ、余計な話も有りましたが、それはご愛嬌と聞き流しまして、宮司は眠いままに七峯を書いております。
 今回の復興支援ですが、これまでの七峯でも書いているように、輪島の重蔵神社一社だけを選定してお手伝いをさせて頂きました。
 いろいろなお社にお手伝へ入りたいのは山々なのですが、17人という人数を考えると分散させるよりも、限られた人員を集中投下したほうが結果が出るとの判断によるものです。
 そのせいもあって当初予定していた行程が初日で完了。その日のうちに社務所玄関前に積まれていた瓦礫を撤去して、動線確保を行ないました。
 ここで昨日書いた社務所内の片付けに入るのですが、一般のボランティア団体と違い私達は神職の集まり。
 実は社務所内の片付けは余り進んでいなく、地震発生までそこで初詣の対応をしていた皆さんの気持ちを思うに、簡単には作業に入れなかったんだと思います。
 そこに私達を入れてくれ作業に当らせてくれたのは、同職によることで散乱している御神札や紙垂等を踏むことなく、同じ気持ちで奉仕をするというご期待があったのではと思います。
 今日は石川県神社庁に表敬訪問と義捐金の贈呈を行ない、職員より地震発災当時の様子と県内神社の現状について説明がありました。
 その後、麻賀多神社と友好神社である、お馴染みの石浦神社に向かい、急遽でしたが長谷宮司の計らいにより正式参拝をさせて頂きました。
 帰路はJR金沢駅から北陸新幹線。乗車まで1時間ありまして、皆さん北陸のお土産を沢山購入。これも復興支援。
 今年6回目の石川入りの宮司はお土産は買わずに、駅構内の土産物売り場にある石川県内の地酒コーナーで清めの1盃。
 頂きましたのは、今回は入れなかった珠洲の地酒「宗玄」。鯖の糠漬け「こんか漬け」を摘まみに、彼の地に思いを馳せました。
 どのような形であってもお正月はやって来ますし、初詣も行なわれます。
 能登と輪島の方々に今度は穏やかな新年が来ることを願って、特急しおさい号はもうすぐ佐倉に到着です。
 
輪島の猫さんと象さん [令和6年12月5日]

「輪島ねこさん」

「向拝の柱」

「社務所内」
 輪島重蔵神社の復興支援活動の2日目。朝は小雨からのスタートでしたがそれも程なく止んで、輪島湾には虹が掛かりました。
 今日も境内にある瓦礫の撤去作業から始まり、木材や瓦、その他に分別をして集積所に運びます。
 また社務所内から必要なものを取り出して、境内にある仮設倉庫に運ぶのですが、必要不必要は能門禰宜さんに確認して貰う必要があり、これが中々に時間が掛かります。
 能登半島地震の発災は元日。社務所の中はその時で止まったまま。御神札や御守が散乱しており、それを踏まない様に気をつけて、また倒壊の危険性を鑑みて入れるところまで。
 そこにはお正月のお振舞いで使う筈だった御神酒や書きかけの御朱印。紙に包まれた神宮大麻と重蔵神社大麻が氏子さんの手に渡る事なく、この11ヶ月余りを過ごしていました。
 重蔵神社さんは以前より御朱印に力を入れており、そのモチーフには輪島朝市に出没していた街の猫達が使われています。
 今、朝市が行われていた付近は地震からの火災で約200件が焼失し、焼け跡は公費解体で更地に。
 なので、猫達の姿を見かけることはなくなり、その代わりにいなくなった猫を探しているポスターが至る所に貼られています。
 ロバート・キャンベルさんはこの猫たちの事を「輪島ねこ」と呼んでSNSにアップしていまして、人懐っこいあの姿が輪島の街に再び現れる事を願います。
 重蔵神社の拝殿前や参道入り口には、その輪島ねこを能門さんが描いた看板が飾らられており、今にもニャンとの鳴き声が聞こえて来そうです。
 その上を見ると向拝柱の軒下には立派な象鼻。お鼻の曲線も素晴らしく優しい目をしていますね。
 象鼻と向拝の軒を繋がる2つの枡組は地震の影響で外れており、力の強さを目の当たりにしました。
 能門さんのお話によると、拝殿は曳屋をして耐震補強を行う修繕を計画しているそうで、その前提となる倒壊した社務所と参集殿の解体工事が待たれます。
 2日間のお手伝いを終えて今夜は金沢に入ります。金沢石浦神社の長谷宮司とまた再会かな。夜は長いと・・・