七峯の丘から

藩友会 [令和1年5月25日]

堀田家三代記と佐倉郷友会規約
 いやぁ、今日は暑かったですね。佐倉は極端に夏が暑くて冬が寒いという土地柄なのですが、当地以外でも30度越えの所が多かったようです。
 寒暖の差が大きいので皆さんもお体の調子を崩しませんようお気を付け下さい。
 そんな暑さですが戌の日の今日は大勢の妊婦さんが来社しました。
 駐車場は直射日光ですが、境内は御神木の合間に木漏れ日が差していますので、皆さん涼やかにお参りされていました。
 さて、宮司ですが社務を職員に任せて藩友会に出席して参りました。
 藩友会とは旧佐倉藩の縁のある方々の親睦団体です。
 顧問として藩主家である堀田正典様。そして会長は家老家の佐治洋之助さんが就任されています。
 当社は佐倉藩総鎮守と言うことで歴代の宮司が会員として参加させて頂いております。
 今日は歴代藩主がねむる堀田家墓所にて参拝。場所を京成佐倉駅北口の秋田屋に移して講演と懇親会が行なわれました。
 その講演ですが堀田様が父上である堀田正久翁が著した「堀田家三代記」について解説頂くというなんとも贅沢な内容でした。
 堀田家三代記は現在絶版となっておりますが、宮司は20年ほど前に購入しており今日の講演を楽しみにしておりました。
 お話の内容は大老を務めた堀田正盛公を中心として江戸城での出来事やその当時の政治勢力など非常に興味深い、そして生々しい驚きのあるものでした。
 興奮が冷めやらない中で懇親会となり、宮司は堀田様の隣に席を用意頂き、事務局の皆様にはお心遣いをありがとうございました。
 因みに席の列びで言うと佐治さん、堀田様、宮司、西村さん(西村茂樹翁のひ孫)というなんとも贅沢な配列でした。
 京都では先の戦といえば大東亜戦争ではなく応仁の乱というエピソードがありますが、藩友会の皆さんと話すと、江戸時代はこのあいだのことで、関ヶ原や大坂の陣が普通に出てくるのです。
 歴史の中に生きているなとしみじみ感じることが出来ます。
 さて、この藩友会ですが、戦前までは佐倉郷友会と称していました。
 会員資格や構成は現在と余り変わりませんが、規約には「会長は伯爵閣下が就く」あり、これ自体も歴史を感じますね。
 現在、郷友会の名を見ることが出来るのに当社境内にある3つの石碑を上げることが出来ます。
 建立当時は今のように3つ列んでいたわけではなく、それぞれ離れていました。
 それは佐倉藩が戊辰戦争時に佐幕派と新政府派に分かれていたことよります。
 この2派それぞれの記念碑は大正時代に建てられましたが、まだ戊辰戦争時に活躍した方が存命の時代。1つの石に刻むだけでなく並べることも憚られたのでした。
 ですが、同じ佐倉藩士。顕彰碑は鎮守様である、麻賀多神社に建て法要は堀田家墓所守りの甚大寺で行なわれており、堀田様の家臣に対する温かさを物語っております。
 堀田家三代記も書斎に飾る時間が続いていました。
 今日のお話を聴いて再び表紙を開きたく思います。少し寝不足になるかも知れませんね。