祭りの跡を堪能 [令和6年10月29日] | |
昨日は午前と午後の2回、神社庁の会議でコーディネーターをした事は書きましたが、流石に疲れるものでして、佐倉に戻ってきてからJR佐倉駅近くの大衆食堂「幸龍」でハイボールとチャーシュー麺で一人お疲れ様会。 麺も半分にして貰ったから丁度よかった。疲れると意外と食べられない体質の宮司です。 お祭りの後は特にそうで、食欲というものが湧かない。これって他だ単に歳を取ったと言うことでしょうか。 駅前のバス停から揺られること、ものの7分で神社い一番近い宮小路町バス停に到着。 やはり人手不足と働き方改革の2024問題で、京成系列の千葉グリーンバスも今夏から減便。街中でこれですから、郊外路線はどうなっていることやら。高齢者の運転免許返納も進みませんよね。 宮小路のバス停から神社まではすぐそこですので、敢えてゆっくりと歩く様にしています。 普段の早さだと見えないものも、ゆっくり歩くと見えることがある。一杯やっているから丁度良いのかもしれません・笑 この時期、宮司の好きな光景がありまして、それは神社の前の道路に刻まれた、山車や御神酒所の車輪の跡。日に日に薄くなってはいますが、未だ余韻が残っています。 あの賑やかさはどこに、今夜も神社の前はひっそりとして、虫の音が聞こえてきます。 毎日がお祭りだったら佐倉も賑やかなのにねと、お祭りの際によく出る話。普段の新町通りって本当に静かですもんね。 ただ、毎日だと絶対に飽きる。一年にその決まった日だからこそのお祭りですよ。 ハレとケが厳密に決まっていた昔と違い、今はほぼハレばかり。より贅沢に、華美になり過ぎちゃっていませんか。 車輪の跡を見つつ、暫し佇む宮司さん。末違う人、あの人一体何を神社の前で突っ立っているんだろうと、見られているのかな。 もうしばらく、お祭りの跡をしみじみと感じたい宮司であります。決してあやしものではございません。 |
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教化委員会と・・・ [令和6年10月28日] | |
大方と言いますか、みんなの予想通りに衆議院議員総選挙は与党が負けまして、かと言って野党が政権交代を出来るような状態でも無く、暫くは不安定な国政が続くものと思われます。 麻賀多神社の鎮座する佐倉市は衆議院千葉第9選挙区で、立憲民主党の現職である奥野総一郎さんが当選。自由民主党の田宮寿人さんは比例復活も叶いませんでした。 兼務地域である酒々井町と富里市は第13選挙区で、こちらは自民党現職の松本尚さんが僅差でしたが議席を死守。皆さん知り合いなので、兎に角お疲れ様でした。 今後臨時国会が開かれ首班指名となります。石破総理は続投の意向らしいですが、敗北の責任論が出るのは間違いなく、場合によっては来夏の参議院議員選挙が同日戦になる事もあるかな。 そんなこんなで午前2時半くらいまで開票速報を見ていた宮司、今日は千葉の神社庁で午前は教化委員会、午後からは過疎地域神社活性化推進委員会に、一般席ではなく両委員会の委員長として進行役とコーディネーターという、選挙の投開票日翌日にはやってはいけないお役目なのでした。 一般委員席では絶対に寝ていただろう体調ですが、コーディネーターが寝るわけにはいきませんで、尚且つ会議中には委員さんに話を振るのが好きなわたし。 みんな遅くまで開票速報を見ていたであろう顔つきでしたが、否応無しに話を振りまくり宮司の眠気覚ましにお付き合いを頂きました。 このお役目もあと5ヶ月。教化委員長って神社庁の役職の中でもかなりやる事の多い部署なもんで、残りの任期も確りと全うしたく思います。 会議後に可愛い後輩から、あ、可愛いと言ってもイケメンの男子ですが、「麻賀多神社のブログ読んでますよ」と言われまして、それって嬉しいですよね。 毎度この様な駄文にお付き合い頂きましてありがとうございます。現在JR千葉駅の改札前ベンチで七峯を書いております。 季節柄か、普段着がハロウィン仕様みたいな方が歩いておりますが、書き上げまして佐倉に帰ると致しましょう。 長い一日っだった。 |
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神のお立ち始り [令和6年10月27日] | |
今年の御例祭を納めて2週間が経ちました。このあいだのような、もっと前だったような不思議な感覚になるのがこの時期です。 しかし乍ら、毎週末に行なわれる氏子町の花流し。多くの町内よりお声明けを頂きまして、そこでの話題、酒の肴は当然の如く今年のお祭り。 賑々しく語らうと共に、来年に向けての意気込みも熱く、こういう風習って本当に良いなあと思います。 昨夜は間之町祭礼委員会の花流しにお声掛けを頂き、上記の様にでした。以下、その数時間前のお話しです。 当社管轄の秋の御例祭は全て納めたわけですが、そこから始まりますのが「神のお立ち」です。 神のお立ち、何の儀式かと言いますと、本暦(旧暦)10月を神無月と申して、出雲に全国の神々が御参集になるのは皆さんもご存じの通り。 なので出雲は神在月と言いますよね。その出雲に氏神様を送り出すのが「神のお立ち」なんです。 昨夜は六崎の妙見神社で神のお立ちを御奉仕。境内には大勢の氏子さん達が集まり、先ずは妙見様の社殿にて修祓を行ない、参列者代表が玉串奉奠。 その後に宮司が微音で祝詞を奏上し、お立ちを表わす「お〜」という警蹕(けいひつ)を一声。宮司一拝をもって、祭典は仕舞いとなりました。 祭典は夕方5時からなので、時期的に暗くなっており、かがり火が焚かれる中に警蹕が木霊する境内はとても神秘的です。 昔はお立ちの日の午前中に子供達が村中を周り、各家よりご志納を集めました。 そのお金でお菓子などを購入し、祭典後のお振る舞いに使ったんですよ。現在は氏子会と六崎区で諸事諸々を用意して、配布する振る舞い係を子供が行ないます。 因みに出雲に御出立なされる神様は別御霊(わけみたま)でして、神社がカラになる訳では有りません。 出雲大社では11月10日午後7時から稲佐の浜で神迎神事と神迎祭を斎行し、八百万の神々をお迎えします。 その後、出雲大社まで神々をお連れして、様々な神事が執り行われ、11月17日午後4時に齋行される神等去出祭(からさでさい)で神職の「お立ち〜!」の声で出雲から地元に御出立。 出発するときは地元でも出雲でも「お立ち」なんですね。 六崎では11月23日に神様がお戻りになる「神のお帰り」が行なわれます。今年は新嘗祭と同日になりますので、神様も神主も大忙しですね・笑 麻賀多神社では10月31日に宮司の一人奉仕にて神のお立ちを行ないます。ほぼ秘儀です。 出雲大社「神在祭」 https://izumooyashiro.or.jp/r6kamiari |
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藤嘉設立10周年パーティー [令和6年10月26日] | |
今日から大リーグのワールドシリーズ、そしてプロ野球の日本シリーズがほぼ同スケジュールで始まります。 ワールドシリーズはヤンキース対ドジャース、日本シリーズはソフトバンク対ベイスターズが対戦。 現在午後4時。既にワールドシリーズはドジャースが10回裏にフリーマンの史上初、逆転満塁ホームランで1勝を上げました。 大谷選手の活躍も有り、日本のプロ野球が霞みがちな今シーズンでしたが、今夜の試合も大いに盛り上がって欲しいですね。 麻賀多神社では10月最終土日と11月中の土日祝日の御祈祷は、七五三詣のハイシーズンと言うことで、予約不要の昼休み無しで御奉仕しております。 今日はその初日。20組ほどのご祈祷が有ったでしょうか。智勇権禰宜が祈祷番として頑張ってくれました。 その合間を縫って、宮司は12時からユーカリが丘で開催された、株式会社藤嘉設立10周年記念パーティーに来賓として出席をさせて頂きました。 藤嘉さんは橋梁専門の足場工事の会社で、本社は四街道市鹿放ヶ丘にあります。足場屋さんなので敷地は広大です。 宮司と社長の藤波秀政さんとは現会社設立前よりの知り合い。当社のお正月、今は賑やかですが宮司就任当時は静かなものでして、御祈祷にお一人でいらっしゃったのが最初でした。なのでもう、20年以上になるでしょうか。 独立して会社を創るに辺り、小さな事から多いな事まで、まるでヤンマーのコマーシャルの如くご相談を頂きました。 その一番は社名。禰宜画伯が考えまして、宮司より麻賀多神社名で命名させて頂きました。 特殊な事業内容のため陽に陰に苦労をされていたのもお話は伺っております。 今はどこも人手不足ですが、藤嘉は技能実習生を受け入れると共に、「育てる」と「チームワーク」を本当に大事にしており、実習生にも技能検定や免許を確りと取得させます。 今日も社員総出で迎えてくれました。久しぶりに会う子達も良い顔をして、「育ったなあ」と宮司も嬉しく思いました。 実績を重ねると、自ずと仕事は入って来ます。営業努力も大切ですが、仕事ぶりを診て貰い、それが次の契約に繋がる。藤波社長、良く頑張ってきました。 パーティーには藤嘉がオフィシャルスポンサーとなっている千葉ロッテマリーンズから、マー君とチアリーディングのMスプラッシュから2名も参加。華を添えてくれました。 ここから一献と言うところなのですが、神社は智勇権禰宜と巫女さん1人という体制になっているので、来賓挨拶と乾杯をもって来社。藤波社長とは改めてお祝いを致しましょう。 納めに四街道市内を走る東関東自動車道上り線の陸橋に掛かる大壇幕、そこにあるキャッチコピー「しあわせ街道 四街道」 実は藤嘉の社員さんが。地元を思って応募し採用されました。こういうのも社長の背中を見て育ってくれたからかな。 株式会社藤嘉、これからも成長され多くのインフラ整備に関わり、沢山の人材育成にも尽力されますよう願っております。 株式会社藤嘉 https://fujiyoshi-sf.jimdofree.com/ |
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今年も渋柿なりました [令和6年10月25日] | |
昨夕、麻賀多神社にて千葉県神社庁印旛支部の神宮大麻暦頒布始祭が、成田熊野神社の鈴木豊幸宇氏が斎主、当社の智勇権禰宜が祭員として斎行されました。 神宮大麻とは伊勢の神宮の御神札。神棚の中心にお祀りされる御神札ですね。 神宮で奉製され、9月に頒布始祭。それから各都道府県の神社庁でも同じく祭典が齋行され、各支部でもとお祭りを重ねてそれぞれの神社から氏子さんの元へ頒布されます。 このお祭りが終えるといよいよ年神様の奉製作業も本格化します。職員一同頑張ってまいりますね。 さて、季節感が判らないような感じのことを昨日の七峯冒頭で書きましたが、ふと周りを見回すと確実に秋の深まりを見ることが出来ます。 落ち葉が増えたことと、宮司宅の細い庭にある1本の柿の木です。 植えた記憶の無い柿の木。成るのは渋柿でして、どうしてそこに種が落ちて発芽したのか、未だに不明なのですが、昨年より2〜3個ですが実が成るようになりました。 桃栗三年柿八年とはものの例えですが、木の存在に気付いてから丁度8年くらいなのかな。流行病前から生えていましたからね。 あんなに茂っていた柿の葉もこの2週間ほどでかなり散れ、柿が見えるようになりました。 もう少し待って収穫するもよし、可愛い鳴き声を聞かせてくれている鳥達がついばむもよし。そのままにして地面に落ちたら、また柿の木が増えるのかな。 柿は接ぎ木でいろいろな種類の柿の実を収穫できるそうです。甘柿の枝、どこかで頂いてこようかな。 しかし乍ら、秋のお祭りにはお供え物で柿が沢山上がります。その種でも蒔いてみようかな。収穫は8年後ですが。そうしたら宮司も還暦を迎えます。 |
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鰻ドラゴン [令和6年10月24日] | |
本当に10月下旬なんでしょうか。今朝の境内掃除、銀杏と椎の実が沢山落ちておりますので、それは秋で間違いないのですが、箒を手にするとすぐに額には汗が滲みます。 Tシャツにハーフパンツでも寒くない。この数年で温暖化を如実に感じるようになりましたが、皆さんはどうですか? さて、昨夕に上京しまして京橋にある東京建物京橋ビルBAG-Brillia Art Gallery-で開催されている落合陽一さんの個展 「 昼夜の相代も神仏:鮨ヌル∴鰻ドラゴン /」 Divine Duality: Sushi, Null, and the Eel Dragon in Edo's Cyclical Time and Space」 を見学してきました。 正直、難しい。判るような判らないような、多分その合間を表現しているのではと、宮司の感想でございます。 なので、いつも通りですが、詳しくは下記HPから飛んで頂きまして、落合ワールドを読み解いて下さい。 メインとなる鰻ドラゴン。この段階でかなりの方が「?」になると思われますが、作品としては凄いです。 金属質なのに、生き生きとした曲線がものの見事に作り出されており、落合さんのイメージを作り上げるには、職人さん方さぞかしご苦労があったのではと。 何故今回の個展を見学に行ったのかと言いますと、今年の3月に宮司の友人である石清水八幡宮の田中権宮司から掛かってきた1本の電話から始まりました。 電話の内容は、落合さんが江戸時代に日本橋界隈で使われていた山車、それも龍神関係を探しているが手がかりはありますか?と言うもの。 そこで佐倉に現存する山車の紹介をしたところ、是非見学したいと言う話になり、4月に田中さんと落合さん、そして事務所スタッフの方が来倉しました。 佐倉には玉乃井龍神と竹生島龍神があり、両方とも見学の末、落合さんが手がかりにしていた江戸時代の錦絵が竹生島龍神で有ることが判明。歓声を上げたのです。 このご縁が有り、現在展示されている鰻ドラゴンには竹生島龍神のオリジナルの能衣装が着せられており、快くお貸し頂いた肴町の高橋祭礼委員長を始めとする町内の皆さんのご協力に感謝しか有りません。 折しも、肴町は今年の御例祭で竹生島龍神山車を復活させ、オリジナルの能衣装は約140年振りに里帰りをしたことになります。 もうこれだけで京橋に行く理由は、他にいりませんよね。充分過ぎる。 そんな落合さんの個展もこの27日迄。総選挙の投開票日ですが、投票を済ませて京橋まで足を運んでみては如何でしょうか。 落合陽一個展「昼夜の相代も神仏」 https://www.brillia-art.com/bag/exhibition/22.html |
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看板拭きも大事 [令和6年10月23日] | |
衆議院議員総選挙の投票日まで本日を入れてあと5日。与党の過半数割れが指摘されている中、いずれの候補者にもこの国をどのように導いていきたいのかが判らない。 目の前のことにしか触れないというのも、国民の政治離れの一員ではと、宮司は考えて下ります。 いずれにせよ、最後までこのまま行くのかな。裏金って言ったって、政治資金収支報告書に不記載だったのが問題で有って、それを言ったら与野党ほぼ同じだし・笑 まあこれくらいにしまして、七五三詣の御祈祷が本格化してきました。今日も5件ほど有ったのかな、智勇権禰宜が祈祷番として御奉仕です。 御祈祷が増えてくると、ご家族の待ち時間が出来るので、境内を散策して時間調整をしたりと。 そうしますと、自然と掲示物に目が行くんですよね。看板とか石碑を一生懸命に読んでくれます。 境内には文化財についての説明板もいくつかありまして、一番読まれるのが千葉県指定文化財の「紫裾濃胴丸・むらさきすそごどうまる」の説明板。 説明文と実物のカラー写真が載っており、数年前に新調したので綺麗ですよ。 ただ、掲示してある場所が木の下でして、どうしても緑色の苔のようなものが生えてくるんです。 定期的に拭いているので、そう頑固にはこびりついてはおりません。ものの数分で作業完了。 その勢いで、境内の看板を数枚拭き上げる。やはり勢いって大事ですよね。重い腰を上げるまでが大変だけど・笑 現在午後2時。これから東京日本橋まで出向いて、落合洋一さんの個展を見てきます。 あの肴町の竹生島龍神の衣装を貸し出しているものです。内容は明日の七峯に載せますね。 |
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配筋が始まりました [令和6年10月22日] | |
昨夜に京都亀岡から無事に帰倉しまして、恒例の草鞋脱ぎをして帰社。通りからではありますが、御神前にお参りをして家へ入りました。 折角の京都なので、もう少し滞在したかったのですが、今日に千葉県神社庁元副庁長で東金田間神社宮司の高橋義人先生の葬場祭に参列のため戻ってまいりました。 高橋先生は神社庁において祭式の講師を長く務められ、宮司も薫陶を受けました。 国酒が大好きで、地元の梅一輪をこよなく愛され、神社庁の会合などでお注ぎに上がると酒談義をしてくれたのが思い出されます。 喪主は禰宜の高橋研道さん。研道さんも祭式講師となられて活躍されています。親子って良いですね。 このところ何かと慌ただしくしていたので、新社務所の工事進行を目にしておりませんでした。 安全壁から覗いてみるとステコンを打った上に、鉄筋を組む配筋が始まっておりました。 傾斜地に建てるので、基礎がかなり深く設計されてまして、必然的にそこに組む鉄筋の量も多くなります。 また全て手作業なので、かなり細かいところまで鉄筋が組んであり、職人さんの腕の良さが垣間見られました。 足場も組まれているのですが、配筋をする場所によってはその足場も組み直しが必要。本当に手間の掛かる作業なんですね。 配筋作業は暫く掛かるようでして、それが済むと板を張り付けて枠を作り、コンクリートを流し込みます。 ここでまたあのミキサー車とポンプ車が登場するので、楽しみに待ちたいと思います。 |
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出雲大神宮御例祭に [令和6年10月21日] | |
宮司、東海道新幹線の東京行きに乗車しております。乗ったのは京都駅。御神酒も入っておりまして、いつも以上に駄文の七峯にお付き合いを願いたく存じます。 昨日に兼務社の秋の御例祭を納めまして、向かった先は京都市亀岡。京都パープルサンガの本拠地が駅前にドドんとある、京都のベッドタウン。 しかしながら、明智光秀公が城を築いた地としてその重要性が判るというものですよね。 昨夜は地元の農家さんがやっているバーにお邪魔しまして、亀岡産野菜を使ったバーニャカウダーを京都産のウイスキーで楽しみ、いつもよりも一時間前に就寝。 今朝の目覚めは恐ろしいくらいに夢も見なくにパッチリ。宿泊をしましたルートイン亀岡から、サッカー場の方が東かなと思いまして麻賀多様を遥拝致しました。 本日は丹波国一宮の出雲大神宮さんの御例祭。ご縁を頂きまして、今年初めて御例祭大祭式に参列をさせて頂きました。 宮司さんは岩田昌憲さんで、これもご縁を頂いている金沢石浦神社の御例祭で数年前にご同席を頂きました。 京都に出雲と、なにか不思議な感じが致しますが、その歴史は古く、今年で社殿の御造営から今年で1315年。御神体山の神籬祭祀からだど20000年と、麻賀多神社に通ずる程の御由緒なのです。 大祭式には御所縁の深いお宮の宮司さん方がご参列。その中には麻賀多神社の宮本宮司家と本当に好意に頂いている、出雲は玉作湯神社の遠藤宮司さんのお顔もありまして、再会をありがたく、目頭が熱くなりました。 お直会も300名以上の大きなもので、岩田宮司さんとごないふの仲睦まじいご挨拶もありがたく拝聴しました。 出雲大神宮さんの御由緒は下記からご覧頂きまして、京都にもう少しいたいところではありますが、明日は大先輩の葬場祭。既に帰路の新幹線に乗車しております。 なので、少し寝ます 出雲大神宮 http://www.izumo-d.org/index.html |
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秋祭りの納めは花流し始め [令和6年10月20日] | |
明日は寒くなるよと、散々ぱら昨日の天気予報でやっておりましたが、確かに気温は下がったけれどもそれほど寒いかなぁと訝る宮司でございます。 街ゆく人の服装も、半袖もあれば長袖もあり、お臍を出しているおねいちゃんもおりまして、結論的にはその人が着たいものを着れば良い的な感じでしょうか・笑 今日20日、兼務3社の御例祭を奉仕致しまして、所管している神社の今年の秋祭りを全て取り納めました。毎年の事ながら、9月初旬からですから長かったですね。 それぞれの神社にお祀りされている神神の御神威を頂き、支えてくれる氏子さん方、そして何よりも禰宜画伯を筆頭とする職員達にも感謝です。 今日奉仕をしたのは、四街道市吉岡の春日神社、佐倉市吉見の住吉神社、四街道市成山の高お神社(お・雨冠に龍)でして、四街道と佐倉を行ったり来たりと。 日曜日という事もあって多くのお参りがあり、現在行われている衆議院議員総選挙に立候補している方の参列もありました。 秋の御例祭が仕舞いに近づくと始まり増えてくるのが「花流し」です。花流しとはお祭りの後のお疲れ様会。地域によって呼び方が違いますね。 佐倉はお祭りでのご祝儀の事を「花」と呼びます。これだけでもなんだか時代というか、雅さを感じますよね。 お祭りを納めてから、諸々に掛かった支払いを済ませて、その残りの花でお疲れ様を、皆で慰労をする。なので「花流し」なのです。 昨夜は麻賀多神社大神輿奉昇員である鏑木青年会の花流しが、神社隣の房州屋本店で行われ、宮司が参加をしました。 総勢50人程の参加があったでしょうか。大賑わいに賑わいつつ、頭の中は既に来年の渡御を見据えた事に皆がなっている。流石は鏑木青年会です。 今年の渡御をもって、赤襷こと大世話役5年目の内田聡君と二口伸哉君が青年会を卒業となる事が発表されると、どよめきと共に「さらば久しい!!」の掛け声が、房州屋の2階にこだましました。 二十数年の青年会活動の総締め括り、本当に素晴らしい渡御を指揮してくれたお二人に、宮司からも改めて感謝の言の葉を贈りました。 同時刻には城の麻賀多神社例大祭で大神輿を奉仕した六崎青年会の花流しがJR佐倉駅近くの福来軒で開催され、そちらには渡御に奉仕した智勇権禰宜が参加。 鏑木と六崎、それぞれの花流しに宮司から石川県珠洲市の須須神社、そして金沢の石浦神社から御奉納頂いた能登と加賀の御神酒を振る舞い。 仕込みの時に能登半島地震、絞ってからは奥能登豪雨と、2つの災害を乗り切った御神酒とお話をして、お互い様の心を忘れない様にと。 宮司、二次会のお話も頂きましたが、今日の納めがあったのでお志を。六崎に参加した智勇権禰宜、気持ち良く出来上がりまして、禰宜画伯が迎えに行きました。 これから週末度に花流しが続きます。確りと朝ご飯を頂き、もともと食べていためかぶや珠洲の岩海苔、海藻類も添えまして、身体のメンテナンスもしつつ参加をさせて頂きます。 明神祭りさらば久しい!! |
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