| 談話室塗装中 [令和7年11月22日] | |
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相変わらずオールドメディアは中共が出した日本への渡航自粛の件で、損失が2,2兆円に上ると騒いでおりますが、これって1年続いた場合の試算なんですよね。 航空便のキャンセルも50万枚になったそうですが、日本と中共間の航空便はあちらの航空会社がメインなので、日本の航空会社は余り影響が無いのが実情。 中国人旅行者って前よりも買い物もしないし、民泊だってそちらの経営だし、タクシーや白タクだって事前にそちらの系列に予約をしているからほぼ問題なし。 ホテルでキャンセルが出ていたり、水産物の再輸出が止まって大変だとの声も有りますが、そもそも中共に対する過度な依存で商売をするリスクを全く考えていないし、輸出禁止の時期に代替手段を考え実行していなかったのか、疑問というか、ふ〜んそうなのねとしか思えない宮司であります。 さて、今日も良い空模様の佐倉です。雲一つ無い青空に御神木の銀杏が映えて、お参りの方も思わずスマートフォンをかざしている姿を沢山見ます。 新社務所の工事も大詰めとなってきて、職人さん達は朝8時前から頑張ってくれてます。 その中でも、今日は内装の壁と千本鳥居が3回目の塗装作業で、職人さんが塗料を目分量で配合して色を作っていくさまは、流石だと思います。 内装の壁は下地が不織布で、そこに塗料を塗っていくのですが、その厚みを均等にするのが難しいらしく、斑(むら)の無いように時には見る角度を変えて確認をしています。 基本、塗りの壁は白となっており、塗りではないところはコンクリートの打ちっ放しなので、そのその境を綺麗に仕上げるのも技ですね。 基本は白と書きましたが、実は青系の所も一ヶ所ありまして、それは御殿脇からの扉から入った正面に開設する談話室。 この談話室は打ち合わせや相談などに使う場所として設計に組み込んであり、授乳にも使えるんですよ。 この外壁が青系で、回りの白とコンクリート色の間になるので、ちょっとしたアクセントなんですよね。 この場所も当初は白系で塗る予定でしたが、設計監理の森田建築設計事務所で打ち合わせの際になにかアクセント、というか遊び心があっても良いんじゃないかという、いつもの気まぐれ宮司の一言でやってみようと・笑 結果、思っていた以上に良いアクセントとなりまして、正直なところ安堵している宮司です。 内装の色で言うともう1色、思い切って使った場所が有りますので、そちらも塗りの際にご案内したいと思います。 |
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| 新社務所全景現る [令和7年11月21日] | |
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相変わらず高市首相の存立危機事態発言に中共がキャーキャー言っておりますが、その内容としては日本への渡航自粛・留学の自粛・す日本産水産物輸入停止とパンダの引き上げくらいでしょうか。 とある方に伺ったんですが、中共が騒ぐ時って自身に自信が無いときや非が有るときだそうで、今回は正にそういう状況なんだとか。 ここに来て、オールドメディアの高市批判記事が多くなってきましたが、あちらから指示でもあったんでしょうか・笑 そんな中、昨日にアップされた頼清徳台湾総統のSNSには、総統が美味しそうに握り寿司とお味噌汁を部ている様子がありまして、握り寿司の帆立は北海道産。 台湾も中共から台湾産パイナップルの禁輸をされたことが有りましたが、その時に安倍元総理が率先してパイナップルを食べている様子をSNSにアップ。 これが切っ掛けと成り、日本国中で台湾産パイナップルがブームとなりまして、麻賀多神社では今も神饌に使う機会が多くあります。 そして今日には台湾与党である民進党国会議員の皆さんが、政府に対して日本への旅行推進と補助をするよう働きかけをし、中華航空や旅行業者にもキャンペーンを要請しました。 我が国ほど隣国に恵まれない国はありませんが、ただ唯一として台湾はそれにあたりません。 昨年より台湾へ渡航する機会が出来た宮司と禰宜画伯。台湾の方々とより親睦を深め、協力し合いたい、そう思います。 その台湾との切っ掛けを作ってくれたのが、金沢石浦神社の長谷宮司。七峯フリークの皆さんにはお馴染みの宮司さんですね。 一昨日の事になりますが、宮司のスマートフォンに彼から「明日の夜、神社にいる?」ってメッセージが入ったんです。 いる?って事は、会いに来るって事になりますので、いるよって返信したら「吞みに行く」と即答。 そして昨夕に来ましたよ、金沢から北陸新幹線と東京乗り換えで成田エクスプレスに乗って・笑 彼のことですので、ただ単に吞みに来るわけでは無いのは承知の上でして、先ずは鏑木町の食い処あだちにて夕餉をして、その後は宮司2人で夜の佐倉に・・・ 男同士、腹を割って話すこともありまして、笑いあり考え込むことあり、そして笑いありの時間を過ごしました。 今日は長谷宮司が来社して建設中の新社務所の見学。建築の経緯と設計のコンセプトなどを宮司と禰宜画伯で説明をしまして、その時に安全柵の撤去作業も行なわれていたので、参道から新社務所の全景を見て貰うことが出来ました。 石浦神社は御鎮座2300年にあたり、記念事業として参集殿(社務所)の改築(一般で言う新築)と拝殿の改修工事を予定しています。 10月2日に齋行された石浦神社秋季大祭の直会においても、長谷宮司より「石浦宣言」として、記念事業の概要が発表されました。 宮司も経験の真っ最中ですが、神社での建築事業は並大抵の努力では完遂することが出来ません。 長谷宮司は意志の強い男ですので、こうという指針が決まったら一気に動くことでしょう。 今回の来倉と来社がその一助になってくれたら宮司は嬉しいですし、当社での経験とノウハウは惜しみなく伝えますので、石浦さんの新参集殿も楽しみにしております。 因みに長谷宮司、明日は元職員の結婚式に参列するそうで、その席には現役の石浦神社の巫女さんの姿もあるとか。 また皆で、金沢と佐倉と台湾で吞みたいな。JR佐倉駅に送っていった際にお互いの「良いお年を」の声にそれが滲んでおりました。 ・石浦神社 https://www.ishiura.jp/ |
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| 令和8年版七福神カレンダー [令和7年11月20日] | |
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このところ用事が立て込んでいたせいか、昨日は午後から全身に倦怠感が広がってしまい、夜に出席を予定していた佐倉青年会議所の会合を急遽キャンセルするはめになりました。 OB会長としての立場でしたが、現役の皆さんにはご迷惑を掛けてしまい申し訳ないです。 どうにか夕餉は頂きまして早めの就寝。今朝は倦怠感もほぼ無くなり、青空の下に朝拝に行く事が出来ました。 朝刊で見たのか、昨日は「国際男性デー」なんだそうで、細かい事はネットで調べて頂くとして、記事には男性の更年期についても記載がありました。 更年期というと女性のイメージがありますが、現代にあっては男性の更年期も徐々に知られるようになって来ました。 男性の更年期障害、その原因は女性と同じくホルモンバランスに寄るところが大きく、男性ホルモンのテストステロンの減少が大きな鍵だそうです。 男性の更年期障害は女性のそれに比べて症状が現れるのが遅く、また認知が広がったとは言え「男の更年期?」という風潮もまだまだありますので、加齢や疲れに括らずに医療機関に受診をして適切な処置を行ない、人生100年時代を謳歌しようではありませんか!! と、53歳のおじさんは自身が更年期なのか心配しつつ、今日も楽しく七峯を書いております。 因みに、今日は国連が定めた「世界こどもの日」で、3月8日は同じく国連が定めた「国際女性デー」。 国際男性デーは国連が定めたものではありませんで、我が国の祝日法にある「こどもの日」に、母親への感謝しか記されていないのと同じ感じがして、ジェンダー平等を叫ぶ方々はその点をどう思うのか、暇なときに意見を賜りたく存じます・笑 さて、宮司が会長を務める佐倉七福神会の令和8年版カレンダーが完成をして、本日より頒布を開始しました。 このカレンダーは一枚物で、大きさはA2判。例年ながら車ダン吉さん作画の七福神が乗った宝船をメインに、12ヶ月の暦が並びます。 例年11月末頃に刷り上がり、頒布を始めるのですが、昨年はこれが半月早く11月の初めには御殿前にお目見えしたのです。 なので今年はお問い合わせも数件以上有りまして、11月末には頒布開始しますよと。 毎年の如くですが、七福神カレンダーは無料頒布となっており、麻賀多神社では御殿前に置いてありますので、ご自由にお持ち下さいね。 当社分では1000枚を用意してありますが、佐倉七福神のお寺(大聖院・甚大寺・嶺南寺・宗円寺・妙隆寺・松林寺)でも頒布しております。 身の回りの動きが段々と師走の様相となって来ました。来週には境内にお正月の臨時授与所用の大型テントを建て始まる予定です。 |
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| 明日の検査を前に [令和7年11月19日] | |
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今日の七峯、何から書き始めようかと悩む宮司。良い事とそうじゃないのが有りまして、さてどうしよう。 でもって、そうじゃないのから書き始めますと、大分県の佐賀関で大規模な火災が発生していますね。 昨夕は東京出張で、22時くらいに帰倉してJR佐倉駅近くの大衆食堂幸龍に寄ったのですが、その時は10軒ほどが燃えているとニュースで流れていました。 その規模でも大火事なのに、今朝のニュースでは何と170軒以上も焼失、又は類焼中とあり、どのような失火原因かは不明ですが、今年2月に頻発した大規模な山火事を思い出しました。 焼け出された方々は寒い思いをしていないでしょうか。食事は取れているのでしょうか。 火災はいつどこで起きるか解りませんし、季節が冬に入ってきて乾燥が進んでいる事を思うと、火の用心を忘れずにより気を付けましょう。 それでは良い事に話を進めまして、麻賀多神社で巫女の助勤をしてくれている子がこの度、何と國學院大學神道文化学部のAO入試に合格しました!! 進路に悩んでいた頃、色色と相談を受けましたが、神社で働きたいという気持ち、それは巫女として?それとも事務職?やっぱり神様に一番近い神職として?と、気持ちが揺れ動いたことでしょう。 先ずは受験をするという第一歩を踏み出せたこと、そして見事に合格したことにおめでとう。 来春から始まる國大生生活。実りと得るものが沢山有ることを祈っております。 さて、昨日行なわれた境内へのスロープ生コン打ち。狛猫の足跡が付くか心配と書いたわけですが、今日の朝拝後にワクワクしながら見に行くと、足跡は無くて工事の電気コードが落ちたらしい痕跡が1本有るのみでした。残念・・・ 明日は新社務所の監理検査と第1回施主検査が行なわれるので、未だ工事は続いておりますが屋内の掃除を現場監督さんがしてくれました。 和室には襖などの建具と畳みも敷かれ、ほぼ完成状態になりましたよ。 その和室がある2階エリアも通電検査が行なわれ、こんな所にこんなスイッチがあるんだと感心しきり。スイッチ、凄い多いです・笑 明日の検査を行なってから補修や追加工事をするので、また来週に第2回施主検査を行ない、最終的に施主・監理・施工で検査をして引き渡しとなります。 なので、今月末の引き渡しではありますが、当分の間は職人さん達が出入りすることになると思われ、完全な引っ越しは来年だろうなと禰宜画伯と話していおる宮司です。 でも楽しみだな。早く新社務所での社務開始をしたいし、お参りの方々を沢山お迎えしたいです。 本日の締めとして、昨夕の東京出張の帰りに人形町の多良々に寄り、富永オーナーが作る美味しい料理を堪能してきました。 元元は東京駅前の八重洲で「八重洲とよ田」営業しており、そこが再開発となったので人形町に「人形町多良々」として移転開業。 なので、今も八重洲の町会に所属しており、日枝神社の氏子でもあります。 その八重洲にあった山車が明治12年と13年に佐倉へやって来たご縁で、長くお付き合いを頂き、今年の麻賀多神社例大祭にも来倉してくれました。 頂いた料理はポテトサラダと蟹と茹できゃべつの和え物(温菜)、そしてメインの鰤カマの照り焼き。 鰤は14キロ超もあるものだそうで、脂もきつくなくて本当に美味しかった。 これからどんどんお魚が美味しい季節になりますね。またふらっと立ち寄って精気を養ってみようっと。 ・人形町多良々 https://www.talara.tokyo/ |
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| 進入路スロープ生コン打ち [令和7年11月18日] | |
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いやぁ、高市首相の存立危機事態発言からこの方、この人ってこういう考え方なのねっていうのがよく判りますね。 中共におもねっている方ばかりではないと思いますが、それにしても解りやすい・笑 中共も騒ぐだけ騒いで、もう引っ込みが付かないところまで行きまして、これって常套手段なのをご存じですか? 折れることをしない中共は、日本国内での高市批判を待っているわけでして、政界や財界に色んな仕掛けをしているのです。 今回は日本への渡航自粛や留学を思いとどまるように自国民へ発信をしており、これで旅行業などの経済損失を煽っております。 なんですが、日本のネット空間ではオーバーツーリズム解消に打って付けとか、ただでさえマナーのなっていない中共からの旅行者が減って一石二鳥とか、歓迎ムードのオンパレード。 衆議院予算委員会で立憲の誰とかが奈良の鹿について延々と質問をしておりましたが、鹿をいじめる外国人が減るのは、鹿にとっても奈良にとってもとても良いことですよね。 ついでに何を学びに来ているのか、公子学院なる中共の出先機関を介しての留学生も帰国をしてくれないかなと思う宮司です。 一つお断りをしておきますが、宮司は排外主義者ではございませんで、日本に有益になる方であれば中共出身者でもウェルカムでございます。 昨日の大風により、銀杏の葉と実が境内に降り積もっていた今朝の麻賀多神社。昨夕の決意宜しく、朝から宮司と出仕の2人で境内の大掃除を行いました。 落ち葉など、以前は境内の隅に撒いて腐葉土の材料にしたり、焚き上げを行っておりましたが、新社務所建設に伴いそのスペースも無くなりましたので、今は可燃ゴミとして佐倉市指定の日に指定袋に入れて出しております。 2人して午前中いっぱい掛かりましたが、30リットルの袋で18袋を回収する事が出来ました。頑張ったね。 途中、指定袋が底をつきましたので、銀行振込のついでに新町通りのローソンで購入して補充もしました。 それと同時進行で行わらていたのが、佐倉幼稚園側から新社務所、そして境内に上がってくるスロープの生コン打ちなんです。 当然、生コン打ちは宮司達が行ったわけではなく、新社務所建設工事の施工である万葉建設と職人さん方でして、朝7時にはコンクリートミキサー車から生コンをホースで送る圧送車が到着。9時前にコンクリートミキサー車が到着して作業が始まりました。 新設するスロープは、場所によって幅が変わり傾斜度も違ってくるので、生コンをそのまま流して平らにすれば良いというものではありません。 生コンを流して成形をし、そこから削ったり盛ったりして形にしますが、生コンは時間との勝負。刷毛で仕上げる時間も勘案して作業が行われるんですよ。 今日は昨日と変わり、ほぼ無風状態で作業はしやすかったと職人さん談。昨日のようは強風では、生コンを打っている最中にも銀杏の葉や実が落ちてきて、刷毛仕上げがボコボコになるところでした。 ただね、作業が済んだところで心配事がありまして、それは境内に住んでいる狛猫達が生コン半乾きのスロープで遊ばないかという事。 お祭り前に打った御殿前のスロープには狛猫の足跡がありまして、半乾きの前だったらしくズボッと穴が空いたところが出来まして修復済み)、どうせなら肉球の跡可愛く、芸術的センス溢れる作品のように歩いて欲しいな。 明日の朝が楽しみな宮司です。 |
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| 今日は真っきっき [令和7年11月17日] | |
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この頃の七峯枕は高市首相と熊ばっかりですが、テレビのワイドショーを見てもほぼ一緒で、これに大谷選手と加えると役満と言ったところでしょうか。 高市首相の存立危機事態発言。これに中共が発狂するのは解るのですが、国内で同じ反応をしている方、若しくはメディアって中共と同じ思考回路なんでしょうね・笑 メディア、それもオールド系は高市首相が発言をしていない集団的自衛権なる用語まで持ち出しており、もはや支離滅裂というか火に油を注いでおり、「中共様、うちの総理大臣はこんなに危ないヤツなんですよ」とご進言しているみたい。 そりゃねぇ、高市内閣の支持率も上がるってもんで、先週末の世論調査では多田でさえ高い支持率が5パーセント以上も上がったものもあったとか。 実はオールドメディアは高市首相応援団の先方ではないかとも思えてならない宮司です。 さて、穏やかな小春日和で迎えた朝。朝拝で御殿に向かうときの深呼吸は本庁に気持ちの良いものですね。 黄色に色付いた御神木を仰ぎ見る。その黄色が空の青さに映えて、今日も一日頑張ろうという気が湧いてきます。 昨日は多くのお参りが有りまして、それに比べると今日は七五三詣の予約は2件と、静かな境内。 だったのですが、10時過ぎからいきなり南西の強風が吹き始め、ほぼ落ちたであろうと思っていた銀杏の実が恐ろしいほど降ってきました。 只今午後2時半。未だ風は吹いておりまして、境内掃きも3回行ないましたが、あとは明日に任せようと。まだ強風だもんね。 午前中の御祈祷を納めたところで、境内に現れたのが麻賀多神社の四季を記録してくれる写真家の花澤信幸先生。 すでに七峯フリークの皆さんにはお馴染みの方でございますね。ほぼご本人の画像は出てきませんが・笑 開口一番、今日は禰宜さんいる?でして、お祭りの時に約束したらしい奥様お手製のスイートポテトを持参してくれました。それとご自宅の庭で収穫した檸檬。 スイートポテトの原材料となる薩摩芋も先生が栽培したもので、収穫してから2週間ほど冷蔵庫で寝かして甘みを引き出す。 それを奥様が加工するのですが、今回は随分と柔らかくなったと謙遜気味。 ところがですよ、食べていたら極上でして、生半可なホテルのデザートよりも美味しいし、普段甘いものを余り食べない宮司でも、もう一つ頂きたくなる美味しさでした。 そして檸檬。以前も自宅で収穫した檸檬を頂いたのですが、こちらにも温暖化の影響があるそうで、冬囲いをしなくても葉が痛むことがなくなり、実の付きも良いそうです。 スイートポテトと檸檬、当然ながら先ずは御神前に御供えをして、先述のようにそのお下がりを頂きました。 スイートポテトを食べながらふと思ったのは、銀杏も黄色でスイートポテトも檸檬も黄色。今日は真っきっきで纏められたなと・笑 きれいな黄色の檸檬はどのようにして頂こうかな。果汁は焼酎の割物でも良いし、お鍋のつけ汁に垂らしても活けますね。 皮も勿体ないから、何か使い道を考えてみようっと。あ、お腹が鳴った・笑 |
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| 狐さんのシッポ手術 [令和7年11月16日] | |
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澄み渡る青空に、公孫樹の紅葉がとても綺麗な麻賀多神社です。あ、写メ撮ってない・笑 今日は大安の日曜日ということも有り、七五三詣の御祈祷を中心に、多くのお参りが有りますね。 そして京成佐倉駅から坂を上って佐倉市美術館、そして新町交差点から神社の前を通って旧大手門広場、佐倉城址公園と、城下町HANGOUT2024「タマルバ」というイベントが行なわれており、神社周辺は若干の交通渋滞が起こっております。 多分に神社駐車場は常に満車状態だろうと思われ、代替の城址公園自由広場駐車場も混んでいるんだろうな。 七五三の時期はイベントをずらして欲しいと思うけど、先週は佐倉市産業祭りもあったし、比較的気候の落ち着いている11月はスケジュールを立てるのも難しいんでしょうね。 今日も智勇権禰宜が祈祷番で、宮司もすぐに御殿に上がれるよう朝から袴を着装しておりますが、なかなか祈祷番を交代してくれない智勇権禰宜。 帯を締め直す頃合いを見計らって、1回ですが宮司が御祈祷の奉仕を致しました・笑 ただね、書類仕事や神社庁から依頼されている神社本庁設立80周年記念表彰被表彰候補者の選定など、やってしまわなければならない物も結構多く、その点から言うとかなり仕事は捗りました。 先週のことになりますが、お稲荷様の祠を片付けたいとの依頼が有りお祓いに出向したんです。 佐倉では各家々にお稲荷様や氏神様の祠をお祀りしているところが多く、皆さん大切にされているのですが、不動産の売却などの理由で心ならずもお片付けをしなければ成らないときがあるんです。 今回も長く空き家になっていた家の解体、その後に土地を売却するとのことで、長く見守って頂いたお稲荷様に高天原にお戻り頂く「昇神祭・しょうしんさい」という祭典を行いました。 祠の中には当社で奉製した幣束が入っており、幣束を刺してある串の形状から、宮司の代で頒布した稲荷御幣であること。 そして空き家になる直前まで丁寧にお祀りをして頂いていたことなどが判り、相続した娘さんと参列した親族の方にお話をしました。 皆さんとても驚かれると共に、親御さん達の思い出話もでて、その目には薄らと光るものが。 昇神祭が済むと祠はからとなり、あとは撤去作業となりますが、お稲荷様と言えば眷属の狐さん。 長い時間、外に置かれていた陶器製の狐なので破損しているものもありましたが、比較的状態の良いものは神社で引き取り、一度丁寧に洗浄して乾かします。 その行程が一段落したので、軽微な破損のもの、また部材が残っているものを本体に合せて修理を行ないました。 修理に使用した接着剤は、佐倉第2工業団地に工場のある高圧ガス工業さんから頂いた瞬間接着剤ミニピタ。 これ、本当に良く着くんですよ。良く着くので間違って指に接着剤が付くと、なかなか剥がせないしろものなので、作業は慎重に且つ手早く行ないます。 修理が済んだ狐さんと状態が良い狐さんの計6体を、境内摂社の若宮稲荷神社に連れて行き、お仲間入りのご挨拶とお参りをして安置しました。 時代と共に家庭の稲荷社も少なくなってきましたが、佐倉の伝統である鎮守様は親神様の麻賀多様、各家庭は御子神のお稲荷様の姿はこれからも大切にしたいですね。 |
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| 初穂料改定準備 [令和7年11月15日] | |
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48年前の今日、当時13歳だった横田めぐみさんが新潟県の海岸で北朝鮮により拉致されました。 北朝鮮による拉致事件、その全容は未だ見えて折らず、判明している方の親世代は、めぐみさんの母である横田早紀江さんのみとなってしまいました。 平成14年(2002)と同16年に拉致被害者が帰国していますが、それ以降は膠着状態となっているのは周知の通りです。 高市首相は拉致問題の解決に、北朝鮮の金総書記と直接対話をするべく、彼の国に投げかけていますが、返事はないとのこと。 その北朝鮮も中共やロシアと悪の枢軸よろしく手を組んでおり、日本にとっては好ましくない環境(政府関係者)になっています。 中共に至っては、高市首相の「台湾有事は存立危機事態」との発言に激高しておりまして、ああ台湾を武力支配する気満々なのが露呈。 挙げ句の果てには、今日本に行くと危ないからと、自国民に渡航を止めるよう促し始めまして、何かとマナーのなっていない方が多いそちらからの入国が減るのは、日本にとっては良いことでしてね・笑 さて、晩秋の小春日和が気持ちいい佐倉でして、七五三詣の御縁日と言うこともあり晴れ着姿のお子さん達が眩しく感じた宮司です。 今日の祈祷番も智勇権禰宜。最高気温は18度なので汗ばむほどではないにしろ、御祈祷の奉仕って何かと動きがあるので、額に汗して頑張ってくれました。 宮司は午前中に地鎮祭の奉仕をしてから、社頭番と来月に予定している一部守札の初穂料改定準備をしました。 物価高騰の並みは神社界にも分け隔てなく、流行病からこの方、仕入れ単価は目に見えて上がっております。 当然、それに伴って仕入れる際に支払う消費税も上がるわけで、少子化のこの時代にあり神社経営も難しいのです。 実は2年ほど前から初穂料改定を予定していたのですが、それが毎度年末の慌ただしさから準備が出来ずに2回の正月を迎えました。 最低賃金も上がっている中で、流石に今回は改定をしないとやせ我慢では成り立ちませんので、敢えて事前に経緯をアップしまして皆さんのご理解を得たいと考えている次第です。 経済の好循環、高市政権で是非成し遂げて頂き、持続可能な神社運営をしていきたく思います。 |
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| 神政連大会御礼まわり [令和7年11月14日] | |
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気が付けば11月も半ばになりまして、社務所では年神様の奉製も本格化しております。気が焦るなぁ・・・ 来週は公務で外出する機会も多いので、今のうちにやれるものを確りと積み重ねて参ります。 新社務所の工事も内装と外構が大詰めになっており、2階に設ける厨房にも器具が入りました。 お正月には約30人分の賄いを作るところに成るので、器具も一般家庭用ではなく飲食店用のものを入れて頂きました。 飲食店用はお高いように思えますが、装飾がほぼない分だけ家庭用よりも安価でして、この様なところでも建設費を抑える努力をしております。 奉賛金もまだまだ受け付けておりますので、皆さんのお力添えを重ねてお願い致します。 宮司心の叫び。 昨日の事になりますが、神道政治連盟千葉県本部にて先月27日に開催した、結成55周年記念大会へご参加を頂いた国会議員の皆さん御礼の挨拶回りをしてまいりました。 午後1時半に東京メトロ永田町駅に千葉本部長(意富比神社宮司)と幹事長の宮司、そして前原事務局長(神社庁主事)が集合。 先ず向かった先は自民党本部で、高市総裁就任により党総務会長となった有村治子参議院議員を訪ねました。 党総務会長は自民党四役の一つで、総務会は部会や政策調査会で練られた議案を審議し、政権運営に反映させるところ。 なので、幾ら良い議案や施策を作っても、総務会で了承を受けないと実現しないのです。 総務会室で面会の時間まで待機をしている際に、壁に貼ってある歴代総務会長の写真を見ます。 並ぶのはそうそうたる顔ぶれで、後に内閣総理大臣に就任した方も多く見られましたが、なんと参議院議員で総務会長に就任したのは63代の中で有村さんが始めてだそうで、ここにも高市カラーが滲み出ていると感じました。 時間となりまして、総務会室の隣にある総務会長室に通されると、いつもの明るいハイテンションな有村さんが待ってくれており、早速御礼と総務会長就任のお祝いの言の葉を述べました。 直近まで法務省の事務方がレクチャーで滞在していたそうで、詳しい内容は書けませんが夫婦の氏制度についてだそうです。 次ぎに向かったのは衆議院第一議員会館。こちらは高市政権発足でデジタル大臣に就任した松本尚衆議院議員の部屋。 今国会では予算委員会が開会中なので、大臣本人はそちらへ張り付いており、秘書の方にご挨拶。 昨今、松本大臣と席を共にする機会が多い宮司でして、先日は松本大臣の元秘書で酒々井町議会議長の金塚学議員の酒々井町長選出馬事務所開きでもご一緒しました。 続いて向かったのは参議院議員会館で、山谷えり子参議院議員と臼井正一参議院議員の部屋。 山谷えり子議員はご本人が是非にと面談の時間を取って頂き、神政連に対する感謝と今大問題となっている熊の話を頂きました。 山谷さん、今年から自民党鳥獣議員連盟の会長に就任されたそうで、大日本猟友会の方々との打ち合わせも多いとか。 自衛隊や警察が熊の駆除に猟友会の方々と活動を始めましたが、そのノウハウはまだまだお勉強中とのこと。 箱わなの設置にしても、出来るだけ人間の匂いを残さないようにする工夫や、熊の性質についても興味深い話が聞けました。 何かの機会に多くの皆さんに聞いて欲しい内容ですので、熊なし県の千葉にあっても無駄じゃない情報ですよ。 臼井さんも国会対策でお留守だったので、秘書さんにご挨拶。ライオンズクラブの仲間でもあるので、今後の活躍が楽しみです。 只今午後5時半を回りました。良い具合にお腹が減ってきたので、今夜の夕餉が楽しみと言うことで、本日の七峯はここまで。 最後まで読んで頂き、ありがとうございました。 |
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| 出発7年のさくたろう [令和7年11月13日] | |
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今日は戌の日、安産の御祈祷が続いておりまして、祈祷番の智勇権禰宜が一生懸命に奉仕をしております。 一日の中で寒暖の差が大きくなってきておりまして境内の紅葉は進んでおりますが、この差はただでさえ身体に堪えるもので、妊婦さんには尚更辛いと思われます。 重ねてご自愛を頂き、元気な赤ちゃんの誕生と母体も健全でありますよう、心からお祈り致します。 で、戌の日なのですが、今日は猫を取り上げる七峯ですので、お付き合いの程をお願いします。 7年前の10月下旬、境内に1匹の子猫がポツンといました。数日前には母猫と一緒に歩いていたのに、その日は母猫の姿はなくなっていました。 時折、ミ〜ッと鳴いていたり、境内を走り回ってみたり、社務所の縁の下に入ってみたりと、その無邪気さは子猫そのもの。 そこから数日が経ち、下校中の子供達に抱っこされたところで、この子はもう自然界ではいていけなくなったのです。 人が子猫を抱くと言うことは、人間の匂いが付くので親猫は決して近づかなくなります。 抱かれた子猫は、抱いた人が責任を持って育てるか、里親を探す責務を負うのです。 でも、子供って何の悪気もなく、可愛いものを抱くことをしますよね。それって愛情の現れなので全てが悪いのではありません。 結局、この子猫はそのまま境内に取り残されたままとなり、段々と衰弱が始まってしまいました。 自然界の掟により虹の橋を渡るのか、それとも神社の境内にいるという責任を持って生きながらえる方策を採るのか、宮司は悩みました。 一旦保護をして、段ボール箱に入れて一晩様子を見ることにしてから眠れない夜が過ぎ、翌朝に禰宜画伯から「この子を助ける。絶対に」という決心があって動物病院へ。 先生の見立てては「助かる見込みは少なく、助かったとしても目脂が酷いので、失明をして入れうだろ」というものでした。 そこから禰宜画伯による昼夜を問わない懸命な看病が始り、子猫用の哺乳瓶であげるミルクも次第に量が増えてきました。 人もそうですが、栄養と食事が取れるようになると体力が付いてきて、内臓も動くようになります。 失明とされた目も、毎日の点眼と目脂の掃除で段々ときれいになり、光を目で追うようになったんです。 うんちもおしっこもちゃんと出て、ここまでくれば少し安心で、再度先述の動物病院で受診をして貰うと、先生も看護士さんも子猫の回復状態にビックリされ、さすが神社で保護された猫と・笑 そして子猫を取り巻く環境は次のステップに進みまして里親探し。それもただ譲渡する訳ではなく、子猫の生涯をちゃんと面倒を見られる方を探すという、なかなか難儀な問題に進むのです。 当時の宮司はSNSといえばFacebookがメインで、Instagramは始めたばかり。見様見真似で投稿をしていた時代。 今でも使いこなしているとまではいきませんが、毎日アップしているとそれなりになるもので、兎に角子猫の里親募集をかけてみました。 何の反応も無いまま一週間が経ち、そして再度子猫のアップをしてまた一週間が経ち、宮司はこの子はうちで飼うことになるのかなと思っていた矢先の事です。 Instagramにはダイレクトメールという機能があり、そこに一通のメールが入っていたのを、使いこなしていない宮司は見過ごしておりました。 公孫樹や紅葉が色付いた11月半ば、宮司が外祭から帰社して駐車場に降り立つと、夫婦連れの方に「子猫についてメールをしたのですが」と声を掛けられました。 さて、メールは?という話になり、そこでInstagramのダイレクトメール機能を知ったという・笑 社務所で飼いたい理由や住環境をお聞きして、このご家族ならばと子猫を引き渡して今日で7年。 毎日のようにInstagramにアップされる画像とその成長に、親元として嬉しさと懐かしさを感じつつ、本当にいいお家に行けて良かったと、禰宜画伯と話しております。 7年前に佐倉出発した子猫はさくたろうと名付けられ、今は川崎のマンション暮らしで、本当に可愛がって貰っています。 もう実際には会うことはないと思うけど、毎年届くさくたろうからの年賀状、1ヶ月半後のお正月に待ってるね。 |
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