七峯の丘から

今年の御例祭一番の珍事 [令和8年10月21日]

「狛猫避難中」

「神宮大麻の仕分け中」

「みためは榊?」
 台風30号が先島諸島と台湾方面に進んでおり、その影響で強烈なっ南風が入っている千葉県。
 この時期で台風とはとも思いますが、一年間で台風が30個も誕生したのは13年振りの事で、それだけ今年の気象状況は異常なのでしょう。
 台風は反時計回りにまわるので、本州の南岸に有る場合は南風を送り込んでしまい、最高気温は当地佐倉で29度。全国では真夏日が続出しており、やっと涼しさにも慣れたところですので、体調管理には充分にお気を付け下さい。
 今日は千葉県神社庁印旛支部の神職が当社新社務所に参集して、神宮大麻の仕分け作業を行ないました。
 神宮大麻とは伊勢の神宮の御神札のことで、別名「御祓大麻・おはらいたいま」とも称します。
 伊勢の地で奉製される際にも奉製員が毎日自身のお祓いをして、1対1体丁寧に大麻を作り上げます。
 その神宮大麻は9月に神宮の内宮神楽殿で行なわれた神宮大麻暦頒布始祭で再度御祓いを受け、各都道府県神社庁へ送付。
 その神社庁でも神宮大麻暦頒布始奉告祭が齋行され、神社庁の各支部に送付。そして各支部でも祭典を執り行い、氏神様の神社より各ご家庭へお分かちされます。
 当印旛支部では今日に各宮司宛に配送となりますが、この29日に当社で齋行される千葉県神社庁印旛支部神宮大麻暦頒布始奉告祭を齋行してから今年の社頭頒布が始まります。
 当社では年間を通じて頒布を行なっておりますので、神宮大麻が受けられないことはありませんのでご安心下さい。
 神宮大麻の話題が増えると年末も近いのだと実感しますが、もう少し今年の秋の御例祭関連についてお付き合い下さいね。
 当社の宮司は佐倉市鏑木町鎮座の麻賀多神社を本務社として、その他にも多くの兼務社をお預かりしております。
 宗教法人格を持つ神社は53社で千葉県内でもかなり多い方ですが、その他にも非法人の神社も有りまして、総数としては軽く3桁は行くのが実情です。
 その中でも秋が一番お祭りが多く、日によっては分単位で移動することもあり、このところの七峯でも書いておりますが、今はその全てを納めたのでほっとしているのです。
 毎年行なわれる御例祭の神事と祭事では思いも掛けない事も起こりまして、ほっっこっりするものとそうじゃないものが有りますが、今日は今秋の御例祭で一番ほっこりというか、皆が笑ってしまったものをご紹介しますね。
 それは祭典中に神職や参列者が神様へ捧げる玉串のこと。玉串とは一般的に榊の枝を使いまして、榊も真榊と山榊の2種類がございます。
 榊はサカキ科サカキ属の常緑樹で、その緑のあおあおさから「栄える木」で「栄木・さかき」とも表わすんですよ。
 真榊の葉のまわりはつるりとしているのに対して山榊の葉は一回り小さく、まわりはノコギリ状にギザギザしております。
 この山榊にそっくりな葉を持つ植物が身近にあるのをご存知ですか?それは山茶花(さざんか)なんです。
 山茶花の葉、山榊の葉に比べると緑がより濃いのですが形状はほぼ同じで、植栽されている場所が日向だと緑も少しく薄くなるので、傍目には山榊と替わらなく見えてしまうのです。
 兼務社も含めて秋の御例祭は済んでおりますので、今日の七峯に書いてもどこの神社だかは解らないと思いますが、とある神社の玉串にこの山茶花の枝が使われているのが解ったのです。
 宮司も傍と見たときは違和感がなかったのですが、良く見ると枝の先に蕾が付いているではないですか!?
 榊のそれとは明らかに形状の違う蕾。宮司、にやりとして氏子総代の顔を見て一言。境内に山茶花の木はありましたか?
 最初はその意味がわからなかった役員一同ですが、枝の先の蕾を見せると「あ・・・」となりましてそこでネタばらしとなりました。
 まあ恥ずかしいやら大笑いだわでしたが、祭典にはそのまま山茶花の玉串を使う事にして、無事に仕舞いとなりました・笑
 玉串は榊に限らないのをご存知でしょうか?榊は温暖な気候の下に育つので、山間部や寒冷地では榊に替わり杉や檜、ヒバの枝を使うところもありまして、宮司も過去には榊の代替として別の植物を使って玉串を奉製した事も有るんです。
 山榊と山茶花の葉、本当に良く似ておりまして、当社に在籍した旧職員も取り違えたこともあったりと、神職でもそういう事も有りますので宜しいと致しましょうね。
 
やっと花流しのお話を [令和8年10月20日]

「社務所にございます」

「今年は縮小で」
 先週末に各種世論調査が行なわれまして、高市内閣の支持率は共同通信社版では過去最低の49パーセントと、これを待ってましたかのように歓喜したのが朝日新聞と系列のテレビ朝日で、NHNのニュースもそんな感じでした。
 ところが今朝の産経新聞1面では産経新聞とフジニュースネットワークの合同調査の結果が掲載されており、前回より1パーセント上昇の62パーセントの支持率。
 まあ世論調査なんてこんなものでして、ただ共通しているのが中道なんとかとが瓦解して、立憲民主党に戻れない、宮司の頭には名前すら出てこない政党の支持率は、なんと0パーセントでした。
 読売新聞は0,5パーセント以下だと0パーセント表示にするらしく、産経新聞では数字は数字として0,1パーセントと掲載。
 このところ左旋回をしている読売新聞より、もともと右系の産経新聞の方が中道なんとかの残党政党に優しいのですね・笑
 さて、昨日書くと一昨日書いてすっかり忘れていた「花流し」の事を、今日はちゃんと書こうと思います・苦笑
 花流しとはお祭りのお疲れ様会のことで、そもそも「花」とはご祝儀を表わしまして、祭礼で掛った経費を支払い、その残りを持って会を開くというもの。
 なので花流しと申しますが、隣の成田では「砂ばらい」でその先の佐原では「砂はたき」と言いまして、内容は一緒でも地域によって名称が異なる点が興味深いですね。
 東京だと「鉢洗い」と言うそうで、機会があれば東京の神職さんに、その謂われを聞いてみたいと思います。
 今年は度重なる水害があったので花流しも縮小傾向にあるようすが、各氏子町で先週末から順次開催がされております。
 麻賀多神社の大神輿に奉仕する鏑木青年会も、例年であれば神社隣の房州屋本店において全員参加で大きな花流しを行ないますが、今年は棒頭以上の14名と宮司とでささやかに行ないました。
 その場に於て例大祭初日に撮影した記念写真を頂戴しましたが、これも初日に鏑木方面から樋之口橋を挟んで表町が水害に遭った事を鑑み、大神輿の渡御ではなく金幣奉持にした事で、白丁の集合時間を暮らせたので今回の花流し参加者と同じ面々のみとなっております。
 御例祭の記念写真を見るとその年の奉仕者の構えが解りまして、それはそれで懐かしく思えるものです。
 今年の記念写真、懐かしく思えるまでどれくらいの年月が掛るでしょうか。復旧から復興へは未だ至っていない佐倉ですが、多くの方々の支援を有り難く被災された地域に繋げて参ります。
 
椎の実大豊作 [令和8年10月19日]

「怪しげな・笑」

「大きいですね」

「鹿渡香取神社」
 フランスやイタリアでデモ隊が暴徒化して略奪まで起きています。この国ってデモなどは頻繁に起きているのですが、ここまでのひどさは余り知りません。
 背景は1つでは有りませんが、移民政策で来たはいいけど、物価高などの生活苦もあるのでしょう。
 日本でも労働者不足を外国人で埋めようという流れがありますが、安易な移民政策はその国を壊します。
 もう既にその兆候は見えておりますので、不法入国者を含めて政府には毅然とした対応を願いたいです。
 9月初頭から始まった秋の御例祭も、今日の四街道市鹿渡の香取神社で仕舞いとなりまして、胸を撫で下ろしている宮司です。
 鹿渡の香取神社、その昔は御神輿の渡御があり御神酒所(曳き廻し屋台)も曳かれており、古写真を見るとかなりの規模でお祭りを行なっていた様子です。
 今は御神輿は拝殿に飾り渡御はありませんが、四街道を代表する立派な御神輿ですので機会がありましたが拝観下さい。
 麻賀多神社御例祭の片付けも順調に進んでおりますが、大量のアイロン掛け待ちがありまして、佐藤出仕が一生懸命に行なっております。
 宮司は会計処理と礼状発送の準備を行なっておりまして、この会計処理がなかなか終らないのです。
 今週中には済ませて頭を七五三モードに切り換えたいですね。多分、明日は電卓とお友達の一日になろうと思います・笑
 今秋の境内の様子に、例年とは違う一面がありましたのでご報告しますね。
 佐倉の麻賀多神社と言えば大公孫樹の御神木が有名で、その他にも境内には数本の公孫樹があるので、秋になると銀杏が沢山降ってきます。
 ところが今年は銀杏の実は生っているものの、風に吹かれて落ちては来ているものの、その数が激減。
 激減と言ってもそれなりに多いことは多いのですが、それでも宮司が記憶にあるなかでは平成12年(2000)5月24日に大きな雹が降って公孫樹が傷んで実が殆ど落ちてしまったのに次ぐ少なさ。
 それに引き替えなのがスダ椎でして、風が吹くとバラバラと音をたてて落ちてきます。
 特に鳥居と木造社務所付近では地面が椎の実で埋め尽くされるのではないかと言うくらい降ってきます。
 祈祷番の智勇権禰宜が御殿から降りてきて開口一番、「境内に不審な人がいるんだけど」とあり、どれどれとこっそり見に行くと、禰宜画伯が椎の実拾いをしている最中でした・笑
 今年の椎の実は数もそうですが、形もプックリとしていて大きいんですよ。
 ビニール袋に詰め込んだ椎の実、何に使うんだろう、煎って食べるのかしら?あとで禰宜画伯に聞いてみます。
 
今日は兼務3社の御例祭 [令和8年10月18日]

「吉岡春日神社」

「成山高お神社」

「吉見住吉神社」

「獅子頭出番待ちです」
 毎日毎日、有り難くも秋晴れが続いている佐倉です。麻賀多神社の例大祭において宮司挨拶の中に取り込んだ言の葉の1つに、「お空の水瓶がカラになったようなお天気」というものがありました。
 雨はなくても困るし、今年のように降りすぎてはもっと困るわけで、良い塩梅というのは本当に難しいものですね。
 ただ、このところのお天気続きは気鬱も晴らしてくれるし、浸水ヶ所や土砂災害現場の復旧作業にはとても良いことで、一日でも早く元の生活に戻れるよう、神社としても微力ながらお手伝いを継続して参ります。
 今日は宮司が兼務をしている3社が御例祭で、宮司は四街道市吉岡の春日神社と同市成山の高お神社※で。禰宜出張は佐倉市吉見の住吉神社で祭典奉仕を致しました。
 宮司がご奉仕した2社は農村部という雰囲気のところで、ノホホンとした感じの中に祭典を行っております。
 吉見の住吉神社も元はそう言う雰囲気のお社だったのですが、佐倉市の計画道路に境内がかかり現在の場所に新築をして遷座。
 本務社にしてもおかしくない程の規模と景観になりまして、神社の周りも新興住宅街なのでお参り自体もかなり増えました。
 では有りますが、神事と祭事は従来通り確りと継承されており、廃絶の危機にあった獅子舞も毎年の例大祭で舞われております。
 宮司の奉仕した2社の例大祭の間に少しく時間が有ったので、ひとっ走りして吉見まで行きまして、既に禰宜画伯は祭典を仕舞って帰社をしておりましたが神社役員さ挨拶も叶いました。
 「おお!!宮本宮司が来てくれたぞ!!!」、これも有り難くも少し嬉し恥ずかしかったりの良き日でした。
 当社管轄の秋の御例祭。残すは明日の四街道市鹿渡の香取神社となりました。まだ安堵感を出してはいけないのですが、今年の御例祭は色々と思案しつつでしたので、明日の夕餉は少し贅沢をしてみようかな・微笑
 すいません、花流しの事を書くのをすっかり失念しておりました!!明日の七峯に書きますので、暫しお待ちを(m_m)

※印 「お」の漢字は雨冠に龍
 
鎮守御祭礼提灯下げる [令和8年10月17日]

「ほっと一安心」

「山車出発式」

「境内が華やかです」
 日本の遙か南、マリアナ諸島付近には台風30号がおりまして、西北西に進んでいる模様です。
 このまま進むと台湾を直撃することになりますが、心は痛む中で被害が出ないことを願いつつ、もうこちらには来ないで欲しい。
 今日も秋晴れの佐倉。湿度も一番低くて35パーセントで、本当に心地よい中にいる宮司です。
 昨日に本義の例祭日を納めて、本日早朝に拝殿に掲げてある「鎮守御祭礼」の提灯を下げました。
 これで本当に今年の御例祭行事が仕舞いとなりまして、この後は御礼のご挨拶回りと会計処理という実務が待っております。
 また今夜からは花流しが始り、宮司は大神輿奉昇員の鏑木青年会、智勇権禰宜は六崎大神輿に奉仕する六崎青年会に出席を致します。
 「花流しとは」については明日の七峯に書くとしまして、宮司は今朝7時に昨日例大祭を奉仕した富里市七栄鎮座の紅葉山稲荷神社に出発。
 例大祭の附け祭りである七栄親子まつりの山車清祓式を8時より奉仕。七栄の若衆「七若連」の漲る力を沢山浴びて参りました・笑
 帰社しましたのは9時少し前で、到着と共に通常社務と事務仕事、そしてまだまだ続くお祭りの後片付けをこつこつと行なっております。
 今日の祈祷番も智勇権禰宜で、連勤続きなのでそろそろ休みを取らせたいのですが、月曜日まで兼務社の例大祭が続くので、それ以降に予定を見て公休を取らせるつもりです。
 佐倉では麻賀多様のお祭りが済むと七五三シーズンが本番となります。今日も赤ちゃんの初宮詣よりも七五三詣の方が多く、履き慣れないであろうお草履や木履(ぽっくり)の音が聞こえて微笑ましかったですよ。
 明日の宮司は四街道市吉岡鎮座の春日神社と成山鎮座の高お神社※、禰宜画伯は佐倉市吉見の住吉神社の例大祭を奉仕します。
 気が付けば10月も半ばを過ぎて末に入って来ました。こうなるとお正月は目の前なので、お手伝いの巫女さんの手配も始めませんとね。
 
令和8年御例祭の納め日 [令和8年10月16日]

「御社紋が三つ葉葵です」

「一部交通規制があります」

「火傷しないでね」
 今日も穏やかな空模様の佐倉です。気温は高めのような気もしますが、ここ数年はこれくらいの気温だったと思いまして残暑が無かった分、身体が本来の秋の気候に慣れてしまったのでしょう。
 今日は兼務である富里市七栄鎮座の紅葉山稲荷神社の例大祭で、午前9時に七栄消防団員が迎えに来てくれ、車中では今回の豪雨と長雨での富里市内の被害についてお話を聞きました。
 富里市内では人的や建物被害は少ないものの、基幹産業である農業に著しい影響が出ており、特に畑の表土が流されたり地中の排水が進まず農作物が病気に掛っているところがあるそうです。
 ただ、10月に入ってからの天候続きで事態も好転している場所も有って、今年も例大祭に参列をして頂いたJA富里市の根本理事長には大変ながらも「宮司ありがとうございます。頑張ります!!」と力強い言の葉を頂きました。
 紅葉山稲荷神社は江戸城内の紅葉山に鎮座していたお社で、戊辰戦争の際に江戸城が無血開城をした際に江戸詰の佐倉藩士が、将軍様がお参りしていた神社が取り壊されるのは忍びないと、御神体諸々を佐倉まで持って帰って来ました。
 それを佐倉牧として馬を放牧と生産をしていたところを開墾するにあたり、その鎮守として佐倉より遷座をしたのが始りとされています。
 佐倉牧や幕府直轄の牧を開墾した場所は13ヶ所あり、現鎌ケ谷市の初富を皮切りに7番目なので七栄。隣の八街は8番目の開墾地という訳なんです。
 今考えてもなかなかのことをした佐倉藩士達ですが、その機転の利かせ方が徳川幕府政権下で一番多く老中を輩出した佐倉藩ならではなのかと思います。
 明日からは御例祭の附け祭りである「七栄親子まつり」が2日間の日程で開始され、午前8時から山車のお祓いを致します。
 なので明日は7時迎え。今日は早めにやすむとして、麻賀多神社では今日10月16日が本義の日程で言うところの御例祭納めの日。
 拝殿には「鎮守御祭禮」の提灯が煌々と灯っており、宮司家の軒提灯も同じく灯り、これらは明日の早朝に下ろして仕舞いとなります。
 七栄から帰社しましてからは、先週の御例祭行事のお片付けを再開し、宮司が洗濯をした神社役員と来賓の参拝着を出仕がアイロン掛け開始。
 その数80着ですから今日に終るわけもなく数日を掛けて、また改め七峯に記しますがその他のもののアイロン掛けもありますので、出仕と巫女さんには火傷に気を付けて作業に当たって貰います。
 今夜は早くやすむと書きましたが御例祭の御礼周りも始まりますので、程程で帰宅することに致します。
 
本義御例祭中日と次世代 [令和8年10月15日]

「ご案内が沢山」

「下台麻賀多神社」

「墨の六所神社」
 なんでも農水大臣が辞任をしたそうですが、御例祭が続いている中に、また宮司家のテレビが完全に映らなくなってしまったので、社会情勢にかなり疎くなっている宮司です。
 その中にあっても兼務地域である酒々井町馬橋。そこにある開運団地の台風25号による土砂災害の水浸が先月23日に起こってから、約20日が経った今月13日の午後にようやく排水が完了したと連絡が有り、言の葉は適当ではないかもしれませんが少しく心を和ませております。
 被害に遭われた方々にお見舞いを申し上げますと共に、金塚学酒々井町長を先頭に町職員、消防、自衛隊、国土交通省など、未だ名称は書き切れませんが多くの方が尽力をされたものと思われます。
 実際にはこれから団地上部にある不法残土の撤去と排水路の再構築、そしてなにより住宅の復旧が行なわれていきますが、20日も水に浸かってしまった住宅の再建は気の遠くなる時間が掛ると思います。
 これから書きます本日10月15日に御例祭が行なわれた酒々井町の各神社でもその話題がのぼり、役員でもある酒々井町社会福祉協議会関係者もこれから立ち上がるボランティアセンターについてお話をして下さいました。
 既に酒々井町社会福祉協議会へは当社と佐倉ライオンズクラブより土嚢袋を始めとする支援物資の搬入を行なっており、その事に対しても御礼の言の葉を頂きました。
 支援物資のニーズは時間と共に、また復旧作業の進み具合によって替わってきますので、連絡を密にして行きたく存じます。
 今日は本義御例祭日の中日。そして上記にあるとおり、宮司が兼務する酒々井町内の5社を回りまして例大祭を奉仕して参りました。
 回る順番は毎年一緒で、酒々井上宿の八坂神社を皮切りに下宿麻賀多神社、横町朝日神社、下台麻賀多神社、そして墨の六所神社となり、神事のみですが皆さんが待っている大切な日なのです。
 特に墨と馬橋は隣同士の地区で、7月15日には両方の神社で夏祭りと獅子舞が行なわれるなど、祭礼文化も似た部分が多いんですよ。
 温暖化の影響で7月の獅子舞は舞手への危険が問題となっており、馬橋では7月に神事を行ない10月に獅子舞を行なう案も出ておりました。
 神社役員と馬橋区役員とで協議をした結果、しっかりとした休息と水便補給を行なう事で、獅子舞も従来通りの7月に行ないましたが、もしこれが10月に変更であったならば、今年の馬橋獅子舞はお休みだったかもしれません。
 酒々井町の各地区も少子高齢化が進んでおり、伝統芸能を次世代にどのようにして繋げるのかが大きな課題となっております。
 その中にも毎年に近く小学生の囃子方見習いや中学生の舞手も出てきてくれ、絶対に無くさないという氏子さん達の信念が見えるのです。
 あたかも今日は戌の日で、留守番部隊の智勇権禰宜は安産祈願を数件ご奉仕致しましたし、境内を見回せば七五三の文字も見える季節となりました。
 麻賀多神社御例祭として先週に行なった祭礼行事にも、水害を被った3町を始めとして多くの老若男女が神社と城下町に集いました。
 今年の御例祭は次世代に繋ぐためには地元の神社として、また宮司として何が出来るのかを考えさせられることが多く、頭の中が整理できておりませんが残り5社の秋の御例祭を恙なく執り納められるよう、今はただ神事に没頭したいと思います。
 
今日から本来の例祭日 [令和8年10月14日]


 昨夜はなんだか蒸し暑く感じたので、久し振りにエアコンを掛けて寝た宮司。日付が変わって今朝お参りに行くといろいろなものが濡れておりまして、雨が降った形跡もないので空気中の水分量が高かったのでしょうか。
 今日はお昼過ぎから雨がぱらつきまして、時間帯によっては少し大粒の雨が降ったりしまして、先週の御例祭行事中に沢山の方に踏みしめられ乾燥をした境内の地面には埃除けの意味も含めて良いお湿りになったと思います。
 当社の御例祭日、本来は今日10月14日からの3日間で、約30年前に佐倉の秋祭り実行委員会が発足してから御例祭行事は10月第二金曜日からの3日間で行なっております。
 なので当社としては今年は10月9日〜16日迄が御例祭期間としてその体制を取っており、やはり14日を迎えると大きな行事は済ませているものの心のどこかに緊張があるのです。
 今日の神社アカウントのSNSは、初日の9日に来社した千成幼稚園の皆さんを取り上げました。
 流行病前からですのでもう10年以上となりますが、お祭りの説明と大神輿の見学して欲しいと千成幼稚園の安川理事長より依頼が有り、宮司は同時刻に田町愛宕神社の例大祭奉仕で出向中のため、初回から禰宜画伯が担当として今に至ります。
 思うに園児さん達には宮司より禰宜画伯がお話をした方が受け入れもし易く、その様な流れが有ったのではないかと思います。
 禰宜画伯によると、一連のお話の後には園児さんからの質問が沢山有るそうで、中には返答に困るような、そして大人では考えつかないユーモラスなものもあるそうで、午後からの御例祭大祭式に臨む緊張感が少し薄れるそうです。
 偶然は必然とも言いまして、今日は示し合わせたかのように安川理事長と南園長が来社。
 千成幼稚園の子供達が普段どのような園生活をしているのか、纏めた写真集を頂きました。
 その中には大神輿について説明している禰宜画伯や、仲町の御神酒所を千成幼稚園揃いの法被を着て園児さん達が賑やかに曳く様子なども掲載されていましたよ。
 明日は年で一番多くの例大祭を奉仕する日。心身共に清めて臨むことに致しますが、今夜は宮司が所属する佐倉ライオンズクラブの例会もございますので、久し振りに仲間たちの顔を見て和むことのも良いかな。
 
川向こう3社例祭からのお洗濯 [令和8年10月13日]

「江原淡島神社」

「江原新田麻賀多神社」

「からのお洗濯」
 今日も穏やかな空気が流れる佐倉です。千葉豪雨から今日で2ヶ月、本当に8月から9月末までの空模様は何だったのか不思議でなりません。
 10月に入ってからの雨は2日間。それも小雨程度で、境内の地面はかなり乾いてきました。
 佐倉の街中は御例祭行事が済んでいつものゆっくりモードに戻りましたが、当社管轄では今日が鹿島川の西側、角来八幡神社・江原淡島神社・江原新田麻賀多神社の御例祭でして、宮司が出向し奉仕を致しました。
 各社へ向かう途中の道では未だに水が染み出ているところも多く、土砂崩れがあった場所の復旧作業はこれから本格化するようです。
 3社の御例祭、やはり話題になったのは大雨と水害のこと。角来地区では水路の復旧工事が行なわれており、その影響で一部道路が通行止めになっており、氏子総代の中には大回りをして神社までたどり着いた方もおりました。
 祭典自体は順調に進み、12時からの江原新田麻賀多神社の御例祭は氏子さん方の準備の良さから、12時前に祭典終了。
 早めに帰社できるのは有り難いことで、御例祭行事の後片付けが捗りました。
 とは言ってもまだまだ道のりは長いのですが、天気も良いので例大祭大祭式と大神輿渡御で神社役員が着装した参拝着の洗濯をすることに。
 新社務所の2階には洗濯機がありまして、倉庫を挟んでベランダに出ることが出来ます。
 御本殿のすぐ真横になりますが、ベランダからは外が一望なのに、神社駐車場あたりから見てもベランダの中は見えない構造になっており、よくお洗濯ものを乾すんですよ。
 洗う参拝着の数は約80着ありまして、今日と明日とに別けて洗濯を行ない、巫女さんにアイロンがけをして貰う予定です。
 これと同時進行で提灯の片付けもしたいところですが、今週中には目処が立てば良いかな。
 
令和8年御例祭のお片し開始 [令和8年10月12日]

「表町の皆さん」

「陰干しからの」
 昨夜、大神輿が還御となり御神霊代を本殿にお戻しを致しましたが、麻賀多様には「明神祭り さらば久しい」の掛け声の下、御例祭をお楽しみ頂いたことと拝察を致します。
 一夜明けての境内は連休と言う事も有ってお参りも多く、境内西側にある4町内の山車と神酒所倉では、昨日と同じくらいの若々しい声が飛び交っておりました。
 何事にも準備8割など度申しますが、始まってみればあっという間で、昨日の仕舞いがとても昔の事の様に思われます。
 今日は御祈祷が数件入っており、智勇権禰宜が奉仕を致しましたが、初日は本町神明大神社、そして2,3日目は城麻賀多神社での神輿渡御に歩行(かち)で奉仕を致しましたので、彼もかなり疲れていると思います。よく頑張りました。
 今日の宮司は挨拶回りとお片し等を行ないまして、未だ目処は立っておりませんが気長に作業をしたいと思います・笑
 御例祭が済みますと色々なところから画像や写真を頂きます。被災した3町内が新社務所のお囃子テラスでの演奏、また境内での手古舞や手踊りの画像も頂きまして、1枚ですが貼り付けますので、可愛い姿をご覧下さい。
 明日あたりから七峯も通常モードになっていけるかな。その前に栄養を付けないと身体が持たないので、今夜確りと食べる事に致します。