| 境内大掃除続くもラック修理も [令和7年12月13日] | |
|
吹き荒む北西の冷たい強風もどうにか収った佐倉ですが、気温というと最高が9度で昨日比−2度。最低が−2度で昨日比で−2度と寒いのは変わりませんが、風が無いだけ体感気温が全く違いますね。 続いた強風で、今シーズンはもう落ちきっていただろうという銀杏の実がまた結構な量で落ちまして、すっかり葉の落ちた境内の木々を見るに、「まだ銀杏が有るんじゃないか」と疑心暗鬼になる宮司であります。 境内の木々、秋から冬にかけては先述の銀杏と欅がツートップで落葉をしますが、ダークホースがおりまして、それが杉なんです。 杉の張りのような葉って、いつも緑色をしているイメージがありますが、葉なのでいつかは落葉をするのは当たり前で、ハラハラというわけではなく、葉が着いている枝ごと落ちてくるので、強風の後には結構な量の杉の葉が山となります。 これって、軽いので集めるには良いのですが、佐倉市指定の可燃ゴミ袋に詰めるとなると、針葉樹の葉なのでよっぽど気を付けないと、すぐに袋が裂けてしまうんですよね。 今日も30リットルの可燃袋に5つほど集めましたが、杉の葉が入っているのはいように軽く、銀杏の実入りは異常に重いので、可燃指定日の月曜日に出す際にはぎっくり腰にならないように気を付けます。 今日で境内掃除が終わったわけではなく、この先は屋根職人さんにお願いをして、御殿と社務所の屋根掃除でまた落ち葉が出るので、最終的には20日あたりを目安に完了したいと思います。 強風の影響はまだ有りまして、境内に設置しているサイクルラック2機が、なんと風に煽られて幾度も倒れてしまったのです。 その影響かもしれませんが、1機の脚がはずれてしまい、電動ドライバーで修理をする事に。 どうせやるならと、全部のビスを確認して締め直し作業もしたので、暫くは大丈夫だと思います。 ※書きかけ |
|
| 毎夜の御守袋詰め [令和7年12月12日] | |
|
昨夜無事に帰倉しまして、JR佐倉駅近くの大衆食堂幸龍にて草鞋脱ぎ。お馴染みの顔を見つつ、宮司はあんかけ焼きそばで禰宜画伯は麻婆丼を頂き、熱々の心持ちで帰宅しました。 今朝は強風の音で目が覚めた宮司。朝拝に向かうために社務所を出ると、いろいろな物が飛んでおり、お参りの後は暫し境内の片付け作業。 参宮という名の伊勢詣ではありますが、年内最後であろう、佐倉を離れてのお休みでもありましたので、昨日の七峯で書いたように「働いて働いて働いて働いて」を実践します。 ところで今日のお昼前でしょうか、青森県東方沖を震源とするマグニチュード6,8で最大震度4の地震が発生しました。 今発令されている北海道・三陸沖後発地震注意情報に関わるものかとヒヤッとしましたが、8日の夜に発生した最大震度6強の余震ではあるものの、注意情報に該当するのはマグニチュード8以上という規定があるそうで、気象庁やそれを開設しているマスコミも、いまいちその仕組みを解っていないような感じで伝えておりました。 今回も津波注意報が発令され、対象地域では早速に避難が実行されました。これも14年前の東日本大震災を体験しているからこそで、あの震災の聞き伝えの大事さ、それをどのように途切れさせないかの難しさを思います。 さて、今の社務所内ではお正月の準備に職員日眼となって取り組んでおり、それぞれの持ち場でお参りの皆さんにおわかちする授与品が丁寧に奉製されております。 その奉製作業の一つに御守のPP袋詰めがありまして、京都の織物業者より納品された御守袋に御内符という御守の核となるものを収めてから、PP袋に一体ずつ入れて袋の上部を閉じるのです。 その数、数万体と成りまして、お参りの方に御守がより綺麗な状態でおわかち出来るよう、禰宜画伯が考案しまして、始めたのが流行病前からですので、もう10年程になりますでしょうか。 これによって従来御守それぞれに付けていた、紙の小袋を入り用の方のみに渡す事としまして、紙資材の削減とPP袋というリサイクルが可能な資材の活用という2面性をもったものとなっております。 ただですねぇ、最初の頃は説明をしても「なんで紙袋を付けないんだ」という声も多く、それなりの案内表示もしたのですが、固定観念という恐ろしいものには、より優しく対応するという、接客の本義を垣間見ました・笑 この袋詰め作業、主に巫女さん達が担ってくれておりますが、午後5時の社務終了を持って皆さん帰宅しますので、職員に極力残業をさせてくない宮司は、就寝前に一人コツコツと生き狛犬達の寝息と「王様のレストラン」などのDVDをBGMにしながら、300体を目安に袋詰めをしてから床に入るのがこの時季のルーティン。 流石に昨夜は荷解きをして就寝としましたが、今夜からはまた通常通りに夜鍋仕事をしてからの就寝に戻ります。 いつも頑張ってくれている職員や巫女さん達に、宮司の出来る少しのお手伝い。バックアップになっているかな。 |
|
| 今年も師走の伊勢参宮 [令和7年12月11日] | |
|
国会では衆議院で各委員会が開かれておりますが、相変わらずと言いますか、立憲民主党から質問に立つ委員の質が低すぎる。 岡田の件で懲りもしないのか、同じことを執拗に執拗に何度も何度も質問というか時間潰しをしておりまして、これまた予算委員長がそちら方面なので、担当大臣が答弁の為に手を挙げてもこれを無視して高市首相にばかり答弁指名をする始末。 「#立憲いらない」がネットのトレンドワードとなって暫く経ちますが、こんなんで本当に政権を取る気があるとは思えず、お気楽な野党第一党で歳費を貰えればとも透けて見えます。 いずれにしてもやって来る衆議院選挙ては立憲の総崩れは難くなく、当地佐倉を含む衆議院千葉第9選挙区から選出されている立憲の奥野総一郎予算委員会野党筆頭理事のその地位が危ないとか。 人としては良い方なので、1日でも早く立憲なんぞから離党すればいいのにとは、宮司とその飲み仲間で奥野総一郎後援会長を務める加藤良二先生(元東邦大学佐倉病院長)の共通認識であります・笑 さて、一昨日より宮司と禰宜画伯とで師走恒例の伊勢参宮に参向。只今、東京行き北陸新幹線かがやき号の車内にて、この七峯を書いております。 師走の伊勢参宮、一年の神恩感謝で外宮から内宮へと周る中に、豊受大神と天照大神の大前に、御垣内にて首を垂れる。 今年も伊勢お参りが出来る事への有り難さを確りと感じながら、宮域の参道に敷き詰められた玉砂利を一歩一歩と歩みを進めました。 禰宜画伯の誕生日は12月23日と、賢くも上皇陛下と同じであり、流行病前はその前後に参宮をしておりましたが、そうなりますと新しき年までの期間が短く、寄る年並みを考えつつ今は12月前半にその時期を移しました。 平日にも関わらず、伊勢の両宮には多くの参拝者があり、特に欧米系と台湾からの旅行者であろう姿も見られました。 神宮においては令和15年に斎行される第63回神宮式年遷宮に向けて、今年から本格的にその祭典と行事が始まり、春には御用材の切り出しを始める御杣始祭と山口祭が執り行われました。 来年はその御用材を神宮宮域に運び入れる第一次御木曳行事も行われ、千葉県神社庁印旛支部でも80名体制でそのお役目にあたります。 御垣内参拝から内宮神楽殿での御神楽奉奏をして、近鉄五十鈴川駅から特急で名古屋。そこからJR高山本線の特急ひだ号に乗り換えて、着きましたところは岐阜県高山市。飛騨高山です。 こちらでは馴染みのお店で夕餉を頂き、街歩きをして宿へ。日中には多くの観光客が歩いていますが、夜は昼間とは違ったしっとりとした時間が流れており、暫し喧騒を忘れられるひと時となります。 そして今日は飛騨牛の名店「丸明」に寄りまして、お正月の賄いに使う材料の仕入れをして、その足で以前より気になっていた高山ラーメンのお店で少し早い昼餉をとりました。 お店の方曰く、やはり中共からの旅行者は減ってはいるものの、伊勢と同じく広い範囲の方々がお越しになっているとか。 中共からの団体客に依存をしないというある意味、当たり前のとこではありますが、チャイナリスクを前提とした商売は今や当たり前の世の中。不安を煽る一部野党おオールドメディアの隔世がよく判ります。 宮司と禰宜画伯を乗せた北陸新幹線かがやき号はそろそろ大宮に到着します。東京まであと少しで、そこから特急しおさい号で帰倉です。 明日からはまた褌を締め直して、働いて働いて働いて働いて良いお正月を迎えたく、馬車馬の如く頑張ります。 |
|
| 文化財収蔵庫を匠ちゅう [令和7年12月10日] | |
|
8日夜11時過ぎに発災した青森県東部沖を震源とする地震。その被害概要が見えてきました。 今のところ幸いにも、亡くなった方はいませんが、怪我をした方は50名にのぼり、家屋の倒壊は確認されていませんが、家財や店舗の被害、そして道路の陥没も起こっています。 年の瀬を迎え飲食店では忘年会、各家庭では新年の準備。そして氏神様の神社では年神様や神宮大麻の頒布など、それぞれに影響が出てきますね。 宮司はよっぽどではない限り、自然災害が発災した地域に住む知り合いには直後の連絡を取らないように心掛けております。 今のところ、津軽半島にある母の実家も、下北半島の突端に鎮座する八幡様の宮司を務める同級生からも連絡は無いので、大きな揺れに口から心臓が飛び出るくらいびっくりしたと思いますが、今週末くらいに一報を入れてみたいと思います。 今日の枕はもう一つありまして、添付画像の下の方を見て頂きたく存じますが、赤で示してある中共空母遼寧の動きを見て皆さんはどう思われるでしょうか? 沖縄本島と石垣島の間は国際航路として各国の船舶が航行しておりますが、そこを軍艦が通過して、ましてや日本の航空識別圏内で空母艦載機の離発着訓練をする。 これって軍事的挑発の何者でもないと思うのですが、重ねての中共機による自衛隊機へのレーダー照射。こんなことをアメリカ軍にやったら撃ち落とされますよ。 日本が舐められているのか、若しくは高市首相の存立発言に中共が焦っているのかは定かではありませんが、国際的にも中共はトチ狂っていると自ら知らしめているようなものですので、そのまま自滅して頂きましょう。そして日本への偽装難民は悉く拒否と・笑 新社務所の工事も佳境に入ってと、この頃同じような文面が続いておりますが、本当にお正月が間に合うのかが心配事の宮司であります・微笑 新社務所には念願の待合スペースが設けられ、氏子総代会などの会議も開催できる仕様となっております。 その正面には千葉県最大級の大神輿として名を馳せる、享保6年作成の麻賀多神社神輿が展示となり、ガラス越しではなく肉眼でその素晴らしさを体感してもらえる設えとなっております。 このあたりは既に完成しており、その両脇の工事が進められておりますが、そこには左面(向かって右側)に佐倉藩主堀田正愛公着具で最後の藩主たる堀田正倫公より奉納の、そして右面には筆頭家老の佐治家より奉納の甲冑が飾られます。 この2領の甲冑、堀田家奉納は千葉県指定文化財で佐治家奉納は佐倉市指定文化財。そして大神輿も本体が佐倉市指定文化財であり、御例祭での渡御が佐倉市指定無形文化財となっております。 ここからが大事よ!文化財を展示、そして保管するにあたり、待合スペースから先のエリアが麻賀多神社文化財収蔵庫として設計ており、そこに対して佐倉市当局から文化財補助事業としてありがたくも補助金の交付がありました。 これに関しては、設計と施工にあたっての監理を請け負って頂いている森田建築設計事務所主宰の森田敬介さんを始めとするスタッフの方々の尽力によるものと、感謝の言の葉が尽きません。 麻賀多神社は佐倉のお臍、お城と城下町の真ん中に位置しますので、地の利を活かしたワークショップの計画も文化財補助金申請には宮司立案で行政に提出ましております。 でね、本日の七峯を書き納めるにあたりまして、もう一つの話題を披露となりますが、堀田家奉納の甲冑は今現在に修理中。佐倉への戻りは来年3月を予定しておりますので、新社務所本竣工時には大神輿の隣に、正愛公が愛でられた姿でご披露となりますから、どうぞお楽しみに。 |
|
| ローリングストック [令和7年12月9日] | |
|
皇后陛下におかせられましては、本日62歳の御誕辰日を迎えられました。 令和の国母として国民に安らぎと温かさを与えて頂き、有り難くも忝く思います。 体調の優れないこともあろうかと存じます。どうぞお健やかに、これからも天皇陛下とご一緒にあられますようお祈り申し上げます。 季節柄この頃は社務終了後にお声掛けを頂いているお席に顔を出しまして、盃を酌み交わした後は以前のように長居をしない宮司・笑 帰宅しますと禰宜の入れてくれた台湾茶を頂きながら、御守をPP袋に詰める作業をしてからの就寝。本当にスナックという存在が遠くなりました・苦笑 昨夜もテレビのニュースをBGM代わりに、御守の袋詰めをしていたら、スマートフォンに緊急地震速報の表示が。 表示のみで音が鳴らないと言うことは、千葉県より距離のある所に速報が発令されたことに成り、速報の本文を読みますと青森県三八上北地方とあります。 三八上北地方、一体どこなんだと思われる方も多いかと思いますが、青森県東部の太平洋側あたりになります。 市町村名だと八戸が一番有名かな。そこから十和田や奥入瀬渓谷あたりまでを指します。 明治期に成立した青森県は、東部を南部藩領、西部が津軽藩領でして、下北半島は戊辰戦争で敗れた会津藩が流された場所になります。 震源地は八戸沖で、最大震度6強を記録したのが八戸市。その周辺が5強で、北海道の函館付近でも5弱など広範囲にわたって揺れを感じました。 当地佐倉でも震度3くらいでしょうか。それがドンと来たのではなく、地震発生後から暫くしてゆーらゆーらと揺れ始めたので、昨年元日に発災した能登半島地震と同じ感じの揺れでした。 あの時の方が揺れ幅も大きくて時間も長がく、気持ちが悪くなるほど揺れていたので、そのエネルギーの大きさは凄まじいものであったのを改めて思い出しました。 大きな地震があるとスーパーに並んでいるパックご飯や缶詰が、瞬く間に売り切れとなります。今回もそうなっているんだろうと想像に難くありません。 普段からの備えというのは頭では解っていても、なかなかに行動に移せないものですよね。それも良く分かります。 今回の地震では「北海道・三陸沖後発地震注意情報」なるものが発令されているのをご存知ですか? 後発地震なる用語は、大きな地震が引き金となってその後により大きな地震が起きるという意味なのですが、この注意情報が制定されたのが3年前の令和4年(2022)でして、発令されたのは今回が初めてだそうです。 その確率としては100回に1回と、それだけ聞くと高いのか低いのかの判断に窮しますが、1000回に1回が100回にと10倍に確率が高くなるので、悪戯に不安になる必要はないと思いますが、やはり備えは大事。 宮司家ではパックご飯とお水、そして簡易トイレなどの準備をしており、食品に関しては消費期限を見つつ補充しては食べてを年に数回行っております。 このサイクルを「ローリングストック」と言うそうで、専門用語を知らなくても同じ事をやっていたんだなと・笑 備蓄品には鯖や鰯の缶詰、レトルトカレーなどの袋物もお勧めでして、実はこれらは宮司家の食卓に顔を出す物ばかり。社務の合間にササっと食事を済ませなきゃならない時も多いので、いつのまにやらローリングストックになっております。 ではありますが、今回発令されている北海道・三陸沖後発地震注意情報がこの16日迄と少し長いので、これを機会に今一度備蓄品の点検をする事に致しましょう。 |
|
| ポップ作りの季節到来 [令和7年12月8日] | |
|
師走に入り早8日。高市総理ではありませんが、働いて働いて働いて働いてもやることが多すぎて、猫の手も借りたいところですが、境内にいる狛猫達は宮司の心を知るよしもなく。 そして宮司宅の生き狛犬6匹達は、撫でて撫でて撫でて撫でてと、その順番を間違えると大騒ぎになるので、そこのところは慎重に・笑 今月増えているのが特殊詐欺。それも携帯電話に警察官を語って入電してくる手口が凄い増えているそうです。 年末に借金の返済期限が迫っていて、その返済がにっちもさっちもというのが悪手に走っていると。 そもそも借金を返す気があるのなら、ちゃんと働いた対価を充てれば良いのでああって、犯罪で得た悪銭をなんて。 まあその様な方々ですので、まともなところではないところから借り入れをしている可能性もある訳でしてね。 いずれにしても、警察からいきなり携帯電話に掛かってくることはほぼ有りませんし、LINEは絶対に使いませんので、そういう電話があれば詐欺なので適当に切って下さいね。 今日の宮司ですが、なんとかの攪乱なのか朝食をとった後に体調不良となりまして、ほぼ午前中はお休みを頂く事になりました。 別段、昨夜は吞みすぎた訳でもなく、夜鍋仕事はしましたが、帰ってよく寝られたのになぁ。 そんな状態でしたが午後からは復活をしまして、早速お正月の臨時授与所に掲げるポップ作りに精を出しました。 と言いましても干支絵馬と干支ストラップ守の2種類なので、ものの30分ほどで作成完了。 先ずは絵馬と御守をスマートフォンで撮影をして、それをパソコンに送って画像処理を行ないます。 ポップ作りはアドビシステムズなどの専用ソフトは使わずに、筆まめという年賀状ソフトの葉書裏面作成モードを使用します。 なので、専門ソフトの精巧製はありませんが、その分手作り感が出て来て、暖かみがあるとの言の葉も頂いたりと、作成意欲に繋がるのです。 干支ストラップ守ですが頒布を始めて20年近くになり、それなりに認知度もありまして、4年前には正月2日の午前中には全部出払ってしまったこともあるんです。 なのでそれ以降は毎年頒布数を増やしており、七草くらいまで継続頒布が出来るような準備をしております。 最初の頃は7月くらいまで社頭に並んでいたのが嘘のようで、毎年楽しみにしているのよとの声も聞こえますね。継続って大事だなと思う宮司であります。 只今午後5時少し前。さて次は何をつくろうかな。半日お休みを頂いた分、もうちょっと働きます。 |
|
| 落とし物が多くなっております [令和7年12月7日] | |
|
来ましたね、中共軍機による自衛隊機へのレーダー照射。これって所謂「ロックオン」でして、おまえを打ち落とすぞということ。 沖縄本島沖の公海上が現場ですが、ね、言ったでしょ。戦争って相手の有るもので、こちらから仕掛けなくてもあちらから仕掛けるのもあるの。 高市首相の存立危機事態発言からこのかた、立憲民主党を始とする左翼政党とオールドメディアは、日本が戦争を仕掛けるという論調ですが、そんなことまともな思考回路を持つ誰が信じるかって話ですよ。 信じる方って、そうではない方々であって、日本よりあちらの方がお好きなんでしょう・笑 因みに韓国も日本海において。自衛隊機にレーダー照射を行ないましたよね。所詮、そういう国なんですよ。 さて、今日は戌の日の日曜日で、安産祈願を中心に、初宮詣や七五三詣の御祈祷が続きました。 麻賀多神社では通常、御祈祷を午前は9時半を最初に11時半の式まで30分ごと。午後は1時半から3時半まで、同じく30分ごとに予約を取っております。 今日はその全ての時間帯に祈祷予約が入っており、当日受付も含めて祈祷番の智勇権禰宜は御殿に上がりっぱなしでした。お疲れ様ね。 お参りが多いのは本当にお陰様なのですが、それに比例して、落とし物が増えるという傾向があります。 年間を通じて落とし物が一番多いのは、やっぱりお正月の初詣期間。実際に拾得する場合もあれば、問い合わせはその倍以上になりまして・・・ 自動車や自宅の鍵なんてのはざらでして、携帯電話も多いですね。携帯の場合、鳴らしてくれればそれなりに解るのですが、鍵はウンともスンとも言いませんので、これ困ったなと。 七五三の時季だと髪飾りが多く、それについで筥迫(はこせこ)かな。和装の7歳女子の胸元にある箱状のもので、今で言う化粧ポーチですね。 着付けた当初は確りと胸元にあるのですが、動いたりしていると段々と押し出されてきて、御殿での祈祷後に境内で写真撮影をしていると、これがものの見事に落ちるのです。 そう言えば、御殿前に設置している能登半島復興支援義捐金箱の隣りに眼鏡が置き忘れておりました。 どういう理由から御殿前で眼鏡を外したのかは不明ですが、当然ながら名前も書いて無く問い合わせもなかったので、2,3日は義捐金箱上にいるきまちゃんに掛けておりました。 そうしたらいつの間にやら無くなっており、多分ですが朝の散歩帰りに気付かれて持ち帰ったのではと推測しております。 と書いておりますが、宮司も結構なうっかりさんなので、年末年始の慌ただしさの中で、落とし物をしないように気を付けたいと思います。 |
|
| 今年も晴天の新酒祭 [令和7年12月6日] | |
|
東シナ海で中共の人民解放軍や中国海警の武装船が、100艘も展開しているらしいです。 軍事演習並みとの事でして、そういえば軍事演習をしておりますと言いながら、そのまま隣国へ軍事侵攻をした露西亜なるところが有りましたね。 危なくて仕方ありませんが、それに対してお互いに自重云々と声高に叫んでいる日本共産党って何なんでしょうね。 まあ自然消滅に向かっているところのご意見はそれに見合う比率で報道してくれれば良いわけで、新聞のお悔やみ欄の先の片隅あたりに載せれば十分でしょう。 今日も晴天の佐倉。寒いとは言え、ここ数日吹き荒んでいた寒風もほぼ止みまして、日なたでは暖かさも感じます。 今日の祈祷番は智勇権禰宜で、宮司は午前中に麻賀多神社御神酒醸造元で酒々井町馬橋にある飯沼本家で、「酒々井新酒祭2025」の神事に出向奉仕をしてまいりました。 新酒祭りは今回で19回目。流行病下では中止も経験しましたが、それでも新酒のお祓いは続けて奉仕をしたんですよ。 飯沼本家の広大な敷地には酒蔵をはじめ、飯沼家の母屋を改造した和食レストラン「きのえねOMOYA」やグランピング施設もあり、一年を通じて、そしてお酒を呑まない方にも楽しんで貰える所となっております。 祭場は駐車場に設けられたイベントスペースで行なわれ、当主の飯沼一喜社長を筆頭に、共催の酒々井すいすい倶楽部の縣ひろこ会長、そして地元選出で高市内閣のデジタル担当大臣である松本尚代議士と先月30日に投開票が行なわれた酒々井町町長選挙で初当選した金塚学氏が参列し、代表として玉串奉奠を行ないました。 司会進行はミスSake2025千葉の弭間花菜さんが務め、綺麗な声とすらすらと聞こえの良い話し方に、よく練習したんだろうなと思っていたところ、七峯を書くに当たって名前を検索してビックリ。 なんと吉本興業所属のフリーアナウンサーで、元秋田朝日放送のアナウンサーという経歴をお持ちでした。そりゃあ上手なわけだわ。 会場となる飯沼本家の最寄駅はJR総武本線の南酒々井。列車は1時間に1本程度の無人駅です。 そこから徒歩15分で飯沼本家に到着しますが、南酒々井駅の年間乗降客が一番多い日が新酒祭りの日。列車が到着する度に蟻の行列の如く、駅から飯沼本家まで人の列が出来るんです。 その南酒々井駅になんと、特急しおさい号が上下1本ずつ臨時停車。新酒祭会場内の角打ちコーナーで使えるチケットもJR東日本の駅ネットで購入も出来るなど、さすが飯沼本家という感じ!! こうなると、宮司も新酒を頂きたくなるわけですが、自走で現地へ。そして次に井戸埋のお祓いが入っていたので、残念ながら新酒祭り会場ではお預けで、お下がりを楽しみにしたく思います。 現在午後3時ちょうど。本日は午後4時より麻賀多神社氏子総代会と忘年会が、間之町の川瀬屋で開催されます。 10月の御例祭に関しての中間決算と反省会。年末年始と節分祭のご案内、新社務所の工事進捗状況など、宮司が説明する場面もありますので、解りやすくお話をしてきたいと思います。 ・飯沼本家 https://www.iinumahonke.co.jp/ ・酒々井新酒祭 https://shinshu.iinumahonke.co.jp/ ・JR東日本「酒々井新酒祭2025」 https://media.jreast.co.jp/articles/5341 |
|
| 若葉マークの神職 [令和7年12月5日] | |
|
冷たい北西の強風は止みましたが、最低気温は昨日より2度低い-2度の佐倉です。 と言うことは、昨日の最低気温は0度。そんなに寒かったんだと思いつつ、スマートフォンで気温の変化を見たところ、日の出前が一番低いのが解ります。 太陽の光が熱を吸収して気温が下がると何かの本で読んだ記憶がありますが、実際に元日などは初日の出の当たりに祭典奉仕をした事も有りまして、まあ寒いのなんの。 それが屋外ときたものですから、袴の下にスパッツを履いていても、突き刺さるような冷気が大事なところを攻撃するのです・笑 「日の出の時間に祭典奉仕をした」という過去形になっているのには理由が有りまして、兼務である大佐倉麻賀多神社の歳旦祭は、以前は午前6時で行なっていましたが、現在は7時半に時間変更となりました。 この1時間半ってとっても大きく、大晦日からの二年参りが一段落する午前2時半頃に一度社頭を閉めて、そこから少し仮眠が取れるのです。 そして起床後に改服をして、大佐倉に出向する時間帯は日の出の後なので寒さのピークは過ぎており、総代さん方も今の時間が良いともっぱらの評判・笑 その元日まで日一日と迫ってきておりますが、今日も通常社務の合間に出来る範囲で迎春準備を行ないました。 今日の社務は宮司・禰宜画伯・出仕と巫女の4人体制。このうちの3人が女性なので、当社は女性活躍推進神社かもしれません・笑 見慣れない文言が入っていると気付かれた方、流石です。出仕(しゅっし)なるここ数年の七峯では登場しなかった単語なんですね。 出仕とは神職の見習いという意味合いでして、神職資格を取得してもいきなり権禰宜以上にはなれませんで、千葉県神社庁管内の神社では基本1年出仕期間を過ぎて、宮司の判断により権禰宜登用となります。 神社によっては2〜3年の出仕期間を設けているところもあり、その間に神職としての基礎を確立するのです。 今回出仕として麻賀多神社に入りましたのが佐藤さん。今夏に開催された國學院大學神職養成講習会で神職資格「直階・ちょっかい」を取得しました。 神職資格を取得すれば神職というわけではなく、上記のように先ずは出仕として神社に奉職し、それから神社本庁統理宛てに宮司から権禰宜以上の具申をして、統理名の任命証が発給される事により晴れて神職となるのです。 神職養成講習会は短期間のうちに神職の基礎を学ぶので、その後に確りと神明奉仕をしないと学んだことが泡のように消えてしまいます。 なので神前での作法、これを祭式と呼びますが、なるべく祈祷へも副斎主として奉仕をさせて良い意味で慣れさせていきます。 最初はガチガチな作法であっても、神前奉仕を重ねるにつれて、流れるような作法に成長します。 初心を忘れず、それでいて神様にも参拝者にも心安らかになって頂ける祭式を学ばせたいと思います。 実は彼女、八千代市村上に鎮座する七百余所神社宮司の息女。なので週末はそちらで奉仕をして、平日のみの麻賀多神社に出社となります。 若葉マークの神職です。皆さん方には温かく見守って頂きますよう、宜しくお願い致します。 |
|
| 寒波の大掃除後に工作の時間 [令和7年12月4日] | |
|
昨夜は佐倉青年会議所(JC)の卒業式と忘年会に、同会議所OB会長として参加して来ました。 JCは青年経済人として、地域のまちづくりとひとづくりを行なっている団体で、40歳を迎えた年の12月末日を以て卒業となります。 今回、佐倉JCからの卒業生は3名で、それぞれ理事長、また副理事長として活躍をすると共に、今年は創立50年という節目の年を確りと完遂した労苦に、感謝と敬意を表します。 JCは単年度制で毎年理事長が交代しますが、その年の理事長色がよく判るので、OB会としてもただ単に応援するのではなく、良い感じの距離感をもって後方支援をしております。 宮司は卒業生に対してお花を贈ってきましたが、今年は未だお預けにしているんです。 先程、50年の事を書きましたが、それの記録である50年記念誌の発刊が来年に行なわれまして、卒業生といえどもそこに携わるので、発刊を見届けてから立派な花をセイミヤ花店さんに手配したいと思います・笑 ユーカリが丘のウィシュトンホテルで行なわれた同会ですが、なんとそこに向かう京成電鉄が人身事故と自動車の脱輪という二重苦が発生し、夕方の京成佐倉駅で1時間強も待たされた宮司とその仲間達。 駅2つの距離がとんでもなく長い時間となりまして、地元の駅に始めて1時間以上もいた事も思い出となりました・苦笑 帰りはダイヤも平常に戻り、新社務所の設計監理をしてくれている森田敬介先輩と帰ってきました。 その時はそれほどでもなかったのですが、忘年会の時間帯に強い北風が吹いたらしく、麻賀多神社の境内に入ると、銀杏の実がワンサカと落ちておりました。 ああ、明日は朝から大掃除だなと腹をくくって帰宅。少しの事務仕事を済ませて寝酒一杯で就寝をしました。 今朝は風の音で目が覚めた宮司。昨夜に吹いた風も今朝の風も、日本海側の特に北陸から東北から北海道に雪を降らせている寒波によるものと朝の天気予報で解りました。 今期一番の寒波と言うことで、温暖な千葉県でも今朝はかなり冷え込んでいて、そのまま半日以上も北西の冷たい強風が吹いたので、社務開始からの境内大掃除は、落ち葉と銀杏の実を兎に角集めるだけ集めて収量とし、回収は明日に持ち越し。 社務所に入るも、昭和5年建築で断熱材もありませんので、冷蔵庫に入るような感じでした。 こんな時に限ってファンヒーターの灯油は切れており、予備を見に行くとタンクは全部カラでして、なんで最後のタンクに手を付けた時に灯油の発注をしなかったのかと文句の一つでも。 昨夜のJC忘年会に出発する前ギリギリまで、新社務所でキャスター付きカウンターの組み立てを行なっていた宮司。 それがまだ組み上がっていなかったので、エアコンフル稼働の社務所から寒風に吹かれつつ新社務所に入ります。 入った途端に感じたのが、「あ、暖かい」。新社務所は既にエアコンが稼働する事が出来る状態になっておりますが、稼働していなくても現在の社務所より暖かいことが判明。 手も悴むことがなく、電動ドライバーの活躍もあり工作もスムーズに進んで、一時間ほどで作業終了。 新社務所から出て来ますと、仲町の北詰商店さんが灯油の配達に来てくれており、社務所と御殿の給油も完了しました。 今日出社の出仕さんと巫女さん、午前中は凍える中での社務、本当によく頑張りました。 灯油の発注を忘れていた権禰宜にはちゃんと指導をしておきますので、明日からの社務もよろしくお願いします。 今日の画像ですが、一番下のが昨夜の佐倉JC卒業記念品でして、3人が卒業なのに一人多い。 右端の方は既に卒業をしておりますが、今年度は外部監事として会務に就いていたので、その卒業記念だそうです。 因みに宮司ですが、今月末で佐倉JCOB会長を任期満了で目出度く退任となりますが、なんと来期は外部監事だそうで、久し振りに現役の理事会に出席することになりそうです。 |
|







