七峯の丘から

今日は真っきっき [令和7年11月17日]

「七五三詣おめでとう」

「プロが撮ると」

「先ずは神様へ」
 この頃の七峯枕は高市首相と熊ばっかりですが、テレビのワイドショーを見てもほぼ一緒で、これに大谷選手と加えると役満と言ったところでしょうか。
 高市首相の存立危機事態発言。これに中共が発狂するのは解るのですが、国内で同じ反応をしている方、若しくはメディアって中共と同じ思考回路なんでしょうね・笑
 メディア、それもオールド系は高市首相が発言をしていない集団的自衛権なる用語まで持ち出しており、もはや支離滅裂というか火に油を注いでおり、「中共様、うちの総理大臣はこんなに危ないヤツなんですよ」とご進言しているみたい。
 そりゃねぇ、高市内閣の支持率も上がるってもんで、先週末の世論調査では多田でさえ高い支持率が5パーセント以上も上がったものもあったとか。
 実はオールドメディアは高市首相応援団の先方ではないかとも思えてならない宮司です。
 さて、穏やかな小春日和で迎えた朝。朝拝で御殿に向かうときの深呼吸は本庁に気持ちの良いものですね。
 黄色に色付いた御神木を仰ぎ見る。その黄色が空の青さに映えて、今日も一日頑張ろうという気が湧いてきます。
 昨日は多くのお参りが有りまして、それに比べると今日は七五三詣の予約は2件と、静かな境内。
 だったのですが、10時過ぎからいきなり南西の強風が吹き始め、ほぼ落ちたであろうと思っていた銀杏の実が恐ろしいほど降ってきました。
 只今午後2時半。未だ風は吹いておりまして、境内掃きも3回行ないましたが、あとは明日に任せようと。まだ強風だもんね。
 午前中の御祈祷を納めたところで、境内に現れたのが麻賀多神社の四季を記録してくれる写真家の花澤信幸先生。
 すでに七峯フリークの皆さんにはお馴染みの方でございますね。ほぼご本人の画像は出てきませんが・笑
 開口一番、今日は禰宜さんいる?でして、お祭りの時に約束したらしい奥様お手製のスイートポテトを持参してくれました。それとご自宅の庭で収穫した檸檬。
 スイートポテトの原材料となる薩摩芋も先生が栽培したもので、収穫してから2週間ほど冷蔵庫で寝かして甘みを引き出す。
 それを奥様が加工するのですが、今回は随分と柔らかくなったと謙遜気味。
 ところがですよ、食べていたら極上でして、生半可なホテルのデザートよりも美味しいし、普段甘いものを余り食べない宮司でも、もう一つ頂きたくなる美味しさでした。
 そして檸檬。以前も自宅で収穫した檸檬を頂いたのですが、こちらにも温暖化の影響があるそうで、冬囲いをしなくても葉が痛むことがなくなり、実の付きも良いそうです。
 スイートポテトと檸檬、当然ながら先ずは御神前に御供えをして、先述のようにそのお下がりを頂きました。
 スイートポテトを食べながらふと思ったのは、銀杏も黄色でスイートポテトも檸檬も黄色。今日は真っきっきで纏められたなと・笑
 きれいな黄色の檸檬はどのようにして頂こうかな。果汁は焼酎の割物でも良いし、お鍋のつけ汁に垂らしても活けますね。
 皮も勿体ないから、何か使い道を考えてみようっと。あ、お腹が鳴った・笑
 
狐さんのシッポ手術 [令和7年11月16日]

「くっつくかな?」

「ぴったり!!」
 澄み渡る青空に、公孫樹の紅葉がとても綺麗な麻賀多神社です。あ、写メ撮ってない・笑
 今日は大安の日曜日ということも有り、七五三詣の御祈祷を中心に、多くのお参りが有りますね。
 そして京成佐倉駅から坂を上って佐倉市美術館、そして新町交差点から神社の前を通って旧大手門広場、佐倉城址公園と、城下町HANGOUT2024「タマルバ」というイベントが行なわれており、神社周辺は若干の交通渋滞が起こっております。
 多分に神社駐車場は常に満車状態だろうと思われ、代替の城址公園自由広場駐車場も混んでいるんだろうな。
 七五三の時期はイベントをずらして欲しいと思うけど、先週は佐倉市産業祭りもあったし、比較的気候の落ち着いている11月はスケジュールを立てるのも難しいんでしょうね。
 今日も智勇権禰宜が祈祷番で、宮司もすぐに御殿に上がれるよう朝から袴を着装しておりますが、なかなか祈祷番を交代してくれない智勇権禰宜。
 帯を締め直す頃合いを見計らって、1回ですが宮司が御祈祷の奉仕を致しました・笑
 ただね、書類仕事や神社庁から依頼されている神社本庁設立80周年記念表彰被表彰候補者の選定など、やってしまわなければならない物も結構多く、その点から言うとかなり仕事は捗りました。
 先週のことになりますが、お稲荷様の祠を片付けたいとの依頼が有りお祓いに出向したんです。
 佐倉では各家々にお稲荷様や氏神様の祠をお祀りしているところが多く、皆さん大切にされているのですが、不動産の売却などの理由で心ならずもお片付けをしなければ成らないときがあるんです。
 今回も長く空き家になっていた家の解体、その後に土地を売却するとのことで、長く見守って頂いたお稲荷様に高天原にお戻り頂く「昇神祭・しょうしんさい」という祭典を行いました。
 祠の中には当社で奉製した幣束が入っており、幣束を刺してある串の形状から、宮司の代で頒布した稲荷御幣であること。
 そして空き家になる直前まで丁寧にお祀りをして頂いていたことなどが判り、相続した娘さんと参列した親族の方にお話をしました。
 皆さんとても驚かれると共に、親御さん達の思い出話もでて、その目には薄らと光るものが。
 昇神祭が済むと祠はからとなり、あとは撤去作業となりますが、お稲荷様と言えば眷属の狐さん。
 長い時間、外に置かれていた陶器製の狐なので破損しているものもありましたが、比較的状態の良いものは神社で引き取り、一度丁寧に洗浄して乾かします。
 その行程が一段落したので、軽微な破損のもの、また部材が残っているものを本体に合せて修理を行ないました。
 修理に使用した接着剤は、佐倉第2工業団地に工場のある高圧ガス工業さんから頂いた瞬間接着剤ミニピタ。
 これ、本当に良く着くんですよ。良く着くので間違って指に接着剤が付くと、なかなか剥がせないしろものなので、作業は慎重に且つ手早く行ないます。
 修理が済んだ狐さんと状態が良い狐さんの計6体を、境内摂社の若宮稲荷神社に連れて行き、お仲間入りのご挨拶とお参りをして安置しました。
 時代と共に家庭の稲荷社も少なくなってきましたが、佐倉の伝統である鎮守様は親神様の麻賀多様、各家庭は御子神のお稲荷様の姿はこれからも大切にしたいですね。
 
初穂料改定準備 [令和7年11月15日]

「朝拝時に撮影」

「大体こんな感じです」
 48年前の今日、当時13歳だった横田めぐみさんが新潟県の海岸で北朝鮮により拉致されました。
 北朝鮮による拉致事件、その全容は未だ見えて折らず、判明している方の親世代は、めぐみさんの母である横田早紀江さんのみとなってしまいました。
 平成14年(2002)と同16年に拉致被害者が帰国していますが、それ以降は膠着状態となっているのは周知の通りです。
 高市首相は拉致問題の解決に、北朝鮮の金総書記と直接対話をするべく、彼の国に投げかけていますが、返事はないとのこと。
 その北朝鮮も中共やロシアと悪の枢軸よろしく手を組んでおり、日本にとっては好ましくない環境(政府関係者)になっています。
 中共に至っては、高市首相の「台湾有事は存立危機事態」との発言に激高しておりまして、ああ台湾を武力支配する気満々なのが露呈。
 挙げ句の果てには、今日本に行くと危ないからと、自国民に渡航を止めるよう促し始めまして、何かとマナーのなっていない方が多いそちらからの入国が減るのは、日本にとっては良いことでしてね・笑
 さて、晩秋の小春日和が気持ちいい佐倉でして、七五三詣の御縁日と言うこともあり晴れ着姿のお子さん達が眩しく感じた宮司です。
 今日の祈祷番も智勇権禰宜。最高気温は18度なので汗ばむほどではないにしろ、御祈祷の奉仕って何かと動きがあるので、額に汗して頑張ってくれました。
 宮司は午前中に地鎮祭の奉仕をしてから、社頭番と来月に予定している一部守札の初穂料改定準備をしました。
 物価高騰の並みは神社界にも分け隔てなく、流行病からこの方、仕入れ単価は目に見えて上がっております。
 当然、それに伴って仕入れる際に支払う消費税も上がるわけで、少子化のこの時代にあり神社経営も難しいのです。
 実は2年ほど前から初穂料改定を予定していたのですが、それが毎度年末の慌ただしさから準備が出来ずに2回の正月を迎えました。
 最低賃金も上がっている中で、流石に今回は改定をしないとやせ我慢では成り立ちませんので、敢えて事前に経緯をアップしまして皆さんのご理解を得たいと考えている次第です。
 経済の好循環、高市政権で是非成し遂げて頂き、持続可能な神社運営をしていきたく思います。
 
神政連大会御礼まわり [令和7年11月14日]

「自民党本部総務会長室にて」

「何をつくろうかな」
 気が付けば11月も半ばになりまして、社務所では年神様の奉製も本格化しております。気が焦るなぁ・・・
 来週は公務で外出する機会も多いので、今のうちにやれるものを確りと積み重ねて参ります。
 新社務所の工事も内装と外構が大詰めになっており、2階に設ける厨房にも器具が入りました。
 お正月には約30人分の賄いを作るところに成るので、器具も一般家庭用ではなく飲食店用のものを入れて頂きました。
 飲食店用はお高いように思えますが、装飾がほぼない分だけ家庭用よりも安価でして、この様なところでも建設費を抑える努力をしております。
 奉賛金もまだまだ受け付けておりますので、皆さんのお力添えを重ねてお願い致します。
宮司心の叫び。
 昨日の事になりますが、神道政治連盟千葉県本部にて先月27日に開催した、結成55周年記念大会へご参加を頂いた国会議員の皆さん御礼の挨拶回りをしてまいりました。
 午後1時半に東京メトロ永田町駅に千葉本部長(意富比神社宮司)と幹事長の宮司、そして前原事務局長(神社庁主事)が集合。
 先ず向かった先は自民党本部で、高市総裁就任により党総務会長となった有村治子参議院議員を訪ねました。
 党総務会長は自民党四役の一つで、総務会は部会や政策調査会で練られた議案を審議し、政権運営に反映させるところ。
 なので、幾ら良い議案や施策を作っても、総務会で了承を受けないと実現しないのです。
 総務会室で面会の時間まで待機をしている際に、壁に貼ってある歴代総務会長の写真を見ます。
 並ぶのはそうそうたる顔ぶれで、後に内閣総理大臣に就任した方も多く見られましたが、なんと参議院議員で総務会長に就任したのは63代の中で有村さんが始めてだそうで、ここにも高市カラーが滲み出ていると感じました。
 時間となりまして、総務会室の隣にある総務会長室に通されると、いつもの明るいハイテンションな有村さんが待ってくれており、早速御礼と総務会長就任のお祝いの言の葉を述べました。
 直近まで法務省の事務方がレクチャーで滞在していたそうで、詳しい内容は書けませんが夫婦の氏制度についてだそうです。
 次ぎに向かったのは衆議院第一議員会館。こちらは高市政権発足でデジタル大臣に就任した松本尚衆議院議員の部屋。
 今国会では予算委員会が開会中なので、大臣本人はそちらへ張り付いており、秘書の方にご挨拶。
 昨今、松本大臣と席を共にする機会が多い宮司でして、先日は松本大臣の元秘書で酒々井町議会議長の金塚学議員の酒々井町長選出馬事務所開きでもご一緒しました。
 続いて向かったのは参議院議員会館で、山谷えり子参議院議員と臼井正一参議院議員の部屋。
 山谷えり子議員はご本人が是非にと面談の時間を取って頂き、神政連に対する感謝と今大問題となっている熊の話を頂きました。
 山谷さん、今年から自民党鳥獣議員連盟の会長に就任されたそうで、大日本猟友会の方々との打ち合わせも多いとか。
 自衛隊や警察が熊の駆除に猟友会の方々と活動を始めましたが、そのノウハウはまだまだお勉強中とのこと。
 箱わなの設置にしても、出来るだけ人間の匂いを残さないようにする工夫や、熊の性質についても興味深い話が聞けました。
 何かの機会に多くの皆さんに聞いて欲しい内容ですので、熊なし県の千葉にあっても無駄じゃない情報ですよ。
 臼井さんも国会対策でお留守だったので、秘書さんにご挨拶。ライオンズクラブの仲間でもあるので、今後の活躍が楽しみです。
 只今午後5時半を回りました。良い具合にお腹が減ってきたので、今夜の夕餉が楽しみと言うことで、本日の七峯はここまで。
最後まで読んで頂き、ありがとうございました。
 
出発7年のさくたろう [令和7年11月13日]

「今日の御神木」

「すっかり大人だね」

「こんなに小さかったな」
 今日は戌の日、安産の御祈祷が続いておりまして、祈祷番の智勇権禰宜が一生懸命に奉仕をしております。
 一日の中で寒暖の差が大きくなってきておりまして境内の紅葉は進んでおりますが、この差はただでさえ身体に堪えるもので、妊婦さんには尚更辛いと思われます。
 重ねてご自愛を頂き、元気な赤ちゃんの誕生と母体も健全でありますよう、心からお祈り致します。
 で、戌の日なのですが、今日は猫を取り上げる七峯ですので、お付き合いの程をお願いします。
 7年前の10月下旬、境内に1匹の子猫がポツンといました。数日前には母猫と一緒に歩いていたのに、その日は母猫の姿はなくなっていました。
 時折、ミ〜ッと鳴いていたり、境内を走り回ってみたり、社務所の縁の下に入ってみたりと、その無邪気さは子猫そのもの。
 そこから数日が経ち、下校中の子供達に抱っこされたところで、この子はもう自然界ではいていけなくなったのです。
 人が子猫を抱くと言うことは、人間の匂いが付くので親猫は決して近づかなくなります。
 抱かれた子猫は、抱いた人が責任を持って育てるか、里親を探す責務を負うのです。
 でも、子供って何の悪気もなく、可愛いものを抱くことをしますよね。それって愛情の現れなので全てが悪いのではありません。
 結局、この子猫はそのまま境内に取り残されたままとなり、段々と衰弱が始まってしまいました。
 自然界の掟により虹の橋を渡るのか、それとも神社の境内にいるという責任を持って生きながらえる方策を採るのか、宮司は悩みました。
 一旦保護をして、段ボール箱に入れて一晩様子を見ることにしてから眠れない夜が過ぎ、翌朝に禰宜画伯から「この子を助ける。絶対に」という決心があって動物病院へ。
 先生の見立てては「助かる見込みは少なく、助かったとしても目脂が酷いので、失明をして入れうだろ」というものでした。
 そこから禰宜画伯による昼夜を問わない懸命な看病が始り、子猫用の哺乳瓶であげるミルクも次第に量が増えてきました。
 人もそうですが、栄養と食事が取れるようになると体力が付いてきて、内臓も動くようになります。
 失明とされた目も、毎日の点眼と目脂の掃除で段々ときれいになり、光を目で追うようになったんです。
 うんちもおしっこもちゃんと出て、ここまでくれば少し安心で、再度先述の動物病院で受診をして貰うと、先生も看護士さんも子猫の回復状態にビックリされ、さすが神社で保護された猫と・笑
 そして子猫を取り巻く環境は次のステップに進みまして里親探し。それもただ譲渡する訳ではなく、子猫の生涯をちゃんと面倒を見られる方を探すという、なかなか難儀な問題に進むのです。
 当時の宮司はSNSといえばFacebookがメインで、Instagramは始めたばかり。見様見真似で投稿をしていた時代。
 今でも使いこなしているとまではいきませんが、毎日アップしているとそれなりになるもので、兎に角子猫の里親募集をかけてみました。
 何の反応も無いまま一週間が経ち、そして再度子猫のアップをしてまた一週間が経ち、宮司はこの子はうちで飼うことになるのかなと思っていた矢先の事です。
 Instagramにはダイレクトメールという機能があり、そこに一通のメールが入っていたのを、使いこなしていない宮司は見過ごしておりました。
 公孫樹や紅葉が色付いた11月半ば、宮司が外祭から帰社して駐車場に降り立つと、夫婦連れの方に「子猫についてメールをしたのですが」と声を掛けられました。
 さて、メールは?という話になり、そこでInstagramのダイレクトメール機能を知ったという・笑
 社務所で飼いたい理由や住環境をお聞きして、このご家族ならばと子猫を引き渡して今日で7年。
 毎日のようにInstagramにアップされる画像とその成長に、親元として嬉しさと懐かしさを感じつつ、本当にいいお家に行けて良かったと、禰宜画伯と話しております。
 7年前に佐倉出発した子猫はさくたろうと名付けられ、今は川崎のマンション暮らしで、本当に可愛がって貰っています。
 もう実際には会うことはないと思うけど、毎年届くさくたろうからの年賀状、1ヶ月半後のお正月に待ってるね。
 
山武から、茅野から [令和7年11月12日]

「オフショットも」

「楽しそうだね」
 国会の予算委員会、このところ動物を取り上げることが多い様で、高市首相が奈良の鹿が外国人に危害を加えられているとした発言に対して、これを無根と発言取り下げを求めた、書きたくはないけど立憲の議員が、これまた炎上状態。
 同じ動物でも熊の被害に対しては、国も地方自治体に対する補助の増加を示したり、自衛隊や警察の活動範囲に道筋を立てたりと、熊と鹿とで議論の内容が随分と違いました。
 ほんと、立憲の質問者ってよくこんなんで当選してきたなと思うのばかりで、当選をアシストしたのはこれまでの自民党のお陰という事をよくよく忘れない方がいいと思います。
 熊の件ですが、宮司は不思議に思うことがありまして、餌となる団栗の不作や凶作が続く中、どうやったら生息数が増えるのだろうという事。
 餌がなければ育児どころか、出産もおぼつかないと思うんですよ。餌が無いから市街地に出てくるのは判るのですが、飢餓状態でも生育数って増えるのでしょうか。
 三球照代さんの漫才ではありませんが、これを考えると夜も眠れなくなっちゃう宮司です・笑
 麻賀多神社の四季を撮影して下さる写真家の花澤信幸先生より、先月齋行した麻賀多神社例大祭の写真と画像データを沢山頂戴しました。
 毎回思うですが、花澤先生の作品は記念写真ではなく被写体が生き生きと、そして瞬間を捉えているのにも関わらず、見ているだけで動いているように感じる作品なんです。
 プロの写真家ですからそれは当然と、先生は話されると思いますが、その境地にたどり着くには時間と経験、そして生まれ持っての何かがあるのだと、写真を見ながら禰宜画伯と話すのです。
 新社務所に設ける待合いエリアは各種の展示も出来るような設計となっており、来年以降には成りますが、花澤先生の作品やしあわせ月もうで御朱印の原画展も開催をする企画を立てておりますので、楽しみにしていて下さいね。
 今日は遠方よりお客さんをお迎えしました。長野県茅野市にお住まいの女子神職さんで、宮司とはSNSを通じて10年以上のお付き合いで、以前ご奉仕していた神社にもお参りをさせて頂きました。
 今は神社界を離れてご両親が開業されたレストランを引き継ぎ自分ナイズにカスタマイズして、メニューはハンバーグとステーキに特化したそうです。
 SNSでのアップを見ると、遠方よりのお客さんも多いみたいで、先日はお子さんが佐倉中学校に通っている方の来店もあったとか。
 佐倉中学校、その学区は麻賀多神社、そして宮司の兼務社の範囲となっており、当然の如く氏子さんになるのです。ご縁ですね。
 麻賀多神社への来社は初めてで、禰宜画伯とも初対面なのですがさすが女子神職同士、意気投合して夕刻で気温が下がってきた境内で永遠と話していました・笑
 茅野は諏訪の隣で諏訪大社の氏子地域でも有るので、御柱祭にも町を挙げて奉仕をする、神様事にはとても熱い所なのです。
 7年毎に行なわれる御柱祭。前回は令和4年(2022)でしたので、次回は令和10年(2028)になります。
 その際は御柱祭の拝観に行きますと共に、茅野で美味しいハンバーグを食す事に致しましょう。
 あ、本人は御柱祭に出ているので、お店は休みだ。御柱祭の前に伺う事に致しましょう。
 
引き渡し日が決まりました [令和7年11月11日]

「外階段からこんにちは」

「2階廊下からの和室」

「和室の装束棚」
 世の中には「まさか」と言うのがありますが、一昨日に投開票が行なわれた茨城県神栖市の市長選挙。
 もうご存じの方も多いかと存じますが、立候補者2名の得票が、なんと同じ16724票。
 過去には町長選であったらしいですが、市長選挙では始めてで、公職選挙法により当選者は神栖市選挙管理委員会の境選挙長が行なったくじ引きで決しました。
 これで当選人が決まったわけですが、相手方は納得がいくわけもなく、異議申し立てからの票の再点検が行なわれます。
 今までも地方自治体の議員選挙で、最下位と次点の票が僅差の時に再点検はやっていますけど、余程の疑義がなければ首長選挙ではお目に掛かることはありません。
 再点検でどのような結果が出るのか、もし結果が違う事になればまた選挙?
 今回の事例、珍しいことではありますが、どこにでも起きうることなので、その後に興味を持ちつつ本日の七峯に入ります。
 昨日、新社務所建設工事にあたり、発注者の宮司と設計監理の森田建築設計事務所の森田主宰、そして施工を請け負っている万葉建設株式会社の遠藤現場監督により、今後のスケジュールについて打ち合わせを持ちました。
 昨日の七峯でも書いたように、今月30日の午後に引き渡しの手続きと、それに伴う書類作成。そして鍵の引き渡しが行なわれます。
 実はこの手続き、当初の予定では今年の7月末で、遡ること2月に上棟祭の予定だったのが5月にずれ込んだので、9月末に変更。
 そこから2ヶ月ほど押しまして、今回は間違いなく11月30日となりました。大丈夫かなぁ・笑
 これだけだと、施工の怠慢の様に思われる方もいるかと思いますが全く違いまして、今現在の建設業界って人手不足と物価高騰、そして資材不足で凄いことになっているんです。
 その典型的な例が、JR津田沼駅周辺の再開発や中野サンプラザの建て替えで、施工が決まらずに中止となっている案件も数多いんですよ。
 それを思えば施工に漕ぎ着けられ、引き渡し予定は押しましたが、目の前に広がる新社務所の光景を見るに、工事に関わって頂いた多くの方々に感謝しかありません。
 引き渡しまでには施工検査と監理検査、そして施主検査があり、取り扱い説明会からの第2次施主検査と、宮司達が直接関わる事項も多くなります。
 数多の方からの御浄財を頂き造る新社務所。その御浄財に無駄がないよう、施主検査では宮司もまなこを確りと広げて立ち会いたいと思います。
 
予報では晴れでしたが [令和7年11月10日]

「この30分後に」

「せっかく干したのに」
 昨日の七峯の枕は久々に高市首相がらみではありませんでしたね。首相ネタはあったのですが、敢えて触れないでおきました・笑
 なんですが、それもつかの間、在大阪の中京領事が高市首相が発言した台湾有事「存立危機事態になりうる」なら武力行使もいとわないとしたのに対して、「勝手に突っ込んできたその汚い首は一瞬の躊躇もなく切って」とXに投稿したのです。
 これってね、「ペルソナ・ノン・グラータ」なる「好ましからざる人物」として国外退去させるレベルですよ。
 とかく波風を立てたくない日本の外務省。流石に動いているんでしょうな。遺憾とだけ言って終らせるんじゃないぞ。
 今日も国会では衆議院予算委員会が開かれておりますが、野党第一党の立憲民主党議員の質問の程度と同じ事を何度も聞く粘着性に、野党って楽で良いですねと。
 そして予算委員長の枝野氏采配の悪さというか、総論のみではなく各論まで高市首相に答弁させる意地の悪さに辟易としている宮司です。
 高市政権となり、今まで国会中継など見ていなかった若年層がそれを見るようになり、生中継ではなくてもネットで再配信も見ることが出来る時代に、立憲は自分達の程度の低さをどんどん見て下さいと言っているようで。
 当地佐倉市を含む衆院千葉9区選出で立憲所属の奥野総一郎代議士は、予算委員会の野党筆頭理事に就任したようなので、今度お目にかかったときにはギッツリとその点をお話ししたいと思います。
 こう書くと「宮司は威勢のいいこと言っているけど七峯だけじゃねえ?」と思われるかもしれませんが、今までも実際に意見は言っておりますし、ご本人も宮司の意見は参考になりますよと苦笑いされつつ、盃を交わすことも度々ありましてね。
 因みに奥野代議士の後援会長は元東邦大学佐倉病院長で、現在は五井記念病院長の加藤良二先生。
 月一、某所で「加藤会」なる小さな集まりをしておりまして、酒のつまみはこの手の話も屡々。朱に交われば赤くなるを地で行ってはダメだと話されます・笑
 今日の佐倉は、昨日とは打って変わりの小春日和。最高気温も20度くらいまで上がり、外祭を奉仕するにも動きやすかったです。
 帰社しましてから新社務所工事現場事務所で、今後のスケジュールについて打ち合わせを致しました。
 その中で今月末に引き渡しの手続きと書類作成をすることが決まり、約2ヶ月の遅れではありますが、今度のお正月には新社務所が稼働する事になりました。
 事務所から内装工事中の新社務所に移って、建具の調整などの打ち合わせを続けて行ない、2階に上がりテラスから見えた御神木が紅葉をして、とても綺麗でした。
 その後、現社務所と繋がっている宮司宅に戻り改服。お昼休憩をしていると、なんだか外の様子がおかしい。
 さっきまで真っ青だった空が、いつの間にか重い灰色に変わっていて、そこから大粒の雨が降り始めたのです。
 朝の予報だと今日は一日中晴れで、お洗濯は外干しがお勧めとやっておりました。
 外に干してお出掛けされた方、沢山いたんじゃないかな。帰宅して取り込んだからまだしっとり状態だと思います。
 宮司家、ここのところ社務多忙につき洗濯物は居間に干していて、除湿器フル回転をしているので、雨に濡れずに済みました。
 只今、社務終了の午後5時少し前。七峯を書上げたらお洗濯を畳んで、袴をクリーニングに出しに行きます。
 朝食に欠かせない和布蕪と納豆も少なくなってきたので、帰りに買ってこうようっと。
 
狛猫さん雨宿り [令和7年11月9日]

「雨ですねぇ」
 毎朝のお参りのあとにメインのパソコンを立ち上げて、社務開始と共にメールの受信やらインターネットサーバに接続をしております。
 毎日のことなので、最早ルーティンと化しておりますが、以前は、と言ってもかなり前ですが、常時接続のままでパソコンの電源も切らないこともありました。
 でもね、夜中の落雷など就寝中にはどうしようも無いこともありまして、また電源の入れっぱなしはパソコン本体への負荷も大きくなり、その結果としてマウスが接続できない事も有るんです。
 なので、今現在は電源を落とすの一緒に、主電源のコードも抜くようにしているんですよ。
 しかしまあ、迷惑メールの多いこと多いこと。日によっては100通くらいの迷惑メールや偽メールが入ってくるので、パソコン仕事の始りはその削除から。
 そのメール、本物と見分けが付かない物も多く、クリックする危険性も大きいですよね。
 でもね、自分が使っていないインフラから来る物は偽。国や自治体を名乗る物もほぼ偽で、警察関係から個人宛に突然メールが来ることは有りませんし、況してや電話が来ることも有りません。
 事件性のある用事がある場合は、警察官本人が来て事情を話すか聞くことになりますので、LINEへの誘導等も含めて気を付けましょう。
 七五三のお参りも本格化という時季ですが、毎週末のどこかで雨が降りまして、今日の佐倉は朝から雨。
 朝拝で御殿に上がり、そして拝殿の御扉と両脇の蔀戸(しとみど)を開けると、どことなくからの視線を感じました。
 ふと甲子の菰樽に目をやると、狛ねこさんが雨宿りをしておりました。寒かったのかな、丸まった体の腰あたりを少し浮かせて、毛をふわっとさせていました。
 これって、威嚇のようでそうではない事も多く、顔つきの具合で何となく解るようになった宮司です。狛猫達との付き合いも長くなりましたので・笑
 菰樽の上、元祖狛猫の母ニャンとスルメがよくいた場所なんですよね。特に寒い時期は今朝の狛猫さんと同じで、可愛く丸まっていました。
 その回数が多くなると師走の足音が聞こえ始めてきて、年神様の奉製も始まります。
 今年の年神様の奉製は既に始まっており、例年より半月早いでしょうか、幣束やお祓いも串刺し作業が進んでいます。
 少しの時間も無駄にせず、休むときは休む。こんな具合で社務をしておりまして、未だ工事中ではありますが新社務所への引っ越しもありますので、夜鍋仕事にならないように計画を進行中です。
 
秋祭りを納め佐原西関戸区来社 [令和7年11月8日]

「宮司と似ている方が!?」

「西関戸区の山車」
 先月末からの七峯の枕が高市首相で始まらない日が無いと、先日の七峯の枕で書きましたが、今日の枕も高市首相ですので、あしからずお付き合いの程をお願い致します。
 昨日の予算委員会前、早朝も早朝の午前3時から委員会答弁のために行なわれた、高市首相の勉強会。
 お決まりのように左巻とオールドメディアが、高市が−とか役人が可哀想ーとか言っておりますが、やはりその原因は左巻の政党にあったようです。
 国光文乃外務副大臣が発信したXには、2日前の質問通告をおざなりにしている政党名が並んでおりまして、そのトップは立憲で2位は共産党。
 そもそも答弁書作成に関わる各省庁役人の負担軽減のために設けられたルールを破っておいて、役人の人権だ何だというその態度。
 今回の予算委員会は高市首相の所信表明演説から外交日程により、通常よりも日数が沢山有ったにも関わらず、質問書をちゃんと提出できていない時点で小学生以下。
 宿題も出せない大人の集まりを応援しているのが、反日教育推進の日教組なのは皆さんご存じの通り。
 ダメなのが応援している。ダメだから応援しているのか、先日の所信表明演説ヤジ大会も子供に見せられないとあんなに話題になったのにね。
 さて、今日は小春日和の良いお天気な佐倉で、七五三のお参りが多くなるかと思いきや、やはり少子化の影響が大きいですね。
 それでも近隣市町村に鎮座する神社では
比較的多くのお参りを頂いておりますが、少子化が顕著な下り方面の地域では、どれほどの減少率なのか、千葉県神社庁の教化部長職を預かる者として気に掛るところです。
 それでも祈祷受付終了の午後3時半過ぎまで、ちょろちょろではありますが日がな一日の御祈祷、今日も智勇権禰宜が祈祷番として奉仕を致しました。
 その最終祈祷後になりますが、香取市佐原に鎮座する諏訪神社の氏子、西関戸区の若連と当役の皆さんが来社。宮司が斎主となり正式参拝を致しました。
 この西関戸区、宮司の生家がありまして諏訪神社例大祭にはユネスコ文化遺産である「佐原の大祭」に、瓊瓊杵尊の大人形を載せた山車を曳き廻ししております。
 宮司も大学生までは諏訪神社のお祭りに出ておりまして、祭典の時間は町内半纏から白衣白袴に改服をして諏訪神社に出向しておりました。
 郷里を離れてだいぶ経つとは言え、自分を育ててくれた故郷ですし、実家を筆頭に多くの仲間がおります。
 少しでものご恩返しとして、日中に山車が曳き廻しをする際に大天井下に掛ける注連縄の紙垂を毎年奉製しているんですよ。それと御神酒の奉納も。
 その答礼としてこの時季に若連の皆さんが来社して、お参りのあとは今年の曳き廻しの事などを話してくれます。
 佐倉のお祭りと佐原の秋のお祭りはほぼ日程が被るのですが、5,6年に一度の割合で佐原の秋祭りが1週間早くなります。
 前回は令和4年だったかな、その時は流行病時下だったので来倉する方も少なかったですが、次の機会には佐原から沢山の方が佐倉のお祭り、麻賀多神社例大祭に来てくれることを楽しみにしております。
 因みに、写メの両端に移るのが兄弟です。どちらかというと、弟の方が大人びて見えるかもしれませんね・笑