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どうしても作りたかったもの [令和7年12月20日]
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「赤ちゃんいらっしゃい!!」

「今日も工作しました」
本日は大安の土曜日、そして一粒万倍日ということで、多くのお参りとご祈祷が有りまして、祈祷番の智勇権禰宜がフル稼働した一日となりました。 昨日までの予報では今夜半から雨とあったのですが、実際にはかなり早まり午前10時には小雨が降り始め、降ったり止んだりを繰り返す一日となりました。 その分なのか、明日の日中は晴れ間となるようで、御祈祷と外祭がありますので、少しく安堵をしております。 今日の宮司ですが、一日を通して作業服に神社の袢纏という、一見すると大工の棟梁的な格好でして、境内の大型テント臨時授与所の設営をしつつ、初宮詣や七五三詣の御祈祷を受けた方の撮影手伝いも。 まさか宮司とは思われないところがまた良い感じでして、撮影後に「作業頑張って下さい」と暖かい労いの言の葉を頂き、より一層作業に身が入る宮司でございました。 そんな合間にも、現社務所から新社務所へ荷物の搬入をしたり、板金屋さんと話したりとあっという間に夕方となりました。 明日に仮竣工の引き渡しを控え、新社務所内での作業も重なり、今自分は何をメインで動いているのか、目まぐるしく移り変わりましたが、予定をしていた仕事以上に捗ったかな。 新社務所内を行き来して、目に入ってきたのが1階トイレエリアの黄色い壁。実際には黄色に少し灰色を混ぜたような感じで、明るさの中に落ち着きも有る色となっております。 1階トイレエリアは女性用と多目的の、2つのトイレがありまして、男性用はありませんので、境内東側にある既存のトイレをご使用下さい。 宮司が新社務所を建設するに当たって、幾つかの「これだけは作りたい」と、念願したものがあるんです。 その2つが多目的トイレと、そこに設置したおむつ交換台。赤ちゃんからご老人、そして健常者から障害者まで使える場所を作りたかったのです。 今回作った多目的トイレはオストメイトは設置しておりませんが、車椅子で入ることが出来る広さとなっております。 麻賀多神社の神様「稚産霊命・わかむすびのみこと」様は、多くの御神徳が有る中でも健児育成、安産子育ての神として広く崇敬を集めてまいりました。 少子化が叫ばれて久しいですが、今日も多くのお子さんがご家族と一緒にお参り。雨降りの中にも暖かい光景が繰り広げられた麻賀多様です。 今までは待合室もなく、おむつを替えるといったら境内の縁台の上などで、心苦しい思いをしておりました。 これからは安心しておむつ替えが出来るようになりますし、お声掛けを頂ければ授乳が出来る場所へご案内も可能です。 もっと早くに出来ていればとの思いが心の中に残っておりますが、中途半端なものではかえって不安定さを増すばかりですので、逸る気持ちを我慢した分、良いものが出来上がったと思います。 引き渡しは明日ですが、実際に使用開始となるのは元日からとなる予定。おむつ交換台を使う赤ちゃん第一号はだれかな!? 引き渡し後は今一度掃除と点検、そしてトイレットペーパーやエチケットボックスなどの備品も装備しませんとね。
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物忘れで師走バージョン遅れる [令和7年12月19日]
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「うっかりしてました」

「朝から涼しげな眼差し」
首相官邸筋の安全保障政策担当者が核兵器保有に前向きな自身の考えを、オフレコの席で述べたそうでして、いつものようにあちら方面の野党が「即刻辞任しろ!!」と息巻いております。 よせば良いのに自民党内からも、それも防衛大臣経験者までが同調しちゃっているのですから、オフレコの発言を漏らさせてリトマス試験紙にしているのではと勘ぐる宮司です・笑 核兵器という一言で熱くなると言うか発狂寸前になるって、思考停止以外の何ものでもないと思うんですよね。 そりゃあ、日本は唯一の戦争被爆国ですので敏感になるのは解りますが、我が国と取り巻く国際情勢は何度も七峯に書いておりますが、四六時中ゴロツキ国家に恫喝を受けているようなもので、国を守る為にはどうしたら良いのか。 その思考選択肢の1つとして、核兵器なる文言が出てくるのは当たり前で、まわりのゴロツキが全て核兵器を保有しているんですから、話し合いだの外交だのといったところで、そんなの知らんよと言われればそれまで。 それでいてレフトサイドは、アメリカの核の傘下にも反対だし、現実的な安全保障から目をそらしているとしか思えません。 いずれにしても一つのWordを机上にも載せないというのは異常ですのでね、近視眼的な政党は次の衆院選での結果が楽しみです。 今日も初詣の準備に勤しんだ宮司と智勇権禰宜。そして佐藤出仕もだいぶ慣れてきて、時折禰宜画伯に微笑指導を受けながらも、笑顔で社務に当たっております。 ここ数日は毎晩、御神札に祈願名を捺印しておりまして、気が付けば午前1時を回っていると言うことも珍しくありません。 結構夜鍋仕事って好きでして、生き狛犬達の寝息と好きなDVDをBGMにして、自分の世界に入り込む。自分が時間が取れない事って多いので、大切な時間と言っても良いかな。 かと言って朝寝坊はしませんで(当たり前ですが・笑)、やりきった感で就寝するのでぐっすり眠ることが出来、そこに美味しい朝ご飯ですから、少しくらいの疲れは飛んで行きます。 でもね、時間に追われるのって一番というくらい頭を疲れさせましてね、やろうとしていた事を忘れるんですよ。 今朝、ゴミ出しの為に宮司宅の玄関を開けるとそこには狛猫が丸まっており、涼しげ(寒いだけかも)な眼差しで、何か忘れていない?と話しかけられた感じ。 ゴミ出しから戻り朝刊を郵便受けから取り、再び玄関前にいる狛猫と目が合う宮司。 あ、そうだ!!、神社の石垣下に立てている行事の案内看板がまだ七五三詣のままだった!と。 そこまではテンティアルのパジャマだったので、そして佐倉中と佐倉東高の生徒が登校時間でしたので、師走仕様の看板掛け替えは社務開始当初に行ないました。 人間って完璧にやり遂げたと思っても、何か抜けている事が大いに有ります。それが人命や重大事に関わると大事になりますので、身の回りという近い場所から点検をしてみたいと思いますと、この頃物忘れが多い宮司の独り言でした。
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サイン看板打ち合わせ [令和7年12月18日]
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「一階トイレ」

「潔斎所にも」

「既に茹でました」
自民党の高市総裁と国民民主党玉木代表が会談をして、所謂「年収の壁」と言われる額を178万円まで引き上げある合意をしたと速報が流れました。 10月21日に高市政権が誕生して早2ヶ月。戦後すぐなどの特殊事情を除くと、これほど色色な成果を上げた内閣はそうないと思います。 比べるに残念すぎますが、前政権って何をやっていたんでしょうね?支持していた方って 鳥取県民かレフトサイドだったのではと思う宮司でございます。 今回の合意が所得制限の有無や基礎控除だけになるのか、全容は判明しておりませんが、シンプルな形で施行となって欲しいですね。 只今午後7時少し前。今日はなんと朝のゴミ出し以外は境内から出ていない宮司でございます。今のところね・笑 初詣の準備を行ないつつ、新社務所の仮竣工引き渡しを目の前に、午前10時から備品として会議机と椅子の発注と契約。そして支払いを行ないました。 それが済んで再び境内の大型テント臨時授与所の設営を行ない、12時15分から新社務所内に設置するサイン看板の場所決め。 サイン看板とは、トイレなど主だつ場所への案内を示すもので、今回は既製としてのマークの他に禰宜画伯がデザインしたものも掲げられるんですよ。 解りやすさが一番なのですが、それだけだとどこにでもある感じに仕上がるので、ちょっとひねったものや、芸術性を持たせたものなどがありまして、それは出来上がりを見てのお楽しみとしておきましょう。 こういう印って、掲げる高さやドアとの距離など、1,2センチ違ってもその印象が変わるんですよ。 なので、何度も何度も位置を変え、その都度に見る場所も変えて、どの位置が一番適しているかの意見集約をする。 最初は正味30分程で終るんじゃないかとの時間設定でしたが、やはり時間が押しまして午後1時からの第2次施主検査が始まったのは30分押しとなりました。 それも1時間半ほど行ない、午後3時からは第二回取り扱い説明会。トリセツの2回目でして、水道とガスの供給が始まったので厨房をメインに各所で70分。 この段階で既に外は暗くなり、やりかけだったテントの臨時授与所準備をキリの良いところで仕舞い社務終了。 その時に宮司の携帯電話が鳴りまして在社の確認。それから10分ほどで可愛い後輩が来社し、手には宮司が好きな香箱蟹が4杯もビニール袋に入っているではありませんか!! 今年もお世話になりました、そして来年は特に佐倉青年会議所(JC)の外部監事職をお願いしますと、この元日から佐倉JC理事長となる尾崎美香君より暖かい言の葉を頂きました。 この香箱蟹、七峯を書き始まる前に茹でまして、今夜のアテは決まったようなものなので、鋭気を養って夜鍋もしつつ、明日からも頑張る気合いの宮司なのでした。 さて、香箱蟹に合せるオササは何にしようかな。やはり日本酒か。
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社務所の建具直し [令和7年12月17日]
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「匠の技集団」
そう言えばのお話なのですが、中共が日本への渡航自粛を発表してからというもの、都内のホテル宿泊費が下落をしております。 あくまで都内の話なので、日本を代表する観光地の京都あたりの動向も気になるところですが、日本人がちゃんと宿泊できる時代が戻ってきたということでしょうか。 SNSにあった投稿ですが、中共は日本へ行くな。日本は中共から来るな。珍しく意見が合いましたねと、大笑いをさせて頂きました。 中共が嫌う日本の大手ホテルチェーンであるアパホテル。彼の国の人は余りアパで宿泊をしませんが、そのアパホテルでさえ宿泊費が下がっているんです。まさにWin−Winですね・笑 夕方のニュースでは、今年1月からの訪日外国人が3900万人を突破したとありまして、今月分を加えると4000万人を超えるのが確実となったそうです。 確かに増えている実感は有るんですよ。だって佐倉でさえ観光だろうなと思う外人さんの姿を普通に見かけるようになりましたし、神社にもよく来るんですよ。 そして欧米系と台湾からの観光客が増えている実感。台湾と中共は北京語を話しますが、その口調は全く違いまして、更には台湾からの方は御朱印巡りをする人が多く、ちゃんとお参りもするので、大陸からじゃないと解ります・微笑 一時期よりもトーンは下がったとは言え、相変わらずオールドメディアは中共からの観光客が来ないと大変だなどと流しておりますが、そんなの聞き流しましょうね・笑 新社務所の工事も大詰めとなり、建具などの調整と塗装の補修などが行なわれております。 今日は建具の材料を元請さんが忘れたらしく、それを取りに行っている間は建具屋さんは時間を持て余すことになったので、以前に相談していた現社務所の障子や引き戸の調整をしてくれました。 今の社務所は昭和5年(1930)に建てられたので、今年で築95年となります。 建具に関しては次の間の襖を除いて、ほぼ建築当時のままを使用しており、建物本体の歪みなどで生じる開け閉め困難な状態の所が沢山有るのです。 逆にいつも使っている玄関の上がり口などは敷居が痩せてしまい、開け閉めをすると障子がはずれる始末で・苦笑 今現在、日によって若干違うのですが、新社務所工事に入っている建具屋さんは概ね4〜7人。 今日は5人だったかな、皆さん凄技の持ち主で、仕事を見ていて出てくるのは感歎の溜息ばかり。 その腕の素晴らしさに、禰宜画伯はこれも作ってあれも作ってと、どんどんお仕事を増やしてしまい。 それに対して、それだったらこうやった方が良いよとか、また難しいこというよなぁとはにかみながらも翌日には完成させているところが、なんともお茶目な建具や集団なのです。 現社務所の建具調整は縁側のガラス引き戸だけお願いしてあったものの、あれ?この障子も引っ掛かるな。玄関の引き戸も斜めだぞとか、授与所のガラス戸ってちゃんと鍵は閉まってる?とか、建具屋さん自身がどんどん仕事を増やしちゃって、お陰様でほぼ全ての建具がちゃんと致しました。 ただ問題点が一つありまして、今まで動かない引き戸など、力を込めて引いておりましたので、調整したところをその力量で動かすとビックリするほどのスピードが出てしまい、慣れるまで暫く掛かりそうです・笑 新社務所の完成が近づいてきてから、比例して「今の社務所はどうするの?」って質問が増えております。 以前の七峯にも書きましたが、現社務所は現状のまま残しまして、いずれの時にかリノベーションをして再活用をしたいです。 その為にも、新社務所へ引っ越してからも小まめに手入れをして、風通しも行なってまいります。
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パンダの揺さぶり動じない事 [令和7年12月16日]
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「峯村先生の講演」

「留辺蘂神社Instagramより」

「東京タワーが綺麗でした」

「多摩動物公園のカンカンとランラン」
北海道を中心とした大雪も一先ずは落ち着いたようですが、雪に慣れているはずの道産子も早めの大雪にはお手上げだそうです。 神主仲間で北海道北見市鎮座の留辺蘂神社宮司がアップするSFには、あらまぁと思わず呟いてしまう光景が写し出されており、そう言えば北海道にはヒグマもいるじゃんと、温暖な気候の熊無し県民には驚くばかり。 この大雪も地球温暖化が作用しているとされ、それであれば温暖な気候の話が千葉県も春先に降る可能性がある大雪には注意しておかないとと思う総武線快速電車内の宮司です。 昨夕から上京した宮司。神道政治連盟千葉県本部幹事長として、森英介元法務大臣の動態政経研究会セミナーに参加してまいりました。 所謂政治資金パーティーになるのですが、森代議士のセミナーでは毎回多方からの講師を招き、しっかりとした講演が行われるので、機会が合えば県本部役員として参加をさせて貰っているんですよ。 今回の講師はキャノングローバル戦略研究所上席研究員の峯村健司先生で、「台湾有事と日本の危機」と題して講演を頂きました。 あれ?どこかで聞いた事がある名前、と思った方、その通りです。高市早苗首相の存立危機発現なる国会答弁からこのかた、中共からの威圧が続いている中にあって、現代中国問題研究の第一人者として連日その名前をお顔を見ない日は無いとうほどのひっぱりだこ状態のあの方です。 朝日新聞の記者として中共に滞在する事10年以上と、その間にも中共当局から拘束される事30回以上。あの新聞社にして気骨な経歴の持ち主なんですね。 講演の内容を大まかに書きますと、中共の習近平主席は兎に角も台湾をどのような手を使っても併合したいとの思いが強く、それは習主席が福建省の中国共産党職員であった時代からの念願だそうです。 その時代、習主席が福建省で行なっていた工作は、昼はゴルフで夜は大宴会。対象は台湾の政財界や退役軍人、そして宗教者達で、台湾内部からの侵略の為だそうでして、それは今も形を変えて続けられていると。 それを聞いた時、多分日本にも同じ工作をしているんだろうな。媚中派と対をなすハニトラもその一部なんだろうと想像に難くありませんね。 講演は時間を少し超過しつつ、その後の質疑応答にもいく名かの質問があり、関心の高さを示していました。 講演を拝聴して会場となった東京プリンスホテルを後にライトアップされた東京タワーを見つつ、宮司はその足で宿泊場所となる上野に移動して軽く一杯。 上野の街もあちらからの団体客がいなくなったせいか、煩い移住の喧騒も無くなり、気のせいか路上のゴミも少なくなりましたね。 その上野ですが、同じ日の夕方に当地を激震させるニュースが流れたのです。それはパンダ。 現在上野動物園には双子のジャイアントパンダ、シャオシャオとレイレイの兄弟がいまして、和歌山県白浜町のアドベンチャーワールドのパンダが中共に変換されてからは国内唯一の飼育となっています。 その双子の子達が来年1月末に中共へ変換されるとの報道でして、元々来年2月に変換を1か月前倒しになったと。 全てのパンダは中共の所有でして、それを各国へレンタルをしており、日本生まれのパンダであったとしてもレンタルの一部となるのです。 ここからですよ、オールドメディアが「パンダが日本からいなくなってしまう!!(遠回しに)これも高市のせいだ!!」と、高市のせいダーズと騒ぎ始めるわけですね。 上野といったらパンダと言うくらい馴染みがありまして、昭和47年(1972)の日中国交正常化により北京から来たカンカンとランランのフィーバーぶりは凄まじいものがありました。 同年に生まれた宮司、幼い頃の東京の思い出と言えば上野動物園で、白黒の写真が懐かしさを醸し出します。 上記にパンダはレンタルと書きましたが、実はカンカンとランランは例外でして、両頭と生まれた子供は上野動物園の所有だったんですよ。 実際には子供は生まれることはありませんで、ランランは自然妊娠後の妊娠中毒症と尿毒症の合併症が原因で昭和55年に亡くなりました。 カンカンもその翌年に亡くなり、報道然り国内に流れる暗い悲しい雰囲気を、幼い時ながら今でも宮司は覚えております。 まあパンダがいなくなるのは寂しいですが、かといって高市首相が存立危機事態発言を撤回するわけでも無く、撤回したら日本が中共の属国になるようなものなので、一喜一憂することないのが一番。 因みに日本国内で亡くなったパンダは、遺骸も中共に持って行かれますが、カンカンとランランは日本所有なので、2頭の剥製が多摩動物公園に展示されています。 宮司は幼少のみぎりに上野動物園で、大人になってから多摩動物公園で2頭に会いました。 今思えば生前である上野動物園でも動いていなかったな。そう思うと、今のパンダはよく動いていると思います・笑
※ カンカンとランランの剥製画像は、4travel.jpより拝借しました。
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よろず臨時授与所請け負います [令和7年12月15日]
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「やけやを背負って」
昨日は予報よりも降雨の時間が伸びた佐倉ですが、夜には上がりまして夜空には星も見えて、明日は良い天気の下に境内作業が出来る!! と、思っていたのですが、またま冷たい北西の風が少し強めに入っておりまして、この風だと北陸から東北、そして北海道は大荒れの空模様だろうなと思って今朝の天気予報を見たらそのまんま。 北海道では大雪警報が出ているところも有り、特に普段雪が少ないと言われる道東でも記録的な降雪なので、仲間の神主がアップする大雪のSNSを見つつ、これくらいの風で境内作業が出来ないなんて弱音は吐けないと奮起している宮司です。 今日は15日なので中の月次となり、毎月朔日の月次祭と同じく御供えする神饌は普段より多めになります。 昨夜は社務終了以降も仕事をしていたので、夕餉は外にしましてからの地元スーパーで神饌用のお野菜と果物を購入し、今朝に智勇権禰宜が献饌をしました。 スーパーには結構マメに行く宮司。その際には物価高騰を叫ばれて久しいこともあり、食品を中心に値札を以前よりも見るようになりました。 そして一番中止をしているのがお米の値段。一般的には5キロの袋詰めとなっており、大体レジカウンター近くに積まれていますね。 先々週でしたっけ、米価が過去最高になったというニュースが流れていましたが、実はその付近でも小売価格はジワジワと下がって来ていた印象があるのです。 所謂ブランド米、そして有名所産などはまだ高値で売られていますが、作付けが一番多いこしひかりはピークを越えていますね。 昨日よったスーパーでは税込4000円台前半のお米もあり、それもブレンドではないのが出てきております。 今年の新米は集荷業者が兎に角量を集めるために農家から高値で購入しているので、出始めは誰が考えても昨年より安くなることはないのです。 ただし、これによって米離れが起きているという指摘があり、それに加えて今年の収量は昨年の2割増しですから、集荷業者や仲卸業者の倉庫には新米が渦高く積まれているのです。 そうしたらですよ、売れないものを持っているだけでは赤字が膨らむし、売れないまま来年の新米が出てしまえば、今年のお米は古米となってより赤字が進むことになり、米扱い業者の倒産が続発しかねません。 なので、傷口が広がる前に在庫を減らそうと、これから米価はどんどん下がると思われます。 本題前の枕が長い七峯ですが、今朝も確りとご飯と汁物を頂いた宮司は、心とお腹の中を満たした状態で外作業に勤しんでおります。 今の時季は袴姿よりも作業着姿の方が断然に多く、自分でも師走を感じるシーンとなります。 この姿で境内作業をしていると、神社出入りの職人さんと間違われることも多く、それを楽しんでいる気配の宮司。 心境的には「よろず臨時授与所請け負います」(宗)麻賀多組と言ったところかな・笑 年回り的に色々とお役目を頂く事が増えた今年、初詣の対応で境内に建てるテントの臨時授与所の準備は少し遅れ気味。 そこにここ数日の荒天が重なったので、その際は室内で出来る事をしておりますが、先述のように北海道などの皆さんに比べたら、佐倉はまだ外作業が出来る環境。 今日と明日でテントの臨時授与所を2ヶ所作り、これから少し巻いて準備を加速させます。 今日の七峯は午後1時に書上げ完了となり、温かいお茶を頂いてから再び寒風さす境内に繰り出すことに致しましょう。
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新社務所に冷蔵庫搬入 [令和7年12月14日]
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「上手いこと入れるもんです」

「今朝の読売新聞」
冷たい北西の風が止んだと思ったら、昨夜半から冷たい雨が降り始めた佐倉です。 その昨夜は、麻賀多神社大神輿奉昇員である鏑木青年会役員の忘年会が食い処あだちで開催され、宮司が参加してまいりました。 兎に角、今年10月に齋行した麻賀多神社例大祭での大神輿渡御に対して、広い方面より今年の渡御はここ数年で一番良かったと、お褒めの言の葉を頂戴しており、来年もそれに負けない渡御をするとの心意気を青年会役員各位より感じました。 この段階で午後9時。実はこの次がありまして、お祭りに欠かせないのがお囃子。佐倉囃子保存会の稽古納めと忘年会が、仲町のおはやし館で行なわれており、あだちからハンドルキーパーの青年会員に送って貰い、中締めの少し前に到着。 挨拶の後に何度目だろうという乾杯をして、そこからビンゴ大会で賞品を頂きました。 神社からは賞品としてお米2キロを差上げていましたが、ビンゴの賞品にはならずにいつの間にか設定されていた「宮司とじゃんけん大会」で、最後までじゃんけんに勝った方に贈呈。 それだけではと、翌日(今日)に社務所に来てくれたら、お米5キロを追加でプレゼントと言ったら、おはやし館2階は割れんばかりの拍手でした。 いつものこと乍ら、このような楽しい席のオササは残りませんで、今朝も冷たい雨は降ってはおりましたが、気分良く朝拝に昇殿しました。 今日は新社務所に冷蔵庫2台と洗濯機を搬入することになっており、江原淡島神社の前責任役員でもあるオカモトデンキさんが足元の悪い中ではありましたが、搬入と設置作業を行なってくれました。 冷蔵庫は2階の厨房がメインの多機能機で、1階の社務室には従来型を。洗濯機は祭典前に身を清める潔斎室前に設置。 2階に設置するものに関しては、クレーンを使って2階テラスから搬入をしまして、未だ新社務所前の土が締まりきっていないために、クレーンと搭載したトラックが泥濘に填るアクシデントも。 でも流石はプロ。作業の無事な完遂は元より、泥濘の対応とその後の後片付けと清掃も確りとしてくれました。 今の家電ってとことん省エネルギー対応ですね。これは新社務所の照明機器全般にも言えることですが、一昔前のものとは消費電力がまるで違う。 世界では白物家電は韓国や中共のメーカーがシェアを握っていますが、今日見た限りでは日本メーカーの復活も夢ではないと思います。 本日の七峯の締めは、今朝の朝刊に今年も初詣案内を折り込みましたというお話。 今回も読売新聞・朝日新聞・日本経済新聞・毎日新聞(一部)で、佐倉市・四街道市・酒々井町の全域と富里市と印西市の一部に折り込みました。 10月下旬からチラシ印刷と折り込みを請け負って頂いている新東京ADの担当さんと打ち合わせを行ないましたが、年々に新聞購読者数が減少しており、チラシの印刷枚数は同じにしているので。余った分を別媒体を使って配布をしました。 時代に合わせた広報活動をしておりますが、購読者数は減っても紙媒体の新聞が大事だと思います。 同じものが神社の社頭にも置いてありますので、是非お手に取ってみて下さいね。
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境内大掃除続くもラック修理も [令和7年12月13日]
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吹き荒む北西の冷たい強風もどうにか収った佐倉ですが、気温というと最高が9度で昨日比−2度。最低が−2度で昨日比で−2度と寒いのは変わりませんが、風が無いだけ体感気温が全く違いますね。 続いた強風で、今シーズンはもう落ちきっていただろうという銀杏の実がまた結構な量で落ちまして、すっかり葉の落ちた境内の木々を見るに、「まだ銀杏が有るんじゃないか」と疑心暗鬼になる宮司であります。 境内の木々、秋から冬にかけては先述の銀杏と欅がツートップで落葉をしますが、ダークホースがおりまして、それが杉なんです。 杉の張りのような葉って、いつも緑色をしているイメージがありますが、葉なのでいつかは落葉をするのは当たり前で、ハラハラというわけではなく、葉が着いている枝ごと落ちてくるので、強風の後には結構な量の杉の葉が山となります。 これって、軽いので集めるには良いのですが、佐倉市指定の可燃ゴミ袋に詰めるとなると、針葉樹の葉なのでよっぽど気を付けないと、すぐに袋が裂けてしまうんですよね。 今日も30リットルの可燃袋に5つほど集めましたが、杉の葉が入っているのはいように軽く、銀杏の実入りは異常に重いので、可燃指定日の月曜日に出す際にはぎっくり腰にならないように気を付けます。 今日で境内掃除が終わったわけではなく、この先は屋根職人さんにお願いをして、御殿と社務所の屋根掃除でまた落ち葉が出るので、最終的には20日あたりを目安に完了したいと思います。 強風の影響はまだ有りまして、境内に設置しているサイクルラック2機が、なんと風に煽られて幾度も倒れてしまったのです。 その影響かもしれませんが、1機の脚がはずれてしまい、電動ドライバーで修理をする事に。 どうせやるならと、全部のビスを確認して締め直し作業もしたので、暫くは大丈夫だと思います。 当地佐倉はアニメ「弱虫ペダル」のモデルとなった場所で、聖地巡礼と言うらしいですが、アニメに登場する「多分ここじゃないかな?」という場所を、自転車で巡る方が多いんですよ。 弱虫ペダル登場以前にも、印旛沼周辺や佐倉市を東西にはしる千葉県設定のサイクリングロードという好環境なので、ロードバイク系の自転車乗りが多い地域。 麻賀多神社自体はアニメに登場していませんが、境内のサイクルラックの使用頻度も結構高いんです。 今は自転車乗りには厳し良い季節ですが、桜の便りに乗って、来春にも多くの方に使って貰えるように情報発信も続けてしていきますね。
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毎夜の御守袋詰め [令和7年12月12日]
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「四つ目の捻れを治します」

「一袋ずつ丁寧に」
昨夜無事に帰倉しまして、JR佐倉駅近くの大衆食堂幸龍にて草鞋脱ぎ。お馴染みの顔を見つつ、宮司はあんかけ焼きそばで禰宜画伯は麻婆丼を頂き、熱々の心持ちで帰宅しました。 今朝は強風の音で目が覚めた宮司。朝拝に向かうために社務所を出ると、いろいろな物が飛んでおり、お参りの後は暫し境内の片付け作業。 参宮という名の伊勢詣ではありますが、年内最後であろう、佐倉を離れてのお休みでもありましたので、昨日の七峯で書いたように「働いて働いて働いて働いて」を実践します。 ところで今日のお昼前でしょうか、青森県東方沖を震源とするマグニチュード6,8で最大震度4の地震が発生しました。 今発令されている北海道・三陸沖後発地震注意情報に関わるものかとヒヤッとしましたが、8日の夜に発生した最大震度6強の余震ではあるものの、注意情報に該当するのはマグニチュード8以上という規定があるそうで、気象庁やそれを開設しているマスコミも、いまいちその仕組みを解っていないような感じで伝えておりました。 今回も津波注意報が発令され、対象地域では早速に避難が実行されました。これも14年前の東日本大震災を体験しているからこそで、あの震災の聞き伝えの大事さ、それをどのように途切れさせないかの難しさを思います。 さて、今の社務所内ではお正月の準備に職員日眼となって取り組んでおり、それぞれの持ち場でお参りの皆さんにおわかちする授与品が丁寧に奉製されております。 その奉製作業の一つに御守のPP袋詰めがありまして、京都の織物業者より納品された御守袋に御内符という御守の核となるものを収めてから、PP袋に一体ずつ入れて袋の上部を閉じるのです。 その数、数万体と成りまして、お参りの方に御守がより綺麗な状態でおわかち出来るよう、禰宜画伯が考案しまして、始めたのが流行病前からですので、もう10年程になりますでしょうか。 これによって従来御守それぞれに付けていた、紙の小袋を入り用の方のみに渡す事としまして、紙資材の削減とPP袋というリサイクルが可能な資材の活用という2面性をもったものとなっております。 ただですねぇ、最初の頃は説明をしても「なんで紙袋を付けないんだ」という声も多く、それなりの案内表示もしたのですが、固定観念という恐ろしいものには、より優しく対応するという、接客の本義を垣間見ました・笑 この袋詰め作業、主に巫女さん達が担ってくれておりますが、午後5時の社務終了を持って皆さん帰宅しますので、職員に極力残業をさせてくない宮司は、就寝前に一人コツコツと生き狛犬達の寝息と「王様のレストラン」などのDVDをBGMにしながら、300体を目安に袋詰めをしてから床に入るのがこの時季のルーティン。 流石に昨夜は荷解きをして就寝としましたが、今夜からはまた通常通りに夜鍋仕事をしてからの就寝に戻ります。 いつも頑張ってくれている職員や巫女さん達に、宮司の出来る少しのお手伝い。バックアップになっているかな。
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今年も師走の伊勢参宮 [令和7年12月11日]
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「外宮正宮御敷地」

「お正月の賄い材料も」

「高山ラーメン」
国会では衆議院で各委員会が開かれておりますが、相変わらずと言いますか、立憲民主党から質問に立つ委員の質が低すぎる。 岡田の件で懲りもしないのか、同じことを執拗に執拗に何度も何度も質問というか時間潰しをしておりまして、これまた予算委員長がそちら方面なので、担当大臣が答弁の為に手を挙げてもこれを無視して高市首相にばかり答弁指名をする始末。 「#立憲いらない」がネットのトレンドワードとなって暫く経ちますが、こんなんで本当に政権を取る気があるとは思えず、お気楽な野党第一党で歳費を貰えればとも透けて見えます。 いずれにしてもやって来る衆議院選挙ては立憲の総崩れは難くなく、当地佐倉を含む衆議院千葉第9選挙区から選出されている立憲の奥野総一郎予算委員会野党筆頭理事のその地位が危ないとか。 人としては良い方なので、1日でも早く立憲なんぞから離党すればいいのにとは、宮司とその飲み仲間で奥野総一郎後援会長を務める加藤良二先生(元東邦大学佐倉病院長)の共通認識であります・笑 さて、一昨日より宮司と禰宜画伯とで師走恒例の伊勢参宮に参向。只今、東京行き北陸新幹線かがやき号の車内にて、この七峯を書いております。 師走の伊勢参宮、一年の神恩感謝で外宮から内宮へと周る中に、豊受大神と天照大神の大前に、御垣内にて首を垂れる。 今年も伊勢お参りが出来る事への有り難さを確りと感じながら、宮域の参道に敷き詰められた玉砂利を一歩一歩と歩みを進めました。 禰宜画伯の誕生日は12月23日と、賢くも上皇陛下と同じであり、流行病前はその前後に参宮をしておりましたが、そうなりますと新しき年までの期間が短く、寄る年並みを考えつつ今は12月前半にその時期を移しました。 平日にも関わらず、伊勢の両宮には多くの参拝者があり、特に欧米系と台湾からの旅行者であろう姿も見られました。 神宮においては令和15年に斎行される第63回神宮式年遷宮に向けて、今年から本格的にその祭典と行事が始まり、春には御用材の切り出しを始める御杣始祭と山口祭が執り行われました。 来年はその御用材を神宮宮域に運び入れる第一次御木曳行事も行われ、千葉県神社庁印旛支部でも80名体制でそのお役目にあたります。 御垣内参拝から内宮神楽殿での御神楽奉奏をして、近鉄五十鈴川駅から特急で名古屋。そこからJR高山本線の特急ひだ号に乗り換えて、着きましたところは岐阜県高山市。飛騨高山です。 こちらでは馴染みのお店で夕餉を頂き、街歩きをして宿へ。日中には多くの観光客が歩いていますが、夜は昼間とは違ったしっとりとした時間が流れており、暫し喧騒を忘れられるひと時となります。 そして今日は飛騨牛の名店「丸明」に寄りまして、お正月の賄いに使う材料の仕入れをして、その足で以前より気になっていた高山ラーメンのお店で少し早い昼餉をとりました。 お店の方曰く、やはり中共からの旅行者は減ってはいるものの、伊勢と同じく広い範囲の方々がお越しになっているとか。 中共からの団体客に依存をしないというある意味、当たり前のとこではありますが、チャイナリスクを前提とした商売は今や当たり前の世の中。不安を煽る一部野党おオールドメディアの隔世がよく判ります。 宮司と禰宜画伯を乗せた北陸新幹線かがやき号はそろそろ大宮に到着します。東京まであと少しで、そこから特急しおさい号で帰倉です。 明日からはまた褌を締め直して、働いて働いて働いて働いて良いお正月を迎えたく、馬車馬の如く頑張ります。
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