七峯の丘から

太鼓を修理します [令和8年4月19日]

「堀田木瓜紋」

「丸に花菱紋」

「長いこと頑張りました」
 香取神宮令和丙午式年神幸祭特集だった七峯の丘も今日から通常バージョンに戻りまして、いつ通りに宮司の戯言となりますので宜しくお願い致します。
 今週頭の3日間、香取神宮に出向をしていたわけですが、それだけの期間を留守にするためにはそれなりの準備と、帰倉後に未決済事項の処理をするので、慌ただしい時間を過ごして参りました。
 耳の奥で鳴り続けていた扇島オランダ楽隊もそろそろフェードアウト。今日あたりから「明神祭りさらば久しい」モードに切り替わっております・笑
 香取出向前のお話。新社務所文化財収蔵庫に展示してある2領の甲冑。その奥に佐倉藩主堀田家と家老佐治家、それぞれの家紋が入った幕が掛かりました。
 堀田家は「堀田木瓜紋」で佐治家は「丸に花菱紋」。甲冑にもその紋が入っているので拝観の際に確認をしてみて下さいね。
 イメージとしては佐倉城、若しくは家老屋敷。若しくは戦での陣中を想定してみました。どうでしょうか。
 これが一段落をして、次に御例祭大神輿渡御の際に使用する太鼓の修理の算段。
 大神輿の渡御、この触れ太鼓が段々と近づいてくる、そのドキドキ感を楽しみにしている氏子さんがとても多いそうです。
 ああ、今年も麻賀多様がいらしたんだと、触れ太鼓のズウンと低く響く音で感じるんだとか。
 その太鼓の皮が昨年の渡御の際に割れてしまい、太鼓屋さんに修理を出すことになり、既に昨年末の氏子総代会で了承を頂いているので、後は見積もりが予算内に収るかなんですよね。
 もう一つ心配なのが太鼓の胴。渡御の道中、皮面と共に太鼓の桴(ばち)で胴も叩くので、その部分が削れているんです。
 もし胴が使えない場合、皮の張り替えでは済みませんで新規となる可能性もあるので、祈る気持ちで見積もりに出したのです。
 幸い、宮司の実弟がお囃子に携わっており、見立てだと胴はいけるだろうとのことで、昵懇にしている太鼓屋さんに搬出をしてくれました。
 兎に角、今年10月の御例祭には間に合わせなければなりません。氏子総代会総会前なので渡御の有無は決まっておりませんが、間に合わせるのです。
 そうそう、今日の午後3時から大年番の引き継ぎが新社務所で行なわれます。ここで経過報告をして、一週間後の総会に備えます。
 
香取神宮令和丙午式年神幸祭・2 [令和8年4月18日]

「御神輿発輿」

「鷁の御座船」

「小野川沿いを進みます」

「御旅所に多くの参拝者」

「智勇権禰宜が列べました」

「愉快な仲間たち」
 香取神宮の神幸祭、実は毎年4月15日に齋行されているのをご存知でしょうか?
 それが12年に一度大規模になるのが式年神幸祭で、御神輿を中心として約3000名の供奉者が平安絵巻さながらの隊列を組んで奉仕を致します。
 津宮鳥居河岸から佐原河岸迄、御神輿が乗る御座船は鷁(げき)の装飾がなされ、それを囲むように船団が組まれます。
 それを一目見ようと多くの方が津宮鳥居河岸に集まり、多分ですが最寄り駅のJR香取駅は一番乗降客が多い日となるのではと思われます。
 宮司と智勇権禰宜、神幸祭の2日間はは隊列の順序立てと誘導をする任務がありまして、兎に角歩きっぱなしと時には草履で駆け足になったりと、スマートフォンに搭載されている歩数計はかなりの数となりました。
 御座船の前には曳き船隊を務める扇島オランダ楽隊が、哀愁を感じさせながらも勇ましい曲を奏で、これが聞こえると佐原の人は「神幸祭だ!」、「香取様が来た!!」となるのです。
 香取神宮から津宮までは道は狭いのですが比較的長閑な道すがら。神職や責任役員と氏子総代は衣冠姿で騎馬となるので、見物者が馬に近づかないよう誘導をするのも大事な役目なんですよ。
 でもいるんですよ、わざと狭いところに入ってくるのが。何度か注意をしましたが、馬が人殺しになっては馬が可哀想ですからね。
 佐原河岸で上陸した御神輿は小御門神社の御迎祭を受けられ、佐原の街へと入っていきます。
 今やすっかり観光地となった佐原。街の中心を流れる小野川沿いも神幸路となるので、両岸にも沢山の見物者がいましたよ。
 15日は佐原信用金庫本店駐車場が御旅所となり、御旅所到着祭をもって仕舞いとなるのですが、職員は1時間半ごとに御旅所脇の詰所で祗候を行ないます。
 因みに助勤者は祗候以外の職員と共に近くの香取屋本店で直会。暑い一日でしたのでビールが驚くほど染みました・笑
 2日目となる16日。この日も午前7時に集合で、御旅所発輿祭の準備から担当地区の隊列を組むのですが、ここでは智勇権禰宜が機敏な動きを見せて、300メートルはあろう東関戸通りに各町内を綺麗に並べました。
 行列はJR佐原駅から新宿諏訪神社方面に進んで、諏訪神社御迎祭が諏訪神社参道で行なわれました。
 この付近は宮司の生まれ育ったところでもあり、どこをみても幼馴染みばっかりで、「ちょっと寄ってけよ」と沢山のお誘いも・笑
 こうなっては断るのも失礼ですし、諏訪様での御迎祭時には行列は止まっているので、少々ご相伴に預かりました。素直なんですよ♪
 再び進み始めた行列は佐原本宿に入り夏祭りの八坂神社へご到着。こちらでも御迎祭が行なわれ、その時間に昼食となります。
 八坂神社境内には香取神道流の門下生が休憩を取っており、そこに当社の巫女もおりまして、武者姿が絵になっておりました。
 行列は香取神宮を目指して進み、最後の御迎祭は篠原八坂神社。こちらは境内ではなく木材会社の駐車場で行なわれ、ここにも多くの見物者が集まっておりました。
 午後3時頃、御神輿は供奉者が整列する香取神宮に御到着し、そのまま拝殿に参入して還御祭と御神霊の遷座が行なわれました。
 祭典の無事斎行をお祝いすると共に、奉仕者への感謝と労いの言の葉が香取宮司より述べられ、聖寿の万歳をもって式年神幸祭は仕舞い。
 三々五々に奉仕者が神宮を後にする中、扇島オランダ楽隊は再び隊列を組んで演奏をしながら凱旋の途に。格好良かったなぁ・・・
 宮司も智勇権禰宜も安堵の中に佐倉へ戻って参りまして、中が減っていたのでJR佐倉駅近くのまつなかに寄り、美味しいお寿司を食べてからの帰宅。
 12年後となる次の式年神幸祭。宮司は66歳になるとしの65歳で、智勇権禰宜は42歳に成る年の41歳。また一緒にご奉仕が叶うよう願っております。
 
香取神宮令和丙午式年神幸祭・1 [令和8年4月17日]

「澄み渡る青空」

「御幣物の祓い」

「悠久の舞」

「御神輿」
 昨日まで香取神宮の式年大祭と神幸祭に、宮司と智勇権禰宜とで助勤奉仕をして参りました。
 実はもう一人、当社関係者がおりますが(昨日の七峯参照)、それについては後ほど書きたく存じます。
 香取神宮では子年と午年に天皇陛下が勅使を派遣され、衣冠姿で勅祭が厳かに齋行されます。
 その他の年も陛下よりお使いが派遣されますが、その際は衣冠ではなくモーニングを着用されますので、上記の年はとても重要なのです。
 殊、午年である本年は式年神幸祭として、氏子3000名が隊列を組み、御座船に乗った御神輿は津宮鳥居河岸より利根川を遡り佐原河岸へ上陸。
 その姿は香取神宮の御祭神「経津主大神・ふつぬしのおおかみ」が鹿島神宮の「武甕槌大神・たけみかづちのおおかみ」と共に、東国平定をされたのを再現しているとされ、多くの参拝者が利根川の土手に参集をします。
 14日の勅祭で天皇陛下からの御幣物(ごへいもつ)が勅使より香取武宮司に渡され、御神前に供えられました。
 勅祭の参列は550名。その中には香取神宮奉賛会長の麻生太郎元総理大臣や副会長の熊谷俊人千葉県知事もおり、セキュリティーチェックが行なわれました。
 勅祭はどのようなことがあっても祭典開始は遅れることはありませんが、午前10時の祭典開始迄に参列者全員のセキュリティーチェックが完了出来るか綱渡り状態でした。
 午後からは15日からの式年神幸祭の準備。香取神宮の御神輿はなんと、本殿の階(回廊のところ)に仕舞われており、この出し入れの時は助勤者でも本殿に上がれるのです!!
 宮司も智勇権禰宜もここに上がるのは12年振り。自分の顔が緊張の面持ちになるのが解ります。本当に有り難いです。
 式年神幸祭の準備も午後4時頃には済んで、職員と助勤者とのミーティング。助勤者も30人弱いますので、意思疎通を取るのが重要ですね。
 宿泊はJR佐原駅前のルートイン。ビジネスホテルですが、駅前にこういった宿泊場所が有るってとても大事。
 白衣白袴姿でチェックインをしましたので、宿泊者から「神幸祭を見に来ました!!」とか、「ご奉仕お疲れ様です!!」とか声を掛けて頂き、とても嬉しく直会の席に入りました。
 と、今日はここまでと致しまして、15,16日に行なわれた式年神幸祭については、明日の七峯に回しますのでお楽しみに(*^_^*)
 
今日もこの一文で [令和8年4月16日]

「途中の本宿八坂神社にて」
・香取神宮式年神幸祭・

宮司巫女
権禰宜総出のお手伝い
今年式年
香取の午年
 
今日はこの一文で [令和8年4月15日]


㊗️香取神宮式年神幸祭⛩️

利根のかわかぜ

みなももゆれて

なびく五色と白袴
 
樟落葉ほぼ仕舞いかな [令和8年4月14日]

「さて、、、」

「良い出来栄えでしょ!」
 熊本地震から10年が経ちました。被災地ではインフラの復興事業もほぼ完成をしたようで、真新しく広い道路がテレビの画面に映し出されていました。
 震災関連死を含めて300名弱の方が亡くなり、遺族には10年という歳月が長いのか短いのか。それでも悲しみは変わらないと思います。
 阪神淡路、中越、東日本、能登、熊本、そして能登と、この30数年で大きな地震が立て続けにおこり、その度に災害アラートがアップデートをしています。
 しかし防災には限界があり、そこで生まれた考え方が減災です。自然災害が多い日本列島、私達はそれらから逃げることは出来ないので、もしもの時の備えを常に準備をしておく必要がありますね。
 先日七峯に書いた楠落葉。初夏の季語とも付け加えましたが、その落ち葉がそろそろ仕舞いになりそうです。
 朝夕の気温な寒暖差が大きい今の時期、広葉常緑樹の楠の葉は一気に茶色に変わり、風が吹くたびにハラハラからバラバラの勢いで舞い散っています。
 毎日2回の境内掃除をして、その翌朝には地面が落ち葉で覆い尽くされる。毎年の事ではありますが、はぁと溜息を吐きつつ、今年もこの季節を迎えたのを実感するのです。
 落ち葉、それも乾燥気味の葉が多い時、掃除の効率を格段に上がるのがブロワーです。
 当社では混合ガソリン供給のエンジンブロワーを使っておりまして、もう15年くらい使っておりますが、メンテナンスを適当にしていてもエンジンの掛かりも良く大変助かります。
 でもね、混合ガソリンというご飯がなくては動かない。当たり前の事ではありまして、先日に起動中それが切れてガス欠状態に。
 確か倉庫に残りがあったと思い探しましたが、それも無く買いに行く時間も無く、エンジンブロワー君は暫しのお休みに入るのでした。
 ここからは箒という原形に戻りの手作業。その段階で体力も使ったので回収作業は後日とし、さて集めた落ち葉はどうしようと思案。
 結果、秋によくやる落ち葉アートを思いつき、春には珍しい茶色のハート。それも巨大なのが出現しました。
 落ち葉アート、今までも千葉県や狛猫など色々と作って来ましたが、一番多いのはハートマーク。理由として作りやすく、老若男女のウケがいいからです・笑
 片付けはそのうちとして、なくならない前に写メなどお好きな感じでお楽しみ下さい。
 
熊蜂さんこんにちは [令和8年4月13日]

「だんだん咲いてきますよ」

「一生懸命に蜜を吸う」
 七峯をお読みの方はご存知のことと思われますが、宮司は立憲民主党という政党が大っ嫌いです。
 初っ端から飛ばしてなあと思われますが、自分のことは棚に上げて相手のことはミジンコのような事でも突きまくる、左翼政党の鏡のような存在だと思っております。
 元元は自民党に替わり政権を担える政党を目指し、穏健保守として誕生したはずが離合集散の政党ロンダリングを繰り返していくうち、見事なまでの左翼政党に成り下がりました。
 そのなれの果てが中道何たらであって、立憲としては参議院議員と地方議員が残っておりますが、今の立憲代表は日教組を支持母体としているからこれまたお話にならない。
 昨日、自民党が党大会を開き高市総理総裁が憲法と皇室典範の改正について、機が熟したとする内容の演説をしました。
 そこに噛みついたのが前述の立憲代表。だれだっけかな・・・、水岡という方。たぶんね。
 「改憲ありきで議論が進むことに危機感」だそうで、あのねぇ、衆参の憲法審査会で自党の方針が未だに示せない、只単に議論の前の審査会開催すら止めているのはどこでしょうね。
 皇室典範の改正にしても普天間基地の辺野古移設にしても、未だに党内の意見集約が出来ていないのはどこなんでしょうね。
 参議院には解散がありませんので、あと2年間は今のままでありますが、保守系野党がいつまでも野党第一党だからと立憲をたてているとは限りませんで、あそこと同じ様に見られたれと・笑
 お気楽な野党第一党にいられるのもあと2年が限界でしょうか。その前にサッサと分裂でもして消えて欲しいところです。
 かといって、自民党の全部が良いわけではなく、自民党職域支部である神政連千葉県本部支部の幹事長の身であっても、言いたいことは言っていくのは替わりませんので悪しからず。
 ここ数日の気温は心地良いから、時間帯によっては暑く感じるときもありますよね。
 身体がしんどい事ともありますが、やっぱり寒いよりは暖かい方が良い。と書いていて、夏の七峯には早く涼しくと今年も書くんでしょう・笑
 例年では今月末くらいに開花する宮司宅の藤の花。2,3日前から蕾がいきなり膨らみ始めて、昨日に幾りんかが開花。
 今朝見ると花の中心にある茎のような所も伸び始めて、見た目にも「藤の花」という姿になってきました。
 藤が開花すると現れるのが熊蜂。そのまま「くまばち」と読みますが、宮司は小さい頃より「くまんばち」と、途中に「ん」を入れて呼んできました。何となくこちらの方が可愛い感じがしませんか?
 熊蜂、見た目が熊に似ているからその名が付けられたと思われますが、分類すると約500種もいるそうです。
 一般に見かけるのは「キムネクマバチ」で、胸から背中に掛けて黄色い毛で覆われており,黒と黄色なので目につきやすいです。
 熊蜂の性格は温厚で、人が驚かせたり虐めたりしない限り、ほぼ襲ってくることはありません。
 あくまでも「ほぼ」なので注意は必要ですが、雄には毒針はなく雌のみなのも特徴です。
 熊蜂は蜜蜂と同じく花の蜜や花粉を食糧とし、山桜やアカシヤ、そして藤を好みます・
 藤はマメ科の植物でその花はとても硬い構造で蜜を守っているので、力の強い熊蜂はそれをこじ開けて正面から吸うことが出来るんだそうです。
 これだけ力の強い、そして大きな体型を持つ熊蜂ですが寿命は約1年程度とされ、新成虫が越冬をして翌年に繁殖活動をするので、今の子達はそれに当たります。
 こう書いても蜂って言うだけで苦手な方もいますよね。先程も書いたように驚かさなければ、また騒いだりしなければまず大丈夫。
 雀蜂(スズメバチ)とは見た目も違いますので、ブーンと飛んできても目視で確認をして見て下さいね。
 藤の花は蔓に沢山の房を付けますので、これから約1ヶ月ほど熊蜂さんと敷地同居する宮司家であります。
 
今年も大きな鯉のぼりと [令和8年4月12日]

「新緑に栄えますね」

「新社務所にも」
 約1ヶ月にわたった「さくら染まるまち佐倉2026」も今日でフィナーレ。コラボ御朱印を頒布している当社にも、市内外より多くの来社がありました。
 クローズイベントとして佐倉城址公園ではわんこフェスタが開催されており、出店者の車が8時くらいから次々と神社の前を通過していきます。
 その後の9時くらいからは来場者の車が列をなして、神社周辺は終日渋滞気味。皆さん、会場には到着したのでしょうか。同乗しているはずのわんこも大丈夫だったかな。
 米国とイスラエル対イランの戦闘が続いておりまして、パキスタンで停戦協議が行なわれましたがうまく行かなかったと、昼過ぎにスマートフォンの画面に流れてきました。
 それと同じくして流れてきたのが、中共とロシア両政府に関係するだろうというアカウントから、日本向けのSNSに戦闘によるエネルギー供給不足を煽る内容を流していたのが判明したという事。
 日本国内世論を分断する狙いがあるものと解説がついておりましたが、それに乗ったであろう日本のオールドメディア。特にレフトサイドがここぞとばかりに高市政権批判を繰り返しており、昨夜の報道特集(TBS系)も酷かったですね。
 半世紀前のオイルショック当時は新聞やテレビからの情報しか有りませんでしたが、今はそこを通じなくても真偽は別として情報は入ってきます。
 いい加減そのあたりを、放送事業という利権にあぐらをかいている方々はよく理解した方が良いし、多分出来ないんだろうな・笑
 さて、予報では昨日の方が気温が高かった佐倉ですが、雨上がりから一日経った今日の方が肌感として暖かく感じます。
 境内に吹く風も新緑と相まって5月の薫風を思わせ、これからの宮司スケジュールを鑑み、「そうだ、鯉のぼりをあげよう!!」となりました。
 いえいえ、行き当たりばったりではないんですが、朝一の御祈祷で厄除が入っていたんですけどね、来社したところ厄年ではなくて御祈祷もなしに。
 日曜日の今日、こんなに天気が良いんだからお参りも多くなるだろうし、朝の内だったらあげられるなと。
 大きな鯉のぼり、毎年のことなので手順に問題は無いのですが、今日は智勇権禰宜が公休で男手は宮司のみ。
 大事なのは安全第一でしてね、幟竿を建てることが出来れば後は回りに人がいても問題なく、逆に鯉のぼりを掲揚する所が見たい方って結構入るんですよ。
 鯉を上げて早々に良い具合の風が吹き始め、言葉で言うとフランス語っぽかったかな、外人さんの夫婦連れが珍しそうに、そして嬉しそうに上げている光景をスマホに収めていました。
 新社務所が出来てやりたかったことの一つに、2階テラスから鯉のぼりを吊り下げたいというのがありました。
 テラスの手摺り下部には柱ごとにフックが付けられており、先日のさくら天下祭りでも協賛企業の提灯を吊した実績があります。
 本当のところ工事の進捗状況で、何か吊り下げるのは鯉のぼりが最初に予定しておりましたが、そこに協賛提灯の話が入ったので予行練習ではないですが、吊り下げてみたらどう?と宮司から提案したんです・微笑
 因みに端午の節供に関して、まだ飾っていないものがありまして、それもかなり大きなものなんですが、場所と飾り付けの仕方を検討中です。飾りたいなぁ・・・
 
未年の土鈴選定 [令和8年4月11日]

打ち出の小槌と目出度い」
 昨日の暴風雨、夜中まで続きまして、今朝の境内は楠の落葉で地面が覆われておりました。
 御殿前の大絵馬も若干動いていたので、かなりな風速だったことが解ります。倒れないで良かったです。
 なので助勤君と朝から大掃除をしたのですが、気温が上がり湿度が高いので一瞬にして背中を汗が通過。
 こう寒暖の差が大きいと暑熱順化が進んでいないので、春って熱中症になりやすいんですって。気を付けましょうね。
 一段落をしたところで、千葉日報を開いて中程まで読み進めると危険業務従事者の叙勲名簿が掲載されていました。
 この叙勲は一般に言う春と秋のものとは違いまして、平成15年(2003)に新たに創設されたもので、今回で46回目となります。
 主に防衛・警察・消防に従事した方を対象としており、その中には矯正業務として法務事務官、所謂刑務官を務めた方も含まれるんですよ。
 一通り目を通して、やはり知ったお名前を見つけるのは消防労務の欄。消防署に勤める方って地元民が多いので、名前を見つける度に「おお!!」と。
 叙勲とは功績を称えるものではありますが、その経験をまた地域社会に活かして頂けますよう、お祝いと共にお願いをしたく思います。
 毎度枕が長い七峯ですが、この前に今年を迎えたと思ったらもう4月。葉桜の若々しい緑が目に優しい季節となりましたね。
 来年の話をと鬼が云々と言いますが、神社界では早くも今度のお正月の準備というか、授与品の選定が始まっております。
 どこの業界も人手不足。これって3年にわたる流行病も関わっておりまして、その時期に離職した方が戻ってきていないというのも有るらしいです。
 これって不思議でして、その方々って今はどうやって生計を立てているんでしょうね。まさか皆さん流行病に罹患して、そのままあちらへと言うわけでは無いでしょうから。本当に不思議です。
 人手不足でもお正月はその時を待ってくれませんので、当然の如く発注時期も年々早くなる。
 昨年まではせめて8月中旬と業者から有りましたが、今年はなんと6月と2ヶ月も前倒しの連絡が有りました。
 新年度が始まった今の時期は各業者の担当者が挨拶に来るので、御守や御神札の奉製業界の内情や対応の変化などの情報収集をしております。
 そして同じ時期に行なうのが来年の干支土鈴の選定。既に見本品が出来上がっており、それを持参をするので、原型は昨年末には完成していたと思われます。
 来年の干支は未年で、動物に表わしますと羊になります。十二支では後半に入ってきますね。
 干支の土鈴、その種類によって出方が違いまして、兎や犬がちょこんと座った姿が可愛く人気があり、龍や蛇はその形状の難しさからか他の年よりも出方がゆっくりです。
 羊、どうでしょうその中間くらいかな。モコモコ感を押し出したり、パステル系の着色に人気が出るような気がします。
 画像の子達は頒布が決まったもので、来年のお正月に木造社務所前の第3テント授与所に、大型の縁起物などと一緒に展示と頒布がされます。
 どちらのお宅へ行くのかな。可愛い姿の干支土鈴を見て、そのご家族が心安く一年を過ごしてくれることを願って選びました。
 
男子も頑張る [令和8年4月10日]

「確り研修中」
 天皇陛下には昨日、皇居内の生物学研究所の隣りにある苗代に、粳米と餅米の種籾を撒かれました。
 その数約720粒だそうで、5月にお田植えを行ない、9月に稲刈りのご予定。収穫されたお米は宮中祭祀に用いられ、伊勢の神宮にも献納されます。
 昭和天皇からの恒例行事ですが、そこには祭祀王と農業王の2面性を持つ天皇の御存在が現れていると思います。
 温暖化により皇居での稲作も変化をしているのでしょうか。高温が続くと米が白く濁るので、管理も大変そうですね。
 そう言えば、先日に勝浦までまいりましたが、超早場米の産地である夷隅地方では既に田圃に水が張られており、田植えも間近と言った感じでしたよ。
 佐倉近郊でも畝を直したり耕耘機で耕しも始り、今月末からの連休でほぼ田植えが完了するのが年の常。
 田植え前に豊作を願う春祈祷も、この29日に江原新田麻賀多神社で納めとなるので、宮司も心から神明奉仕をしてまいります。
 今週は各学校で入学式が行なわれたと思われ、真新しい制服に着られている感の強い新入生が、親御さんと連れ立つ姿を沢山見かけました。
 今日あたりは幼稚園や保育園での入園式が行なわれたらしく、SNS上にも沢山アップされていました。
 ただ、神社裏手の佐倉幼稚園は昨年度末で閉園となったので、もう新入園児の姿を見ることが出来ません。
 人影の無い建物ってとても寂しく映りますし、丁寧に植栽をしてある花壇の花も見てくれる人がいないので、園に相談をして神社で飾ろうかと思ったり。
 色々な方々の新年度が始まりましたが、神社では大学生や高校生の巫女さん研修が続いております。
 春休みも終ったので出社は週末に固まってくるのですが、制約された日程であっても率先して出社してくれ、研修からの実地でもたどたどしさが随分と少なくなりました。
 神社でのお手伝い、巫女さんのイメージが強いと思いますが、実は男子の採用枠もあるんですよ。
 神社やお寺でのお手伝いをアルバイトではなく助勤と呼ぶ事が多いですが、当社では男子の手伝いを助勤と称しております。
 今回新たに入ってくれた子はこの春より大学4年生と助勤のスタートでは遅めですが。今来てくれている子の友人だそうで、奉仕内容も事前に把握しており、順調に育っております。
 この子の担当も佐藤出仕で、教えることで自身の奉仕に対する確認も出来るので、敢えて宮司からは余り口出しはせず、生暖かく見守っております。