七峯の丘から

初めての神政連中央委員会 [令和7年6月10日]

「雨の靖國神社」

「有村治子議員挨拶」

「議席番号は17」
 しとしとと雨が降っている東京です。関東甲信と北陸地方が梅雨入りしたと発表があり、南シナ海では台風1号がこの24時間以内に発生と、雨に備える季節の到来ですね。
 それにしても昨日でしたでしょうか、沖縄が例年より10日以上も早く梅雨明けとなりまして、水不足に陥らないか心配となるところ。
 7日に台湾から帰国した際に九州南部から四国付近を飛行中、飛行機が揺れる事が多かったのは梅雨前線の上を通過していたんだと、ここ数日の天気予報図を見て判りました。
 小中学生の時に学んだであろう天気図ですが、その時はいまいち理解が出来ませんでしたが、神職という社会人となり空模様を気にし始まってからは、前線種類やマークや色の意味合いもそれなりに・笑
 兎に角、雨は天からの恵みであると共に、多過ぎると災害の引き金になりかねません。常に備えよの気持ちを忘れませんようにしましょうね。
 さて、昨夕から東京入りしてホテルニューオータニで開催された神道政治連盟国会と同議員懇談会結成55周祝賀会に参加して、全国の先輩、同輩、そして後輩の方々。また同会所属の国会議員各位と大いに語らい、盃を交わして参りました。


※ 書きかけ
 
成田からお宮でお榊からの東京へ [令和7年6月9日]

「可愛いお花です」

「総代会総会準備中」
 昨日8日、ミスタープロ野球とこ長嶋茂雄さんの告別式が行われたそうですね。所縁の方々の弔辞、特に松井秀喜さんと王貞治さんの言の葉には心を打たれるものがありました。
 改めて長嶋さんのご冥福をお祈りしますが、こころ安らかにお休み下さいと願ってもプロ野球の事、日本の事を虹の橋の向こうから叱咤激励をされているんじゃないかと宮司は思っております。
 3日にお隠れになってからまだ日も浅く、七七のご法要迄はこの世とあの世の境にいるであろう長嶋さんの御霊。
 叱咤激励は兎も角、長嶋さんがスター選手となってからも野菜の行商を続けたお母様とは、あちらの世でゆっくりと語らって欲しいですね。
 今日は千葉県神社総代会印旛支部の令和7年度の総会が、アートホテル成田で開催され、宮司は千葉県神社庁印旛支部長として功績表彰の賞状を読み上げ、同会会長の押尾豊幸さんより受賞者に手渡されました。
 今年約250名の参加があり、25名の方が表彰の栄に浴されました。今日迄のご活躍に敬意を表しますと共にこれからもより一層、氏神様へのご奉仕をお願い致します。
 総会では表彰儀礼と総会議事、そして講演会から直会と進んでいくのですが、夕刻より東京で神道政治連盟国会議員懇談会の大会と周年祝賀会がある為、総会議事終了をもって一旦佐倉に戻りました。
 神社の駐車場に車を停めて社務所へ向かいますと、駐車場スロープ向かいから東参道入り口までの石垣上に植栽してある真榊の枝に、たくさんの蕾が付いているのが目に止まりました。
 よく見ると幾つかは既に開花していて、甘い蜜の香りがほのかに漂っていて、その香りに誘われて蜜蜂が数匹真榊の花の蜜を吸っておりました。
 榊には大別して真榊と山榊(ひさかきとも言います)があり共にツバキ科で、真坂はサカキ属、山榊はヒサカキ属となっています。
 それぞれ薄クリーム色の花を咲かせますが、山榊は4月から5月に、真榊は6月から7月に開花と時期がずれるんですよ。
 真榊の方が一回り大きな花を付けますが、蕾と花が下向きなのは一緒なので、可愛い花なのに気が付かない事もしぱしぱ有ったりするんです。
 祭典で玉串に使うお榊は、花や蕾をとった状態で準備をします。たま種が出来ている時もそれを取り除くのですが、それは祭典時に蕾や花が落ちて周りを汚さないようにとの配慮。
 種の場合は、種子周りにある紫色の果肉が装束や玉串を奉持する手指に付き、これまた汚してしまうので花と同じように処理をするんですよ。
 宮司を乗せた総武線の快速電車は、市川を発車して江戸川を渡り、東京都に入りました。
 今夏の参議院選挙を前にして、色色なお話が出ると思われる今夜の集まり。それも大事ですが、久久に会える仲間もおりますので、楽しく情報交換をして参りますね。
 
御殿の屋根チェック [令和7年6月8日]

「お屋根がよく見えますね」

「この格好でえっちらと」
 昨夜、台北桃園空港から成田空港へチャイナエアラインに搭乗し、宮司と禰宜画伯は無事に帰国しました。
 そこからJR線に乗り換えてJR佐倉駅まで。そしてお馴染みの大衆食堂「幸龍」に立ち寄り草鞋脱ぎ。
 これをしませんと旅は仕舞えませんで、無事な帰倉への感謝と慰労。そして次の行動に繋げるための決意をするのでございます。
 さて、帰国翌日の今日は大安の日曜日。お陰様で朝からお参り多く、佐倉城址公園で本日まで開催されている「にわのわ2025」への来場者もお立ち寄り頂いたようでした。
 今日の祈祷番も智勇権禰宜で宮司は外祭の奉仕なのでしたが、午前の1件目はなんと東京都江戸川区上篠崎という、当社にはして珍しい遠出の祭典でした。
 詳しくは改めて書くと致しまして、自動車で行くと時間が読めないので京成電車と都営新宿線を使い現地入り。
 荷物も極力少なくしたので、白衣袴に絽の羽織というインバウンドの乗車率が高い京成線では、一際一目を置く姿でえっちらおっちらと出向して参りました・笑
 祭典を納めて京成佐倉駅を降り立ったのは午前11時半くらい。そのまま社頭に出ても良かったのですが、昨日までのお洗濯ものがありまして、昨夜から2回目の洗濯干しをして午後の外祭に出発しました。
 こちからからも帰社して、やっとホッとする時間が取れたので新社務所の工事進捗状況を確認するためそちらへ移動。
 流石に3日半を留守にすると工事もかなり進んでおりまして、壁材を貼るスチール製の柱が並び始め、天上板を吊すフックのような棒も付いてきました。
 2階に上がりますと外壁がほぼ貼られ、なんとユニットバスも仮設置と、図面やパースで見た姿が目の前に現れ始めました。
 新社務所は御殿とほぼ並行して建てられており、そのお陰で御殿の屋根がよく見える構造となっております。
 特に今は工事の足場が組まれているので、そこから伸ばせば御殿の屋根に乗ることも出来る近さ。
 御本殿には神様が御鎮まりなっているので当然ですが乗る事は致しませんが、幣殿と拝殿の屋根の谷間には落ち葉がたまりやすいので、足場が取れる前に今一度掃除をしようと予定をしております。
 今のお屋根は上皇陛下が帝としての御即位20年を記念して葺き替えたもので、17年を経過している銅板葺きとなっております。
 銅板自体はまだ劣化はしないものの、落枝が当ったりして出来た破損箇所が幾つか見かけられました。
 また御本殿の大きな鬼瓦にはしたからでは見えない凹みがあり、かなり太い枝が当った事が判りました。
 直ぐに修理はしなくても良さそうですが、画像に撮っておいて後の修理参考資料と致します。
 そんなこんなで、今日も一日頑張りました。明日は千葉県神社総代会印旛支部の定期総会。その後は神道政治連盟国会議員懇談会結成55周年記念大会と祝賀会が続きます。
 今年度は何かとお役まわりが多いですし、新社務所の仮竣工も控えております。
 お腹も減ったことだし、美味しい夕餉をとって明日からも頑張って参ります!!
 
北投石浦神社第一回例祭 [令和7年6月7日]

「北投石浦神社」

「台湾産の真榊」

「日台友好」
 皆さん、おはようございます。只今午前7時半、夕刻に書くことが多い七峯ですが、珍しく早いアップ。なにやら通常ではない始まりでございます。
 宮司と禰宜画伯、今現在は中華民国台北市北投に滞在をしておりまして、日本と台湾の時差は1時間。
 宮司家の居間に流れるのは、NHK「チコちゃんに叱られる」の再放送あたりでしょうか。若しくは生き狛犬達が美味しく朝ごはんを食べている音かな。
 丁度一年前になりますが、麻賀多神社と友好神社である金沢石浦神社の御分社が、北投にある日本式温泉旅館の日勝生加賀屋内に鎮座を致しました。
 その際にも参列をさせて頂きましたが、その日は令和6年6月6日午後6時6分6秒に祭典開始。6月6日を例祭日と定められ、今年第一回目の例祭が斎行されました。
 祭員は石浦神社の長谷吉憲宮司と佐藤権禰宜の2名。参列者は日勝生グループの林会長を始めとして、グループ関係者のみならず宿泊している皆さんの姿もありました。
 日勝生加賀屋は石川県七尾市にある日本を代表する温泉旅館、「加賀屋」唯一のフランチャイズとして開業。台湾のみならず広く宿泊者が訪れる宿となっています。
 祭典は昨年と同じく午後6時6分6秒に始まり、神饌には台湾産の物がたくさん上げられ、佐倉から持参した木村屋の蔵六餅も「菓」として献じて頂きました。
 祭典後の直会では純和風の日本料理を前に長谷宮司より挨拶があり、その後に宮司より蔵六餅の由来と乾杯の発声を。
 長谷宮司より佐倉に因んだ掛け声と直前にこそっと耳打ちがあり、選びましたのが大神輿渡御の掛け声である「さらば久しい!!」。
 日台両国民が声高らかに「さらば久しい!!」と合わせて、お祝いのお盃を上げました。
 台湾では数字の「6」を並べる事を縁起が良く使います。それは「6」の発音が勢いを表す「溜・リョウ」に通じ、それを重ねる事によりより勢いを増すと言うのです。
 日本では数字の8の漢字「八」が末広がりとして縁起良く使われますが、国によってその風習が違うというのも現地に来たからこそ学べるいい機会ですね。
 参列した宮司の胸元には神職徽章と、ライオンズマークが入った日台両国の国旗バッジ。
 そこに嬉しい事か、長谷宮司が所属する金沢ライオンズクラブの姉妹クラブ、台南市成功獅子会より参列された高会長からクラブバッジを頂戴して、より華やかな装いとなりました。
 そろそろ七峯も書き上げ朝食にまいります。白いご飯と御御御付けはたるかな。日本食ブームの台湾で、日本ゆかりの温泉旅館ですから、きっと納豆もある事でしょう。楽しみ楽しみ。
 
今年も西瓜のご奉納 [令和7年6月6日]




 テレビ朝日系の朝の情報番組「羽鳥慎一のモーニングショー」で、この3日に逝去された長嶋茂雄巨人軍終身名誉監督の長男、一茂さんが金曜日レギュラーとして出演しました。
 多分ね、私達一般的な世界にいる者としてはこの段階ではテレビ出演などは考えられない。
 でも、レギュラーとしての責任と長嶋茂雄の長男としての立場というか背負ってきたものの大きさからこそ、出演をされたのではないかと思います。
 二世だのボンボンだのと散々叩かれてきた一茂さん。その中にあっても自身の信念をブレる事なく今に活躍をされている姿に心を打たれるものがありました。
 大きいものを背負い活動をする。でもそれは家族や周りの方々の支えや見えない力があってこその事だと、改めて身に染みた宮司です。
 さてと、枕を仕舞いにいたしまして、宮司が年に一度しか出席をしておりません佐倉市倫理法人会の山藤前会長、現相談役より今年も富里西瓜をご奉納頂きました。
 年に一度と言いましても、会の趣旨に反発しているわけではなく、そこに集う方々に遺憾があるわけでもなく、ただ単に例会開催の時間が午前6時半からで、その時間帯はお宮の朝拝と重なるので出席が叶わないだけ。
 で、年に一度の出席は例会時に行われるモーニングセミナー講話の講師として、お宮の事や日本の歴史文化をお話する時と言う訳なんです。
 因みに今年は4月あたまだったかな、お米のお話を致しまして、その時も米価高騰はしておりましたがまさか備蓄米放出の世が来るとは思いもしませんでした。
 山藤相談役にはその際にも季節柄貴重な富里産の小玉西瓜をお土産に頂戴しまして、帰社後にすぐ御神前にお供えをしてからお下がりを職員で分けつつ、贅沢にも有り難く血肉とさせて頂きました。
 今回ご奉納を頂いた西瓜は丸丸のふた玉。富里西瓜は生産者の氏名がシールで貼っており、お名前を見ますれば「篠原弘安」と書いてある。
 この方はですねぇ、農林水産省が認める「スイカマイスター」でして、確か国内にただお一人だけ認定を受けていたような気が致します。
 以前はそうだして、多分今もそうだとは思いますが、お時間がある方はネットなりでお調べくだされば、令和7年現在の事が分かると思います。
 西瓜って夏のイメージが有りますけど、産地である千葉県や熊本県は5月下旬から6月が最盛期でして、早場米ならぬ早場西瓜はとても珍重されます。
 西瓜は体内の余計な塩分を放出すると共に利尿作用もあるので、健康維持のみならず女性の体調管理にも有効なんですよ。
 その西瓜、種や苗を植えてそのまま育つ訳ではなく、綺麗な球形とムラの無い色艶を出すには、私達消費者が思っているよりも途方もない手間暇が掛かっているんです。
 そして良い西瓜ほど重い。その重労働により農家の高齢化と比例して、西瓜栽培を辞める方も増えています。
 昨今のお米のことも踏まえて、農家の方々が丹精込めて育てた作物を頂ける有り難さと、その労苦に感謝を込めてお下がりを頂きたく存じます。
 
今年もお祓いうちわ [令和7年6月5日]

「うちわの両面」

「ドドンっと」

「このポップが目印」
 明け方に通り雨が降った佐倉。雨も凄かったですが、事前に鳴ったスマートフォンからの豪雨予報にびっくり。
 スマホを目覚ましがわりに使っていることもあり、就寝時には枕元近くに置いているので、起床前だ朝の寝ぼけ眼の時間帯に鳴ると一気に目が覚めます・苦笑
 ここ数日、お米と長嶋さんのお話が枕になっていた七峯ですが、大事な事を思い出しました。
 枕の内容は昨日に遡りますが、36年前の6月4日、当時16歳だった宮司はテレビに釘付けでした。
 おめでたい事で釘付けなら良いのですがそうでは無く、天安門広場で中国共産党支配下の人民解放軍が民主化を求める自国民に対して発砲の上、なんと戦車で民衆に突撃した、
 皆さんはこの事を覚えているでしょうか。当時ほテレビはブラウン管で今よりも画質は劣るとはいえ、鮮烈な印象と衝撃を受けたのを覚えております。
 自国民に対して自覚の軍が突撃をかける。そんな事って地球の裏側でしかやってないだろうといたいけな少年は考えていたのに、まさか日本の隣で起こるとは。
 しかしよく考えると上記のように人民解放軍って中華人民共和国の軍ではなくて、あくまでも中国共産党の郡なんですよね。
 だから共産党のトップが「やれ」と言えば、対象が自国民であろうともやるんですよ。
 中共の自国民統制は凄まじいものがあります。ネット全盛の時代にキーワード一つでしょっ引かれるなんて事も。
 6月4日に天安門で怒ったから「六四天安門事件」と呼ばれるこの言葉さえ、彼の国では検索が出来ないのです。
 そんな国に友好友好と言ったところで、真の友好なんて結ばれるわけないし、顔では笑って腹の中では周りの国を虫けらとしか思っていないところと商売をやったってあとで後悔するだけなんですよ。
 さて暗い枕で申し訳ありませんが、そんなのを吹き飛ばす様なアイテムのご紹介が本日の本題。
 県内の女子神職で構成する千葉県女子神職会。麻賀多神社では禰宜画伯が会員として、また昨年度までは副会長として参画しております。
 その女子神職会主催で今年も「お祓い房州うちわ」の頒布が始まりました。確か今回で3回目かな。
 房州うちわは京うちわ、そして丸亀うちわと並んで、日本三大うちわと称されており、うちわの柄(持ち手)の付け根にある「窓」の美しさが特徴。
 軽くひと扇ぎ(あおぎ)しただけでも、ふわっとした心地よい風が舞い込んでくる作りとなっています。
 主に館山を中心とした南房総地域で生産され、その始まりは漁師の奥さん達が漁に出た旦那さんの留守中に、うちわの骨作りを内職として手掛けたのが最初と。
 地場産業であるうちわ作りも時代の移り変わりで減少しており、その成り立ちと産業育成を鑑みて女子神職会での事業立ち上げとなりました。
 麻賀多神社だ頒布するうちわ、今回も禰宜画伯が原画を描きまして、今年は「佐倉の花火」と題して佐倉市民花火大会のトリに打ち上げられる二尺玉を描きました。
 直径60センチの大きな花火が地上500メートルまで上がり、直径500メートルもの大輪の花を咲かせます。
 うちははその風によって厄災や悪疫を祓い飛ばす力があるとされ、涼を求めるだけでなく祓具としても使われてきました。
 世界的な流行病禍は過ぎましたが未だ根絶とはならず、麻疹や百日咳など、身近なところでの感染も広がっています。
 うちわでウイルスなどが飛ばされるわけではありませんが、ご自身やご家族の心身が清浄となり今夏を過ごせますよう、涼風と良風を浴びてみてはいかがですか。
 
雨上がりにビニール傘干し [令和7年6月4日]


 今朝の新聞はどれを見ても昨日逝去された長嶋茂雄さんがトップ。人って亡くなったときに、その功績やら取り上げられることが殆どですが、殊長嶋さんに至ってはご存命の時からの伝説が多すぎて、本当に凄い人なんだと実感しております。
 新聞記事や情報番組では出身地である当地佐倉を取り上げるもの多く、佐倉市ではご遺族の意向を伺った上で追討の催しを考えているそうです。
 情報番組では長嶋さんが佐倉市岩名の長嶋茂雄記念岩名野球場で、児童にバッティングの始動をする映像も流れ、見慣れたユニフォームが沢山映し出されました。
 その一つ、弥勒少年野球クラブは智勇権禰宜も小学生の時にお世話になった少年野球チームで、後輩や親御さん達の中にも長嶋さんの思い出が生き続ける事と思いまます。
 昨日の大雨も上がり、薄曇りですが時々日も射している佐倉です。気温は前日+6度、なので蒸し暑いですね。
 雨上がりの翌朝、宮司は朝拝から御殿より戻ってやることが、前日使った傘を干す作業です。
 作業というと大げさですが祭典によっては数本の傘を使うので、社務所の縁側前に傘の花が開くことも有るんですよ。
 今日は社務所側は1本で、宮司宅玄関には2本のビニール傘を干しました。
 このビニール傘、世界で最初に開発をしたのが東京浅草の傘メーカー「ホワイトローズ」。昭和33年(1958)のことでした。
 ビニールフィルムを傘の骨に貼り付ける、今では当たり前なのですが、当時はかなり以上に斬新だったようで、業界にはなかなか受け入れられなかったそうです。
 しかし転機が起きたのが昭和39年(1964)の東京オリンピック。観戦のために来日していた外国人バイヤーの目にとまり、一躍世界に広がったとか。
 日本ってウイスキーもワインもそうですし、日本酒も。例えがお酒ばっかりになってしまいましたが、外国で認められて国内の評価が上がる。これってどうなんでしょうねと常々思う宮司です・笑
 一昔前のビニール傘は直ぐに壊れて当然で、価格も100円。なので別名を「100円傘」などと申しておりましたが、今はコンビニで売っている物でもビニールは厚く大判で、しかも骨太。当然お値段も100円ではなく600円くらいとなりました。
 皇室や政府要人が使う傘にも用途によってはビニール傘が使われるようになり、それを作っているのが先述のホワイトローズだそうです。
 そう言えばといっては失礼に当りますが、天皇皇后両陛下と敬宮愛子内親王殿下にあらせられましては、今日から沖縄御訪問とありまして特別機で羽田空港を出発されました。
 戦後80年の今年、両陛下には各地に慰霊を目的とした行幸啓をされ、愛子内親王殿下には初めての沖縄御訪問だそうです。
 沖縄県内各地をまわられるにあたり、慰霊を平和の祈りを捧げられますが、今は梅雨時期の沖縄にあってビニール傘を差されるお姿がテレビに流れることもあるかもしれませんね。
 
台湾パイナップルをどうぞ [令和7年6月3日]

「セブンでも買えるんですね」

「一人ポップ作り」
 今日の七峯はお米の話題からではありませんで、今朝都内の病院で89歳の生涯を閉じられた長嶋茂雄巨人軍終身名誉監督が、先程長男の一茂さん、次女の三奈さんに付き添われて自宅に戻られたそうです。
 朝の連ドラの後、朝イチという番組が放送されるのですが今日の特集はお葬式で、その最中にニュース速報で長嶋さんの訃報が流れました。
 たまたまではありますが、訃報に驚きつつも特集内容にもびっくり。そして何よりも長嶋さんさと言えば「背番号3」で命日も3日と、最後の最後までミスターだったんだなと。
 一佐倉市民として、そして佐倉青年会議所が主催する長嶋茂雄旗争奪野球大会に関わったものとして、長嶋さんのご冥福を心よりお祈り申し上げます。
 しかし雨ですな。昨日は大安日で外祭が3件ほど有り、前日の雨で泥濘んでいる場所も有りましたが、無事に祭典斎行。
 これが前後一日ずつズレていたと思うと、袴も泥が付かなかったし、本当に昨日は天気に恵まれました。
 その地鎮祭では台湾パイナップルが神饌として上がりまして、お下がりを頂いて参りました。
 令和3年(2021)の事になりますが、台湾からのパイナップル輸入を、中国が突如として禁止する事態が起こりました。
 それまでは台湾から中国向けとして、約4万2千トンのパイナップルが輸出されており、台湾南部などでは増産を行なっていたんです。
 それが突如として禁輸。理由は「害虫が検出された」というもの。
 これはパイナップルだけに限りませんで、台湾で養殖された高級魚のハタも「禁止薬物が検出された」との理由で禁輸。
 自国民を守るのは国として当然ですが、共産党の独裁国家である中国がそんな国ではないの周知のこと。
 なんだかんだで台湾食品に対する中国の禁輸措置は70パーセントにも上ったのです。
 これに対して日本を含む西側諸国(古い言い方)は台湾に手を差し伸べると共に、存命だった安倍元首相などはSNSを使って台湾パイナップルを始めとする台湾産食品の購入を後押ししたのです。
 宮司も同じ時期にSNSを使って微力ですが発信。今も地元スーパーで台湾パイナップルを買うとアップしたりしております。
 宮司のアップを見てお供え物に、そして自宅用に台湾パイナップルを買ったよという嬉しい言の葉も聞くことが出来、何より一過性ではなく芯まで美味しい台湾のパイナップルを継続して購入が可能な社会になった事が嬉しいです。
 宮司自身も昨年より金沢石浦神社のご縁にて渡台をする機会を頂き、日本と台湾の強い結びつきを直に感じております。
 早速ですが、今夜の晩酌後には台湾パイナップルを頂くことにして、美味しい芯も堪能したいと思います。
 因みに今日の社務は宮司のワンオペ。智勇権禰宜は佐倉市自衛隊協力会の一員として研修会に出席。
 お参りも少なかったのでほぼ一日、御朱印対応とポップの作成に勤しんだ宮司でございます。
 
2階テラスから見ると [令和7年6月2日]

「結構近いですね」
 備蓄米の販売が始まりましたね。早くて今日2日からと報道されていましたが、何と2日前の5月31日には一部の業者ではありますが販売開始。
 土日でしたので、そこを狙ってと言う事も有ったのでしょうが、玄米を精米する作業は夜を徹して行なわれたんでしょう。
 消費者に早くお米を届けたい。商売的な思惑も有るとは言え、有り難いと思います。
 その報道では二の句として、今後の農政についてコメンテーターや識者と呼ばれる方々がご説ごもっともの話をするのですが、そんなことは判りきっているわけで、もう少し気の効いたことは言えないのかと、口数が多くて言葉が足りない宮司は思うのです・笑
 それにしても、お米離れって言われた日本人はどこに行ったのか不思議でなりません。
 確かに米の消費用は右肩下がりで、食の多様化もありなのでしたよね。
 備蓄米の購入者インタビューでは「朝4時から並んだ」とか、「パンやうどんを食べて堪え忍んだ」とか、お米愛が強いんですね。
 足りなくなると欲しくなる現象、過去にも同じ様なことがありましたが、目出度くお米が足りるようになった時、再び米離れが進むのではないかと心配になります。
 さて、新社務所建設も折り返しを過ぎ、屋根工事と一部内装工事が始まりました。
 作業中はお邪魔になるので、午後4時半くらいの作業終了時を見計らって、建物の中を見学するのが日課になっておリます。
 工事の監理は設計担当の森田建築設計事務所、森田敬介主宰がキッチリ行なってくれているので問題は無いのですが、施主たる宮司はものが造られていく過程を見るのが子供の時から好きで、工事の進捗により日に日に変わっていく新社務所の成長を実感しに入り込んでおります。
 2階は木造なのでその変化というか、成長具合がよく判りますね。板一枚を貼っただけでも見た目がガラッと変わります。
 同じく2階の東側に設置するテラスに出ると境内が一望出来て、テラスの北側あたりは拝殿の真横くらいの位置となります。
 拝殿と新社務所の間は設計だと2メートル強有るのですが、見た目だと結構近いんですよね。
 設計の段階でもう少し幅を持たせることも検討しましたが、そうすると境内西側に並ぶ山車と御神酒所の倉に接近しすぎてしまい、安全的な距離を鑑みて今の位置に決まりました。
 早ければ来年の節分祭から、豆打ちの儀(豆撒き)は新社務所2階テラスから行なう予定です。
 その後になる本竣工では、お祝いとして同じ場所からまたお餅まきをしたいなと、今から期待に胸が膨らむ宮司です。
 
紙ストローはイマイチで [令和7年6月1日]

「茅の輪の清祓い」

「紙はどうも・・・」
 今日から6月。水無月の月次祭を齋行し、玉体の御安寧と皇室の弥栄。国の繁栄と氏子崇敬者各位の平穏発展を祈念致しました。
 と、月初めの七峯はこの調子で書き始めますが、玉体(ぎょくたい)ってなに?とご質問がありましたので、こちらでもご説明を致しますね。
 玉とは帝の事で、日本だと天皇陛下を指す言葉です。なので陛下がお座りになる場所、若しくは椅子のことを玉座と言います。
 なので玉体とは天皇陛下のお身体を表わす言葉でして、陛下そのものと言っても良いでしょう。
 なので余り言い使われ方ではないのですが、戊辰戦争の際には朝廷を味方に付けるとして、「玉(ぎょく)を取る」なんてことも言われたんですよ。
 さて、水無月の月次祭では祭典後に参道中央に設置した茅の輪の清祓いを行ないます。
 当社では夏越しの大祓は6月1日から人形(ひとがた)の受け付けが始り、30日の午後5時半から夏越大祓式を齋行します。
 令和7年の元日を迎えて早5ヶ月が過ぎ、大祓を奉仕すると年の半分を納めることになります。時間が経つのが早いなぁ・・・
 今日は祭典続きでして、月次祭の前には兼務である富里市七栄鎮座の紅葉山稲荷神社総代会総会がありまして、総会開催前に七栄開墾始めの地に鎮座する稲荷社2社で役員の正式参拝を行ないました。
 この参拝は毎年行なっているもので、昨年までは7月第1日曜日だったものが、総会後に境内整備作業を行なうと暑すぎるというので、今年から6月第1日曜日に変更となりました。
 なので、昨年までは皆さん額に玉の汗をかいて、そこにヤブ蚊まで飛んできて大変だったんですが、今年は涼しい顔でお参りが出来ました・笑
 帰りにはこれも恒例なんですが、マクドナルドのアイスコーヒーとアップルパイを宮司家人数分、お土産に持たせてくれるんです。
 何故マックかといいますと、1社目が鎮座するお宅の一角にマクドナルドの店舗があるからなんですよ。
 こう書くと七栄のどの辺りが開墾始めの場所か判る方もいらっしゃいますよね。そうです、あの十字路付近なんですよ。
 ここ数年でアイスコーヒーに添えられているストローがプラスチック製から紙製に変更になりました。
 宮司、この紙製ストローが苦手でして、出始めよりも質は上がったものの、水分を含むとやはりふやけるし、なんだか紙の味がする気が。
 アメリカのトランプ大統領、就任以来好き勝手やっているように見え、実際に世界経済を始め至るところで混乱を引き起こしていますが、一つ功績を挙げるとしたら、紙製ストローを廃止しプラ製回帰を指示した事でしょうか。
 実際、紙製のものは単価が高くて製造コストも高いし二酸化炭素を多く排出する。
 それに比べるとプラ製は低コストでリサイクルも効く訳でして、何でもかんでもプラスチック製が悪のような風潮や論調は如何なものかというのが宮司の持論です。
 適材適所でリサイクルが効き、二酸化炭素などの温室効果ガスが減らせるのであれば、プラスチックだって立派なSDGsだと思うんだけどな。
 因みにスターバックスコーヒーは今年の1月23日、紙製ストローを止めましてバイオマス素材のストローに変更すると発表しました。それこそ適材適所ですね。
 神社でも何か応用できるものはないかと思案中ですし、御守を包んでいるPP袋はリサイクルに回せるので、小さな一歩は踏み出しております。