| 眠い目こすってモーニングセミナー [令和8年3月31日] | |
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只今午後4時。新社務所の事務室で七峯を打ちながら、境内に響く風雨と報鼓の音を聞く宮司であります。 当社の祈祷は午後3時半の回が最終でして、この時間に拝殿から報鼓の音が聞こえるのは珍しいんですよ。 何故に聞こえるかと言うことなんですが、佐藤出仕が智勇権禰宜に祈祷の作法と順序を享受して貰ってる所でして、言わばお稽古中なわけです。 報鼓とは御祈祷の前に叩く太鼓のこと。これからお式が始まりますよと報せる為に打つんです。 神社によっても叩き方に違いがあって、それを拾得するのも大切なお稽古。音を聞くだけではなく実際に打つのも大事なんですよ。 さて、今日の宮司はいつもより2時間半早く起床しまして、ユーカリが丘にあるウイシュトンホテルに出向してまいりました。 余り早起きが苦手な宮司。苦手というかいつものペースと違うのが得意ではありませんで・苦笑 一応ですが会員となっている佐倉市倫理法人会のモーニングセミナーに講師として、年に1回の役目を果たしてまいりました。 演題は「式年祭〜神宮式年遷宮を中心として〜」で、持ち時間は40分と、とてもとても話しきれない内容なんですよね。 当然の如く式年遷宮の全部を話すのではなく、主題となる「式年祭とは」の一例として取り上げました。 式年祭とは「年をめぐって行なう祭典」の意味。10年や20年と切りの良い数字が多いですが、昨日取り上げた香取神宮のように12年毎の祭典もあり、その数字についても説明を致しました。 上記のように、式年というと祭典のイメージが強いですが、人生儀礼である結婚。その「何年目」というのも式年の要素があるんですよ。 一般的には結婚25年の銀婚式や50年の金婚式が有名ですが、結婚1年の紙婚式から始まりまして、2年は綿婚、3年は皮婚と段々豪華になっていくらしいです。 因みに長寿社会となりまして金婚式は珍しくなくなり、その上には55年でエメラルド婚。 さらに60年でダイヤモンド婚、65年でブルーサファイア婚で70年ではプラチナ婚となるそうです。 今年30年の真珠婚式を迎えた宮司ですが、あと40年後には93歳なので、神明奉仕に勤しんでいればいけるんではないかと、倫理法人会員の方々に話をしながら頭に思い浮かびました。 花散らしの風雨は未だ収りませんが、神社前にある染井吉野は満開ちょっと前なので頑張っております。 今週末まで、出来れば来週に多いであろう入学式まで、綺麗な桜花にはもって欲しいですね。 |
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| 香取神宮式年神幸祭のお勉強 [令和8年3月30日] | |
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そう言えばのお話なのですが、プロ野球が開幕していたんですね。年度末とイベント続きで、その事が全く頭に入っておりませんでした。 以前は週3回も幕張のマリンスタジアムに観戦をしに行っていたことを思うと、何故にプロ野球熱が下がってしまったのか?? でもね、千葉ロッテマリーンズが勝つと嬉しいのは変わりませんで、開幕から昨日前の三連戦で2勝1敗と、それなりに良いペースで来ております。 首位のソフトバンクホークスは3連勝と、やはり強いですね。このチームはマリーンズと違いそのままの勢いで終盤まで行くから、今年もか!?と。 さて、今日の宮司ですが、午前中に月末恒例の支払いなどを行なうために、金融機関で振込作業をしてきました。 とある金融機関では、通帳からであれば振込用紙に記入をせずとも、カウンターに設置してあるタブレットを使って振込が出来るようになりました。 金融機関の用紙って基本、誤字があった場合などは修正が効かず、新たに書かなければなりません。 ヘンなところに緊張しいの宮司。金額が大きいと手が震えまして、この手のミスをやらかすのです・苦笑 特に今日は新社務所建設関連の支払いを行なう重要な日でしたので、振り込む額も宮司の人生の中では一番多く、窓口のおねえさんと一つ一つ確認をしながら無事に送金完了。 ホッとしたところにあって、御浄財を奉賛頂いた方々に改めて感謝をしたく存じます。 昼前に帰社すると智勇権禰宜が袴姿から背広姿に改服。今日は午後から千葉県神社庁研修所主催の教養研修会がありまして、そちらへ参加のために出掛けていきました。 今回のテーマは「香取神宮式年神幸祭について」で、12年一度の午年に行なわれる香取神宮第一の重儀について学びます。 香取神宮は延喜式神名帳に記載されている3つの神宮の一つで、毎年4月14日の例祭には天皇陛下の勅使が正服姿で6年に一度参向。 その他の年も陛下のお使いがモーニング姿で参向するなど、皇室の御崇敬も厚いお宮なのです。 例祭の翌日15日には神幸祭が執り行われ、鳳輦にお乗りになった香取の神様が神宮より宮下の駐車場まで渡御。ここで駐輦祭が行なわれ、年番の氏子町より神楽などが奉納されます。 12年毎の午年には式年神幸祭として供奉者3000人以上の大行列が仕立てられ、鳳輦は御座船に乗り利根川を上り、佐原河岸に上陸をして御旅所にて1拍。 翌16日に佐原市街を回り、再び香取神宮に戻ってくるという、それはそれは壮大華麗な行事であります。 宮司は6歳の時に稚児で上がって以来、今回で5回目の奉仕で、智勇権禰宜は同じく6歳の稚児から始まって今回で3回目の奉仕となります。 今日は香取神宮より佐川・曽川両権禰宜が講師としてお話をして頂くので、智勇権禰宜も楽しみしておりました。 宮司も受講したのは山々なのですが、社務の都合上でお留守番部隊。智勇権禰宜から送られてく画像を見て自己研鑽をしております。 その画像の中には陛下からの御幣物が収められている柳筥(やないばこ)と五色の布が写っており、香取神宮当局の研修会におけるご理解とご協力に、神社庁研修所の訓育主任として感謝を致します。 外が若干風が出てきたようです。明日は春の嵐かもと天気予報が流れておりまして、花散らしにならなければ良いですね。 ・香取神宮 https://katori-jingu.or.jp/ |
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| 待合室の看板交換 [令和8年3月29日] | |
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今日は予報通りに気温の上がった佐倉。近隣の染井吉野もかなり花が開き、佐倉城址公園に向かう車で、神社前の大手通は終日渋滞をしておりました。 今日の祈祷番はいつも通り智勇権禰宜ですが、大手通の入り口となる新町交差点付近も渋滞をしていたので、祈祷予約の方々もほぼ時間通りには到着せず、祈祷者の時間調整に難儀をしていたようです。 宮司は午後から帰幽三年祭の奉仕が市内下志津にある霊園、ふれあいパーク佐倉でありまして、渋滞を見越して早めに神社を出たらタイミングが良かったのか、なんと開式の30分も前に到着。 施主さん家族も早めに到着をしたので時間を繰り上げての奉仕となり、帰社後には御朱印対応をして社務終了の時間となりました。 境内には昨日に引き続いてコスプレイベントで来倉した子達が、本当に見事な自作の衣装を身に纏い、巫女さんも少し羨ましそうに見ておりました・笑 昨日よりも参加者が増えたのか、午後5時近くになるまで入れ替わり立ち替わり、新規のコスプレイヤーが来社し、お参りの後に決めポーズで、楽しそうに撮影を行なっていましたよ。 昨夕の話になりますが、兼務をしている田町愛宕神社の責任役員会が鹿島橋の袂にある中村食堂で開催されました。 議案としては令和7年度会計決算と令和8年度の予算承認ですが、会議はものの20分程で終了をして、後は一年間のお疲れ様会・笑 その際に受け取った決算報告書と予算書を、被包括法人である神社本庁に送付する事務手続きをしていた今日の午前中の宮司。 こういった書類って後回しにすると忘れるので、いち早く処理をするように心掛けておりますが、パソコンを打っている内に何か忘れていたことが脳裏によぎり・・・ そうだ、祈祷待合室の案内看板を禰宜画伯が揮毫したものに替えるんだったと。そして併設している文化財収蔵庫の大神輿と甲冑を拝観したい方への案内文も作らなくてはと。 やっと本日の七峯が本題に入りましたが、只今午後7時半を回るところなので手短にします・笑 新しい祈祷待合室の看板は、新社務所メイン玄関に掲げた表札と同じ材質で、授与所のカウンター天板と一緒に製材をされました。 ただ、節が多いのと少しの割れが有るので、その使い道を探していたのですが、メインの表札を揮毫する練習にと「祈祷待合室」と書いてみたら思っていたよりも立派になりまして、表舞台に立つ事になりました。 実はここにはデジタルサイネージの画面案内板を置く予定で、それを発注することになっているのですが、それは違う用途で使うとして、このままで良いのかなと思う宮司であります。 この数年、新社務所建設にあたりかなり白髪が増えているのを実感しておりまして、明日に大きな事案が済ませ、その後は竣工式と記念品の準備に取り掛かります。 デジタルの時代にあっても、手書きの文字って良いですよね。少し気が休まるような思いです。 |
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| 春のスプレイベント [令和8年3月28日] | |
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昨夜に無事、帰倉をしまして、JR佐倉駅近くのまつなかにて草鞋抜き。やっぱり地元って良いですよね。ほっとします・微笑 昨日に発生した東海道新幹線の遅延ですが、七峯には飛来物が架線にとしか書きませんでしたが、その付着物とはなんと風船。 世界の彼方此方でミサイルや銃弾が飛び交っている事を思うと、なんとも牧歌的な理由ですが、影響を受ける乗車する方は1分を争うのでして、JR京都駅の新幹線改札は大変なことになっておりました。JRの職員さん、お疲れ様でした。 実質で3日半を留守にしていると、決裁書類や郵便物、そしてメールが山のように溜まっており、それらの処理は午後からとして、大安日の今日の宮司は、午前中に3件の外祭回りを致しました。 3件連続の外祭奉仕は久し振りでして、それも地鎮祭と地鎮祭の間に帰幽一年祭が挟まっていて、それに合せて紋付き袴から鈍色、そして紋付き袴に履き替え。休み明けの宮司、それなりに頑張りました・笑 その行き来に車中から見た光景は、スーツケースをガーラガーラと曳く、うら若き女性の集団。 ああ、「桜に染まるまち佐倉2026」の共働イベントである街中コスプレ撮影会に参加する子達なんだと解ります。 佐倉の街でコスプレイベントが開催されるようになって10年くらいが経ちますでしょうか。 最初の頃は100人くらいでしたが、今では一日で500名を超える方が参加してくれ、かなり盛況なのが解ります。 以前のコスプレーヤーは露出が多い服装だったり、撮影場所では我が物顔の子がいましたが、今は運営側がその点を確りと参加者にレクチャーをし、地元にも事前告知をしてくれるので、特に問題も無く自然体で「コスプレってなかなか可愛いね」と。 当社の境内も絶好の撮影スポットとなっており、時にはお参りの方と一緒に記念撮影をしているなど、お互い様の姿が見られるのも良いですね。 特に七五三の時季などは、お祝い子と和やかに撮影しているおねえさん達。傍から見ている方としては、どちらがコスプレ?みたいなところも楽しませて貰っております。 このコスプレイベントは明日も開催で、佐倉城址公園を始めとする街中の桜花がコスプレさんとよく似合うことでしょう。 本日の〆は、上洛中に写真家の花澤信幸先生が送ってくれた画像。 神社の石垣下にある丸型ポストも桜色で、郵便車が実際に集荷を行なっている様子を見ている構図。 1枚の写真に物語を感じさせる、さすが花澤ワールドな作品。勿論、宮司は足元にも及びませんが、かく有りたいと思う春なのです。 |
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| シュールな熊さん [令和8年3月27日] | |
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早速で恐縮ですが、宮司と禰宜画伯、昨日に結婚30年を迎えまして、京都方面にふらふらと出掛けておりました。 今は帰りの東海道新幹線の車中ですが、京都と米原間の架線に飛来物が付着したとかでダイヤは大幅に乱れており、品川から乗り換え予定だった成田エクスプレスには乗車ができない模様。 その切符は佐倉駅で払い戻しをするとして、後続の特急指定席券はネットにて手配をしたので、予定より遅れますが無事に帰倉が出来そうです。 結婚30年って真珠婚式と言うらしくて、プレゼントは真珠ですかと食事処で聞かれましたが、毎年暮れに伊勢の参宮をする際に宿泊している志摩観光ホテルで、既に一粒を渡してあるので今回は特別にプレゼントは無し。 宮司にも懐事情というものがありまして、京都ふらふらの鞄持ちとツアコンと勘定係を務めましたので、そちらで宜しくと・笑 一昨日は京都の真ん中あたりで宿泊をして、昨夜は滋賀県の高島市に足を伸ばして琵琶湖の湖畔に宿を取りました。 今朝に窓の外には琵琶湖の水面が陽の光に照らされて、波紋がキラキラとしているのを見るに、海の青さを青海波の紋に作り上げた先人の美術センスに感心。 琵琶湖は都から近い大きな水溜りなので「ちかつうみ」が転じて近江となり、そこから遠くの大きな水溜りが「とおおうみ」として遠江と。 この遠江は今でいう浜名湖でして、先程に新幹線の車中からその姿を見つつ、湖と海との境をあっという間に通過してまいりました。 宮司と禰宜画伯を乗せた東海道新幹線もそろそろ熱海から小田原に入ってくる頃と思われますが、ここには足柄山がございまして、足柄山と言えば金太郎。 熊に跨りお馬の稽古と童謡にありますが、その熊は月の輪熊でして、神奈川県では絶滅危惧種に指定をされていたんじゃないかな。 今回の京都ふらふら旅行の話が出た辺りの頃だったと思いますが、新社務所に飾るのに禰宜画伯が熊に跨った金太郎さんの瀬戸物を発注しました。 禰宜画伯本人は外の生花に添えるつもりだったらしいのですが、釉薬無しの完成形でしたので、一雨濡れれば染みだらけになるので、宮司と智勇権禰宜の統一意見でそれは却下。 今現在は新社務所エントランスに飾ってある五月人形と薬玉の新入社員として存在感をしましておりますが、なんと言っても金太郎が跨る熊の顔、その目つきがシュールなんです・笑 よく見ると金太郎の目つきも、一般的なイメージであるまん丸に見開いた目と違い、ある意味で半眼。若くして悟りを開いた様な顔つき。 金太郎は足柄山中で赤竜と山姥の間に生まれた子だとされ、山姥と熊をはじめとする仲間達に育てられた金太郎は、東国から上洛する途中の源頼光に見出だされ、坂田公時として活躍と出世をしていきます。 足柄山の近くには宮司が身体を癒す湯河原温泉もありまして、次に訪れた際には足柄山と金太郎をお祀りしている金時神社にも参拝がしたいですね。 因みに禰宜画伯、結婚する前は金太郎に似ていると宮司の元上司に言われて、あだ名は「きんちゃん」と呼ばれたのは31年前の話。 なので宮司は熊の役目でしょうか。投げ飛ばされない様に気をつけたく思います。 |
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| 頭隠して尻隠さず [令和8年3月26日] | |
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アメリカとイスラエルがイランへ仕掛けた戦闘。メディアでは戦争戦争と言っておりますが、当たり前というか未だにその名称が無い。 国際法違反だとも流しているけど、そうだとしても論拠を示さないでただ言っているだけ。そういうコメンテーターなるのが多すぎると思いませんか? 一昔前前は「@@評論家」なるのがよく出ていましたが、今ってその表現は使いませんよね。そして戦争モノになると重宝されて来た軍事専門家も、今回は出てこない。何が変わったんだろうと思う宮司であります。 石油の国家備蓄放出が始まるそうでして、ガソリンに対する補助金と相まって最高値をつけたガソリン価格も暫くは落ち着くものと思われます。 でね、民間も踏まえての備蓄ですが、これはイラン攻撃以前に日本に入って来た分であって、それを元売り業者が高値で小売店のガソリンスタンドに下ろしているから価格が急騰した訳。 まあ原油というまさしく油を売る商売ですので、元々のリスクは大きい商売なのですが、元売り業者もそこを睨んでの事だと思われます。 ここで大事なのが消費者心理で、昭和40年代後半に起こったオイルショック。今からだと50年ほど前の出来事ですが、この時は何の気なしの井戸端会議からトイレットペーパーが無くなるかもと、それが一気に広がり日本国内が大混乱に陥りました。 今回も今日の明日に石油が無くなるような報道が見られ、なんの責任感もないコメンテーターがしたり顔で輪をかける。 一昨年の米不足もこれと同じ事で、備蓄米放出をしましたが結局は足りていたし、昨年産米は高値で売れるだろうとたかを括った集荷業者が今に大量の在庫を抱えて、米なのに泡を食っている訳。 なので一般消費者たる私達は、オールドメディアが無責任に垂れ流す情報とやらに一喜一憂する事なく、今日の明日で命に関わる様な案件は別として、一歩引いていた方がいらぬ損と気苦労はしなくて済むんじゃないかな。 そうそう、この七峯にも登場回数が伸びている沖縄県浦添市の辺野古ですが、世界一危険とされる普天間基地の移設先として決まっていたものを、悪夢の3年3ヶ月という民主党政権下で鳩山由紀夫首相が「最低でも県外」に移設すると表明をして、当時のアメリカ大統領に「トラストミー」なるのを発言したの、皆さんは覚えていらっしゃいますか? すったもんだの挙句に従来通りの辺野古移設に落ち着きまして、それに大賛成だとコメントをしたのが今の沖縄県知事である玉なんとか。 いずれにしても、左翼系というのは何の解決策もなくにコアな支持層の応援に、ただの自己満足をしているだけという、至ってお気楽な方々でしてね。 正体がバレそうになると姿を隠そうとしますが、ネットとSNSがは急した今の世ではそうも行きませんで、境内の狛猫が車のタイヤそばで安心をしながらのお尻丸出し。 左翼系の尻尾丸出しの逃げとは違いまして、無邪気なこの子達の時間を守るべく、今日も七峯をお読み下さいましてありがとうございました。 皆さん、おやすみなさいませ。 |
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| 佐倉幼稚園閉園式 [令和8年3月25日] | |
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辺野古沖の海難事故。修学旅行中の高校生と船長が亡くなったのですが、未だにオールドメディアは「市民団体」とか「運行組織」と誤魔化ししきり。 でもね、それでは収まらなくなっているらしく、共産党のお偉いさんが行う定例の記者会見では、その市民団体と共産党との関係性を突っ込まれ、案の定ですが苦笑いで誤魔化す。 これが与党案件だったら、青筋を立てながら重箱の隅を突くだけ突いてなんでしょうが、ご自身には甘いだけ甘い万年野党はお気楽で何よりです。 さて、三寒四温とは申せこうも寒暖の差があると、貰い事故の古傷がある宮司には首筋に鈍痛を覚えるのであり、薫風が待ち遠しく思います。 でもね、桜の蕾も日に日に膨らんで、この2.3日で随分と開花も進んできたので、それを見られるだけでも首筋に湿布を貼っているような効能があるのです。 神社の裏手にある佐倉市立佐倉幼稚園の園章は、その桜の花を模しておりまして、佐倉市章の原型となる佐倉藩馬印にそれを覚えます。 佐倉幼稚園は今月末をもって閉園となり、112年の長い歴史に幕を閉じるとともに、今日3月25日に閉園式が開催されました。 元々は麻賀多神社境内地であった土地に、佐倉幼稚園の前身となる小学校が建てられたのは明治初期。 学校用地が欲しかった佐倉町、そして当代の宮司から数えて2代前の宮司になる筈だった鋳金家の香取秀真が、その才能を養父である郡司秀綱宮司が理解をし、東京美術学校に進学するための学費を工面するべく話がまとまり売却をしたのです。 爾来、変遷を遂げながら佐倉幼稚園は10000人以上の卒園生を輩出し、地域の幼児教育の先頭に立って来ました。 少子化の流れにあっても入園希望者は定員を超えるおりました。沢山の可愛い声が毎朝、そして退園時に聞こえていました。 それが一気に聞こえなくなった理由が、幼児教育無償化による私立の認定子ども園への園児流出だったのです。 閉園に至る理由はこれが本筋なのでまだ書きたいところはありますが、以前にも共産党の市議が七峯を自論に都合よく使われたので、この辺にしておきます。 今日の閉園式は神社にも来賓のご案内を頂き、宮司に代わり卒園生である智勇権禰宜が、羽織に浅葱の袴を着装して参列を致しました。 今年30歳となる智勇権禰宜。卒園をしたのは24年前となりますでしょうか。それも昨日の事のように思いますね。 元境内地ですので地続き。今はあるのかなぁ、自宅から幼稚園迄の登園路を地図に落として提出するのが、毎春にありました。 これが大変でして、何せ隣なので目標となるものの書き様が無く、宮司宅の玄関から門へ下りる階段。そこから50メートル程で到着する幼稚園の門。 そこから園庭にあるトチの木を描いて、錦鯉と金魚がいる池の隣を通りつつ、インコの小鳥小屋を左に描いて着きましたのが園舎の昇降口。 これを見た担任の先生には、「長く幼稚園教諭をしておりますが、こういうのは初めてです」とお互いに微笑んだものです。 先日に最後の卒園式で6人を見送った佐倉幼稚園は、この数日にさよならイベントを行い、卒園生を始め多くの来園者がありました。 園行事も園児数の減少により随分と静かになったこの数年ですが、イベントと共に今日も久しぶりに幼稚園の方から賑やかな声が聞こえ、往年の佐倉幼稚園を彷彿としました。 閉園後の敷地と園舎の活用方法はまだ決まっておらず、現在も続けられている地域住民へのヒアリング、また有識者からの提言をもって進められるものと思われます。 お宮の果たせる事があるのか、佐倉幼稚園との所縁の深い麻賀多神社であるからこその知恵を出せればと思います。 佐倉幼稚園、そして歴代の先生方、ご関係各位に深く感謝をして、寂しくも心を込めてありがとうございました。 |
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| 春の新人巫女研修 [令和8年3月24日] | |
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沖縄県名護市の辺野古沖で、平和学習と称して活動家の船に乗船していた女子高生が亡くなって一週間が経ちました。 この間にご遺族は事故現場に一番近いところで献花したいと、米軍のキャンプシュワブ基地内で行なったそうです。 このような海難事故において、献花の場所などを仲介しているのが海上保安庁と言うことを、皆さんはご存じでしょうか? 数年前に北海道知床沖で沈没した遊覧船「カズワン」の場合にも、海上保安庁が遺族の方々に心を尽くして奉仕されていました。 両方の海難事故、共に原因が人災によるものと思われますが、違うのがメディアによる報道の仕方。 カズワンでは運行会社の社長に対して人格否定にも思われるような、執拗かつ攻撃的報道。 会社や社長宅近くの住民にも、報道陣は容赦なく取材を行なっていましたね。 片や今回の市民団体が運営している活動や船に対しては、そもそもの報道が少ない。共産党や社民党とも繋がりがかなり深い左翼系とも言わずに、あくまでも「市民団体」と報道。 保守系にいそうで実は渡邉恒雄氏の左掛かった読売新聞な日本テレビ系列でも、なんと無く触れずにいる。 ガチで報道をしているのは産経新聞くらいで、アレですよ、面倒くさいのには関わらなあか、それに賛同をしているとね。 日本におけるキリスト教某系の根深い闇も炙り出されてきておりますが、それはまた後日といたしまして、本題に入ります。 そろそろ各学校では春休みに入って来ましたでしょうか。毎朝、神社前の丁字路で登下校の見守り活動をしてくれている氏子さんの声、今朝も大きく聞こえましたので、今日辺りが終業式かな。 であれば通信簿や成績表等に合わせて、期末なので自分の机の中や荷物を持ち帰る、謂わば引っ越しの様な下校となりますね。一年間、良く頑張りました。 この時期、当社では春休みに入った学生巫女さんの出社人数が増えまして、通常の社頭業務に加えて諸々の作業を行っております。 その中には秋の御例祭に使うものの奉製や、幣束や紙垂を幾つ折り込むんだろうという数を、ひたすらに黙々と折り上げるものなど、彼女達のか細く器用な手指により一体ずつ奉製されます。 それと同じく今の時期の風物詩的な光景で、新人巫女の面接と研修が行われているんですよ。 当社の巫女さんは基本的に学生で、高校生で面接を受けて採用。高校卒業から上級学校に進み、社会人として世に出るまで勤めてくれる子が多いです。 春休みに入る今頃は、一年で新規採用が一番多い時期となりまして、この春より新2年生に進級をする子の比率が高いですね。 その傾向として、高校入学してすぐは中学生からの生活環境変化が大きく、先ずは学校に慣れる事と親御さんの意見なども勘案しての事だと思います。 そして一年が過ぎ、自分のペースや社会へのものの見方もそれぞれ成長という名の下に時間配布が出来るようになり、神社という一般社会的に安心を感じる所、また憧れを持って応募をしてくれるのではないかと思われます。 今日は一昨日に面接を受けた子が、初出社。佐藤出仕から神明奉仕の心構えと社務の内容について、マンツーマンで手解きを受けておりました。 新人研修の大事なポイントはいくつかあるのですが、その一つに「教える方も学び直せる」と言うものがあります。 自分では基本と言うかセオリー的に奉仕をしている「つもり」でも、実は良くない意味で自己流に陥っている事があります。 新人研修や、祭典または祭式の作法などは、教える方が一番の学びの時間になる。自己を振り返る時間なのです。 それで言うと、佐藤出仕は麻賀多神社への奉職から半年を過ぎ、これから御祈祷の奉仕もひとり立ちする過程に入ってきます。 それであれば今の時期に行われる新人研修は、彼女において神明奉仕とは、また神職とは何かを見つめ直せる大事な時間なのですよ。 そるれを感じられるか。それは本人次第ですが、実は宮司も同じ事を毎年に経験をしておりまして、それは毎夏に開催され初任神職研修会において、神社本庁史の講義を4時間行うという荒業・笑 荒業に笑を付けると、知り合いのお坊さん方に申し訳ありませんが、一日24時間の世界にあって、その6分の1を講義するのは、神職育成の本義よりも自己研鑽になるのてわはと。 新人の巫女さん、今日は何を感じてくれたかな。麻賀多神社の氏子に生まれてからこの方、まさか氏神様にご奉仕の時が来るとは思わなかったかな。 それとも憧れであってくれたら尚嬉しいですが、お参りの方にも若葉マークの巫女達には優しい眼差しを頂けますよう、お願いを致します。 |
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| 花桃の枝を頂きました [令和8年3月23日] | |
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気付けば年度末。そうなんです、桜の花がうんたらかんたらと書くようになると、年度末になっているんですよね、当たり前だけど・苦笑 各種団体では決算書の作成と、新年度の事業計画と予算案作りに、事務方は大忙しの頃となります。 宮司も今までに千葉県神道青年会・佐倉青年会議所・千葉県神社庁印旛支部それぞれの事務職と会計責任者を仰せつかってきたので、会計の〆には寝る間を惜しんで決算書作りに勤しんでいたのが懐かしく思います。 そんなの、小まめにやっていればすぐに終るのにと言われればその通りですが、世の中そうも行かない事情が多々ありまして。 それでもなんとか、パソコンと電卓を使って乗り切っており、その頃の自分を褒めてあげたいと思う、毎年の3月末なのでございます。 今日は午前中に祭礼大年番会計の経常費を仕上げまして、午後から大年番会計担当役員と打ち合わせをして、立て替えの入金を待ってほぼ完了となります。 その他にも、御例祭の大神輿渡御や新社務所文化財収蔵庫に対する行政からの補助金に対しての実績報告書の作成も出来上がり、何だかんだで一日パソコン仕事をしておりました。 因みに大神輿の渡御に補助金が交付されるのは、大神輿本体が文化財ではありますが、渡御の行為も佐倉市指定無形文化財となっているからなんですよ。 物価高騰の折り、氏子軒数減少にある麻賀多割りの割り当てを増やすわけにも行かず、佐倉を代表する伝統文化を持続可能とする為には、本当に有り難く思います。 そんなパソコン仕事をしていた宮司ですが、新社務所の千本鳥居付近では、禰宜画伯が生け花の手入れをしておりました。 午前中は小雨が降っていた佐倉ですので、予報を見て午後にすればと言ったのですが、こうと決めたらほぼ動じない禰宜画伯ですので・笑 宮司と智勇権禰宜の散髪は、神社から徒歩3分ほどにあるヘアーサロンコイデさんでお願いしておりまして、ここのママさんと禰宜画伯はお花が好きという共通があります。 南房総方面へお出掛けの際には、綺麗でまた珍しい花をお土産で持ってきてくれ、それを禰宜画伯が生けるのですが、この2人が話し始めるとそれは楽しそうで、花を生けるのを忘れるくらい。 今回は庭にある花桃の枝を持って来てくれまして、禰宜画伯より「少し枝振りの大きい方が良い」とのリクエストがあったそうで、両手に抱えて来社でした。 こんなに切っちゃって大丈夫と思う宮司ですが、ママ曰く「選定のついでだから大丈夫」と、解るような解らないような理由なのがまた良いですね・笑 花の蕾が沢山ついた枝はそれだけでも見応えがあり、今にも咲きそうな大きな蕾もあり、老婆心ながらやっぱり選定のついでなの?と思っちゃいますよね。 花桃の枝は新社務所の内と外に綺麗に生けられ、お昼からは雨も上がり参拝者も増えてきたので、早速写メに収める姿も見受けられました。 因みに現在使われている新暦では、桃の節供に自然界で桃の花が咲いているというのはまず見ません。 本暦(旧暦)で今年の3月3日を当てはめると、新暦4月19日がそれに当たりまして、この頃だと山梨県の桃源郷あたりでは、それは見事な光景が広がっていることでしょう。 久し振りに、石和温泉あたりでゆっくりするのも良いかなと思う宮司。でも甲州ワインが目当てかもしれませんが・・・ |
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| 晴天のさくら天下祭り2 [令和8年3月22日] | |
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余り観光に力を入れていない当地佐倉ですが、それでもインバウンド客の姿を普通に見かけるようになりました。 お賽銭にも外国硬貨が流行病前暗いの比率で入るようになり、後日の七峯で取り上げようと思いますが、中東でドンパチやっている国の紙幣も。 今日は珍しい参拝者もありまして、なんと狸。城址公園など自然豊かな土地なので、時折見かけますが、大体が皮膚病気にかかって毛が抜けている子ですが、今日の子は狸らしい姿でした。 自然界に生きる動物は色々な菌を持っているので、見かけても触らずに、そして知らんぷりをして下さいね。 さて、昨日行なわれた「さくら天下祭り」の続編となる今日の七峯は本題に入ってまいりますね。 徳川宗家19代目当主の徳川家広様の講演から始まった、宮司の長い1日。 講演では溢れんばかりの知識とウィットに富んだ内容で、あっという間の1時間。もっと聞きたいなと思わせる話術も傾倒に値します。 講演会後、山車出発セレモニー会場となる城址公園に移動しますが、その間にも佐倉囃子の音色が聞こえてきて、嫌がおうにも気持ちが高ぶってきます。 ここでの宮司は開会の挨拶という、普段では何でも無いような事なのですが、徳が宗家と堀田様。そして上総一宮藩主家である加納家当代もお越しになった状態では、何となくの挨拶も出来るわけがなく・苦笑 はは〜ん、このあたりに宮司を持ってくればセレモニーは賑やかに始まるだろうという、実行委員会の面々が考えそうなことだと、気持ち良く挨拶を致しました・笑 そのバックには錦絵と同じ構図で、横町と二番町の玉乃井龍神人形を乗せた肴町の山車が並んでおり、それだけでも成功の2文字が頭に浮かんだのです。 セレモニーの後は、佐倉と日本橋から来てくれた小学生が山車曳きを体験して、「えっさのこらさのえっさっさ」の掛け声も賑やかに城址公園を出発。山車2本は麻賀多神社へと進むのでした。 そのころ神社では佐倉囃子保存会の奉納演奏と江戸里神楽が奉奏され、臨時むすびマルシェも開催したので、多くの参拝者が集まっておりました。 お囃子の音色で山車が神社に近づくのが解る中、一足先に徳川宗家と堀田様ご夫妻、そして加納家御当主が神社に到着。 御殿にご案内をして、智勇権禰宜奉仕による正式参拝を執り行い、銘銘に玉串奉奠を頂きました。 時代は違えど将軍と老中が同席し、麻賀多様の御神前で拝礼をされる。宮司としてこの上ない歓びと感動です。 参拝後には新社務所文化財収蔵庫に展示をしている甲冑2領と大神輿のご説明をして、興味津々の宗家には沢山の質問を頂きました。 そうこうしているうち肴町の山車が神社西側の道に入ってきました。これこそ麻賀多神社史上初の出来事が始まる瞬間です。 当社は土地の形状により、山車や曳き廻し屋台の御神酒所を境内に曳き入れることが出来ませんでした。 この度、新社務所建設において道路からのスロープを開設したので、大きさにもよりますが山車が境内に入ることが出来るようになったのです。 この提案、実は宮司がしたもので、最初に話したときは実行委員会の面々。皆が鳩が豆鉄砲を食ったような顔つきとなりました。 本当に良いんですか!?と。宮司だって冗談でこんな提案はしませんので、勿論!!と答えると、まあ喜んだこと喜んだこと・微笑 でもね、予行練習はしてませんしの一発勝負。当然事故なんてあってはいけませんので、慎重な中に力強く山車が上がってきました。 上がり切ったときの歓声と拍手は凄まじいものがあり、地面に敷いた工事用のゴムマットを移動しながら参道中央に到着となりました。 曳き廻しをした肴マシと二番町の皆、一同整列をして宮司がお祓いを行ない、高橋利式実行委員長が玉串奉奠。合せて参列者が列拝を行ないました。 宮司も参加者もそれぞれに念願叶ってという事でしょう。互いに目頭が熱くなるのを感じながらの談笑。 当然ながら、秋の御例祭も上がっていいですかとの声に、工事用マットの準備と撤収は各町内でやるのが条件と。さて、どうなりますやら。 山車の向きを変えて記念撮影。そこから今日から展示となる夢咲くら館に出発した山車は、スロープの下りを上りよりも慎重に下りていきました。 ここまで来れば宮司の役目はほぼ完了。しかしこれからが長いのでして、お囃子と里神楽を奉仕してくれた佐倉囃子保存会と東京からの車中の方々との打ち上げに参加。 やっぱりねぇ、お祭りに関わる方々との酌み交わしと語らいって時間を忘れるんですよ・笑 そんなこんなで今朝も気分良く起床。朝拝からの境内は、昨日の賑わいもどこへの静けさ。 石畳の参道には車輪の跡が付いており、祭りの後を感じさせるのです。 今回の行事を行なうにあたり、当然ながら沢山の方々の協力と実動、激励を頂きました。 宮司は実行委員会顧問という立場ではありますが、この場を借りまして厚く厚く御礼を申し上げます。ありがとうございました。 今回はここまでやりましたからね、来年はどうやるんだろう。成功の余韻に浸っている場合ではない実行委員会の面々。お判りでしょうね・笑 |
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