七峯の丘から

花桃の枝を頂きました [令和8年3月23日]

「早速生けました」
 気付けば年度末。そうなんです、桜の花がうんたらかんたらと書くようになると、年度末になっているんですよね、当たり前だけど・苦笑
 各種団体では決算書の作成と、新年度の事業計画と予算案作りに、事務方は大忙しの頃となります。
 宮司も今までに千葉県神道青年会・佐倉青年会議所・千葉県神社庁印旛支部それぞれの事務職と会計責任者を仰せつかってきたので、会計の〆には寝る間を惜しんで決算書作りに勤しんでいたのが懐かしく思います。
 そんなの、小まめにやっていればすぐに終るのにと言われればその通りですが、世の中そうも行かない事情が多々ありまして。
 それでもなんとか、パソコンと電卓を使って乗り切っており、その頃の自分を褒めてあげたいと思う、毎年の3月末なのでございます。
 今日は午前中に祭礼大年番会計の経常費を仕上げまして、午後から大年番会計担当役員と打ち合わせをして、立て替えの入金を待ってほぼ完了となります。
 その他にも、御例祭の大神輿渡御や新社務所文化財収蔵庫に対する行政からの補助金に対しての実績報告書の作成も出来上がり、何だかんだで一日パソコン仕事をしておりました。
 因みに大神輿の渡御に補助金が交付されるのは、大神輿本体が文化財ではありますが、渡御の行為も佐倉市指定無形文化財となっているからなんですよ。
 物価高騰の折り、氏子軒数減少にある麻賀多割りの割り当てを増やすわけにも行かず、佐倉を代表する伝統文化を持続可能とする為には、本当に有り難く思います。
 そんなパソコン仕事をしていた宮司ですが、新社務所の千本鳥居付近では、禰宜画伯が生け花の手入れをしておりました。
 午前中は小雨が降っていた佐倉ですので、予報を見て午後にすればと言ったのですが、こうと決めたらほぼ動じない禰宜画伯ですので・笑
 宮司と智勇権禰宜の散髪は、神社から徒歩3分ほどにあるヘアーサロンコイデさんでお願いしておりまして、ここのママさんと禰宜画伯はお花が好きという共通があります。
 南房総方面へお出掛けの際には、綺麗でまた珍しい花をお土産で持ってきてくれ、それを禰宜画伯が生けるのですが、この2人が話し始めるとそれは楽しそうで、花を生けるのを忘れるくらい。
 今回は庭にある花桃の枝を持って来てくれまして、禰宜画伯より「少し枝振りの大きい方が良い」とのリクエストがあったそうで、両手に抱えて来社でした。
 こんなに切っちゃって大丈夫と思う宮司ですが、ママ曰く「選定のついでだから大丈夫」と、解るような解らないような理由なのがまた良いですね・笑
 花の蕾が沢山ついた枝はそれだけでも見応えがあり、今にも咲きそうな大きな蕾もあり、老婆心ながらやっぱり選定のついでなの?と思っちゃいますよね。
 花桃の枝は新社務所の内と外に綺麗に生けられ、お昼からは雨も上がり参拝者も増えてきたので、早速写メに収める姿も見受けられました。
 因みに現在使われている新暦では、桃の節供に自然界で桃の花が咲いているというのはまず見ません。
 本暦(旧暦)で今年の3月3日を当てはめると、新暦4月19日がそれに当たりまして、この頃だと山梨県の桃源郷あたりでは、それは見事な光景が広がっていることでしょう。
 久し振りに、石和温泉あたりでゆっくりするのも良いかなと思う宮司。でも甲州ワインが目当てかもしれませんが・・・
 
晴天のさくら天下祭り2 [令和8年3月22日]

「宗家と殿様」

「錦絵と同じ構図」

「子供達みんなで記念写真」

「頑張れもう少し!!」

「見事到着」

「宮司も見たかった」
 余り観光に力を入れていない当地佐倉ですが、それでもインバウンド客の姿を普通に見かけるようになりました。
 お賽銭にも外国硬貨が流行病前暗いの比率で入るようになり、後日の七峯で取り上げようと思いますが、中東でドンパチやっている国の紙幣も。
 今日は珍しい参拝者もありまして、なんと狸。城址公園など自然豊かな土地なので、時折見かけますが、大体が皮膚病気にかかって毛が抜けている子ですが、今日の子は狸らしい姿でした。
 自然界に生きる動物は色々な菌を持っているので、見かけても触らずに、そして知らんぷりをして下さいね。
 さて、昨日行なわれた「さくら天下祭り」の続編となる今日の七峯は本題に入ってまいりますね。
 徳川宗家19代目当主の徳川家広様の講演から始まった、宮司の長い1日。
 講演では溢れんばかりの知識とウィットに富んだ内容で、あっという間の1時間。もっと聞きたいなと思わせる話術も傾倒に値します。
 講演会後、山車出発セレモニー会場となる城址公園に移動しますが、その間にも佐倉囃子の音色が聞こえてきて、嫌がおうにも気持ちが高ぶってきます。
 ここでの宮司は開会の挨拶という、普段では何でも無いような事なのですが、徳が宗家と堀田様。そして上総一宮藩主家である加納家当代もお越しになった状態では、何となくの挨拶も出来るわけがなく・苦笑
 はは〜ん、このあたりに宮司を持ってくればセレモニーは賑やかに始まるだろうという、実行委員会の面々が考えそうなことだと、気持ち良く挨拶を致しました・笑
 そのバックには錦絵と同じ構図で、横町と二番町の玉乃井龍神人形を乗せた肴町の山車が並んでおり、それだけでも成功の2文字が頭に浮かんだのです。
 セレモニーの後は、佐倉と日本橋から来てくれた小学生が山車曳きを体験して、「えっさのこらさのえっさっさ」の掛け声も賑やかに城址公園を出発。山車2本は麻賀多神社へと進むのでした。
 そのころ神社では佐倉囃子保存会の奉納演奏と江戸里神楽が奉奏され、臨時むすびマルシェも開催したので、多くの参拝者が集まっておりました。
 お囃子の音色で山車が神社に近づくのが解る中、一足先に徳川宗家と堀田様ご夫妻、そして加納家御当主が神社に到着。
 御殿にご案内をして、智勇権禰宜奉仕による正式参拝を執り行い、銘銘に玉串奉奠を頂きました。
 時代は違えど将軍と老中が同席し、麻賀多様の御神前で拝礼をされる。宮司としてこの上ない歓びと感動です。
 参拝後には新社務所文化財収蔵庫に展示をしている甲冑2領と大神輿のご説明をして、興味津々の宗家には沢山の質問を頂きました。
 そうこうしているうち肴町の山車が神社西側の道に入ってきました。これこそ麻賀多神社史上初の出来事が始まる瞬間です。
 当社は土地の形状により、山車や曳き廻し屋台の御神酒所を境内に曳き入れることが出来ませんでした。
 この度、新社務所建設において道路からのスロープを開設したので、大きさにもよりますが山車が境内に入ることが出来るようになったのです。
 この提案、実は宮司がしたもので、最初に話したときは実行委員会の面々。皆が鳩が豆鉄砲を食ったような顔つきとなりました。
 本当に良いんですか!?と。宮司だって冗談でこんな提案はしませんので、勿論!!と答えると、まあ喜んだこと喜んだこと・微笑
 でもね、予行練習はしてませんしの一発勝負。当然事故なんてあってはいけませんので、慎重な中に力強く山車が上がってきました。
 上がり切ったときの歓声と拍手は凄まじいものがあり、地面に敷いた工事用のゴムマットを移動しながら参道中央に到着となりました。
 曳き廻しをした肴マシと二番町の皆、一同整列をして宮司がお祓いを行ない、高橋利式実行委員長が玉串奉奠。合せて参列者が列拝を行ないました。
 宮司も参加者もそれぞれに念願叶ってという事でしょう。互いに目頭が熱くなるのを感じながらの談笑。
 当然ながら、秋の御例祭も上がっていいですかとの声に、工事用マットの準備と撤収は各町内でやるのが条件と。さて、どうなりますやら。
 山車の向きを変えて記念撮影。そこから今日から展示となる夢咲くら館に出発した山車は、スロープの下りを上りよりも慎重に下りていきました。
 ここまで来れば宮司の役目はほぼ完了。しかしこれからが長いのでして、お囃子と里神楽を奉仕してくれた佐倉囃子保存会と東京からの車中の方々との打ち上げに参加。
 やっぱりねぇ、お祭りに関わる方々との酌み交わしと語らいって時間を忘れるんですよ・笑
 そんなこんなで今朝も気分良く起床。朝拝からの境内は、昨日の賑わいもどこへの静けさ。
 石畳の参道には車輪の跡が付いており、祭りの後を感じさせるのです。
 今回の行事を行なうにあたり、当然ながら沢山の方々の協力と実動、激励を頂きました。
 宮司は実行委員会顧問という立場ではありますが、この場を借りまして厚く厚く御礼を申し上げます。ありがとうございました。
 今回はここまでやりましたからね、来年はどうやるんだろう。成功の余韻に浸っている場合ではない実行委員会の面々。お判りでしょうね・笑
 
晴天のさくら天下祭り1 [令和8年3月21日]

「徳川家広様と宮司」

「参入後に堀田様方と」

「2本の山車の前で演奏」
 昨日の小雨も上がりました。雲一つ無い晴天。1年前は天気予報がはずれて雨となってしまった「さくら天下祭り」。待ちに待った日の始りです。
 そもそも論の「さくら天下祭り」とはですが、麻賀多神社氏子町に肴町と二番町がございまして、それぞれに江戸型山車を所有しております。
 元元は江戸山王祭で曳き廻しをされていたもので、明治12年(1879)に関岡装束店を通じて佐倉へやって来た山車7本の内とされます。
 ここからがミステリーなのですが、山王御祭礼番付25番として曳き廻されていた檜物町の山車と人形が、本来はセットであるべきなのに山車が肴町、人形が二番町へ納品されたのです。
 爾来、それらが一緒になることはなく、山車自体も破損したため、秋の御例祭時にはそれぞれ人形のみを飾るようになりました。
 時は過ぎて平成の末から令和に掛けて、氏子町の中で山車復活の気運が高まり、二番町に続いて肴町も見事に復元と山車曳き廻しが復活したのです。
 ここからがポイント。そうなったであれば、江戸の町を曳き廻していた姿を見てみたいと思うのが人情。
 しかしながら、御例祭時にはそういう事は出来るはずもなく、であれば御例祭日以外、それもお祭りの準備が本格化する前の時期に出来ないかと、関係者が思案して桜が咲く頃であろう3月末に行なう事としたのです。
 要素としてはこれで仕舞いとなったのではなく、番付25番にはもう1本、上槇町の石橋(しゃっきょう)山車がありまして、絵図や錦絵に2本の山車が並んでいる姿が描かれています。
 この山車も氏子町の横町に来ており、そうとなれば錦絵のまんまに再現しようではないかと、段々話が大きくなっていきました。
 冒頭にも書いたように、昨年は雨で中止となり、肴町の山車は夢咲くら館(新図書館)内に展示をして、セレモニーとお囃子の披露で相済ませました。
 その反動もあり、今年こそはと意気込んで計画を練り直していく内に、天下祭りとは徳川将軍の上覧があったので名付けられた由を鑑み、その子孫である徳川宗家に来倉頂けないか。
 そして家臣である私達の殿様、堀田様に同席頂く事は可能かとなったのです。
 このあたりで段々と宮司への依頼事項が増えてまいりまして、ああ完全に取り込まれたなと・笑
 そんなこんなで宮司はさくら天下祭り実行委員会顧問を拝命しまして、途中を省きますが今日を迎えたわけです。
 今日のスケジュール。先ず午前11時から国立歴史民俗博物館講堂で徳川宗家19代目当主の徳川家広様より「徳川宗家と佐倉藩・411年の時を超えて交わる歴史」と題しての講演。
 午後1時からは佐倉城址公園にて山車2本の出発セレモニーからの、佐倉と日本橋の小学生による山車曳き体験。
 そしてクライマックスとなる、肴町の山車が麻賀多神社境内に参入が行なわれます。
 と書いたところで、このままだと長大な文章量となるので、続きは明日の七峯に致します。
 
さくら天下祭り協賛提灯 [令和8年3月20日]

「始めて見る絵面」

「新社務所テラスにも」
 昨日行なわれた日米首脳会談。今日は晩餐会とかで、高市首相とトランプ大統領が和やかに談笑する姿が、ほぼ生中継で朝の情報番組に流れていました。
 両首脳の和やかなのと正反対なのが中継を見るスタジオ内の面々で、朝から仏頂面をさらけ出すなと思いつつ、この方々の不機嫌さなのは首脳会談は成功したとみるのが宜しいので・笑
 しかしまぁトラやんは、例え話として事あるごとに80年前の話を持ち出しますが、そもそもの使い方が紛らわし間違っておりますので、今更説明したところで直るわけもないので、その点は放っておきましょう。
 今日は春分の日、お彼岸の中日で三連休の初日。予報に反して小雨が降ったのでお墓参りを明日以降にした方もいることでしょう。
 宮司は神葬祭の奉仕があり、祈祷番と朱印奉書は智勇権禰宜が担当。お参りも多いかと巫女さんも3人体制でしたが、この空模様だったので祝辞ついしては少なく、その分に社務室での手仕事が捗ったようです。
 斎場から戻りましたら、明日に行なわれる「さくら天下祭り」に協賛頂いた企業の提灯が、御殿前と新社務所テラス下に掲げる作業が完了しておりました。
 御殿前は鉄管パイプを骨組みとして、そこに協賛企業名の入った高張提灯を吊しており、東京のお祭りや酉の市などで見る形状と同じです。
 テラス下ですが、ここには手摺りにフックが付けられており、そこに紐を通して提灯を吊り下げてあります。
 神社の年中行事において紋幕を張ったり風鈴などを吊すために、宮司の希望により設計段階から取り付けが決まっておりました。
 部分使用となり、まさか計画していた行事で使うよりも早く、臨時とは言え別の行事で使う事になるとは考えもせず、新たな活用法が増えて良かったです。
 明日のさくら天下祭りでは、肴町の山車に二番町の玉乃井龍神人形が乗った状態の、江戸で曳かれていた姿で社参となります。
 また国立歴史民俗博物館で特別講演をされた徳川宗家当代の徳川家広様が来社し、佐倉藩主家当代の堀田正典様と共にその光景をご覧になります。
 現代に将軍家と譜代大名の雄が居並ぶ姿。正式参拝のご奉仕は宮司が務めますが、今から緊張の禁じ得ません。
 明日は天気も回復して気温も上がるので、花粉も多く飛ぶと思われます。それに備えをして、麻賀多神社における歴史的瞬間に立ち向かいます。
 
甲冑2領を展示しました [令和8年3月19日]

「文化財収蔵庫の全景」

「紫裾濃胴丸」

「紺糸威桶側胴具足」
 ペルシャ湾では原油が大量流出し、沖縄の辺野古沖の沈没事故では左翼の活動家を市民団体と表記した日本テレビ系列の情報番組が炎上し。
 それぞれには原因があるんだけど、火のないところに火を付けるのが好きな人種っているんですよね。
 平和が付けば何でも許されると思うのがおこがましくて、平和や市民というワードが付くと胡散臭いとしか思えない宮司でございます。
 さて、一昨年より横浜の西岡甲房にて修理を行なっていた甲冑「紫裾濃胴丸」が、本日午後2時過ぎに麻賀多神社へ戻ってまいりました。
 この甲冑は佐倉藩主堀田正愛公の着具で、2代後で最後の藩主である堀田正倫公が明治4年(1871)に、廃藩置県に際して佐倉から東京へ移住する際に、堀田家系図2巻に御神酒を添えて奉納したものです。
 長年、旧神輿倉の奥に仕舞われており、佐倉市政の周年行事などの特別展に貸し出しをしておりました。
 この度、千葉県と佐倉市からの補助を頂き、神社会計よりも負担を行なっての修理となりました。
 修理前に目立っていた糸の解れや漆塗りのひび割れ、布の裂も綺麗に修復され、特に兜の前立ての龍は見事な出来映えです。
 紫裾濃胴丸の帰社に先立ち、午前10時からは佐倉藩筆頭家老である佐治家より、同じく明治期に奉納された甲冑「紺糸威桶側胴具足」を新社務所待合室に併設した文化財収蔵庫に飾り付けを行ないました。
 紫裾濃胴丸が大鎧の大名道具とするならば、こちらは実践に用いるタイプで、佐倉藩上級武士が用いた甲冑の基本となる姿をしております。
 飾り付けをしている時間に佐治家現当主の佐治洋之助さんが、旧佐倉藩士の親睦団体である佐倉藩友会の御用で脇谷義朗会長と来社。
 飾り付けを担当してくれた佐倉市文化課員の皆さんと、しばしば懇談する一場面もありました。
 藩友会において佐治さんは長く会長を務められ、今現在は名誉会長に就かれております。宮司も沢山の事を教えて頂いた恩人です。
 話を紫裾濃胴丸に戻しますと、飾り付けの際には千葉日報とケーブルネット296の取材がありまして、いずれの時にか掲載と放映のご案内が出来ると思います。
 文化財収蔵庫の真ん中には大神輿。その左右の展示室に、飾り付けが済んだ甲冑が収められております。
 展示室は全面杉の板目貼りで、それぞれにエアコンと換気扇の空調設備が完備。照明も調光が可能となっており、紫外線を遮断する対策も取っている本格仕様です。
 明日より一般公開となりますが、場所が待合室兼会議室なので、祈祷が多い時や神社行事で拝観をお断りする場合もありますので、予めご了承下さい。
 明後日21日には「さくら天下祭り」に徳川宗家が来倉。堀田家当主の堀田正典様と共に来社を致します。
 甲冑の飾り付けは兎に角間に合って良かったのです。そして甲冑の奥に掛ける紋幕は間に合いませんでしたので、本竣工の時に・・・
 
新社務所表札が掛かりました [令和8年3月18日]

「結構大きいです」

「おねむの令麻ちゃん」
 神社の前は佐倉城へ続く大手通、別名は追手通りで昔はお侍さん、今は学生達の通学路となっております。
 3月も半ばを過ぎまして今日は18日。近隣では佐倉東高校、佐倉中学校、佐倉小学校の卒業式が順番に行なわれ、毎年のことではありますが、今の時季は日に日に歩く人の数が少なくなってきます。
 明日からはもう6人減りまして、その子達とは神社裏手にある佐倉市立佐倉幼稚園の園児さん達。
 創立以来112年を誇る佐倉幼稚園も今年度末で閉園となり、今日は最後の園児6人の卒園式です。
 神社とも深い関わりがある佐倉幼稚園。少子化や佐倉市の方針、諸々を勘案しての閉園。寂しい気持ちで一杯ですが、最後の卒園生を笑顔で見送りたいと思います。
 卒園と言うことは今は6歳で、新年度に7歳になるんですね。昨日ですが、麻賀多神社の生き狛犬6匹の令麻が7才の誕生日を迎えました。
 平成31年3月17日に生まれ、徳島から佐倉に来たのが令和元年5月。共に麻で繋がる地域で令和元年なので令麻と命名しました。
 その令麻も2匹の孫がいるグランマ。その孫達も先だってに3才となったので、そろそろお嫁さんを貰う適齢期。
 血の繋がった子孫を残すのも大事だし、これ以上の多頭飼いが負担も大きい。さてどうしたものかと思案する宮司であります。
 今週は出入りが多い宮司のスケジュール。今日も月曜日に続いて神社庁での会議がありまして、七峯を書上げたら出向してまいります。
 その慌ただしい中にも、新社務所本体の残工事もほぼ完了して、正面のメイン玄関に「麻賀多神社社務所」の表札が掲げられました。
 今月10日の七峯にも書きましたが、新社務所を建設するに当たって伐採した公孫樹を使っており、木肌も大変美しい仕上がり。
 境内西側、佐倉幼稚園に繋がる通り沿いにあった木で、沢山の園児と保護者を見守ってきました。
 実は成らなかったので雄の木ですね。銀杏は雌雄があり、雌の木から取った板は濡れると銀杏の匂いがすると言われておりますが、真偽はいかに。
 只今お昼の12時。幼稚園の方からファンファーレが聞こえました。卒園生を見送る時間となったのでしょう。
 それを聞いた巫女さん達2人は佐倉幼稚園の卒園生。そして智勇権禰宜も同じく卒園生。それぞれの目には光るものがありました。
 今月25日には佐倉幼稚園閉園式が行なわれます。宮司宛にご案内状を頂きましたが、当日は卒園生でもある智勇権禰宜が麻賀多神社を代表して参列します。
 
境内樹木の枝払い [令和8年3月17日]


 残念というか、何やらしてんだという気持ちが溢れす。京都にある同志社国際高校の修学旅行で高校生ら2人が、船の転覆で死亡したという記事。
 場所は沖縄県名護市の辺野古沖。これを書くとただの修学旅行ではないと、気付く方も多いと思われます。
 今現在、辺野古では普天間基地の移設に伴う工事が行なわれており、その付近ではレフトサイドの一団が反対活動を行なっています。
 高校生を乗せた船。これが反対活動家のもので、平和丸と不屈という船名が事情を物語っておりますね。
 この船に乗船をしての「平和教育」。この段階で同志社国際高校がそちらの思想を推し進めているとしか思えません。
 船を運航している団体では、学校側からの要請だったとして「何年も前から」やっているんだとか。
 当時現場海域には波浪注意報が出されていたそうですが、それ以前に問題は無かったのでしょうか。亡くなられた方のご冥福をお祈り致します。
 今日は智勇権禰宜が公休で、祈祷番と外祭は宮司が担当しております。働いていますねぇ。
 昨日の七峯でも書きましたが、新社務所北側では土留めの擁壁工事が行なわれており、設計監理の森田建築設計事務所の皆さんも確認のために来社中。なので結構賑やかです。
 それに輪を掛けているのが、木造社務所前にある楠と銀杏の枝払い作業で、造園屋さんが高所作業車に乗りチェーンソーで手際よく伸びた枝を伐採しております。
 新社務所の建設に伴い、境内西側の市道からのスロープを作りましたが、これによって今回のような高所作業車の進入や大型の荷物搬入が容易になりました。
 大掛かりな枝払いを行なったのはかれこれ20年ほど前になりまして、それ以降は足場を組んだり樵さんがロープを使って木に登ったりと、人工だけでもかなり掛かったんですよ。
 今回の枝払いは枝が伸びたことにもよるのですが、この21日に行なわれる「さくら天下祭り」で肴町の山車が境内に入ることになり、その影響も考慮しての作業となりました。
 楠は樟脳の原材料としても知られており、枝を切ったところからも清清しい香りが境内に漂ってきました。
 生きている木に刃物を入れるのは偲びありませんが、落枝による事故防止と木々の育成のために、定期的に行ないたいと思います。
 
外構工事が始まりました [令和8年3月17日]

「新社務所裏手」

「例祭後の御神酒拝受」
 今日は千葉県神社庁の月一役員会でして、12時半より約2時間。なかなか濃い内容の議題を話し合いました。
 通常であれば午後1時半からの役員会なのですが、今日は午後3時から神社庁神殿例祭が行なわれるので、時間を早めての役員会なんですよ。
 神殿は神社庁庁舎の2階に鎮座しており、天照大神を始め県内神社全ての祭神をお祀りしております。
 なので、役員会や研修会の前には参加者全員が修祓を受けて神殿拝礼を行なうのが常でありまして、その際の祭員は神社庁の職員が務めます。
 神殿では例祭の他に毎日の日供祭、毎月朔日の月次祭、恒例祭典の新嘗祭なども齋行されるんですよ。
 その中でも例祭と神宮大麻暦頒布始め・また終了奉告祭と御用始祭は神社庁祭儀部の正副部長が交代で斎主を務め、その重きを感じます。
 役員期の開始時間が1時間早いと、その分佐倉を出発する時間も早くなるので、何かとリズムが変わってきます。
 なかなか慌ただしい午前中を過ごしましたが、今現在神社の境内では新社務所の外構工事が始っております。
 場所としては新社務所の北側にあたり、先ずは土留めの擁壁を作り、そこに掘削した土を戻す工事です。
 この擁壁は雨などによる土の流出を防ぐばかりでなく、職員通路も兼ねた階段も併設します。
 そして一番大事なのが、土を埋め戻した場所に本殿東側に仮遷座中の若宮稲荷神社を、元の場所に近い工事エリアに正遷座する為なのです。
 新社務所の新築を行なうに当たって、境内樹木の伐採や造成から始めましたが、それに伴って若宮稲荷神社と恵比寿様の疱瘡神社を本殿東側に仮遷座しました。
 疱瘡神社は移した場所にそのまま鎮座となりますが、お稲荷様は新社務所に併設した千本鳥居と一体になる計画で、鳥居の正面も擬木の壁を作ります。
 ここまで行なうと、完成形は4月中下旬になる予定で、5月下旬に齋行する新社務所竣工奉告祭には間に合うと思われます。と言うか、間に合わせます・笑
 外構屋さんの頑張る仕事ぶりと進捗状況は、宮司の気分次第ですが七峯で続報をお伝えしたいと思います。
 
スギ花粉にやられております [令和8年3月15日]

「原材料が見ますね」

「新社務所開け放っております」
 第6回ワールド・ベースボール・クラシックの準々決勝。日本はベネズエラと対戦しましたが、残念なことに5対8で敗れました。
 1回にはDHの大谷翔平選手が先頭打者ホームランを打ち先制。その後も得点を重ねましたあ、終盤に逆転を許しました。
 予選を全勝した日本。期待も大きかったのは言うまでもありませんが、WBCで4強入りを逃したのは初めてで、それだけに残念でなりません。
 ここまで頑張ってくれた選手達に労いと感謝を思いつつ、この結果からどこが優勝するんだろうという、新たな楽しみに思いを替えて大会の推移を見守りたいと思います。
 しかしながら、日本敗退のすぐにネット上では大会を唯一生配信しているNetflixの解約がトレンドに上がるなど、折角だから決勝まで見ようよという気がする宮司です。
 「桜に染まるまち佐倉2026」開催中の当地では、昨日は新町通りにおいて「シンマチマーケット」が。今日は佐倉城址公園でロックソーランと時代衣装を着ての「sakuraタイムトラベル」が行なわれました。
 お天気も良く、城址公園方面に向かう人の波が神社の前を通っていきまして、帰りにお待ちしております的な心持ちで見送りました・笑
 毎年今年も多く飛散すると言われるスギ花粉。これって赤ワインのボージョレヌーボーが、今年の出来も最高ですよと「今年も」を前提にしているのと同じなんじゃ無いかと思う宮司ですが、ボージョレヌーボーは好きな方が購入すれば良いんだけれど、スギ花粉はそうも行きませんで・苦笑
 宮司が花粉症と自覚したのは約15年くらい前。それまでも春になるとちょっとしたクシャミをして、ちょっと鼻がムズムズしておりました。
が、これは花粉所では無い。季節の変わり目に身体が順応するように頑張ってくれているんだと言い聞かせておりました・笑
 でもね、花粉症特有のツーッと垂れる鼻水の存在に気付いたとき、嗚呼やっぱり花粉症だったのねと観念をしたのです。
 今日もよく飛んでおりますね。黒の車体にほんのり黄色の薄化粧なんて艶っぽいことを書いてみても、鼻のムズムズと目の痒みは治まってくれませんで、顔へのミストやら目薬やらで紛らわしております。
 予報では今がピークなスギ花粉ですが、このピークが今年は長いそうで、それってピークって言うのか?と甚だ疑問。
 とある予報だと4月上旬まで引っ張るのではとあるので、花粉症が重症の方には辛い日々であろうと思います。
 朝に城址公園へお見送りをしたかたのいくらかが、その帰り道に来社したようで、お昼少し前から社頭は結構な賑わいとなりました。
 新社務所のメインゲートは大型のガラス戸を左右に引く形状なので、入館の度に開け閉めをしていると結構な音が立ちます。
 なので、お参りの多いときは引き戸をフルオープンにして、スムーズに入退館が出来るようにしているんですよ。
 そして硝子越しではない授与所から見ると、目の前には花粉嚢がびっしりと付いた雄の杉の木が。ここからも飛んできているんですね。
 今週に境内樹の枝払い作業を行なうので、杉も追加して貰おうかな。ちょっとでも現在業が少なくなると気分も違うかもしれません。
 
止め石 [令和8年3月14日]

「リアルですよね」

「手が止まるのです」
 中道なんとかの小川代表が政治資金パーティーについて、「自粛どころか奨励したい」と発言したそうな。
 確か前身の立憲民主党は自民党議員の政治資金不記載問題に関連して、自党では政治資金パーティーを全面禁止する法案を提出していたはず。
 ここなんですよ、民主党系って政党ロンダリングという技を使うのを皆さんはご存じでしょうか?
 政党を解散したり新設したりを繰り返すことによって、それまでの主張を「それは別の政党だから」と無いことにする、アレです。
 立憲民主党からの中道なんとかは見事にそれを継承しておりまして、ブーメランとの二本柱のお家芸なのです。
 因みにブーメランと言えば、今国会での予算委員会で予算案の年度内成立を目指す高石首相が土日の委員会開催を呼びかけましたね。
 それに真っ向反対したのが中道なんとかに所属する立憲系議員。画面が汚れるので誰とは書きませんが、確かその方は土曜日も委員会を開催しろと、聞くのもおぞましいくらいに声高に叫んでいましたよね。
 消滅にひた走る中道なんとか。参議院からの合流はないんだろうな・笑
 今日の宮司は午前中に千葉県立佐倉高等学校の敷地内で、樹木伐採安全祈願祭を奉仕して参りました。
 地元の名門佐倉高校。現在記念館として使われている校舎は明治期に佐倉藩最後の藩主である堀田正倫公が私費で建てたもので、国登録有形文化財に指定されています。
 その裏側に大きな楠があり、シンボルツリー的な存在なのですが、根が張って回りの地面をを押し上げ、それが記念館の下へも伸びているので、やむなく伐採する事になったそうです。
 帰社してからはいつもの「ながら引っ越し」をしつつ御朱印奉書をして夕刻の七峯となりました。
 今日は木造社務所から新社務所へ書籍を何冊か運んで、その中には正倫公の父上に当たる堀田正睦公の評伝も。
 正睦公は麻賀多神社現社殿を造営されたお殿様。江戸幕府の老中首座として日本を開国へ導いた方でも有ります。
 こういう本を見つけると、引っ越しやお方付けの手は止まるもの。表紙は開いてはいけないのです・笑
 正睦公の本はまた改めて読むとして、新社務所の工事も残すところ僅かになり、各所の表示マークが取り付けられました。
 その中には「?」と思われるものもあるかもしれませんで、「進入禁止」の文字の上には棕櫚縄で結ばれた石の絵が。
 これ、「止め石」と言いまして、日本庭園や神社仏閣の境内などで見かけることがあるかもしれません。
 役割としては、そこから先は立ち入り禁止。脚を進めるのをご遠慮頂く印でして、単なるオブジェではないんですね。
 進入禁止の道路標識のようなもので、入っちゃダメの意味だけではなく結界を表わすときもあるんですよ。
 また名称も沢山有って、関守石や留め石、極石や踏止石なんてのもと、これって作庭の流派とかで違うんですかね。
 今日、樹木伐採のお祓いでは造園屋さんが施行として参列していたから、聞けば良かったかな。う〜ん、惜しいことをしました。
 止め石、日本が左翼勢力により有らぬ方向へ行かないように、そちらの進路にも置いておきましょうか。