七峯の丘から

さくら天下祭り協賛提灯 [令和8年3月20日]

「始めて見る絵面」

「新社務所テラスにも」
 昨日行なわれた日米首脳会談。今日は晩餐会とかで、高市首相とトランプ大統領が和やかに談笑する姿が、ほぼ生中継で朝の情報番組に流れていました。
 両首脳の和やかなのと正反対なのが中継を見るスタジオ内の面々で、朝から仏頂面をさらけ出すなと思いつつ、この方々の不機嫌さなのは首脳会談は成功したとみるのが宜しいので・笑
 しかしまぁトラやんは、例え話として事あるごとに80年前の話を持ち出しますが、そもそもの使い方が紛らわし間違っておりますので、今更説明したところで直るわけもないので、その点は放っておきましょう。
 今日は春分の日、お彼岸の中日で三連休の初日。予報に反して小雨が降ったのでお墓参りを明日以降にした方もいることでしょう。
 宮司は神葬祭の奉仕があり、祈祷番と朱印奉書は智勇権禰宜が担当。お参りも多いかと巫女さんも3人体制でしたが、この空模様だったので祝辞ついしては少なく、その分に社務室での手仕事が捗ったようです。
 斎場から戻りましたら、明日に行なわれる「さくら天下祭り」に協賛頂いた企業の提灯が、御殿前と新社務所テラス下に掲げる作業が完了しておりました。
 御殿前は鉄管パイプを骨組みとして、そこに協賛企業名の入った高張提灯を吊しており、東京のお祭りや酉の市などで見る形状と同じです。
 テラス下ですが、ここには手摺りにフックが付けられており、そこに紐を通して提灯を吊り下げてあります。
 神社の年中行事において紋幕を張ったり風鈴などを吊すために、宮司の希望により設計段階から取り付けが決まっておりました。
 部分使用となり、まさか計画していた行事で使うよりも早く、臨時とは言え別の行事で使う事になるとは考えもせず、新たな活用法が増えて良かったです。
 明日のさくら天下祭りでは、肴町の山車に二番町の玉乃井龍神人形が乗った状態の、江戸で曳かれていた姿で社参となります。
 また国立歴史民俗博物館で特別講演をされた徳川宗家当代の徳川家広様が来社し、佐倉藩主家当代の堀田正典様と共にその光景をご覧になります。
 現代に将軍家と譜代大名の雄が居並ぶ姿。正式参拝のご奉仕は宮司が務めますが、今から緊張の禁じ得ません。
 明日は天気も回復して気温も上がるので、花粉も多く飛ぶと思われます。それに備えをして、麻賀多神社における歴史的瞬間に立ち向かいます。
 
甲冑2領を展示しました [令和8年3月19日]

「文化財収蔵庫の全景」

「紫裾濃胴丸」

「紺糸威桶側胴具足」
 ペルシャ湾では原油が大量流出し、沖縄の辺野古沖の沈没事故では左翼の活動家を市民団体と表記した日本テレビ系列の情報番組が炎上し。
 それぞれには原因があるんだけど、火のないところに火を付けるのが好きな人種っているんですよね。
 平和が付けば何でも許されると思うのがおこがましくて、平和や市民というワードが付くと胡散臭いとしか思えない宮司でございます。
 さて、一昨年より横浜の西岡甲房にて修理を行なっていた甲冑「紫裾濃胴丸」が、本日午後2時過ぎに麻賀多神社へ戻ってまいりました。
 この甲冑は佐倉藩主堀田正愛公の着具で、2代後で最後の藩主である堀田正倫公が明治4年(1871)に、廃藩置県に際して佐倉から東京へ移住する際に、堀田家系図2巻に御神酒を添えて奉納したものです。
 長年、旧神輿倉の奥に仕舞われており、佐倉市政の周年行事などの特別展に貸し出しをしておりました。
 この度、千葉県と佐倉市からの補助を頂き、神社会計よりも負担を行なっての修理となりました。
 修理前に目立っていた糸の解れや漆塗りのひび割れ、布の裂も綺麗に修復され、特に兜の前立ての龍は見事な出来映えです。
 紫裾濃胴丸の帰社に先立ち、午前10時からは佐倉藩筆頭家老である佐治家より、同じく明治期に奉納された甲冑「紺糸威桶側胴具足」を新社務所待合室に併設した文化財収蔵庫に飾り付けを行ないました。
 紫裾濃胴丸が大鎧の大名道具とするならば、こちらは実践に用いるタイプで、佐倉藩上級武士が用いた甲冑の基本となる姿をしております。
 飾り付けをしている時間に佐治家現当主の佐治洋之助さんが、旧佐倉藩士の親睦団体である佐倉藩友会の御用で脇谷義朗会長と来社。
 飾り付けを担当してくれた佐倉市文化課員の皆さんと、しばしば懇談する一場面もありました。
 藩友会において佐治さんは長く会長を務められ、今現在は名誉会長に就かれております。宮司も沢山の事を教えて頂いた恩人です。
 話を紫裾濃胴丸に戻しますと、飾り付けの際には千葉日報とケーブルネット296の取材がありまして、いずれの時にか掲載と放映のご案内が出来ると思います。
 文化財収蔵庫の真ん中には大神輿。その左右の展示室に、飾り付けが済んだ甲冑が収められております。
 展示室は全面杉の板目貼りで、それぞれにエアコンと換気扇の空調設備が完備。照明も調光が可能となっており、紫外線を遮断する対策も取っている本格仕様です。
 明日より一般公開となりますが、場所が待合室兼会議室なので、祈祷が多い時や神社行事で拝観をお断りする場合もありますので、予めご了承下さい。
 明後日21日には「さくら天下祭り」に徳川宗家が来倉。堀田家当主の堀田正典様と共に来社を致します。
 甲冑の飾り付けは兎に角間に合って良かったのです。そして甲冑の奥に掛ける紋幕は間に合いませんでしたので、本竣工の時に・・・
 
新社務所表札が掛かりました [令和8年3月18日]

「結構大きいです」

「おねむの令麻ちゃん」
 神社の前は佐倉城へ続く大手通、別名は追手通りで昔はお侍さん、今は学生達の通学路となっております。
 3月も半ばを過ぎまして今日は18日。近隣では佐倉東高校、佐倉中学校、佐倉小学校の卒業式が順番に行なわれ、毎年のことではありますが、今の時季は日に日に歩く人の数が少なくなってきます。
 明日からはもう6人減りまして、その子達とは神社裏手にある佐倉市立佐倉幼稚園の園児さん達。
 創立以来112年を誇る佐倉幼稚園も今年度末で閉園となり、今日は最後の園児6人の卒園式です。
 神社とも深い関わりがある佐倉幼稚園。少子化や佐倉市の方針、諸々を勘案しての閉園。寂しい気持ちで一杯ですが、最後の卒園生を笑顔で見送りたいと思います。
 卒園と言うことは今は6歳で、新年度に7歳になるんですね。昨日ですが、麻賀多神社の生き狛犬6匹の令麻が7才の誕生日を迎えました。
 平成31年3月17日に生まれ、徳島から佐倉に来たのが令和元年5月。共に麻で繋がる地域で令和元年なので令麻と命名しました。
 その令麻も2匹の孫がいるグランマ。その孫達も先だってに3才となったので、そろそろお嫁さんを貰う適齢期。
 血の繋がった子孫を残すのも大事だし、これ以上の多頭飼いが負担も大きい。さてどうしたものかと思案する宮司であります。
 今週は出入りが多い宮司のスケジュール。今日も月曜日に続いて神社庁での会議がありまして、七峯を書上げたら出向してまいります。
 その慌ただしい中にも、新社務所本体の残工事もほぼ完了して、正面のメイン玄関に「麻賀多神社社務所」の表札が掲げられました。
 今月10日の七峯にも書きましたが、新社務所を建設するに当たって伐採した公孫樹を使っており、木肌も大変美しい仕上がり。
 境内西側、佐倉幼稚園に繋がる通り沿いにあった木で、沢山の園児と保護者を見守ってきました。
 実は成らなかったので雄の木ですね。銀杏は雌雄があり、雌の木から取った板は濡れると銀杏の匂いがすると言われておりますが、真偽はいかに。
 只今お昼の12時。幼稚園の方からファンファーレが聞こえました。卒園生を見送る時間となったのでしょう。
 それを聞いた巫女さん達2人は佐倉幼稚園の卒園生。そして智勇権禰宜も同じく卒園生。それぞれの目には光るものがありました。
 今月25日には佐倉幼稚園閉園式が行なわれます。宮司宛にご案内状を頂きましたが、当日は卒園生でもある智勇権禰宜が麻賀多神社を代表して参列します。
 
境内樹木の枝払い [令和8年3月17日]


 残念というか、何やらしてんだという気持ちが溢れす。京都にある同志社国際高校の修学旅行で高校生ら2人が、船の転覆で死亡したという記事。
 場所は沖縄県名護市の辺野古沖。これを書くとただの修学旅行ではないと、気付く方も多いと思われます。
 今現在、辺野古では普天間基地の移設に伴う工事が行なわれており、その付近ではレフトサイドの一団が反対活動を行なっています。
 高校生を乗せた船。これが反対活動家のもので、平和丸と不屈という船名が事情を物語っておりますね。
 この船に乗船をしての「平和教育」。この段階で同志社国際高校がそちらの思想を推し進めているとしか思えません。
 船を運航している団体では、学校側からの要請だったとして「何年も前から」やっているんだとか。
 当時現場海域には波浪注意報が出されていたそうですが、それ以前に問題は無かったのでしょうか。亡くなられた方のご冥福をお祈り致します。
 今日は智勇権禰宜が公休で、祈祷番と外祭は宮司が担当しております。働いていますねぇ。
 昨日の七峯でも書きましたが、新社務所北側では土留めの擁壁工事が行なわれており、設計監理の森田建築設計事務所の皆さんも確認のために来社中。なので結構賑やかです。
 それに輪を掛けているのが、木造社務所前にある楠と銀杏の枝払い作業で、造園屋さんが高所作業車に乗りチェーンソーで手際よく伸びた枝を伐採しております。
 新社務所の建設に伴い、境内西側の市道からのスロープを作りましたが、これによって今回のような高所作業車の進入や大型の荷物搬入が容易になりました。
 大掛かりな枝払いを行なったのはかれこれ20年ほど前になりまして、それ以降は足場を組んだり樵さんがロープを使って木に登ったりと、人工だけでもかなり掛かったんですよ。
 今回の枝払いは枝が伸びたことにもよるのですが、この21日に行なわれる「さくら天下祭り」で肴町の山車が境内に入ることになり、その影響も考慮しての作業となりました。
 楠は樟脳の原材料としても知られており、枝を切ったところからも清清しい香りが境内に漂ってきました。
 生きている木に刃物を入れるのは偲びありませんが、落枝による事故防止と木々の育成のために、定期的に行ないたいと思います。
 
外構工事が始まりました [令和8年3月17日]

「新社務所裏手」

「例祭後の御神酒拝受」
 今日は千葉県神社庁の月一役員会でして、12時半より約2時間。なかなか濃い内容の議題を話し合いました。
 通常であれば午後1時半からの役員会なのですが、今日は午後3時から神社庁神殿例祭が行なわれるので、時間を早めての役員会なんですよ。
 神殿は神社庁庁舎の2階に鎮座しており、天照大神を始め県内神社全ての祭神をお祀りしております。
 なので、役員会や研修会の前には参加者全員が修祓を受けて神殿拝礼を行なうのが常でありまして、その際の祭員は神社庁の職員が務めます。
 神殿では例祭の他に毎日の日供祭、毎月朔日の月次祭、恒例祭典の新嘗祭なども齋行されるんですよ。
 その中でも例祭と神宮大麻暦頒布始め・また終了奉告祭と御用始祭は神社庁祭儀部の正副部長が交代で斎主を務め、その重きを感じます。
 役員期の開始時間が1時間早いと、その分佐倉を出発する時間も早くなるので、何かとリズムが変わってきます。
 なかなか慌ただしい午前中を過ごしましたが、今現在神社の境内では新社務所の外構工事が始っております。
 場所としては新社務所の北側にあたり、先ずは土留めの擁壁を作り、そこに掘削した土を戻す工事です。
 この擁壁は雨などによる土の流出を防ぐばかりでなく、職員通路も兼ねた階段も併設します。
 そして一番大事なのが、土を埋め戻した場所に本殿東側に仮遷座中の若宮稲荷神社を、元の場所に近い工事エリアに正遷座する為なのです。
 新社務所の新築を行なうに当たって、境内樹木の伐採や造成から始めましたが、それに伴って若宮稲荷神社と恵比寿様の疱瘡神社を本殿東側に仮遷座しました。
 疱瘡神社は移した場所にそのまま鎮座となりますが、お稲荷様は新社務所に併設した千本鳥居と一体になる計画で、鳥居の正面も擬木の壁を作ります。
 ここまで行なうと、完成形は4月中下旬になる予定で、5月下旬に齋行する新社務所竣工奉告祭には間に合うと思われます。と言うか、間に合わせます・笑
 外構屋さんの頑張る仕事ぶりと進捗状況は、宮司の気分次第ですが七峯で続報をお伝えしたいと思います。
 
スギ花粉にやられております [令和8年3月15日]

「原材料が見ますね」

「新社務所開け放っております」
 第6回ワールド・ベースボール・クラシックの準々決勝。日本はベネズエラと対戦しましたが、残念なことに5対8で敗れました。
 1回にはDHの大谷翔平選手が先頭打者ホームランを打ち先制。その後も得点を重ねましたあ、終盤に逆転を許しました。
 予選を全勝した日本。期待も大きかったのは言うまでもありませんが、WBCで4強入りを逃したのは初めてで、それだけに残念でなりません。
 ここまで頑張ってくれた選手達に労いと感謝を思いつつ、この結果からどこが優勝するんだろうという、新たな楽しみに思いを替えて大会の推移を見守りたいと思います。
 しかしながら、日本敗退のすぐにネット上では大会を唯一生配信しているNetflixの解約がトレンドに上がるなど、折角だから決勝まで見ようよという気がする宮司です。
 「桜に染まるまち佐倉2026」開催中の当地では、昨日は新町通りにおいて「シンマチマーケット」が。今日は佐倉城址公園でロックソーランと時代衣装を着ての「sakuraタイムトラベル」が行なわれました。
 お天気も良く、城址公園方面に向かう人の波が神社の前を通っていきまして、帰りにお待ちしております的な心持ちで見送りました・笑
 毎年今年も多く飛散すると言われるスギ花粉。これって赤ワインのボージョレヌーボーが、今年の出来も最高ですよと「今年も」を前提にしているのと同じなんじゃ無いかと思う宮司ですが、ボージョレヌーボーは好きな方が購入すれば良いんだけれど、スギ花粉はそうも行きませんで・苦笑
 宮司が花粉症と自覚したのは約15年くらい前。それまでも春になるとちょっとしたクシャミをして、ちょっと鼻がムズムズしておりました。
が、これは花粉所では無い。季節の変わり目に身体が順応するように頑張ってくれているんだと言い聞かせておりました・笑
 でもね、花粉症特有のツーッと垂れる鼻水の存在に気付いたとき、嗚呼やっぱり花粉症だったのねと観念をしたのです。
 今日もよく飛んでおりますね。黒の車体にほんのり黄色の薄化粧なんて艶っぽいことを書いてみても、鼻のムズムズと目の痒みは治まってくれませんで、顔へのミストやら目薬やらで紛らわしております。
 予報では今がピークなスギ花粉ですが、このピークが今年は長いそうで、それってピークって言うのか?と甚だ疑問。
 とある予報だと4月上旬まで引っ張るのではとあるので、花粉症が重症の方には辛い日々であろうと思います。
 朝に城址公園へお見送りをしたかたのいくらかが、その帰り道に来社したようで、お昼少し前から社頭は結構な賑わいとなりました。
 新社務所のメインゲートは大型のガラス戸を左右に引く形状なので、入館の度に開け閉めをしていると結構な音が立ちます。
 なので、お参りの多いときは引き戸をフルオープンにして、スムーズに入退館が出来るようにしているんですよ。
 そして硝子越しではない授与所から見ると、目の前には花粉嚢がびっしりと付いた雄の杉の木が。ここからも飛んできているんですね。
 今週に境内樹の枝払い作業を行なうので、杉も追加して貰おうかな。ちょっとでも現在業が少なくなると気分も違うかもしれません。
 
止め石 [令和8年3月14日]

「リアルですよね」

「手が止まるのです」
 中道なんとかの小川代表が政治資金パーティーについて、「自粛どころか奨励したい」と発言したそうな。
 確か前身の立憲民主党は自民党議員の政治資金不記載問題に関連して、自党では政治資金パーティーを全面禁止する法案を提出していたはず。
 ここなんですよ、民主党系って政党ロンダリングという技を使うのを皆さんはご存じでしょうか?
 政党を解散したり新設したりを繰り返すことによって、それまでの主張を「それは別の政党だから」と無いことにする、アレです。
 立憲民主党からの中道なんとかは見事にそれを継承しておりまして、ブーメランとの二本柱のお家芸なのです。
 因みにブーメランと言えば、今国会での予算委員会で予算案の年度内成立を目指す高石首相が土日の委員会開催を呼びかけましたね。
 それに真っ向反対したのが中道なんとかに所属する立憲系議員。画面が汚れるので誰とは書きませんが、確かその方は土曜日も委員会を開催しろと、聞くのもおぞましいくらいに声高に叫んでいましたよね。
 消滅にひた走る中道なんとか。参議院からの合流はないんだろうな・笑
 今日の宮司は午前中に千葉県立佐倉高等学校の敷地内で、樹木伐採安全祈願祭を奉仕して参りました。
 地元の名門佐倉高校。現在記念館として使われている校舎は明治期に佐倉藩最後の藩主である堀田正倫公が私費で建てたもので、国登録有形文化財に指定されています。
 その裏側に大きな楠があり、シンボルツリー的な存在なのですが、根が張って回りの地面をを押し上げ、それが記念館の下へも伸びているので、やむなく伐採する事になったそうです。
 帰社してからはいつもの「ながら引っ越し」をしつつ御朱印奉書をして夕刻の七峯となりました。
 今日は木造社務所から新社務所へ書籍を何冊か運んで、その中には正倫公の父上に当たる堀田正睦公の評伝も。
 正睦公は麻賀多神社現社殿を造営されたお殿様。江戸幕府の老中首座として日本を開国へ導いた方でも有ります。
 こういう本を見つけると、引っ越しやお方付けの手は止まるもの。表紙は開いてはいけないのです・笑
 正睦公の本はまた改めて読むとして、新社務所の工事も残すところ僅かになり、各所の表示マークが取り付けられました。
 その中には「?」と思われるものもあるかもしれませんで、「進入禁止」の文字の上には棕櫚縄で結ばれた石の絵が。
 これ、「止め石」と言いまして、日本庭園や神社仏閣の境内などで見かけることがあるかもしれません。
 役割としては、そこから先は立ち入り禁止。脚を進めるのをご遠慮頂く印でして、単なるオブジェではないんですね。
 進入禁止の道路標識のようなもので、入っちゃダメの意味だけではなく結界を表わすときもあるんですよ。
 また名称も沢山有って、関守石や留め石、極石や踏止石なんてのもと、これって作庭の流派とかで違うんですかね。
 今日、樹木伐採のお祓いでは造園屋さんが施行として参列していたから、聞けば良かったかな。う〜ん、惜しいことをしました。
 止め石、日本が左翼勢力により有らぬ方向へ行かないように、そちらの進路にも置いておきましょうか。
 
永年勤続20年表彰 [令和8年3月13日]

「エライ方に贈呈」

「千葉県だらけ」

「綺麗に押せましたね」
 日本政府が決定した備蓄原油の放出。この量が判明しまして、なんと東日本大震災時の1,8倍。
 何バーレルとかの数字は記しませんが、未曾有の大災害である東日本大震災時に比べての量ですから、今回の対応に高市政権の気の入れようが解ります。
 そう言えば、大震災当時は悪夢の3年3ヶ月と言われた民主党政権下で、首相も本人が師として仰ぐ市川房枝女史から「デモ隊の後ろに隠れていた」とコケにされた菅なんとか。
 そこで財務大臣をしていた安住なんとかという方が、ガソリンを溜める場所が無ければ学校のプールに入れればいいとの発言は未だに忘れません。
 この度の総選挙で落選したようですが、今までこの方を当選させ続けてきた方々。確か選挙区は宮城県内だったような。
 さて、昨夜に話になりますが、京成佐倉駅近くのレストラン・ラファレーズでちょっとしたお祝いの席を開きました。
 当社も加入している佐倉商工会議所では、長年頑張って務めてくれている社員や職員に対して、永年勤続表彰を贈る制度があります。
 以前より当社にも打診があったのですが、一般企業と違い社員が沢山いるわけでもなく、その殆どが家族ですので申請をためらっていたきらいがありました。
 そろそろ出してよと青年会議所の先輩からも声掛けがありまして、それではと勤続20年表彰枠で禰宜画伯を推薦申請しました。
 お陰様で審査にも通りまして、表彰式は昨年11月にユーカリが丘のウィシュトンホテルで行なわれ、その際は都合により欠礼したのですが、伝達式兼祝賀会という事で昨夜に開催しました。
 現在は体調的になかなか多くの方と会食が出来ない禰宜画伯ですが、ラファレーズの兼坂オーナーの計らいにより素敵な2皿を配膳下さり、和やかな中に時間が過ぎていきました。
 永年勤続表彰では勤続10年15年が佐倉商工会議所会頭、20年が佐倉市長、30年が日本商工会議所会頭と佐倉商工会議所会頭の連名で表彰状が授与されます。
 なので禰宜画伯は西田三十五佐倉市長名での授与となりまして、宮司が代読を致しました。
 でね、実は雇用主から被表彰者への手紙も書くことになっており、これって以外と書く方が恥ずかしくなってしまい、ちゃちゃちゃっと書いて推薦申請書と事務局に送ったものの返送を表彰状授与の後に手渡しました。
 その禰宜画伯ですが、神社での奉仕の他に柴犬女子神職会では前期まで副会長。今現在は上記の理由で退任して顧問を拝命しております。
 その女子神職会で昨年末より共同頒布を始めたのが、千葉県の形を模った「ちばえま」。
 色は千葉県のマスコットであるチーバくんになぞらい赤となっており、そこに金のインクで神社名の社印が捺してあります。
 昨年末、宮司が夜な夜な宮司宅の居間で、生き狛犬達に囲まれて捺印をしていたのが懐かしい3月。
 未だ捺印が済んでいない残りを巫女さんが丁寧に仕上げてくれ、それをSNSにアップしたら、ビックリするくらい早く「いいね!!」が付きました。
 宮司だとはそうも行かないのでしょうけれども、麻賀多神社に関心を持って頂き有り難く存じます。
 只今午後4時15分を過ぎたところ。これから新社務所建設奉賛会の打ち合わせがあります。諸事がうまく進みますように、確りと打ち合わせをしてまいります。
 
朝餉から一気に端午まで [令和8年3月12日]


 中東情勢が不安定というか、ドンパチをやっているのでガソリン価格が今日あたりからリッター20円ほど上がっているようです。

でもね、これっておかしいと思いませんか


 だって今、卸売り下から小売りであるガソリンスタンドに入ってくるものは、米国・イスラエルとイランがドンパチを始める前に仕入れたもの。
 ホルムズ海峡が封鎖などと言われていますが、日本が石油を輸入するその多くはアラブ首長国連邦とサウジアラビアで、ここにはパイプラインがあるので、ペルシャ湾からホルムズ海峡を通過しなくても日本に入ってくるルートはあるのです。
 そしてまたしてもオールドメディアは、ガソリンが急騰!スタグフレーションになるかも!!製造業は終わりだ!!!と煽っておりますが、日本がいち早く備蓄している石油の放出を決定し、世界がそれに乗ってとてつもない量が出回る事実。
 こんな時ですので改めて書きますが、どこかで誰かが儲けているんですよ。国の内外を問わずね。
 さて、そんなガソリンですが、東日本大震災の時も品薄となってガソリンスタンドには長蛇の列が出来たのも記憶にあるところです。
 それもチェーン店のスタンドがそれに当たりまして、個人経営のスタンドは従来の客のみに販売をしていた。
 宮司というか麻賀多神社では、氏子さんが経営しているスタンドを使っていたので、給油の際にオーナーさんに「この時期に給油が出来るなんてありがたいです」と話したところ、「いやね、いつも高いのを入れて貰っているんだから当たり前だよ」と。
 この「高いの」ってハイオクとかではなくて、チェーン店より個人店の方がガソリン価格が高いとの意味で、氏子さんというかご近所付き合いの大切さを今一度噛み締めたものでした。
 そんな事を思い出しながら、今朝も美味しく朝餉を頂き、震災翌日は電気は通っていたものの水道が出なかった事。
 それが新社務所を建設するに当たって、どうしても作りたかったものの一つに井戸、自家水があったのです。
 水があればどうにかしてもご飯が炊ける。電気式のポンプだとしても、電気が通じないときは境内にある氏子町の山車倉に眠る発電機を起動させればいい。そういう事なんです。
 そういう設えにしてあります。境内から汲み上げる井戸水は水質検査をパスして、飲用可能でポンプも電気プラグがあるので、若しもの時は発電機のコンセントに差し込めば水を汲み上げることが可能なのです。
 うんうんと肯きながら朝餉のご馳走様をして、今日は一日「ながら引っ越し」と書類整理。そして新社務所に飾ってあるお雛様の高御座と御帳台を仕舞いました。
 桃の節供の次は端午の節供。授与所は「桜に染まるまち佐倉「」仕様となっていますが、年中行事だと次は端午の節供ですね。
 お雛様と同様、端午のお飾りも今年から飾り付けを拝殿から新社務所に変更をして、ここ数年らい仕舞われていた兜のお飾りを設えました。
 この兜、智勇権禰宜が初節供を迎えるに当たり、禰宜画伯の父より贈られた物で、29年前のものになるんです。
 古さは全く感じる事がなく、贈られた当時の輝きと蒔絵の重厚感が背面のコンクリート壁に良くマッチしています。
 向かって右側には、智勇権禰宜が初節供の際に拝戴した長烏帽子と着用した陣羽織。
 左側には厄災祓いの薬玉。竹籠の中には匂い袋が入っており、薬草の香りと籠からの流れる五色の紐が優雅さを彩っております。
 例年、4月初めには境内に大きな鯉のぼりを掲げる当社ですが、そちらは3月21日に開催される「さくら天下祭り」を収めてからにする予定です。
 そろそろ3月も折り返し。諸々の年度末作業も順番で行ない、まだまだやりたいことが多い新年度を迎えるべく、本日の七峯はここまでに。
今日も最後までお読み頂き、ありがとうございました。今夜のアテは何で晩酌をしようかな♪
 
15年前の記憶を繋ぐ1枚 [令和8年3月11日]

「これからも貼り続けます」

「みんなで寝たんだよね」

「奉仕する智勇権禰宜」
15,901
 2,519
 3,810

この数字は上から東日本大震災の死者数、行方不明者数・震災関連死者数となっており、昨年より死者数が1人増えて行方不明者が1人減りました。

410,100
 26,281
これは住宅の全半壊数と避難者の数。避難者は昨年比で1,334人減っていますが、この中には避難場所で亡くなった方も含まれております。
 亡くなられた方の冥福と、いまだ深く傷を負われている方々にお見舞いを申し上げます。

 東日本大震災の発災から今日で15年。平成23年(2011)3月11日午後2時46分、三陸沖深さ24キロを震源とするマグニチュード9,0の巨大地震が起こったのです。
 ここ数日、東日本大震災を取り上げる記事や番組を目にする機会が増えましたね。そういう季節なのです。
 あの日も寒かった。今日は全国的に晴れていますが、昨日は雪も降った日本列島。一日ずれていたら、まさしくあの日と同じ空模様だったことでしょう。
 この震災が起こってから今年で15年。そして熊本地震から10年。能登半島地震から2年。能登はその前にも大きな揺れを何度も経験しています。
 地震期に入ったと言われる日本列島。いつどこで巨大地震が発生するか、専門家でも「いつにどこで」とは断言が出来ないのが地震です。
 地震への心構えと備え、建物の耐震化は平成7年1月の阪神淡路大震災により格段に上がったと言われました。
 しかし、いざ現実に大きな地震が起きると、発声した時間帯や地形、都市部か農村部、はては住民の年齢構成により被害の規模やその後の復旧復興が全く変わってきます。
 当地佐倉は千葉県でも内陸に近いこともあり、津波の被害はありませんでしたが液状化や停電や暖水が続きました。
 発災当時、宮司は毎年行なっていた氏子旅行会の帰り道。新潟の弥彦神社で正式参拝を済ませての関越道を千葉県に向かって参加者一同を乗せた千葉交通の観光バスに揺られておりました。
 ひとしきりお酒も入っており、皆さん気持ち良くウトウトとしていたところにバスがいきなり蛇行を始めて、運転手さん大丈夫か!?との声が車内から聞こえたところで、携帯電話に緊急地震速報のアラームが一斉に鳴り始めたのです。
 関越道を川越インターで強制的に下ろされたバスは、そこから佐倉まで一般道で帰ってきましたが、色色と心配をしている宮司に「宮司さんや、大丈夫だよ。このバスにはお土産が沢山積んであるし、途切れ途切れの電波でもみんな家族が無事だって言うんだからさ」と優しくそして力強く声を掛けてくれた総代さん。
 無事に帰社をして家族の顔を見たときには腰が抜けそうなくらい安心しまして、では終らず現実を直視すると、次々とくる余震にどう対処すべきか。
 このまま自宅で就寝しても大丈夫なのかを先ずは考えて、1階の居間にみんなの布団を敷いて、生き狛犬の桃太と雛も安心させて、テレビは付けっぱなしとして皆を寝かしつけました。
 その間にも東北地方の太平洋沿岸地域では津波の被害、また福島第一原子力発電所の事故(宮司は時の政府の過失だと思っております)がどうなるか解らない状況に、心が張り裂けそうなっていた方は多かったろうと思います。
 その日から宮司家のホームセキュリティ盤の隣りに、1枚のメモ書きを貼り続けております。
 そこには禰宜画伯の走り書きがあり、地震が起こったら先ずやること、そして最低限のことが記されています。
 新たに書き直しても良いのですが、走り書きをするくらい、それもマスキングテープで留めるくらいの緊急性と重要性が今も感じるので、宮司家では敢えてそのままにしております。
 その年、中学2年生だった智勇権禰宜。今日は千葉県神道青年会会員それぞれが、自身の奉仕する神社で東日本大震災復興祈願祭を斎行するにあたり、斎主として大前に額づきました。
 本殿大床から下げる幕には「東日本大震災復興祈願」と記されており、これは平成23年の麻賀多神社例大祭の折りに、氏子全町の山車や御神酒所に掲げられたものの1枚です。
 人というのは忘れると言うことを得意としますし、普段の生活の中で前の事が薄れる、それで良いと宮司は思います。
 しかし時には思い出し、そして常に備えよとまでは行かないものの、折角の機会だからと家族でその時のことや避難場所、もしそうなったときの対処などを話し合う、今日はそういう日にして頂きたい。
 東北然り、未だ復興に到達しない地域もある私達の日本列島。ほんの僅かでも構いません、あの時を知る方はお子さんに、そうでない方は非常食の事でもいい、地震を含めた自然災害について語らう時間を、今夜は持ってみませんか。