七峯の丘から

神宮大麻暦頒布始奉告祭齋行しました [令和7年10月22日]

「祭員と参列者一同」

「北山庁長玉串奉奠」

「頒布第1号」
 本日の佐倉、最高気温が14度と、とにかく寒いです。朝の天気予報では12月の気候とありましたので、身体が着いていかない宮司です。
 また冷えから来る首筋の痛み。原因は数年前の貰い事故によるもので、ネックウォーマーの出番も近いかな。
 今年は本当に秋が短く感じます。四季から二季になってしまうんでしょうか。心配ですね。
 昨日発足した高市政権。左派やオールドメディアは早速叩きに入っておりますが、就任会見でもその答弁能力の高さを披露した高市総理。
 これからが楽しみであり、また衆議院千葉13区選出の松本尚代議士がデジタル大臣に就任と、こちらも医師としての幅広い経験を活かして頑張って貰いたいです。
 さて、昨日の七峯でも取り上げましたが、昨夕に麻賀多神社において令和7年千葉県神社庁印旛支部神宮大麻暦頒布始奉告祭が齋行されました。
 奉告祭には千葉県神社庁長で鎌ケ谷市鎮座の道野辺八幡神社、北山秀彦宮司も参列を頂き、厳粛な中に祭典が執り行われました。
 北山庁長は祭式という作法の講師を長く務められ、その事を斎主の智勇権禰宜に予め伝えてあったので、ここ数日は宮司の見えない所で作法のお稽古をしていたみたいです。
 その甲斐あってか、ほぼ合格点を頂けたようで、北山庁長からもお褒めの言の葉を頂きました。
 祭典後は新寿司に場所を移動しての直会。こちらは一転、賑々しく懇親を深め、ちょっと早い忘年会の様相でした。
 大麻暦頒布始奉告祭が済むと、年の瀬の足音が段々と聞こえ始めるようになります。そろそろ年神様奉製の準備を始めましょうか。
 
令和7年神宮大麻暦頒布始奉告祭 [令和7年10月21日]

「神宮大大麻と大暦」

「祭典前の御殿」

「高市総理揮毫」
 遂に高市早苗内閣総理大臣の誕生です。憲政史上初となる女性の総理大臣。日本の歴史に新たなる1ページが書き込まれました。
 国会では衆議院と参議院、それぞれで首班指名選挙が行なわれ、衆議院では1発で過半数越え。
 参議院では過半数に1票足りなかったため、自由民主党の高市氏と2位だった野田佳彦立憲民主党代表との決選投票が行なわれ、高市氏が過半数以上の最高得票数を得ました。
 早速、野党議員からはお粗末な批評が出ておりますが、単なるやっかみなので捨てておきましょう・笑
 高市総理には今まで温めて続けてきた政策を、思う存分実行して欲しいです。
 日本維新の会との連立という、良い意味で今までとは違うパートナー。前政権までの左傾化した政治を先ずは真ん中へ戻して欲しいですね。
 さて、今日は麻賀多神社において午後4時から千葉県神社庁印旛支部神宮大麻暦頒布始奉告祭が、智勇権禰宜が斎主、富里市高松の香取神社禰宜の篠原萌花さんが副斎主を務めて行なわれます。
 神宮大麻と暦は既に支部内の各宮司へ配送済みですが、この祭典をもって今年の頒布が始まります。
 祭典では宮司がこの3日に千葉県神社庁の頒布始奉告祭で受け取ってきた神宮大大麻と大暦が神前に供えられ、その前にて伊勢の神宮を遙拝する形で行なわれます。
 斎主である智勇権禰宜が祝詞を奏上するのですが、つい先程まで何度も読み返す練習をしており、緊張感が伝わってきました。
 祭典の納めとして、神前の神宮大大麻と大暦が斎主にて下ろされ、印旛支部長の宮司に手渡されます。
 そして支部長より千葉県神社総代会印旛支部の押尾豊幸会長へ手渡し、支部内の頒布第1号が行なわれた事になります。
 神宮大麻はお家のお伊勢様。新年には神宮大麻と氏神様の御神札をお家にお祀りして、1年の健やかな生活を祈念しましょう。
 本日の七峯の納めにあたり、一番下の画像は今年9月に神道政治連盟千葉県本部の海外研修で台湾を訪問した際に、安倍晋三元総理大臣と深い縁のある高雄市の紅毛港保安堂前で撮影したもの。
 紅毛港保安堂の前では安倍晋三記念公園の整備が進められており、公園名の揮毫は高市早苗総理大臣。
 これからは立場上、なかなか渡台も敵わないかもしれませんが、やっぱり中共に気兼ねなく行って欲しいな。
 
繕い白丁のお洗濯 [令和7年10月20日]


 今日は上皇后陛下の御誕辰日。御歳91歳におなりになり、昨年骨折された箇所も回復にあると宮内庁より発表がありました。
 どうぞこれからもお健やかに、上皇陛下と穏やかな日々をお過ごし頂きたく存じます。
 この爽やかで目出度い書き出しにそぐいませんが、この日曜日も日本各地、多くのところで選挙が行なわれていました。
 が、気になったのが市長の学歴詐称問題で、議会が解散となった伊東市議会議員選挙。
 結果は案の定ですが、定数20のところ反市長派が19人の当選となりまして、次に開かれる市議会では2回目の市長不信任決議案が通りますので、今度は出直し市長選挙が行なわれる事がほぼ確定。
 2つの選挙の経費は約1億円。財源がないと騒ぐ中で、1人の粘りで勿体ないことこの上無しですね。
 さて、宮司が奉仕する神社の例大祭も、今シーズンは残り1社となりました。
 今度の日曜日に祭典を行いますが、約2ヶ月の秋祭りシーズンを納めるに、少しく寂しい気持ちと、年末年始は目の前までやって来ているんだと気の逸る感じがしますね。
 あんまりソワソワすると手に付くものも手に付かなく有るので、先ずは目の前にある事を一つずつやっていきましょう。
 御例祭の行事を納めて一週間が経ち、通常社務の合間にお片しと会計処理を行なっております。
 その一つが大神輿を奉仕する鏑木青年会員が、渡御の際に着装する白丁のお洗濯。
 その殆どは専門業者に依頼をして、真っ白で糊のきいた感じで仕上げます。
 神社では破れがあったり解れたものを別けて預かり、洗濯をして繕いを行ないます。
 以前は禰宜画伯が繕っていたのですが、年々に諸事多忙となっているので、むすびマルシェに出店をしている方に繕いをお願いしております。
 その前段階であるお洗濯は宮司のお役目。白丁は狩衣の簡易型で、上着と袴に分れますがそれぞれに帯が付いているので、干す際には絡まっている帯を解くところから始まります。
 これがなんとも手の掛かる行程でして、干し作業の半分くらいの時間を使うかな。結構根気がいるんです。
 画像は2日くらい前に撮ったもの。このところ飽和水蒸気量が多いので、外干しだとキッチリ乾くまで時間が掛かります。
 なので一度外干しにしてから部屋干しにして、除湿器を使うとまあ良い仕上がりになります。
 今回は上下15セットくらい繕いに出す予定で、オハリコさんには来年の9月くらいまで、時間の有るときにゆっくりと仕上げて貰う予定です。
 
兼務社例祭からのお見送り [令和7年10月19日]

「獅子大人気」

「御年76歳!!」

「少し痩せた?」

「行って来ますね」
 昨夕は麻賀多神社大神輿奉昇員の鏑木青年会の花流しに宮司が出席。まあ、盛り上がりましたこと盛り上がりましたこと。
 開催場所は神社隣の房州屋ですが、渡御の際の掛け声である「さらば久しい!!」が何度も聞こえたと、帰宅した宮司に禰宜画伯から・笑
 そのころ智勇権禰宜は六崎青年会の花流しでして、二次会のカラオケまで参加させて頂き、気分アゲアゲで帰宅。
 そんな感じの昨夜だったので、今朝は等しく重たい感じでの起床となりました。
 さて、先週末に続いて今週末も、日本全国で秋祭りが行なわれている事と思われます。
 宮司が奉仕する兼務社でも七栄親子が2日目を迎え、四街道市鹿渡鎮座の香取神社、同市吉岡の春日神社、佐倉市吉見の住吉神社で例大祭を奉仕致しました。
 吉見住吉神社では祭典後に3匹の獅子舞が舞われますが、昭和40年代に一度休止と成り、22年前に公共工事による移転で現在の境内地に親社殿を造営したのを機に、再び舞われるようになりました。
 その起源は不詳ですが、現在使用している獅子頭には寛文元年(1661)の墨書きが残されており、350年以上前から舞われていたのが解ります。
 ご多分に漏れず少子高齢化で、舞手も70代が2人と31歳という年の差ではありますが、それを感じさせない力強さ。
 責任役員を務めている石井さんも、御年76歳には見えない見事な舞を披露。流石に一人舞はキツいと言っておりましたが、なんのなんの。
 獅子舞の後にはお福分けの籤引きが行なわれ、地元吉見で取れた新鮮な農産物が沢山用意されていました。
 そしてこのご時世に嬉しい新米も2キロ・3キロ・5キロと、これがあたれば奥さん大喜び間違いなし!!
 と言うところで宮司も参加させて頂き、手に持つ「69番」の札がいつ読み上げられるのか、ドキドキしながらその時を待ちます。
 お福分けの景品はお菓子の袋詰めから始り、お米までには40人近くが当たる計算なので、最初に当たると嬉しいのですが、お米にはたどり着かないことになります。
 同行した禰宜画伯は早々にお菓子の袋詰めが当たりまして、数字の読み上げが進むうちにまわりの目が段々と宮司に向かうようになります。
 そしてその時が来ました。2キロのお米は10人ぐらいが当たるのでしょうか、3番目くらいに読み上げられたのが、宮司の持つ「69番」。境内、拍手で包まれました・笑
 嬉しいのと、御例祭を無事に納められた御礼を住吉様にお参りをして、神社役員にも挨拶をして帰社。
 普通ならここで今日の七峯は仕舞いとなりますが、午後4時からアポイントがありまして、それは何かと申しますと、昨日にアップした子猫の引き渡しです。
 昨夜のうちにSNSで里親希望の連絡が入っていたようで、今朝それを確認しすぐに返信。少しやり取りをして、夕刻の引き渡しとなりました。
 決まるときは決まるもので、その直後に2件の問い合わせがありまして、この子は恵まれているなと。
 実際に会うと、猫を扱うのも飼うのも慣れている様子で、小さなお子さん方も大喜びの様子でした。
 帰宅後の様子も画像で送ってくれ、安心してご飯を食べているのを見て安心した宮司です。
 自然界にいる猫の平均寿命は本当に短く、子猫に至っては自然淘汰されていくのです。
 そういう子を少しでも減らせるよう、親にはぐれた子がいたら暫く様子を見て保護していきたく思います。
 今回も名前は付けませんでしたが、ちびちゃん良いお家に受け継いで貰って良かったね。
 
秋空の境内に子猫がぽつんと [令和7年10月18日]

「こんにちは」

「良いお家に行けるかなぁ」

「七栄親子まつり」
 自民党と日本維新の会の政策協議。まあすぐにシャンシャンと纏まるわけも無く、週明けのギリギリまで詰められれば良いんです。
 そこで維新から飛び出した提案が議員定数の削減という、出ては消えて消えては出てのアレです。
 今回は衆議院選挙の比例代表復活枠を減らす案で、小選挙区はそのままという自民党も比較的飲み込みやすいもの。
 宮司、以前より議員定数の削減って、余り賛同が出来ませんでした。
 現在の小選挙区制では、選挙区の当選者は1人。次点の得票数で比例復活が出来る仕組みで、それは人口比によって選挙区の広さが決まります。
 そして地方に行くほど選挙区は広くなり、北海道のとある選挙区だと大阪府や香川県よりも広いところも有るのです。
 それだけ議員の負担も大きくなり、逆に人口の多い首都圏、特に東京都などには1つの自治体を分断しての選挙区があるくらいで、これって地方が寄り衰退するんじゃ無いかと。
 憲法で規定する基本的人権により、選挙後に毎度の如く1票の格差をめぐり裁判が起こされますけど、永遠の課題なんじゃないかと。
 まあ美味いところで招請して下さいなと言ったところで、本日のお話しに入ります。
 今日も兼務の御例祭奉仕が続きまして、昨日奉仕した富里市七栄鎮座の紅葉山稲荷神社例大祭の附け祭りである、七栄親子まつりの山車清祓式を午前8時より齋行しました。
 今日は秋晴れの素晴らしい空模様。さぞかし賑やかに山車の曳き廻しや行事が行なわれた事でしょう。
 明日もお一日、親子祭りは行なわれますが、ちょっと気になる天気予報。どうにか保って欲しいですね。
 その秋空、昨日から良い感じなのですが、そこにヒョッコリというかポツンとというか、子猫が境内の片隅で親猫を探して鳴いておりました。
 数日前から母猫と子猫2匹が境内を歩く姿を見かけており、その子で間違いはないのですが、親猫と子猫1匹は房州屋さんの方に行ってしまい、置いてきぼりを食ったようなんです。
 子猫は人の手に触れられると、親猫は子猫の下にはほぼ戻って来ない性質を持っており、境内にも「子猫を触らないで」との注意書きを出しております。
 境内に取り残された子猫は、人の手が触れたものかは定かでは有りませんが、しかし乍ら少し前まで親子仲よくしていた姿を思い出すに、何かしらの事が有ったのだと推察します。
 このままでは子猫は悲しい運命を辿ることになるので、保護をすることにしてその準備に入りました。
 子猫と言っても素早さはそれなり以上のもので、驚かせないように両手でふわっと包むようにして捕獲。
 社務所に準備した段ボールハウスに移して、目脂などがないか、お尻はきれいかを目視して、お水をあげてひと休憩。
 夕刻にホームセンターで子猫用の餌を購入して、猫砂とトイレも完成して一時間ほどおいて消灯しました。
 今朝、七栄に出発の前に段ボールハウスをのぞき込むと、ご飯は完食しおトイレも小した痕跡が見られました。
 今現在、神社と宮司のSNSアカウントにて里親募集を掛けておりますので、七峯をお読みの方で興味がありましたら是非お声掛け下さい。
 今は未だちょっと人見知りですが、今夕のご飯時には警戒心も少し緩くなってきたかな。
 可愛い鳴き声が社務所内に響いておりまして、それを聞きながらの七峯を書上げ、これから大神輿奉昇員である鏑木青年会の花流し。
 智勇権禰宜は一足先に、六崎大神輿奉昇員の六崎青年会花流しに出発をしており、お互いに吞みすぎ注意を心に秘めて、宮司も行って来ます。
 
紅葉山稲荷神社例祭は神嘗祭当日 [令和7年10月17日]

「稲荷神社社殿」

「燭台と燈籠にも三葉葵」
 約1週間に及んだ今年の麻賀多神社例大祭。昨夜を以て仕舞いと成り、今朝に宮司家の軒提灯を下げました。
 今日17日は佐倉藩主家で有る堀田様と、責任役員3名、そして総代会顧問宅に例大祭納めを報告にあがり、合せてお力添えに感謝の言の葉を申し上げます。
 堀田様のお住まいの奥には歴代様の墓地があり、それ一基ごとにお参りを致します。
 特に堀田正睦公と最後の藩主である堀田正倫公の墓標の前では暫しの間たたずみ、幕末の混乱期から明治維新に掛けての佐倉と麻賀多神社を今のように導かれた事に、改めて感謝の祈りを捧げます。
 神社としてはこれで例大祭の本当の仕舞いとなりますが、暫くは後片付けと支払いなどの会計作業が残っておりますので、社務中に時間を作って無事に済ましたく思います。
 今日10月17日は兼務である、富里市七栄鎮座の紅葉山稲荷神社が例祭日。午前9時に七栄消防団の迎が来まして、宮司が出向を致しました。
 この神社、明治4年に七栄に鎮座をしたのですが、それまでは江戸城の紅葉山に鎮座をしておりました。
 その場所は現在、皇后陛下が養蚕をされる紅葉山御養蚕所が建っており、ニュースなどで紅葉山の名称を聞いたことが有る方も多いと思います。
 戊辰戦争にて江戸城が無血開城となりましたが、それまで歴代の将軍や徳川家所縁の方々がお参りをしてきた紅葉山にある諸社は、新政府により取り壊しの方針が出されました。
 佐倉藩は江戸時代を通じて、一番多く老中を排出した藩。なのである程度以上、江戸城内にも通じており、取り壊しの方針が漏れ聞こえると、なんと城内に入り稲荷社から御神体の御鏡や燭台、吊り燈籠を佐倉に持って来てしまいました。
 そうして麻賀多神社を仮殿として一時期仮鎮座とし、佐倉牧開墾の折りにその中心に遷座したのが今の紅葉山稲荷神社なのです。
 稲荷神は言うまでも無く、五穀豊穣と殖産を導く神様。馬の放牧場だった佐倉牧を、刀を鍬に持ち替えた士族達の困難を成功に導かれたのです。
 その御例祭たる今日は伊勢の神宮で神嘗祭という、神宮ではとても大事な祭典が、勅使参向の下に齋行されております。
 この神嘗祭は新穀を御飯・御餅・神酒に仕立て、海の幸と山の幸をお供えして五穀豊穣に感謝し、国家の隆昌と国民の平安を祈願するお祭りです。
 何故に紅葉山稲荷神社の例祭日が今日となったのかが、窺えると思いませんか。
 因みに伊勢の神宮では外宮先祭と言って、外宮で祭典を齋行した後に、内宮でも同じく祭典を執り行います。
 その外宮の御祭神は豊受姫大神で、麻賀多神社の御祭神である稚産霊大神の御子神に当たります。
 そうです、麻賀多神社境内摂社である若宮稲荷神社の御祭神と一緒であり、江戸城紅葉山から当社へ稲荷社が仮遷座したのも佐倉藩だけの繋がりでは無い、言の葉では言い尽くせない御神縁を感じます。
 そして紅葉山御養蚕所において皇后陛下が御養蚕所を行なわれる際に、同所内に掲げられるのは養蚕を司る稚産霊大神の神号軸。
 麻賀多神社例大祭の後にも、このような御神縁の深さを頂く。宮司としての誇りであり、恐れ多いことでもあるのです。
 
令和7年御例祭7日目 [令和7年10月16日]

「神宮大麻と神宮暦」
 若しかしたら総理大臣になれるかもしれないと、あっちふらふらでこっちふらふらの国民民主党玉木代表ですが、自民党と日本維新の会が連立を組む流れになり、それが立ち消えの模様。
 来週21日には高市早苗内閣総理大臣がほぼ誕生する運びとなり、今後は野党内で揉め始めているのって、端から見るとやっぱり野党は野党なんだなと。
 そもそも、政権選択選挙の要素が強い衆院選後では無い中で、いきなり野党の数合わせで政権交代なんてされますと、悪夢の3年3ヶ月と言われた民主党政権の再来ですよね。
 政権交代に熱狂した日本国民は、自滅する民主党政権に「二度こんなのは御免だ」との記憶しか有りません。
 いずれにしても、今までの政権交代は野党が立派で起こったわけではなく、自民党への怒りが起こしたわけで、そのところを玉木代表を担ごうとした立憲民主党の野田代表は、自身が棚ぼた式で総理になったもんだから、本当は解ってないと思う。
 高市総理誕生で日本政治は保守、極右になると警告しているオールドメディアやコメンテーターはほぼ極左ですので、そりゃあ面白くない・笑
 良いじゃないですか、日本の姿を取り戻しましょうよ。スパイ防止法も作りましょうよ。インバウンドも日本に必要な方のみで良いじゃないですか。期待しております。
 さて、長かった御例祭期間も今日で納めとなります。約一週間、麻賀多様も氏子の皆さんとお祭りを楽しまれたことでしょう。
 その今日は、千葉県神社庁印旛支部内の宮司宛に、神宮大麻と神宮暦の配送作業が支部内神職により行なわれました。
 神宮大麻は伊勢の神宮の御神札で、9月に神宮の内宮神楽殿で神宮大麻暦頒布始奉告祭が齋行され、その後に各都道府県の神社庁にて同じく奉告祭が。
 そして千葉県神社庁においては今月3日に齋行の後に、県内11支部に神宮大麻と神宮暦が送られました。
 印旛支部では8日に当社へ到着。新社務所内に保管し、今日の配送作業となったのです。
 新しい神宮大麻と神宮暦は来週21日に当社で齋行する、千葉県神社庁印旛支部神宮大麻暦頒布始奉告祭齋行の後に各神社で頒布が始まります。
 伊勢の神宮は日本の総氏神様。ご自宅には神宮大麻とそれぞれの氏神様の御神札をお祀りしましょう。
 因みに、神棚が無くとも大丈夫です。お祀りする場所はリビングなど、ご家族の集まるところが最適ですが、お宅によっては玄関に御神札をお祀りしている場合もあります。
 ご不明な点は社務所までお気軽にお問い合わせ下さい。
 今日の七峯、納めに宮司家の例祭慣例をご紹介しますね。
 お祭りの最中、各家では玄関先に「御祭礼」の軒提灯を掲げると思います。
 宮司家も門のところに掲げておりますが、この提灯を下げるのは明日17日の朝。
 日が変わるまで御例祭ですので、明日の朝に提灯を下げてお祭りの納めとなるんです。
 それともう一つ有るんですが、そのお話しは明日の七峯にとっておくと致しましょう。
 
令和7年御例祭6日目 [令和7年10月15日]

「お話を良く聞きます」

「沢山の質問もありがとう」
 今日も明け方の小雨から始り、今は曇りの佐倉です。擦った揉んだやっている国会のようで、早くパッと気持ち良く晴れて欲しいですね。
 長かった御例祭期間も残すところ2日。本日は本義例祭日でいうと中日に当たりまして、宮司は酒々井町の兼務社5社の例祭を、お昼過ぎから順番で奉仕して参ります。
 以前は直会も賑やかだったのですが、流行病の4年間を過ぎると簡素化がそのままとなり、少しの寂しさがあります。
 話は先週の金曜日、麻賀多神社大祭式と大神輿発輿祭を齋行した10日迄遡りますが、今年も千成幼稚園の園児さんが大神輿の見学に来社しました。
 千成幼稚園は教育方針として、地元や日本の年中行事を積極的に取り入れ、集団での七五三詣りや節分の子供豆撒き大会など、当社へも度々来社をしております。
 大神輿の見学では、先ず禰宜画伯よりお祭りの説明をして、となるのですが、園児達は神社到着からの感嘆の声。こういう素直な声って本当に嬉しいですよね。
 そこからの説明が始まりまして、説明が大神輿に移ると更に興味津々で、食い入るように話を良く聞いてくれます。
 質問タイムでは神様のことや大神輿の飾り、そして神様ってどこに住んでいるんですかという素朴なものまで、沢山の質問をしてくれるんです。
 ある意味、予備知識が無いという純粋無垢な年齢層なので、どんな質問が飛び出すのか、受け入れる方もドキドキです・笑
 神社での見学の後、園児さん達は仲町の御神酒所を元気よく曳いたと、千成幼稚園のSNSにアップされていました。
 千成幼稚園の園児さんが来社する前、神社裏手の佐倉幼稚園でも園長先生と園児さん達が来社し、飾り立てホヤホヤの大神輿を見学。
 同じく感嘆の声が上がる嬉しさ。子供達の元気な声に、お祭り期間中の元気を貰えた気がした宮司です。
 それでは酒々井方面の例祭に出向しますので、そろそろ袴姿に改服を致しますね。
 
令和7年御例祭五日目 [令和7年10月14日]

「女子正装」

「石垣正面の看板も掛け替えて」
 今日も曇りがちの佐倉でして、夕刻から夜半に掛けては雨模様の予報となっております。なので湿度が少し高いでしょうか。
 なのでお洗濯も室内干しで、白衣や襦袢、そして足袋などの白物がズラリと吊り下がり、除湿器がフル回転をしております。
 お洗濯がほぼ趣味の宮司、先週末も神事と祭事の合間に洗濯機を回しまして、洗濯物が溜まらないように致しました。
 洗濯物は溜まると本当に大変。出張などで留守にすると、帰りの電車内では少しく心配になります・笑
 さて、今日からの3日間、10月14〜16日が本義の麻賀多神社例祭日。既に佐倉の街は先週末の行事が済んでいるので「やれやれ」と言ったところですが、神社としては16日迄が御例祭体制となっております。
 とは言うものの、宮司も職員も気分的には大神輿の無事な還御が出来、ほっとしているのは氏子さん方と変わりがありません。
 社務所内の片付けはまだまだですが、宮司宅の和室に先日の日曜日から抜け殻になっていた装束類の片付けが済みました。
 神職が祭典時に着装する装束は、その祭典規模や内容により着装するものが規定をされております。
 当社ではなるべくその規定に沿って、宮司以下職員の装束をほぼ取りそろえております。
 が、こういうのって正直なところ結構お値段がしまして、雨でも降ったものならその染み抜きや修理など、それもまた掛かるのです。
 でもね、神様にご奉仕する為の装束ですので、みすぼらしい格好は出来ませんしね。
 先週の行事ごとは中日の土曜日に雨が降りましたが、その際は雨儀用の装束として兼務の城麻賀多神社例大祭と六崎大神輿に奉仕を致しました。
 その分、使用した装束も増えましたが、陰干しも済んだのでそちらも仕舞い完了。
 因みに宮司が例大祭中に着装するのは正服と言いまして、俗に言う衣冠束帯の衣冠にあたります。
 禰宜画伯が着装するのは女子正装という名称で、宮中の女房装束を神社本庁の祭式講師の方々が考案したもの。
 神社本庁は昭和21年(1946)2月3日に、旧内務省神社局を引き継いで設立された団体なので、現在の女史正装は戦前にはなかったことになります。
 と言うことはですね、戦前には女子の神主さんは公として存在しなかったことになりまして、装束もそうですが祭式の作法もこの80年間で紆余曲折をもって今日に至るわけです。
 神社界も年々、女子神職の割合が増えており、宮司が女性のお宮も印旛支部内でも数社あります。
 神主は男性のイメージ、これからは随分と変わってくると思いますよ。
 
令和7年御例祭四日目? [令和7年10月13日]




 全然気づいていなかったのですが、大阪・関西万博が今日閉幕するんですね。
 184日間の会期、残念ながら訪問する事は敵いませんでしたが、当初の批評とは裏腹に2500万人もの来場者と280億円もの黒字が見込まれるそうです。
 当然、それ以上に関西圏には経済効果があったものと思われ、さんざんぱら開催に反対していた類いの方々は、さぞかし嫌な思いをしていることでしょう・笑
 さて、昨夜に御例祭の行事を納めたところで、今朝は午前9時から石垣上の高張提灯や各所の撤収作業が始まりました。
 今日10月13日は兼務の角来八幡神社、江原粟島神社・江原新田麻賀多神社が御例祭。
 もう少しお布団に入っていたいところですが、気合いを入れ直して3社の御例祭を滞りなくご奉仕して参りました。
 台風23号から刺激された秋雨前線の影響か、降ったり止んだりの空模様だったので、撤収作業には支障が出ている町内もあったようですね。
 社務所内でも手丸提灯の片付けや諸々、手分けして行ないましたが、如何せん身体か付いていかない宮司。
 その点、智勇権禰宜は若さで張り切って熟れており頼もしく思います。でも、疲れているよね。
 段々と御祭礼期間中の集まり始め、宮司が外出中の境内の様子などがわかるようになりました。
 中日に雨が降った影響で、納めの三日目は今までにない人出だったようです。
 確かに新町通りも凄い人出だったけど、神社のお参りも列が出来ていたんですね。
 そうそう、金沢石浦神社の長谷吉憲宮司ときまちゃん、そして愉快な仲間たちが金沢へ向かい出発しました。
 因みにそのまま帰るというわけではなく、途中で疲れを癒して石川県入りだそう。良いですねぇ。
 きまちゃんもすっかり佐倉に馴染んで、今年は特に「きまちゃんだ!!」と声を掛けてくれる方も多かったそうです。
 年に一度の来倉ですが、また来年のお楽しみと言うことで、本日の七峯はここまで。
 本日も仕舞いまでお付き合いを頂きありがとうございました。
 そして明日からは本来の例祭日。本義仕舞いの16日迄、確りと頑張ります。