紙垂の取り替え [令和7年4月25日]
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明日から大型連休。皆さんはどちらかに、お出掛けになりますでしょうか? 暦を見ますと、今年は飛び石連休型のようでして、長いお休みが取りづらいので、近場にお出掛けという方が多いそうですね。 もっとも、今月28日と来月の1,2日に有給休暇なりを取ると、11連休になる。その様な方もいらっしゃるでしょう。 宮司が神職として神社に奉職した30年前は、大型連休には御祈祷が少なく御朱印もそれほど流行では無かったので、ゆっくりした時間が流れていた気がします。 それも昔の話で、お祝い事の人寄せが親戚まで呼んでいたのが、今は近しい家族のみとなりコンパクトになった事も有って、連休中でも初宮詣や地鎮祭なども入ってきます。 御祈祷では無くても、観光を兼ねたお参りや御朱印を受けるなど、当社でも「うちって観光地!?」と思わせるような日も有り、時代は変わったんだなぁと。 当社では5月3日に新社務所上棟祭を控えており、現在は通常の社務に合せてそちらの準備もしており、今月も慌ただしく過ぎようとしております。 さて、神社の顔といったら皆さんは何を思い浮かべますでしょうか。 「顔」の定義にもよりますが、人目に付くという事では、当社では道路から見える鳥居になるかと思います。 現在の鳥居は平成3年に建てられたものであり、素材は鋼鉄の鋼管が使われています。 一般的に鳥居は部材を組み上げて作られていますが、当社のものは部材を溶接しての一体形成。 なので、地震や暴風であってもバラバラになる事は有りません。あの鳥居がバラバラになるような事が有れば、周りの建物は壊滅だと思われます。それくらい頑丈なんですよ。 その鳥居には注連縄が掛けてあり、稲藁の房と5枚の紙垂が下がっています。 注連縄は聖と俗の仕切り。所謂「結界」を表していると言われますね。 形状として、横に張る縄は天を表わし、房は雨を。紙垂は雷の稲妻をと。 佐倉周辺でも田圃に水が張られるように成り、田植えが始まるのも目前です。 神は天候を司ると共に、その恵みを私達に教授してくれます。そこには水が欠かせない。 水は無くてはならないものですが、あり過ぎると災害になるという恐ろしい面も持っています。 雷が鳴ると豊作と言われ、先程も書いたように別名を「稲妻」と言いますね。成長を浴すので椎茸などは雷雨の後の方が成長が良いとか。 当社の紙垂は奇数が基本となっています。一般的には偶数。それも4枚が多いので、紙垂を四垂と書いて「しで」と読ませたりします。 何故、麻賀多神社では奇数なのか、先代宮司が千葉県神社庁の第2第庁長である飯田秀真先生(東庄町の東大神宮司)に訪ねたことがあったそうです。 飯田先生曰く、奇数は前進で偶数は満足。麻賀多神社の御祭神「稚産霊命・わかむずびのみことは結びつける、そして苔がむす様に成長を促す神様。なので前進である奇数なのでは」と話されたそうです。 学者肌であった先代宮司もそれに納得して、心のモヤモヤが晴れたとか。聞いといて良かった話です。 画像は鳥居の紙垂を取り替えている最中のもの。境内より外に向いて撮影。向かって左3枚が取り替え済みで、右2枚はこの後に交換しました。 このところ強風が続き紙垂もお疲れモードになっていたので、上棟祭を前に綺麗に仕上がりました。 3日は午後3時より祭典開始です。綺麗な紙垂をくぐって神社に起こし下さいね。
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掃除が済んでお餅!? [令和7年4月24日]
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「かなり入り込んでいました」

「お気持ち有り難く」
やっと雨が上がった佐倉です。降っている時は「あ〜ん」となるのですが、雨露に濡れた新緑というのも、また綺麗なものですね。 その緑さやけき下で、楠の落ち葉と格闘している宮司ですが、楠の落葉もそろそろ仕舞いとなります。 ここ数日は雨もうそうなのですが、結構な南風が吹いておりまして、麻賀多神社は御殿が南向きなので、落ち葉が拝殿の階やお賽銭箱に入りまくり。 その上、階の下にまで入り込んでしまい、それを掻き出すのが、まあ大変なんです。 それに加えて、昨日痛めた左手が箒のひと掃き毎にずーんずーんと響きまして、早く良くならないかと願うばかり。 お賽銭箱周りの掃除、当然お参りの方が来ると中断しまして、遠慮気にいらっしゃるので「どうぞ」とお声を掛けます。 人がいない時間帯に掃除をすればと言う考え方もあるのですが、深夜にも御殿に吊してある鈴が鳴ることもありまして、お陰様でまんべんなくお参りを頂いております・笑 ひとしきり掃除を終えたところで、11時にとある場所まで出掛けてまいりました。 応接室にご案内頂きフカフカに。そこで目にしたものは大小、紅白のお餅さん達。 触ってみるとまだ柔らかく、この時間のために作ってくれ、これくらいの大きさで良いのかなという話。 なんと5月3日に齋行する新社務所の上棟祭に、親餅と四方餅を御奉納頂けることになりました!! 有り難いとは正にこの事で、御礼かたがた祭典のご案内もしたのですが、ご本人曰く「当日は海の上」にいるそうで・・・ 色色な方に支えられて今日まで来ました。これからも佐倉のために頑張ろうと、帰りの車中で気を挽き締め直した宮司です。
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所轄庁定収書類作成 [令和7年4月23日]
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「相変わらずのレトロ感」

「笏をペンに持ち替えて」
えーっと、今日は午後から片しものをしていたのですが、ちょいとしたことで左手の親指付け根を尖ったもので刺してしまい、ただいま止血との戦いで七峯を書いております。痛い・・・ 昨日になりますが、千葉県神社庁印旛支部の令和7年総会が成田のひかたや支店で開催され、宮司の支部長3期目がスタートしました。 1期3年として、この期を勤め上げると9年。小学一年生が中学校を卒業する年と同じです。 本来であれば今期から次の方にバトンタッチをする筈でしたが、残念ながら2年前に逝去されました。 その方の分まで、今期は頑張ってまいりたく思います。お空から見ててね。 その昨日と今日の2日間、社務所では所轄庁定収書類の作成作業が行なわれております。 何の事かと申しますと、一般的に神社やお寺は宗教法人という括りになっておりまして、宗教法人法に則り事務運営をしております。 宗教法人法は89の条文と附則から出来ており、法律としては他に比べるとコンパクト。 このごろは某韓国系キリスト教団の解散命令などで、この法律の名を聞いた方も多いと思います。 その第25条の4に「宗教法人は毎会計年度終了後4ヶ月以内」に役員名簿や財産目録等の写しを、所轄庁に提出しなくてはならないとありまして、それを毎年この時期に作っているわけです。 宮司が預かっている宗教法人格を持つ神社は、本務の麻賀多神社を始め53社有りまして、兼務52社の責任役員が社務所に来て書類に署名捺印をするのです。 また任期終了で役員が交代するところもあるので、そのような手続きも同時進行で行なうんですよ。 以前は宮司が相対で行なっていましたが、ここ数年で智勇権禰宜がそれを引き継いでくれ、大変頼もしく思います。 この書類を提出しなかった場合ですが警告がありまして、それに従わない時は代表役員(宮司)への過料。それでも提出しないと宗教法人格の剥奪となります。 お陰様で毎年ちゃーんと提出はしておるんですが、時には「なんでこんなのを書かなきゃいけないんだ」というのもおりましてね。 先代の時なんか、そんな文句を垂れた所は「おまえの所なんか、もう知らん」とおかんむりで、まあ無理はありませんが、その後に役員全員で平謝りに来たところもありました・笑 宗教法人法についてもう少し書きたいのですが、左手が痛すぎるのでまたの機会に。
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棟が上がってきました [令和7年4月22日]
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薄曇りの佐倉です。現在正午、予報では24度くらいまで上がるのですがどうでしょうか、そこまでは上がらないかな。薄ら寒く感じますね。 今日も楠が頑張って、昨年の葉を散らしております。仰ぎ見ると、まだ濃いめの葉がありますので、もう暫くははらはらとしているんでしょうね。 現在建設中の新社務所ですが、昨日から2階部分の木工事が始まりました。小気味の良い槌の音が境内に響いております。 新社務所の構造ですが、一階部は鉄筋コンクリート造りで、2階部は一部鉄筋コンクリート造りの木造となります。 初期の設計では全部が鉄筋コンクリート造りでしたが、諸般の事情というか工事費用の急激な高騰により木造に。 しかし今考えてみると、2階には和室2部屋と倉庫も設けることから、木造にして良かったと思います。 因みに和室ですが、宿直や装束の着装や収納も行なう場所となりまして、装束棚は湿気が籠もらないような設えとなっております。 柱が順々に立ち棟の一部も上がってきて、完成予想図の外枠とかなり近くなってきました。 現代の木工事では事前に工場などで木材を刻む「プレカット方式」が主流で、新社務所もその様な感じで建設資材が運ばれてきます。 しかし乍ら現場合わせの部分もあるので、昔ながらの鑿(のみ)を使う音も聞こえており、大工さん頑張っているなと今の社務所から話しております。 一昔前までは槌音が響くと、「あ、建前だ。お餅拾いに行こう!!」となったもんです。 建前(たてまえ)とは上棟の事で、上棟には餅撒きがつきものでした。小さい頃にはこれが楽しみでね・笑 今は上棟の儀式自体が余りやらなくなってしまい、祭典の依頼も年に1か2回くらい。 5月3日に予定している上棟祭では、午後3時から御殿で神事を。そのあと3時半頃から新社務所建設現場にて餅撒き、正式には散餅の儀(さんぺいのぎ)を行ないます。 麻賀多神社の境内で上棟の餅撒きをするのは、宮司宅の上棟以来なので20年振りになるでしょうか。 今のところ、紅白のお餅1500個を用意する予定となっており、そうなるとお菓子も撒いた方が良いのかとか、散銭といって五色の紙やテープを貼った小銭も撒こうかとか。 上棟の餅撒きはお福分け。晴天の下に多くの方にお福分けが出来るよう準備をしております。
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屋根より低いけど [令和7年4月21日]
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「平泳ぎ」

「前座にて」

「御三味線って良いですね」
昨日ですが、ライオンズクラブ国際協会333ーC地区(千葉県)の地区年次大会を中座しまして帰倉。 その足で夢さくら館に直行。さくら天下祭りで展示してある肴町の山車とその上に載っている二番町の玉乃井龍神のもとに参りました。 本来であれば3月29日に佐倉城大手門広場において、特別曳き廻しが行なわれるはずでしたが、この日だけ何故か大雨。 曳き廻しは中止となりましたが、関係者の努力と尽力において、夢さくら館での展示と佐倉囃子の演奏が行なわれました。 そこから約1ヶ月、多くの方に拝観を頂き、山車もお人形もさぞかし嬉しかった事と思います。勿論町内の皆さんや関係者各位もね。 そのフィナーレを飾るるに、山車のお囃子台の上で肴町の人形でこの期間は佐倉おはやし館で留守を守る竹生島龍神に捧げるべく、長唄三味線「竹生島」が演奏されました。 演奏したのは二番町の大野祭礼委員長の令嬢とご友人。五つ紋の黒留め袖がまた良きかなです。 そして順番は逆となりますが、肴町の高橋祭礼委員長の子息が前座として落語「たいこ持ち」を披露。 出囃子は先述のお二人が御三味を弾き奏でてと、なかなか豪華な始まりました。噺もうまかった!! この後に山車は幕が外され、部材ごとに解体し、三味線胴から下ろされた玉乃井龍神人形はおはやし館に戻り、秋の御例祭までひと休憩となりました。 今回初めて企画されたさくら天下祭り。紆余曲折はありましたが、佐倉にはこんなに素晴らしい山車と能人形が有るんだと知っていただける良い機会になりました。 実行委員会の皆さんは既に、来年の構想に入っております。今週末に行なわれる花流しでもその話題で盛り上がるんでしょうね。お疲れ様でした。 そんな素晴らしい時間を過ごした翌日は、気持ちの良い朝を迎えられるものでして、そこにお腹も減って美味しい朝餉を頂きました。 今日は結構やらなければならないことが有りまして、午後に出張の智勇権禰宜は明日から行なわれる所轄庁提出書類作成の準備で、宮司と巫女さんは境内の大掃除と鯉のぼりを揚げる作業を行ないました。 当社では毎年、御殿前に大きな鯉のぼりを揚げております。地元では結構名物でして、またSNS映えがすると写真を撮る方も多いんです。 ただ、大きいが故に同じ様に鯉のぼりを揚げると、建設中の新社務所を覆う足場と安全幕に引っ掛かる恐れがありまして、今年は御殿前の掲揚はお休み。 その代わりに鳥居から境内南東にあるおトイレの屋根までロープを伝わせ、そこに鯉のぼりを掛ける方式にしました。 なので童謡「鯉のぼり」の歌い始めにあるような、「屋根より高い」とは行かないのですけれど、小さなお子さんなどは近くで鯉のぼりを見ることが出来るので、良い具合に好評です。 端午の節供に鯉のぼりが広く挙げられるようになったのは、江戸時代からと言われており、それ以前は武者幟が多かったみたいですね。 また平家の落人が住む地域では、鯉のぼりを上げ有るのが御法度とされる所もあり、今でもその伝統は守られているそうです。 薫風を孕んだ鯉のぼり、毎年綺麗に泳ぐ姿を見てきましたが、新社務所が出来上がると風向きが変わったりするのか。そうなったらどうなるんだろうと考えながら、ロープに掛けた鯉たちがそよ風になびいているのを見ていた宮司です。
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今年の復興支援ブース [令和7年4月20日]
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「委員会の皆さんと」

「輪島塗のお品」
皆さんおはようございます。木更津駅前にあるワシントンホテルの一室で朝を迎えた宮司です。 NHKの7時のニュースから流れる話題は、石破政権が就職氷河期世代への就労支援わ行う為に、新たに関係閣僚会議を設置するというもの。 今春に大手企業へ就職した新人さんの初任給が、30万円を超えたなどの話題が流れていましたが、今の50歳前半から40代半ばくらいまでの、所謂「就職氷河期世代」は昇級どころかまともに職に就けない人も多かったのです。 バブル景気が弾けてからの不況時代に就職期が重なり、また第二次ベビーブーム世代でもあるので、人余りの波に晒され大学受験も大変な競争率でしたね。 今までもその世代に就労支援政策が幾度となく取られてきましたが、今回もそれを行うということは、今までの政策が機能していない証拠ですよね。 若い頃と違い体力と気力も落ちてくる世代。そこも反映される政策が今度こそ取られるよう願います。 今日はライオンズクラブ国際協会333-C地区(千葉県)の2025年地区大会が、木更津のかずらアカデミアホールで行われます。 それに先立ち、昨夜は併設されているオークラアカデミアホテルにて前夜祭が開催されました。 宮司は佐倉ライオンズクラブの所属で、地区では災害支援委員会に出向。2期目の副委員長を拝命しております。 この委員会では、県内はもとより国内で災害が発災した時に情報収集を行い執行部に報告。支援物資の手配や依頼を行う部署になります。 昨年の能登半島地震と続いた奥能登大豪雨には、実際に石川県珠洲市と輪島市に県内メンバーと共に入って微力ながらお手伝いをして来ました。 そういった実働支援と共に昨年の年次大会でも行いましたが、大会に合わせて災害地域の物を物販して売り上げを義捐金にしたりと。 昨年4月の年次大会では未だ能登より品物を仕入れる事が出来ず、同じ石川県より九谷焼の小皿1000枚を金沢ライオンズクラブのメンバーである伊勢さんにお世話になり仕入れ。その全てを販売する事が出来ました。 今回は輪島よりまた伊勢さんの手筈を頂き輪島塗の夫婦箸と調理へらを。珠洲からは須須神社の猿女権禰宜にお世話になり珠洲の海の幸を仕入れて販売しました。 昨年は前夜祭と年次大会の二日間で販売しましたが、今年は前夜祭のみ。当然売り上げは昨年より下回り。 ただね、来月17.18日に麻賀多神社で開催する「薫風のむすびマルシェ」でも復興支援ブースを開いて特別御朱印の頒布と能登の産品を販売します。 災害発生から時間が経つと、それに半比例して復興支援の意識と熱量も下がります。 いまだに水が出ない地域もある能登半島。同じ国の中で自身の行いが理由ではなく、生活に難儀をしている人がいるのを忘れないこと。大切だと思います。 それではライオンズ仲間と朝餉を頂き、今日の年次大会に行って来ます。今日も頑張ろう!!
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令和7年氏子総代会開催 [令和7年4月19日]
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「麻賀多神社大神輿」

「御神酒所へ神輿掛け」

「初日夕方休憩」
昨夜8時過ぎ、スマートフォンの画面に流れてきたのは、長野県北部を震源とする震度5弱の地震。 その後も余震を知らせる通知が頻繁に流れており、心配になるところです。 長野県は平成23年3月11日の東日本大震災の翌日、12日に今回と同じ当たりを震源とするマグニチュード6,7。震度6強の地震が発生しております。 また本震に続く余震では、マグニチュード5以上のものが何と2時間以内に2回発生しており、今回も余震が心配されます。 場所柄、新潟県の中越に接しており、中越地震との兼ね合いも心配ですよね。 さて、今日午前9時半より佐倉中央公民館にて、令和7年麻賀多神社氏子総代会を開催しました。 議案としては令和6年度の大年番会計決算と引き継ぎ。そして今年10月の御例祭についてです。 今月5日に社務所にて宮司立ち会いの下、前年度大年番である間之町と野狐台町から決算書が提出され、今年度大年番の並木町と横町の氏子総代が監査を行ないました。 その結果を今日の総代会でお示しをし、若干ですが決算書の付記を修正する事で可決承認。 これを持って間之町と野狐台町の大年番が納めと成り、退任の挨拶。引き続き今年度大年番の並木町と横町が挨拶をして御例祭の審議に入りました。 当麻賀多神社の例祭日は10月14〜16日ですが、神振行事(御祭礼)の都合上で10月第2金曜日からの3日間も例祭日としております。 先ずはこの日程から審議をし、そして大祭式の斎行時間発表。最大の目玉である大神輿の渡御の有無について審議に入ります。 結果ですが、神振行事は10〜12日とし大祭式は初日の13時半より齋行。大神輿の渡御も決定しました。 これが決まると宮司は本当にホッとします。今は大神輿の渡御があって御祭礼というのが当たり前という流れ。 なんですが、宮司が就任した25年前はどういうわけか渡御は2年に1回というルールがまかり通っており、それを変えるのが大変でした・笑 総代会としては7月の予算審議と暑気払いが次の行事。その間に予算案と麻賀多割りと呼ぶ氏子町賦課金の計算をしておきます。 今年もお祭りのことが動き始めました。本番まで6ヶ月を切っております。時間に追われるのは判っておりますが、今のうちにやれることを!!
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青紅葉が綺麗です [令和7年4月18日]
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トランプ関税交渉で渡米した赤沢経済再生相。まさかのトランプ登場に会談後、自身を「格下も格下」と記者団に。 ものって言いようが有りましてね、日本の国の行く末が掛かっているかもしれない交渉に対して、例え相手が誰で有ろうとも同じ立場くらいの勢いで行きませんと、その段階で終了しているわけでして。 なんでも石破総理の側近中の側近らしい赤沢さん。なるほどねという感じです。 さて、今日は神葬祭の葬場祭と火葬祭が午前中に入っておりまして、そこからの新築入居清祓式。宮司、結構働きました。 帰社しますと智勇権禰宜から「宮司さん、午前中大変だったんですよ」と切り出され、でも顔を見るとクレームとかでは無い感じ。 内容としては、建築会社が当社に地鎮祭の依頼をしていたと勘違いして、要は連絡するのを忘れていたらしく、「まだですか〜」と電話があったそうです。 当然の如く神社の予定表には記載が無く、日にちのお変更が出来るかとの事になったのですが、当然ですがお供え物は準備済み・笑 急遽、地鎮祭が入ったわけでございます。この間、巫女さん一人でお留守番。お疲れ様でした。 こういう日も有りましてね、少し疲れたときや頭の中を切り替えたいときは境内に出て、深呼吸しながら木々を見るのが好きです。 新緑が萌えている今、紅葉も若葉から皆が良く知る形に成長。真緑にはまだなっていませんが、黄緑色がとても綺麗です。 紅葉はその感じの如く、秋の「紅葉・こうよう」に代表される木ですよね。 でもJR東海の「そうだ、京都に行こう」のHPでは、京都青もみじ特集が組まれるなど、今やその見方も多岐にわたるようになりました。 当社には大きな紅葉の木があったのですが、新社務所建設に伴ってやむなく伐採をしました。 その木は新社務所の装飾材として活用する事になっており、現在は乾燥をさせております。 今、青紅葉が綺麗なのは東参道入り口にある木でして、このところの七峯の記事を読み返すと東参道付近には色んな木が植栽されているのが判ります。 現社務所の前にも、どこから飛んできたのか紅葉の種がこぼれたらしく、自然に発芽をした紅葉の若木が有るんですよ。 この青紅葉が赤く色付く頃には、建設中の新社務所も一部の使用が始まっていると思われます。来年の青紅葉の時期には竣工かな。
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早くも土鈴オーディオ [令和7年4月17日]
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「可愛いですね」
昨夕、勝浦の地にて千葉県神道青年会歴代会長会が開催され、第24代会長として出席してきました。 その前には神道政治連盟千葉県本部の幹事長就任のご挨拶を、今期より本部長となった意富比神社の千葉宮司さんと一緒に県内を回りました。 意富比神社、「おおひじんじゃ」と読みまして、一般的には船橋大神宮のお名前で知られていますね。 勝浦へは千葉市内から高速道路を使って市原まで。そこから大多喜街道に入り、ざっと1時間40分くらい掛かったでしょうか。 大多喜の町に入る手前にあるいろは坂並みのヘアピンカーブ。久々に通りましたが、やはり怖かったです・笑 会長会では3月まで会長を務めた流山諏訪神社の古谷権禰宜を始めとする役員の慰労と、今月より会長となった一宮玉前神社の鵜澤権禰宜の激励を乾杯の挨拶に入れました。 やはり勝浦、海の幸が美味しく初鰹に鮪の中トロなど、その日に勝浦港にい水揚げされたものを頂戴しました。 今朝はやはり歴代会長を務めた地元、遠見岬神社宮司の小林さんと古谷さん、そして鵜澤さんと、神社前に店を構える「いしい」で勝浦タンタンメンを頂き解散。勝浦を満喫してきました。 佐倉へは外房有料道路、通称「波乗り道路」を使い東金有料道路から八街経由。こちらも1時間40分で帰宅。 久し振りの長距離運転でしたが、今のところ疲れもなく、でも明朝には出るかもしれないと・苦笑 帰宅後は無事に帰倉のご挨拶を御神前にして、旅支度をといで社務に。このところの強風でしたので直ぐさま掃き掃除となりました。 午後からは令和8年のお正月に頒布する守札などの発注を伊勢の業者さんと行ない、干支土鈴のオーディオも行ないました。 今の時期にもうお正月?と思われますがどの業界も人手不足でして、年末年始用の授与品発注は年々早くなっております。 特に土鈴等の干支物は持ち越しが効きませんし、お正月に間に合わないなんてお話になりませんからね。業者さんも焦りの色が見えるのです。 当社では干支土鈴を2つの業者に委託生産をお願いしておりますが、今日は4種類の土鈴を選択しました。どれも可愛いですよ。 因みに来年の干支は丙午(ひのえうま)。この年に生まれた子は泥棒になるなどの迷信がありますが、少子化に拍車が掛からない事を願います。 午は方角だと南を表し、太陽が一番高い意味合い。時刻だと12時。なのて12時ジャストを正午って言うんですよ。 競走馬のように走り抜けつつ、馬の親子のような温かい家庭像。縁起のいい年にしたいですよね。
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巫女さん、切麻を奉製中 [令和7年4月16日]
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「チョキチョキ」
今の時期、最高気温が19度というのが高いのか低いのか。明日は今日より5度ほど高くなり、強風は今日と変わらず。 このジェットコースターの様な気候ですが、皆さんは体調に変化などありませんか?宮司は少し疲れ気味。若く無いなぁ。 今月末からの大型連休明けは「五月病」なる言の葉がよく聞かれますが、今のうちからこれではいけませんね。休める時に身体を休めて頑張りましょう。 当社の巫女さんは基本的に学生さんでして、新学期も始まり平日はその姿を見る機会が少なくなります。今年は新社会人になった子も多かったから尚更でしょうか。 ただ大学や専門学校の高学年にいる子達は授業数や実習も少なくなり、平日にも出勤してくれる事もあります。 土日に比べると平日はご祈祷の予約も少なく、社務所での手作業をする時間が多く取れます。 手作業で奉製するもの、神社では多岐に渡りますが半紙や奉書紙などの紙を使うものが多く、紙から出る本当に細かい毛羽(けば)を吸い込み、気管を痛めてしまう事があります。 なので巫女さん達が奉製に携わる時などは、極力マスクを着用し、折々には水分補給をして喉を痛めないように。 画像は巫女さんが「切麻・きりぬさ」を使っている様子です。ハサミを使ってチョキチョキと、同じ姿勢が続くので肩を回したりしながらね。 切麻とはお祓いに使う祓具の一つで、地鎮祭の四方祓で敷地をお祓いする時などに使われます。紙吹雪のような感じのものを思い出して頂くと、あ、見た事をあるとたる方も多いと思います。 切麻は紙を切ったものに、麻を細かくしたものを混ぜて出来上がり。後半の作業は神主が行い、唐櫃という箱に詰めて完成となります。 来月3日午後3時から斎行する新社務所の上棟祭でも、散餅の儀(さんぺい)というお餅まきの前に祭場となる新社務所前の櫓で、智勇権禰宜によって切麻がまかれお祓いを行います。 因みに上棟祭でまく紅白のお餅は、紅白合わせて1500個くらいを予定しております。お福分けにどうぞお越しください。
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