御神酒に鍛高譚 [令和7年7月18日]
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80年前の今日7月18日は、アメリカ空軍により国鉄佐倉駅に空爆が行なわれた日です。 この空爆で鉄道職員と勤労学生の14名が犠牲となり、その慰霊碑が現在でも建っていて、保線に関わる方々のお参りが絶えません。 実際の空爆は駅ではなく操車場に止めてあった機関車に対してですが、ロケット弾が職員達が避難していた防空壕に被弾してしまい被害が出たのです。 先の戦争中、現在の佐倉市内は一般で言う空襲はなく、東京の空襲を終えたアメリカ機が九十九里沖へ帰還する際に、残り玉を散発して行きました。 佐倉城址には陸軍の佐倉連隊が置かれていましたが、その当時は海外転戦を繰り返しており、佐倉はもぬけの殻常態。 なので空襲もなく。情報収集は今も戦争の要、なにも戦争に限らずともですが、アメリカ軍には日本の実態が把握されていたんですね。 犠牲になられた方々のご冥福を、心よりお祈り申し上げます。 昨晩、京都から帰倉しまして軽く夕餉をとって帰社。麻賀多様の大前に頭を垂れました。 宮司宅に入りますと、待ってましたとばかりに6匹の生き狛犬が駆け寄ってきて大甘えの大運動会が始まりました。 これに付き合うこと小一時間。遠出の疲れもありまして、流石にいつもより短めに運動会強制終了となりました。 ひと通りの荷物を解いて洗濯機を仕掛けて就寝。気が付けば翌朝、今朝でしたのでよく寝られたんだと思います。 今日は10時から地鎮祭が入っており、昨日までと気持ちを切り替えて奉仕をして参りました。 通常だと京都の方が暑いのですが、雨降りだったせいか今日の千葉の方が暑く感じますね。 社用車のモニターから流れてくる天気予報では、関東甲信・北陸・東北南部が梅雨明けをしたとありました。 関東甲信では1日、北陸では5日、東北南部では6日ほど平年より早い梅雨明けなんだそうで、この前の台風5号と続いた熱帯低気圧が無ければもっと早かったんでしょうね。 この時期の地鎮祭、大変です。夏物の装束を着けていても汗が湧き出てくる。今日も帰社したら直ぐに白衣を脱いで洗濯機行きとなりました。 地鎮祭を始め神社の祭典では御神酒が付きものですよね。「御神酒の上がらぬ神は無し」という言の葉があるくらいなんですよ・笑 一般的に御神酒というと日本酒がおもい浮かぶと思われますが、今日は違った。なんと焼酎の鍛高譚(たんたかたん)が上がったんです。 鍛高譚は甲類と乙類の混和焼酎で、赤紫蘇の香りと風味が人気。ストレートや水割り、炭酸水で割っても良いかもしれませんね。 実は今現在、アルコールの消費量が年々減っており、お呑みになら無い方にはお酒の種類をご存じない方も普通にいらっしゃいます。 今回もどうもその様な感じでして、そして日本酒じゃなきゃ祭典がご奉仕出来ないわけではないので、これはこれで良いんです。 鍛高とはアイヌ語でカレイ科の魚の意味だそうでして、その昔に魚たちが済んでいる海が澱み濁って仕舞い、それをどうにかしようとした鍛高に長寿の海亀が、山の麓に行って癒やしを与えてくれる紫の草を取ってくるようにと諭しました。 その草こそが赤紫蘇で、鍛高が持ち帰った赤紫蘇で澱んでいた水は元の清らかな常態に戻ったとの言い伝えが北海道に残っているそうです。 この言い伝えから出来たお酒が鍛高譚。今日のような暑い日には、赤紫蘇の風味が清涼感を高めてくれることでしょう。 只今午後4時。宮司はこれから佐倉市保護司会の一員として「明るい社会運動」のお手伝いにJR佐倉駅まで行って来ます。 西日に当りながらの活動。配布物、多くの方が手に取ってくれると良いな。そして冷やした鍛高譚で、心身を癒すことに致しましょう。
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大雨の前祭巡行 [令和7年7月17日]
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「蟷螂山の特別粽」

「雨儀仕様」

「佐倉の蟷螂が!?」
只今、成田エクスプレス47号の9号車3番C席に着席中の宮司でございます。佐倉到着は18時41分なので、後35分程でしょうか。 一昨日より京都の祇園祭前祭に禰宜画伯と出張りまして、宵々山から昨夜の宵山。そして今日の前祭山鉾巡行を拝観して参りました。 祇園祭の前祭前に梅雨が明けると、京都では猛暑日が多くなるという統計があるそうで、それで言うと今年はバッチリ当たるとか。 ただこの3日間は熱帯低気圧の影響もあって比較的過ごしやすい気候でした。あ、それは昨日までの話。 何故かと言いますと、今日の京都は朝から大雨。市内の河川には洪水警報まで出る始末で、京都市役所と本能寺の間をはしる御池通りに設けられた桟敷席を取った宮司家とお仲間さん達は、ポンチョの中に雨水が染み込むくらいを体感しておりました。 祇園祭とはその昔に全国で疫病が流行った際に、当時の国の数、今で言う都道府県単位の感じになりますが、66本の鉾を神泉苑に立てて、その鉾に疫神を招いて疫病退散を願ったのが始まりとされています。 その名残りが前祭巡行の先陣を切る長刀鉾というわけなんですね。山鉾巡行は籤引きで順番が決められますが、長刀鉾は「くじ取らず」で不動の先頭なのも納得です、 前祭は23町会、後祭は11町会から山と鉾が曳出されますが、ご贔屓といいますか、今で言う「推し」がやはり有りまして、宮司では前祭はかまきりさんが山の上の御所車に乗っている蟷螂山と前祭殿(しんがり)の船鉾。後祭だと復興途中の鷹山とやはり後祭殿の大船鉾ですね。 と書いているうちにそろそろ佐倉に到着します。続きは明日の七峯に記載したく、佐倉駅を降りましたならば草鞋脱ぎを致しまして、麻賀多様に戻る事と致しましょう。
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酒々井の獅子舞 [令和7年7月16日]
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「小倉正巳さん画」

「馬橋の獅子舞」

「墨の獅子舞」
降ったり止んだり降ったり止んだりが続く空模様。外仕事は暫しお休みといたしますか。本当は枯れ枝のお片しをしたいのですがね。 昨日を持ちまして宮司が所管する神社の夏祭祭典を納めました。宮司としてはひと段落なのですが、付け祭りは今週末まで。 先週末は酒々井町馬橋の香取神社で夏祭の祭典と獅子舞。昨日は同町墨の六所神社で祭典が斎行され、獅子舞は今週末の20日に執り行われます。 両社とも7月15日を夏の祭典日としておりますが、その日が平日となる事もあり、フレキシブルに日程の設定をしております。 馬橋と墨、この両区は隣り合っており酒々井町の南部に位置。そして佐倉市と八街市、また富里市と隣接しているんですよ。 なので昨日においては、墨の六所神社で夏祭を奉仕した後は隣接している佐倉市上勝田の大宮神社でも夏祭を御奉仕を致します。 さて、酒々井町にも色色な昔話が伝わっておりまして、その幾つかが絵本として作成されているんですよ。 その一つに「背中合わせの神様」というものがありまして、それが墨の六所神社と馬橋の香取神社を題材にしたお話なんです。 ざっくりとの内容ですが、両社の神様方がお互いに御神威比べとして雨を降らせたり、お日様を照らしたりとしたところ、田圃のお米がえらい事になったという。 迷惑をしたのが氏子さん達でしたが、神様ごとだから致し方ない。それを知った神様方がごめんねとなった訳です。 氏神様は氏子を守る御存在。まあ昔話ですので水争いなどが根底にあろうと思いますが、そうであったとしても神様のせいにして丸く収まるのは落とし所なのでしょう・笑 今現在、墨の六所神社は東向き。そして馬橋の香取神社は西向きとされておりまして、お互いに御尊顔を合わせずに氏子さんの方を向いております。 今現在、酒々井町には上記の墨と馬橋の他に上岩橋に三匹獅子が伝わり、賑やかに舞われております。 実はその他にも明治初期で廃絶したとありますが、伊篠・中川・尾上でも三匹獅子が舞われていたそうです。 伝承のみのところもありますが、実際に獅子頭が現存している地区もあるんですよ。 今からでは復興もむづかしいところですが、伝承の掘り起こしと現存している獅子頭の再調査を行い、たかが150年前に途絶えた理由と地域の再生を行いたいですね。 因みに、酒々井町の依頼により町の昔話の挿絵を描いた画家の小倉正巳さんは、なんと宮司と近しい血の繋がりがありまして、これも御神縁と有り難く思っております。
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波紋が綺麗 [令和7年7月15日]
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「丸がいっぱい」
第27回参議院選挙も終盤となり、与党の苦戦が伝えられております。報道によると50議席で過半数のところ40議席に届くかどうかとの予想もあるそうです。 今まで自民党を支持していた岩盤層が離反している。原因は簡単でして石破首相とそれを担ぎ上げた岸田前首相が推し進めた反保守的な政権運営に外なりません。 まだそれ以外の理由も挙げられますが、この2人が応援演説に入ったとしたら、それは票を減らすだけ。 今日の産経新聞朝刊によると、なんでも先週末に自民党執行部で選挙情勢を検討したらしいのですが、激戦区の応援演説に執行部を重点的に投入することが確認されたと。 候補者にしてみれば疫病神以外の何もんでもないでしょうし、昨秋の衆院選でも候補者を後ろから銃で撃ったような現執行部ですので、解党的出直ししかないでしょうね。 いずれにしても選挙戦はこの土曜日19日迄。私達に出来る事は棄権せずに投票すること。投票しない方には政治批判をする資格が無い言うのが宮司の持論、ただそれだけです。 さて、台風5号は北海道に上陸してそこに吹き込む湿った南風と、西から来た熱帯低気圧により東海から関東地方は大雨となっております。 当地佐倉もご多分に漏れずで、大粒の雨が断続的に降っており、その影響で月半ばの15日なのに境内は静かです。 今日未明には東海地方で線状降水帯が発生するかもとありましたが、そこまでは行かずとも結構な量が降ったそうです。 雨のピークは関東地方、それも東の突端である千葉県から茨城県に架かり始め、雨雲レーダーを見ると局地的に赤や黄色の豪雨となっている場所も有ります。 先述のように佐倉もそこに入っておりまして、境内の参道に敷いてある石畳に出来た水溜まりには、雨粒が落ちた波紋が幾重にも広がっておりました。 水溜まりの波紋、これってとても綺麗なんですよね。噴水や池の波紋も綺麗なのですが、雨はその時の強弱があるので波紋の大きさと広がり方が違います。 宮司、これから兼務である酒々井町墨の六所神社と、続いて佐倉市上勝田の大宮神社で夏祭の奉仕に出向して参ります。 願わくば各神社への行き帰りだけでも雨が止んで、波紋も少しお休みにして頂けると有り難いです。 画像は麻賀多神社の鳥居付近の石畳。丸がいっぱいで可愛いですよね。
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台風5号通過しました [令和7年7月14日]
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「風向きが変わりました」
上皇陛下が投薬治療のため東大病院にご入院なさいました。御安寧になられますよう、心よりお祈り申し上げます。 陛下には無症候性心筋虚血にて、今年5月に一度ご入院をされており、この時も上皇后陛下がお付き添いされました。 新薬と近しい方のお付き添いでお心安く、治療への効果が大きくなりますように。 小笠原近海で発生した台風5号。その影響で昨夕から雨が降ったり止んだりの佐倉です。 今日は朝拝時には雨は止んでいましたが、時間が経つにつれて時折大粒の雨が降ってきました。 午前11時に工事安全の外祭が入っており、スマートフォンの雨雲レーダーを見ると、その時間だけポッカリと雲が抜けておりました。 なので神社を出発する時間を少し早めて現地に到着。工事会社の皆さんと急いで祭段を組んで祭典開始。 その結果、お陰様でほぼ濡れることなく祭典終了で帰路についたのは良かったのですが、佐倉に近づくにつれて猛烈な雨となり、帰社後は車中で暫く待機となりました。 因みに今日の祭典場所は駅のホーム。宮司も神主になって30年が経ちますが、駅のホームに祭段を立ててお祓いをしたのは初めてでしたね。 午後からは社会保険関連事務を行ない、その後は来年5月に行なわれる神宮式年遷宮御木曳(おきひき)の行程の打ち合わせ。 この辺りから風の向きが北から西方向に変わってきており、台風が関東沿岸を通過中なのが判りました。 台風は反時計回りなので、通過前は北からの風でそれが西寄りになって、通過すると南風になります。俗に言う吹き返しの風ですね。 只今午後5時半。外の風は完全に南風となりました。その台風5号は東北沖を北上していて、明日3時くらいに北海道へ上陸する模様です。 今期はまだ台風は日本列島へ上陸しておらず、北海道が初上陸となれば2回目の事らしいです。 これも気候変動のせいなのか、いろいろな物が変わりつつある今、「まさか」の事態もまさかではなくなっているのでしょう。 天災は忘れた頃にやってくる。常に備えよの心を今一度噛み締めたいと思います。 台風の進路にあたられる方、どうぞご安全に。そして進路が危ないと思ったら早めの避難をお願いします。
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馬橋香取神社の御朱印 [令和7年7月13日]
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「馬橋香取神社御朱印」

「昨日の獅子舞」
小笠原近海で台風5号が発生しました。関東へは明日14日に最接近するとの予報です。 予報円だと一番西側のルートを通った場合に千葉県に擦りまして、出来れば東側のルートを通って頂きいたい。お願いします。 また16日に掛けても関東へは南からの湿った空気が入り込むので、活発な雨雲が発生する可能性が高く、大雨による災害も懸念されます。 準備をするのは今のうち。非常食や飲料水の点検と確保、確りとやっておきましょうね。 今日の宮司はほぼ一日にわたり外作業をしておりました。昨日よりも気温は上がりましたが、それでも猛暑とまでは行かなかったので、随分と捗りましたよ。 ただね、汗はかく、水分を取るの繰り返しで、おトイレにはあんまり行っていない。これって体内の尿酸値が上がって通風を発症する恐れが高くなるのです。 随分と前に一度ですが通風を発症したことがありまして、お陰様で今は投薬も無く元気にしておりますが、夏場は本当に怖いので兎に角水分補給とおトイレには気を付けております。 昨夕の話になりますが、兼務社である酒々井町馬橋の香取神社で夏祭が執り行われました。 当社管内では夏祭りは余り多くはありませんが、いくつかの所では獅子舞の奉納が行なわれ、馬橋でも3匹の獅子に道化の猿2匹という豪華バージョンで舞われます。 その歴史は定かではありませんが、大凡300年前から続いていると言われ、一度途絶えたのですが昭和43年に復活。 それ以来毎年7月15日(現在は第3土曜日)に、香取神社境内とお寺、そして区長宅の3ヶ所を周り、勇壮でコミカルな獅子舞に観客も大いに盛り上がります。 夏の獅子舞は厄災除けと秋の収穫を無事に行えるようにと願うもので、舞の最中には「うたぶし」と言って下記の歌が唄われます。 「ちはやふる 神の鳥居を 通るとき 忌もけがれも 地に伏しにけり」 独特の節回しに若干の哀愁も込めて、境内に馬橋獅子連の声が響くのです。 昨年より神社役員から依頼が有りましてこの度、馬橋香取神社の御朱印を頒布する事になりました。 御朱印紙には香取神社の社号と御祭神である経津主大神(ふつぬしのおおかみ)の御神名が奉書され、その下には3匹の獅子が描かれております。 馬橋と言えば麻賀多神社御神酒醸造元である甲子正宗の飯沼本家ですよね。昨日も甲子正宗の菰樽が供えられ、鏡割りを行ないました。 御朱印には日付けを入れますが、その場所には甲子と推察される一升瓶が!! 馬橋香取神社は普段は仕舞っており、参拝は出来ますが御朱印は受けることが出来ません。 なので、麻賀多神社社務所と香取神社向かいの飯沼本家「まがりや」、この2ヶ所で頒布を行ないます。
※ 今年は7月20日に参院選があり、馬橋区公民館が投票所となるため、1週間繰り上げての斎行でした。
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八剱八幡神社例祭献幣使参向 [令和7年7月12日]
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「祭典前に」

「修祓」

「八剱宮司さんと」

「八剱八幡神社御神輿」
昨日から随分と涼しくなりましたね。気温が30度を超えないだけでこんなに涼しく感じるなんて。 今日の佐倉、最高気温は27度予想。宮司が幼少のみぎりにはこの気温でも暑く感じたものですが、いつの間にか高温に慣れてしまったのでしょうか。それはそれで怖いですね。 ただ、これくらいの気温だと外作業もかなり捗りまして、午前中に境内の一斉掃除が完了。調子に乗って古神札の整理までやった宮司でございます。 さて昨日の話になりますが、木更津市富士見に鎮座する八剱八幡神社の例祭に、献幣使として宮司が参向してまいりました。 八剱八幡神社は木更津の総鎮守で、創始は不詳ですが木更津の地名の由来となった日本武尊の物語も相まって、古くより信仰を集めて参りました。 毎年7月に行なわれる例祭では関東一の大神輿と称される御神輿が渡御。その大きさは台輪巾4尺7寸で、重さは1,5トン。 麻賀多神社の御神輿は台輪巾5尺で重さは1トン(実際には計ってはいけないことになってます)なので、台輪巾では当社の方が大きいのですが、木更津の御神輿は屋根が高く重厚な作りが特徴です。 武神である八幡様の御神輿に相応しく、麻賀多神社の御神輿は姫神様のたおやかさを感じ、両社とも御祭神に相応しい御神輿ですね。 例祭の大祭式は午後2時からで、責任役員を始め神社関係者、そして氏子14ヶ町の青年会長らも参列をしました。 3年前にも献幣使として参向しましたが、まあ暑かったこと暑かったこと。夏の正服を着装しますが、それでも祭典後は汗でびっしょり。 その仕舞うと黴が生えてしまうので、帰社後にすぐ陰干しをしたのを覚えております。 それを思うと、昨日は涼しく奉仕が出来、毎年これくらいだったら良いのにねと・笑 今日と明日、神社の御神輿が木更津の町を渡御しますが、町内渡しで順繰りに氏子町を進んで行くそうで、鏑木青年会のみの奉仕となっている当社とは違いますね。 木更津もご多分に漏れず旧市街地は人口が減っており、町内渡しが出来ない町会も出てきたそうです。 これに関しては県内神社の神職よりも同じ声を聞きますので、神社庁の教化委員会でも取り上げてみたいですね。 八剱八幡神社のHPアドレスを下に貼っておきますが、なんと御神輿にGPSが搭載されているそうで、HPから御神輿の現在位置が判るようになっております。 当社の御例祭時にも御神輿の現在位置の問い合わせが有るのですが、社務所にお問い合わせがあっても判らない状態です。GPS、いずれの時にか検討課題かもしれません。
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真珠記念日は誕生日 [令和7年7月11日]
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「自由過ぎるお昼寝」
昨日の七峯で雨のことを書きましたが、夕方から夜に掛けて埼玉県や東京都でバケツをひっくり返すような大雨になって仕舞いました。 復活した梅雨前線に湿った空気が流れ込んだのが原因とされていますが、それでも記録的な雨量。 帰宅時間に合せて参議院選挙の街頭演説を予定していた候補者の皆さんも、急遽予定変更などご苦労されて事と思います。 その参院選も20日の投開票日へ、折り返し地点となりましたね。ここ数日は少し暑さも和らぎそうですので、お気張り下さいませ。 色んな記念日というものがありまして、日本ラーメン協会によると、今日は「ラーメンの日」なんだそうです。 ラーメンを食べる際に使うレンゲを「7」と見立てて、お箸を「11」としましてが理由だそうです。 ほぼ強引な感じが致しますが、同協会がそうなんだと言えばそうなるものでして、皆さんどうでしょうか?笑 それに比べて納得が出来るのが「真珠記念日」、これも今日なんでして、日本の真珠と言えば御木本幸吉翁。この方と奥さんが初めて真珠養殖に成功した日が7月11日なんです。 三重県の英虞湾、今も真珠養殖が盛んに行われており、ミキモト真珠島を始め多くの真珠屋さんが軒を連ねていますね。 元々英虞湾では天然真珠の採取が盛んに行われていましたが、乱獲によりその数が激減。そこで立ち上がったのが御木本夫妻でした。 さりとて今はポピュラーとなった真珠の養殖も、当然乍ら手探り状態から始まったわけで、失敗を繰り返しながら明治26年(1893)の今日、半円形ながら5粒の養殖真珠を採取したのです。 ただこれは道半ば。球形の養殖真珠にたどり着いたのは13年後の明治39年(1906)の事でした。 さて時代は下がりまして平成30年7月11日、奈良県大和郡山市にお目目がまん丸のチワワが誕生しました。 その子は縁あって京都の四条河原町に来ることとなり、その年の9月にとある神社の神主さんに見そめられました。その子こそ麻賀多神社の当代の生き狛犬筆頭である珠京(たまき)なのでございます。 その年は関西圏を大型の台風が通過して甚大な被害がでました。関西空港の連絡橋に波に流された大型船が衝突した画像を覚えてらっしゃる方もいますでしょう。 殊、京都の社寺においては古い建築が多いために、屋根が吹き飛ばされたりとかなりな被害が出たのです。 佐倉出身の方が宮司を務める平野神社では、拝殿の柱全部が途中から折れ全壊。月は変わりましたが、宮司と禰宜画伯とでお見舞いに上がりました。 その帰り道に寄ったのが大徳寺の真珠庵。襖絵の企画展が行われており、お参りと合わせて観覧を予定しておりました。 拝観が済んで河原町にある宿に戻り、歩いて2、3分の所にあるペットショップに入ったんですよ。 その時は先代生き狛犬の桃太と雛がありまして、地方に行くとペットショップを覗くのも楽しみの一つでした。今もですけど。 そして運命の出会いがそこで起きたのです。ガラス越しにまん丸なお目目でこちらを見ている小さなブラックタンのチワワ。 抱っこしてアピールはなく、ただじーっとこちらを見ている。これに禰宜画伯がやられてしまったんです。 もう連れて帰るの一点張りで、何か欲しいものとか殆ど言わない禰宜画伯が猛アピール。 一度宿に戻って冷静に考えて、それでも連れて帰りたいのであれば良しとしましょうと部屋に戻ると、既に名前まで考えていたとは・笑 京都の大徳寺真珠庵を拝観した日に出会った真珠記念日生まれの子なので、京都と真珠から「珠京・たまき」と選名。 閉店間際のお店に戻り購入の手続きを済ませ、翌日にお迎えをして佐倉に戻って参りました。 その珠京も今日で7歳。佐倉に来た翌年に令麻という可愛い奥さんを娶り、その翌年には一粒種の息子弥来が生まれて今では孫も2匹。堂堂たる生き狛犬筆頭でございます。 小型犬の7歳はシニア世代に突入ですが、これからも元気に長生きして、孫達と沢山遊んでね。ひ孫も見たいよね。
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双葉から本葉が [令和7年7月10日]
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関東地方、場所によっては瀧のような雨が降るとの予報が出ております。関東の皆さん、どうぞお気を付け下さい。 と書いたものの当地千葉県佐倉市も関東地方でして、他には東京・神奈川・埼玉・茨城・群馬・栃木の一都七県。 これの場所によってはと言われても、さてどこなんだと・笑 気象予報士の皆さんもこういう表現しか出来ないの重々承知しておりますが、もう少し搾って頂くと助かります。 その瀧のような雨、佐倉は降りませんでしたが、久し振りに雷鳴が轟きまして、新社務所の工事に来ている職人さん、外仕事の方は仕舞いに入っております。 雷って怖いですもんね。雷鳴が聞こえ始めたら直ぐに建物の中に入って、安全を確保して下さいね。 今日も宮司のワンオペ。午前9時の社務開始と共に朝のお掃除と木曜日なので燃えないゴミを出しまして、雇用保険の書類を作成して11時の御祈祷であっという間に午前中が過ぎました。 お掃除と一緒に植栽の水遣りもしたんですよ。予報では昼から雨。でも植物は水を欲しがっている。 ましてや植栽したものは充分に根が張っていないものも有って、その子達には根腐れを起こさない程度にお水をあげませんとね。 先日の七峯に取り上げたこぼれ種の朝顔ちゃんですが、段々と大きくなってきて双葉の間から蔓が出て本葉が顔を出したんですよ。 通常、朝顔の種蒔きは5月中旬から6月上旬。気温は20〜25度くらいが目安となっています。 それでいうとこぼれ種の朝顔ちゃんは一般的な朝顔よりも随分とスタートが遅くなってしまいました。 朝顔の種って表皮が硬くて、種蒔きをする際にはカミソリやカッターナイフで表皮に傷を付けて発芽しやすくするんです。 こぼれ種の朝顔ちゃんはそういう人工的な行程を一切受けずに、それも1年近く社務所の縁の下に置かれたプランターでじっとしていたところに恵みの水がやって来て自然発芽。これって凄くないですか!? 周りに植わっている朝顔やゴーヤは苗を植栽したものなので、すでに花芽が出来ているものも有りますが、こぼれ種の朝顔ちゃんはいつ頃に咲くのでしょうか。 8月のお盆の頃には咲いて欲しいな。暑さに負けず一緒に頑張りたいと思います。
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お祓いうちわで扇ぎましょう [令和7年7月9日]
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「表面」

「裏面の花火絵」

「翳(コトバンクより)」
この暑さで頭のネジが外れたのでしょうか、それとも元元そういう方なのかは存じませんが、自民党の鶴保庸介参議院議員が和歌山県での選挙応援で「運のいいことに能登で地震があった」と話したそうです。 事は鶴保氏が推進しているんだろう「2拠点地域居住」という、2つの自治体で住民票が取れるようになった件についての説明なのですが、何言っているのか全く判らず。 当然の事ながら発言は撤回しましたが、こういう方が参議院の予算委員長をしている段階で自民党の人材不足というか、本当に解党的出直しをしないと社民党みたいになりますよ。 宮司も口が多くて言葉が足りないと自覚しており、言の葉についてはかなり気を使っております。 況してや議員たる公人が、選挙応援と言う場において使う表現ではない。そんなこと普通に判るだろうにが判らないんでしょうね。 参院和歌山選挙区はこの選挙で保守分裂となっております。完全に脚引っ張っちゃいましたね。 今日は智勇権禰宜が久し振りの公休で、宮司のワンオペで社務を行なっております。巫女さん達はまだ夏休みに入っていないので、お一人様です・笑 境内の植栽に水遣りをして参道に打ち水をして、朝一で初宮詣の御祈祷を奉仕した後は、一人静かに事務仕事をしており、パソコンのキーボードを打つ音のみが社務所内に響きます。 この暑さですのでコンビニエンスストアもお客さんの脚が遠のいていると新聞にありますが、お参りの方って凄いですよね、定期的に拝殿の鈴が鳴りまして、その後に御朱印を受けに来る。宮司、頭が下がります。 先月より頒布をしている「お祓いうちわ」のサンプルを社頭(御守等を出している場所)に置いているのですが、参拝者が手にとって扇ぐとその風の涼しいことにビックリされます。 3年前から千葉県女子神職会の企画で頒布しているこのうちわ。南房総で作られている房州うちわを基に、表面は共通として裏面はそれぞれの神社で趣向を凝らした拵えとなっているんですよ。 今年の麻賀多神社の絵柄は「美しき佐倉の花火」で、禰宜画伯渾身の作となっております。 因みに今年の佐倉市民花火大会は会場となる佐倉ふるさと広場が改修工事のために使えず、分散開催として時期も10月に移動して行なわれます。 うちわ、漢字で書くと「団扇」とそのままでは読めないですよね。これは熟字訓といって熟字単位で訓読みを当てはめたものらしいです。 大陸では「団」は丸いとの意味が有り、丸い扇なので団扇。音読みで「だんせん」とも言うそうですが、余り聞きませんね。 団扇は古代より世界で使われおり、エジプトの壁画にも描かれ日本では弥生時代の遺跡から団扇木製品(柄と骨の部分)が出土しています。 古代では権威や儀式の威儀物としての性格が強く、時代が下がるに連れて庶民の生活用具となってきました。 先程、団扇の漢字については書きましたが、読みの「うちわ」の語源としては「害を打つ翳」から来たそうです。 「翳・は」とは儀式用に用いられるもので、画像を貼っておきますのでご参照下さい。 害には疫病や穢れなども含まれ、この事から祓具としても用いられていたことが判りますね。 プラスチック製の団扇も安価で便利ですが、日本伝統で千葉県の地場産業である房州うちわを使った「お祓いうちわ」で心身共に清清しくなってみませんか? 冒頭の方もお祓いうちわで扇げば、被災地を思える一般的感覚になるかな。まぁそこには期待しませんが。
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